7日目最終日。この日のメモには時刻の記録がない。飛行機の中ででも、思い出しながら書いたんかなと思う。
起床、朝食後チェックアウト。フロントで荷物を預かってもらう。マイバゲージうんたらかんたらキープうんたらで通じたらしい。ホテルマンはすごい。儂もすごい。
表に出て歩いて戦勝記念塔へ行く。何度も歩いた道であるが、案外ゆっくりと探索できていない気がする。
踏切で汽車の通過を待ち、貨物列車の通過を待つ。
ドゥシット地区の何でもない日常の中にいられることの面白さを感じる。
まずは、市内の免税店へ行く。
日常とは全く違った空間に入る。ここでは、家族に普段買えない土産を買うことにする。2時間ぐらい迷って、子どもたちにはスワロフスキーの置物(日本円で各5000円ぐらいか)、ヨメさんには、ブランド品の鞄(40000円ぐらいしたか)。いずれも通常よりかなり安かったようだ。某ブランドの販売店は、ごっつい兄ちゃんが、びっちり化粧して、ごくごく普通に応対してくれた。タイではいわゆるおねえ系のあんちゃんは、そういう「性」があることを認められているらしい。上手く書けないが、男の人が女の人のような格好をして立ち振る舞いをすることが、社会的にはどうもアリらしい。
買い物が落ち着いて、昼食代わりに軽くビールとつまみを食す。ここでもシンハー(正式にはシンらしいが)。
その後、ここから1時間ぐらい歩いて電器屋さんへ行く。秋葉原の電器屋のテナントビルみたいなのがあるらしい。途中、路地(ソイ)を眺める。子どもが遊び、犬が寝っ転がっている。路地というのは、道だけではない生活空間でもある。大きなビルと路地が、一緒くたになっている。バンコクを歩くと、もうどこでもそうした光景を見ることになる。このカオスがカオスではなくいわば当たり前のことなのだろう。写真を撮るのは少し遠慮した。大通りに出て一枚。
電器屋さんで、マイクロSDカードを見つけ、安かったので買う。512M。これは今でも使っている。英語で何て言ったかは覚えてないが、店員は、指で値段を教えてくれる。外国人は当たり前のように来るのだろうか。近くのBTSの駅から、ホテルに行くバスが通るバス停の最寄り駅へ向かう。
余裕を持って行動しようとすると、歩くには少ししんどい時間になっていた。
バス停でしばしバス待ち。バスが何台か来る。来る度に番号を確かめる。何台目かのバスに、動物園に行くと思われるバスの番号を見つけた。車掌に行き先を告げる。ホテルがある所「ドゥシット・ズー」と。女性の車掌、首をかしげる。
バンコク市内を走るバスは何種類かあり、行き先で料金が変わるバスと一律のバスの2種類がある。夜中も走っているので使いこなせることができれば便利な手段だろうと思う。行き先を告げたこのバスは、先に行き先を言って金を払うタイプのバスだ。儂自身は、これまで市内一律料金のバスしか乗ったことがない。ただ、こうしたバスの種類や乗り方自体は、ガイドブックや「歩き方」で確認済み。だから、初めてのるタイプのバスだったが、戸惑うことなく行き先を告げた。
しかし、車掌は分からないというように首を振る。3回ぐらい繰り返したか「ドゥシット・ズー」と。すると車掌は、しばらくしてから何やらまくしたて、ドアを閉めて言ってしまった。タイ語で「このばすはそこにはいかんよ」というようにきこえた。何故か分かった。何でだろう。この乗車拒否は仕方がないなどうしようか。動物園前を通る別系統のバスを待ってみるか。時間に余裕はないが、歩いて帰るには、ちょっと時間が厳しい。どれぐらいの感覚で来るのかは分からないのでドキドキしながら待つ。やがて目指すバスが到着した。普通に乗り、だいたいこの辺、というところでボタンを押して、降りる。やれやれ。
