あの日、おれは渋谷の腕の中で気がすむまで泣いた。
おれは両親から「泣くな」と言われて育った。泣くと物置に入れられるので、子供のころから何があっても泣かないようにしていた。だから、学校でみんなに無視されようとも、掃除用具入れに閉じ込められようとも、待ち伏せされて殴られようとも、一切泣かなかった。涙なんて出し方を忘れていた。
渋谷の腕は温かくて優しくて……。渋谷は、恥ずかしげもなくしゃくりあげるおれの頭をゆっくりゆっくりなでてくれた。ずっとずっとこうしていたいと思うくらい、渋谷の腕の中は心地よかった。
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夏休みは部活三昧だった。
試合に出られない組の一年生たちとは一緒に行動することが多かったので、少し親しくなれた気がする。
特に、おれと同じで高校からバスケをはじめた篠原照臣とは一緒に組んで練習することも多いせいか、先輩方からも「しのさくら」とペアで呼ばれるくらい一緒にいた。それを篠原がどう思っているのかは分からない。でも、
「一緒に頑張ろー」
と、ニコニコ言ってくれてるから、嫌ではないのかな……と思いたい。
一方渋谷は、クラスの友達と一緒に、夏休みの間だけ『海の家』でアルバイトをしていた。
「水着の女の子見放題って話だったのに、見てるのは鉄板の上の焼きそばだけだ。裏切られた」
と、ブツブツ怒っていて面白い。遊びに来いとしつこく誘われたので、一度だけ様子を見に行ったら、本当に、ひたすら焼きそばを焼いていて笑ってしまった。
こんなにカッコいいんだから、店の外に出た方が集客に繋がると思うのに、なんで焼きそば……という疑問には、渋谷の友達の安倍が答えてくれた。
「店長もそう思って最初は呼びこみやらせたんだけど、変に人が集まってくるし、渋谷が戻ってくるまで居座られるしで、商売あがったりになるから、店の奥に引っ込めたんだよ」
「そ、そうなんだ……」
かっこよすぎるというのも大変なんだな……。
「おれの焼きそば、うまいだろ?!」
とびきりの笑顔で言う渋谷はやっぱりものすごくかっこよくて。
店にいた女の子達が厨房にいる渋谷を見てきゃあきゃあ言っているのに、渋谷がおれにだけ声をかけてくれるという優越感にくらくらしてくる。
こんなにかっこいい人が、優しい人が、本当におれなんかの友達でいいの?という気持ちはまだ抜けきれない。
夏休み後半には、合宿があった。みんなで学校に泊まりこむのだ。
おれはたぶん、なんとかうまく部活に溶け込んでいる……はずだ。
ときどき不安が押し寄せて、ブラウン管の中にいるような感覚になってしまう時があるけれど、そんな時は、渋谷のことを思いだすと、すーっと元に戻れた。それで何とか合宿も乗り切った。
合宿の最終日、再び紅白戦が行われた。夏休みの練習の総仕上げ、ということらしい。
夏休み中、部活の時間だけでなく、休みの日や夕方にも渋谷に付き合ってもらって練習してきた甲斐もあり、顧問の先生にも先輩にも褒められるくらいには成長できた。何もかも、渋谷のおかげだ。外からも中からも渋谷がおれを支えてくれている。
「桜井」
「………なに?」
合宿の帰り道、上岡武史に呼び止められ、内心ドキドキしながら振り返った。
中学時代、渋谷と同じバスケ部だったらしい上岡。夏休み前の紅白戦のあとで「練習しても無駄。渋谷の迷惑になるだけだ」と言われたが……。今度は何を言われるかと緊張して待っていたら、
「お前……ちょっとうまくなったよな」
「え」
びっくりした。そんなこと言ってくれるなんて。
「まだ、渋谷に教えてもらってんだろ?」
「あ……うん」
肯くと、上岡は大きくため息をついた。
「なあ……あいつ、この夏、何やってんだ?」
「何って……この夏休みはアルバイトしてたり……」
「は? バイト? なんの?」
「海の家で焼きそば焼いたり……」
「なんだよ、それ……」
頭を抱え込んだ上岡……。
「中学の時、渋谷は本当にすごいプレーヤーだったんだよ。お前は知らないだろうけど……」
「あ……うん。えと、一回だけみたことある……」
おれが十中での試合を見たことを話すと、上岡は大きく目を見開いた。
「そうか……あの最後の渋谷のパス、見たか?」
「う、うん」
相手の選手を見据えたまま、目線を動かさないで右下にいた味方にパスをだした渋谷……かっこよかった。
「あの時のパス受けたの、オレ」
「え!」
あの時の大柄な選手、上岡だったのか! あの時は坊主頭だったし、もっと太ってたから、今とイメージ違いすぎて気が付かなかった。
