きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

馬路村から便りが届く

2012-03-04 16:08:23 | 大会回顧録
おらが村・心臓破りフルマラソンという、マラソン大会に出たことがある。そのマラソンが20回を区切りとしてなくなるらしい。

当日は結構な雨で、「え、走るんですか?」みたいな感じで躊躇しながらも走り始めたことを思い出す(マラソン大会って割合雨になる確率が高いかも今度調べてみようか)。途中で雨は止んだが、ゴールした後のフットバスには、水しか用意されてなくて、確かに10月初旬のまあまあ汗ばむ時期だからお湯を準備することなど考えなかったのは仕方がないが、えらく寒くてすぐに足を出したことと、ボランティアの大学生(?)の女の子が申し訳なさそうにしていたのを覚えている。
コースは、本当に山道。トンネルも多く、マラソン大会じゃないと絶対走らんなあと思うようなコース。ダムまで上がると、ちょっとした集落があり、結構な応援があった。スタートとゴール、それから折り返し付近のダムは、近くの家から応援の人がたくさん出ていた。じゃその途中はというと、大会スタッフの方が、しっかり応援してくださった。会釈しながら走るので、最後は首が痛くなった。ちなみに、当日は折り返し後は下りが多いことを計算して、25キロぐらいでペースを上げたら、5キロぐらいで見事に失速して4時間18分ぐらいだったか。最後はキロ8分近くでへろへろでゴールした。前の年に初めてサブフォーして、2回目を狙って何度か失敗していた時期だったか。馬路村といえば「ごっくん」で、マラソンのエイドには、水と「ごっくん」がおいてあった。はじめはうれしくて、結構がぶがぶ飲んでいたが、後半は腹が変になり、水分どころか固形も入らなかった。それも関係していたのかなと思う。マラソンできちんと4時間切れるようになって来たのは、水分を調節できるようになったからかもしれない。

出たのは5,6年前のことだから、律儀な便りだと思う。なくなってしまうとなると、もう一度あの坂できっちり4時間切りたかったとか、前の日に前夜祭とか出て村に止まっても良かったかなどと思ったりもする。しまなみ海道ウルトラ遠足みたいに復活してくれればいいのになと思いつつ、でもあの坂でフルはきついなあ。いっそのことウルトラにでもしてくれたらと思ったりもするのだが。