ホテルに着き、荷物を受け取って、ホテル前から出ているバスに乗る。今度は、空港行きのバスが出ていると思われるバス停まで行く。普段なら歩いていくが、スーツケースが重い。詳しく覚えていないが、地図と「歩き方」の情報、後は現地で入手した英語版か何かのバスの路線ガイドで降りるところと歩くところは調べていた。目指す辺りで、バスを降りる。料金も予定通り。ただ荷物のスーツケースが大きくて、降ろすのに四苦八苦する。ここから、もう一つ別の通りまで行くと、空港行きのバスが出ている筈だ。狭い路地を地球の歩き方の地図を見ながらスーツケースを押して歩く。珍しいのか、結構振り向かれる。広い通りに出る。この辺だが・・・と思っていると、飛行機のマークが入ったバス停発見。
だいたい20分ぐらい待ったか。バスが来る。
バスには、始発から乗っていると思われる客がいる。欧米人ばっか。バス料金は150バーツだから、一人ならタクシーよりは安いが、2人3人ならどうなんだろう。儂も、一人であってもタクシーを利用するという選択肢はあったが、とにかく、ぼったくられるのがいやだったのでバスを使った。こうしたことは手間がかかるし、不便だったし、乗車拒否にもあったし。ただ、調べて行動して、何となく自信というか、何とかなるもんだという感じも得た。とにかく、昨日今日と単独行動になってから、やたら公共交通機関を使った。それまではタクシーの乗り合わせが多かったからな。タクシーでは見えないものが見えるのは想像通り。だから若いもんがザック一つで日本を出てみようとするんだろう。危険は危険だが、危ないすれすれのところさえ行かなければそれなりにいいものかもしれない。もちろんすれすれを知るにはすれすれを経験しないとだめなんだが。
市内の喧噪が消え、郊外の光景が目に入る。行きは暗くて見えなかった景色。
タクシーの運転手はうまくやっているのかなと考える。空港の建物らしきものが見えてくる。空港着。バスを降りるときに料金を支払う。
建物に入り、出発ロビーを探す。行きは余裕がなくて見えていなかったが、結構大きな空港で綺麗だった。
時間はまだまだ余裕がある。無事に到着したことを喜び、飲む。シンハーじゃなくてぞうさん。
今日のこれだけでも大冒険だった。20年前に上京したときのようなハラハラ感に似ていた。そして、無事にゲートくぐった。
ゲートをくぐってもしばらくは、物珍しくてうろうろした。バンコクの免税店で購入した品物を受け取り、空港のショップもくまなくゆっくり見る。
バーツもなるべく使う。ちょっと御飯を食べる飲む。
で、もういいかと早めに出発ラウンジに行く。しかし誰もいない。店もない閑散としている。
まあいいかと1時間ぐらいそこで待ち、機上の人となる。
行きと同じ映画を見る。隣は恰幅の良いオヤジである。オヤジがビールを頼む。儂もと頼むそして飲む。ミラーか何かを2本飲み、また武士の一分とサッドムービーを見て、寝る。
夢のような一週間だった。現地集合、現地解散で大丈夫かと思ったが大丈夫だった。全部決められているわけでなく、ほったらかしの訳でなく。初めにT先生と行動する中で、タイの様子がつかめてきたし、そのおかげで、単独行動もできるようになったんだなと思った。いろいろと考え事をしながら、しかも危険を背負わずに過ごせたのはラッキーだった。
風邪も下痢もなかったのが不思議だ。トラブルは、警戒しすぎるほど警戒していたから、どえらいことにはならなかった。「歩き方」を鵜呑みにするわけではないが、基本的に人は信用しない。儂など、現地の人から見ればいいカモだから、防ぐ手だてを考えなければならないのは仕方がない。ふれあいがないとか、旅のうまみに欠けるとか、まあそういうことがあるだろうが仕方がない。
大学院に行ったときの借金を返し終わって、その上で旅費が貯まったら、また行きたいと思う。北部のチェンマイも良さそうだし、東北部からラオスへの国境越え興味津々である。おっさんになって世界を知ったなと思う。記録を整理しながら、自分の子どもたちにも、すれすれの旅をしてもらえたらと思った。何か得られるものはある。そしてそれは案外長持ちするから。
