2日目。
5時30分。滅多にかかってこない前の職場の人から、何年かぶりに用事で電話があってびっくりして起きる。海外にいるとは言わず、普通に対応する(説明が長くなるので)。ついでにヨメさんにメールを送る。ちなみにホテルは、T先生からの薦めもあり、今回のタイ行きにも関係するラジャパド大の付属施設に宿泊することになった。
王宮の近くにあり、繁華街からは少し遠いが雰囲気が落ち着いていていいなと思った。日本語は通じない。タイ語の代わりに英語でやり取りする。儂の片言英語は非常に怪しい。ただ、フロントの実習生さんは儂のようなやつでも丁寧に扱ってくれるし、ゆっくり目に言ってくれるせいか何となく分かる(これがいわゆるピジン英語なのかと思ったりする)し、きれいできちんと鍵もかかるし安いのでかなりお得感があった。日本のガイドブックには載ってない。だからか宿泊中ずっと、朝食に降りていってもアジア系の人はほとんど見なかった。大学に用のある人が泊まるだけでなく一般の利用もあるみたいだが・・・。ホテル以外は、安い航空券をネットで探し、結果、3人一緒に来た。T先生は別便で昨晩着いたはずだ(フロントの人が夜遅く着くという連絡があったみたいなことをいってた)。
7時00分。レストランに降り、初のタイでの食事となる朝食。
タイ料理と言うより普通の洋食バイキング。がっつり食べる。
9時。T先生とロビーで合流し豪華な大学のバスで、初めの訪問先であるセーサチアン聾学校へ出発する(但し豪華バスはこの区間のみ・・・)。学校では丁寧に応対していただく。ラフな格好なので恐縮する。ここで、T先生が持ってきた集団補聴器が寄贈される。T先生、結構こういう活動を昔からやっておられるらしい。
学校は日本と同じく休みに入っているらしい。施設を見せていただく。日本に教員を派遣しているためか、補聴器も普及し、聴能教育に力を入れている様子がうかがえる。
寄宿舎を見せていただく。犬が暑そうにしている。
ほとんどの子どもは帰省中らしい。残っている子どもたちに中を案内してもらう。舎に入るのは女子だけだと聞いた。一つ一つが広い。だだっ広いところにベッドがぎっしり並ぶ。
この後もいろいろな建物に入ったが、聾学校内の施設なのか、別の施設(センター)なのかイマイチはっきりしない。いろんな人に会ったが、どこのどの部分を見ているのか分からんかった。表示はタイ語しか書かれてないし、聞くこともできんし。もったいないなかったなあ。写真は結構撮ったけど。
昼前になる。以前大学にタイから研修で来られていたというアプラクさんと合流する。今回の旅は、T先生とアプラクさんがいろいろ手配してくださり、かなり快適な研修旅行になった。現在は、アプラクさんはノンタブリの特殊教育センターみたいなところにお勤めらしい。アプラクさんと、日本で言うバンに乗り、バンコクの隣のノンタブリ県に向かう。
昼過ぎ。小学校に行く前に屋台に入る。
倉庫を改造したようなコンクリート長屋風の一角でアプラクさんは、よく立ち寄るらしい。ちなみにタイの人は昼食に限らずあまり家で御飯作らないということも聞いた。安く食べられる屋台とかちょっとした食堂があちこちにあるらしい。
はじめてのタイ料理か。うまかった。味がしっかりしていて、メリハリがあって、暑い国ならではの食べ物という気がした。満喫した。
ここから、さらに田舎道を走る。田園風景が広がる。舗装はされている。突然、ぽつんと学校があった。
メモには、バンクラード小学校と記されている。ここにアプラクさんが勤めるノンタブリの特殊教育センタ-が併設されているらしい。広々とした学校は、子どもたちが休みに入っていてのんびりした流れの中で、先生方がごぞこぞと片付けをしていた。日本と同じだなと思った。
パソコンも整っている。少し離れた別棟にアプラクさんの執務室みたいなのがあった。
外に出ると、傘を差したサイドカーが通り過ぎた。
続いて、やや街中にあるノンタブリ聾学校に移動する。
外では、教育相談?か何かの子どもたちが、おやつ作りの活動をしている。休み中だが、教育相談みたいなことはやっているらしい。小さな子どもたちと少しばかり交流もした。会議室に通され、ここでももてなしを受ける。子どもたちが色塗りをしたしおりをいただく。鉢植えもいただくが、検疫の関係で、アプラクさんに持ち帰ってもらうことにする。その後、パワーポイントで学校長より説明を受ける。英語である。理解度10~20%かなと。以前、デフ(ろう者)の舞台を見に行ったことがあるが、日本手話でのやり取りは理解度10~20%かなとその時も思った。どちらも使いこなすにはまだまだである。この説明はT先生が同時通訳(ちなみにT先生、大学の先生になる前は、儂と同じ系統の仕事をしていた。何故ここまでレベルが違うのか・・・)。