「すごい。あれ、よく渋谷がパスしてくるってわかったよね? それを受けて、冷静にシュート成功させたところもホントすごかった!」
「……まあな」
照れたように上岡が頬をかく。
「オレ、渋谷とは仲悪くて、喧嘩ばっかしてたんだけど……あの時、ようやく渋谷のこと認められたっていうか……」
「……そうなんだ」
「でも、あの試合の後の練習で、渋谷、膝やっちまって、そのまま引退しちゃって……」
上岡はまたため息をついた。
「なあ……、渋谷、本当にもうバスケやらないつもりなのかな?」
それは………
「オレ、もう一回渋谷とバスケやりたいんだけどな」
「………」
「だから、お前がちょっと羨ましい」
上岡がそんなこと思ってたなんて……
帰り道、自転車を漕ぎながら上岡が言っていたことを反芻する。
もし、渋谷に上岡が一緒にバスケやりたいって言ってるって伝えたら……
「……絶対にやらないだろうな」
思わず声に出してしまう。
渋谷は上岡を毛嫌いしている。上岡に言われたところでなびくとは到底思えない。
『お前がちょっと羨ましい』
そうか……羨ましい。そうだよな。おれはバスケに関しては渋谷を独占している。
もし、渋谷がバスケ部に入ったら……と想像してみる。一緒のコートでプレイできるのは楽しそうだけど……でも、渋谷が他の人とバスケするのは、すごく嫌……、ああ、そんな考えはダメだ。
(友達を独占しようとしてはいけない)
本に書いてあった言葉を心の中で繰り返す。
渋谷にはたくさん友達がいる。独占するなんておこがましい。おれは友達の一人でしかなくて、それで……
「おーー!きたきたーーー!」
「……え」
川べりの一本道。少し先で渋谷が大きく手を振っている。
なんで。今日は会う約束してないのに……
近づいていくと、渋谷が笑顔で立っていた。
「合宿、おつかれー」
「あ、うん。ありがと」
合宿のせいで5日間も会えなかったから、ちょっと久しぶりな気がする。嬉しい。
「ちょっとうち寄っていかね?」
「え」
「あ、疲れてるか。まっすぐ帰りたいか?」
「ううん!全然!全然!」
即座に否定する。
「いくいくいく!」
「おー。あのな、花火もらったんだよ。花火。ちょいまだ明るいけど花火やろうぜ」
花火……
「そのために、ここで待っててくれたの……?」
「あ? ああ、まあな」
「………」
いつ通るか分からないおれのこと、ずっと待ち伏せしてくれてたんだ……。
渋谷……そんなことされたら、おれ勘違いしちゃうよ。おれが渋谷の『特別』だって、勘違いしちゃうよ……
「で、どうだったよ、合宿は」
「あ、うん。最後、紅白戦やった」
「へえ、どうだった?」
「うーん……一応、上野と田辺先輩には褒められた」
「おおっすごいじゃん」
嬉しそうに手をたたいてくれる渋谷。
おれは……おれは渋谷の、何?
夕暮れの中での花火は、それはそれで綺麗だった。
珍しく、渋谷のお母さんが早く帰ってきていて、夕飯の準備そっちのけで、自分も花火をやる、と乱入してきた。明るくて気さくで人懐っこい。顔も渋谷と似てるけど、性格も渋谷と似ているようだ。いや、渋谷がお母さんに似てるのか……
「ちょっと、慶、またロウソク消えちゃったって!」
「うるさいなあ。自分でつければいいじゃん」
「今手が離せないの! 慶、つけてよ」
慶、慶、慶……とお母さんが渋谷を呼ぶ声が耳に残る。
渋谷慶……そうだよな。渋谷って、慶って名前だった。綺麗な名前。渋谷にピッタリだ。今も花火の光に照らされて、渋谷はきらきらしている。
「慶……」
口に出してみると、なぜか、ぎゅっと心臓のあたりが苦しくなった。
慶……慶。
いつの日か、名前で呼んだりできる日がくるのかな……
でも考えてみたら、渋谷を名前で呼んでる人って学校には一人もいない……
慶……
おれだけの、特別な呼び方になったりしたら嬉しいのにな。
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お読みくださりありがとうございました!
まだ携帯電話のない時代なので、会うためには、きちんと約束するか、家に電話するか、こうやって待ち伏せするか、しかなかったんです。
慶君、待ってました。走りこみとかしながらね。暇になると体鍛える人なのでね。
クリックしてくださった方々ありがとうございます!!
こんな話ですけどいいですか?!と昨日はなんだかずっとドキドキしてました。
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