起床、朝食後チェックアウト。フロントで荷物を預かってもらう。マイバゲージうんたらかんたらキープうんたらで通じたらしい。ホテルマンはすごい。儂もすごい。
表に出て歩いて戦勝記念塔へ行く。何度も歩いた道であるが、案外ゆっくりと探索できていない気がする。
踏切で汽車の通過を待ち、貨物列車の通過を待つ。
ドゥシット地区の何でもない日常の中にいられることの面白さを感じる。
まずは、市内の免税店へ行く。
日常とは全く違った空間に入る。ここでは、家族に普段買えない土産を買うことにする。2時間ぐらい迷って、子どもたちにはスワロフスキーの置物(日本円で各5000円ぐらいか)、ヨメさんには、ブランド品の鞄(40000円ぐらいしたか)。いずれも通常よりかなり安かったようだ。某ブランドの販売店は、ごっつい兄ちゃんが、びっちり化粧して、ごくごく普通に応対してくれた。タイではいわゆるおねえ系のあんちゃんは、そういう「性」があることを認められているらしい。上手く書けないが、男の人が女の人のような格好をして立ち振る舞いをすることが、社会的にはどうもアリらしい。
買い物が落ち着いて、昼食代わりに軽くビールとつまみを食す。ここでもシンハー(正式にはシンらしいが)。
その後、ここから1時間ぐらい歩いて電器屋さんへ行く。秋葉原の電器屋のテナントビルみたいなのがあるらしい。途中、路地(ソイ)を眺める。子どもが遊び、犬が寝っ転がっている。路地というのは、道だけではない生活空間でもある。大きなビルと路地が、一緒くたになっている。バンコクを歩くと、もうどこでもそうした光景を見ることになる。このカオスがカオスではなくいわば当たり前のことなのだろう。写真を撮るのは少し遠慮した。大通りに出て一枚。
電器屋さんで、マイクロSDカードを見つけ、安かったので買う。512M。これは今でも使っている。英語で何て言ったかは覚えてないが、店員は、指で値段を教えてくれる。外国人は当たり前のように来るのだろうか。近くのBTSの駅から、ホテルに行くバスが通るバス停の最寄り駅へ向かう。
余裕を持って行動しようとすると、歩くには少ししんどい時間になっていた。
バス停でしばしバス待ち。バスが何台か来る。来る度に番号を確かめる。何台目かのバスに、動物園に行くと思われるバスの番号を見つけた。車掌に行き先を告げる。ホテルがある所「ドゥシット・ズー」と。女性の車掌、首をかしげる。
バンコク市内を走るバスは何種類かあり、行き先で料金が変わるバスと一律のバスの2種類がある。夜中も走っているので使いこなせることができれば便利な手段だろうと思う。行き先を告げたこのバスは、先に行き先を言って金を払うタイプのバスだ。儂自身は、これまで市内一律料金のバスしか乗ったことがない。ただ、こうしたバスの種類や乗り方自体は、ガイドブックや「歩き方」で確認済み。だから、初めてのるタイプのバスだったが、戸惑うことなく行き先を告げた。
しかし、車掌は分からないというように首を振る。3回ぐらい繰り返したか「ドゥシット・ズー」と。すると車掌は、しばらくしてから何やらまくしたて、ドアを閉めて言ってしまった。タイ語で「このばすはそこにはいかんよ」というようにきこえた。何故か分かった。何でだろう。この乗車拒否は仕方がないなどうしようか。動物園前を通る別系統のバスを待ってみるか。時間に余裕はないが、歩いて帰るには、ちょっと時間が厳しい。どれぐらいの感覚で来るのかは分からないのでドキドキしながら待つ。やがて目指すバスが到着した。普通に乗り、だいたいこの辺、というところでボタンを押して、降りる。やれやれ。
ホテルに着き、荷物を受け取って、ホテル前から出ているバスに乗る。今度は、空港行きのバスが出ていると思われるバス停まで行く。普段なら歩いていくが、スーツケースが重い。詳しく覚えていないが、地図と「歩き方」の情報、後は現地で入手した英語版か何かのバスの路線ガイドで降りるところと歩くところは調べていた。目指す辺りで、バスを降りる。料金も予定通り。ただ荷物のスーツケースが大きくて、降ろすのに四苦八苦する。ここから、もう一つ別の通りまで行くと、空港行きのバスが出ている筈だ。狭い路地を地球の歩き方の地図を見ながらスーツケースを押して歩く。珍しいのか、結構振り向かれる。広い通りに出る。この辺だが・・・と思っていると、飛行機のマークが入ったバス停発見。
だいたい20分ぐらい待ったか。バスが来る。
バスには、始発から乗っていると思われる客がいる。欧米人ばっか。バス料金は150バーツだから、一人ならタクシーよりは安いが、2人3人ならどうなんだろう。儂も、一人であってもタクシーを利用するという選択肢はあったが、とにかく、ぼったくられるのがいやだったのでバスを使った。こうしたことは手間がかかるし、不便だったし、乗車拒否にもあったし。ただ、調べて行動して、何となく自信というか、何とかなるもんだという感じも得た。とにかく、昨日今日と単独行動になってから、やたら公共交通機関を使った。それまではタクシーの乗り合わせが多かったからな。タクシーでは見えないものが見えるのは想像通り。だから若いもんがザック一つで日本を出てみようとするんだろう。危険は危険だが、危ないすれすれのところさえ行かなければそれなりにいいものかもしれない。もちろんすれすれを知るにはすれすれを経験しないとだめなんだが。
市内の喧噪が消え、郊外の光景が目に入る。行きは暗くて見えなかった景色。
タクシーの運転手はうまくやっているのかなと考える。空港の建物らしきものが見えてくる。空港着。バスを降りるときに料金を支払う。
建物に入り、出発ロビーを探す。行きは余裕がなくて見えていなかったが、結構大きな空港で綺麗だった。
時間はまだまだ余裕がある。無事に到着したことを喜び、飲む。シンハーじゃなくてぞうさん。
今日のこれだけでも大冒険だった。20年前に上京したときのようなハラハラ感に似ていた。そして、無事にゲートくぐった。
ゲートをくぐってもしばらくは、物珍しくてうろうろした。バンコクの免税店で購入した品物を受け取り、空港のショップもくまなくゆっくり見る。
バーツもなるべく使う。ちょっと御飯を食べる飲む。
で、もういいかと早めに出発ラウンジに行く。しかし誰もいない。店もない閑散としている。
まあいいかと1時間ぐらいそこで待ち、機上の人となる。
行きと同じ映画を見る。隣は恰幅の良いオヤジである。オヤジがビールを頼む。儂もと頼むそして飲む。ミラーか何かを2本飲み、また武士の一分とサッドムービーを見て、寝る。
夢のような一週間だった。現地集合、現地解散で大丈夫かと思ったが大丈夫だった。全部決められているわけでなく、ほったらかしの訳でなく。初めにT先生と行動する中で、タイの様子がつかめてきたし、そのおかげで、単独行動もできるようになったんだなと思った。いろいろと考え事をしながら、しかも危険を背負わずに過ごせたのはラッキーだった。
風邪も下痢もなかったのが不思議だ。トラブルは、警戒しすぎるほど警戒していたから、どえらいことにはならなかった。「歩き方」を鵜呑みにするわけではないが、基本的に人は信用しない。儂など、現地の人から見ればいいカモだから、防ぐ手だてを考えなければならないのは仕方がない。ふれあいがないとか、旅のうまみに欠けるとか、まあそういうことがあるだろうが仕方がない。
大学院に行ったときの借金を返し終わって、その上で旅費が貯まったら、また行きたいと思う。北部のチェンマイも良さそうだし、東北部からラオスへの国境越え興味津々である。おっさんになって世界を知ったなと思う。記録を整理しながら、自分の子どもたちにも、すれすれの旅をしてもらえたらと思った。何か得られるものはある。そしてそれは案外長持ちするから。