この後、様々な施設を建て続けに見学する。
バンに乗り、戦勝記念塔経由でホテルへ帰る。
ハードなスケジュールだった。
17時過ぎにホテルでパーンさんに会う。アプラクさんの紹介で、明日のアユタヤ行きに一緒に来てもらう人だ。T先生は日本語ができる、あるいは日本語を学んでいる学生さんを、とアプラクさんにお願いしていたようだが、パーンさんはまだ習い始めて数ヶ月らしく、日本語はほとんど話せず、かといって英語もほとんど無理で、身振り手振りのコミュニケーションになった。これはこれで、そんなに苦ではなかったが。現地での交渉ごとはT先生が全部やってた。
18時。タクシーに乗りビクトリーモニュメント(戦傷記念塔)駅へ。渋滞に巻き込まれる。さすがバンコク。BTSに乗り換えトンロー駅へ。
にぎやかなところに行き当たる。「歩き方」にも載っていたバイクタクシーに乗っている人がいる。
ここでタクシーをつかまえる予定だったが、つかまらず、バスに乗りトンクルアンというところに行く。
ここで、青年海外協力隊でタイの聾学校に来ている方に会い食事会をする。当然T先生の呼び掛け。一人はアユタヤの聾学校。もう一人の方は北のチェンマイの聾学校。どちらも結構な都市部で、生活に不便はないらしい。タイ語を流ちょうに操っているのが、格好良かった。協力隊で、タイなんていいなあと正直思う。
22時30分、協力隊の方々と別れ、ホテルに帰ることにする。途中サイアム駅をうろうろしている時に、T先生の一声でもう一軒寄ることになり、ノボテル(?)のラウンジに行く。飲む。
23時30分にホテル着。0時30分、家にメールを打ち、ようやく寝る。
5時30分。滅多にかかってこない前の職場の人から、何年かぶりに用事で電話があってびっくりして起きる。海外にいるとは言わず、普通に対応する(説明が長くなるので)。ついでにヨメさんにメールを送る。ちなみにホテルは、T先生からの薦めもあり、今回のタイ行きにも関係するラジャパド大の付属施設に宿泊することになった。
王宮の近くにあり、繁華街からは少し遠いが雰囲気が落ち着いていていいなと思った。日本語は通じない。タイ語の代わりに英語でやり取りする。儂の片言英語は非常に怪しい。ただ、フロントの実習生さんは儂のようなやつでも丁寧に扱ってくれるし、ゆっくり目に言ってくれるせいか何となく分かる(これがいわゆるピジン英語なのかと思ったりする)し、きれいできちんと鍵もかかるし安いのでかなりお得感があった。日本のガイドブックには載ってない。だからか宿泊中ずっと、朝食に降りていってもアジア系の人はほとんど見なかった。大学に用のある人が泊まるだけでなく一般の利用もあるみたいだが・・・。ホテル以外は、安い航空券をネットで探し、結果、3人一緒に来た。T先生は別便で昨晩着いたはずだ(フロントの人が夜遅く着くという連絡があったみたいなことをいってた)。
7時00分。レストランに降り、初のタイでの食事となる朝食。
タイ料理と言うより普通の洋食バイキング。がっつり食べる。
9時。T先生とロビーで合流し豪華な大学のバスで、初めの訪問先であるセーサチアン聾学校へ出発する(但し豪華バスはこの区間のみ・・・)。学校では丁寧に応対していただく。ラフな格好なので恐縮する。ここで、T先生が持ってきた集団補聴器が寄贈される。T先生、結構こういう活動を昔からやっておられるらしい。
学校は日本と同じく休みに入っているらしい。施設を見せていただく。日本に教員を派遣しているためか、補聴器も普及し、聴能教育に力を入れている様子がうかがえる。
寄宿舎を見せていただく。犬が暑そうにしている。
ほとんどの子どもは帰省中らしい。残っている子どもたちに中を案内してもらう。舎に入るのは女子だけだと聞いた。一つ一つが広い。だだっ広いところにベッドがぎっしり並ぶ。
この後もいろいろな建物に入ったが、聾学校内の施設なのか、別の施設(センター)なのかイマイチはっきりしない。いろんな人に会ったが、どこのどの部分を見ているのか分からんかった。表示はタイ語しか書かれてないし、聞くこともできんし。もったいないなかったなあ。写真は結構撮ったけど。
昼前になる。以前大学にタイから研修で来られていたというアプラクさんと合流する。今回の旅は、T先生とアプラクさんがいろいろ手配してくださり、かなり快適な研修旅行になった。現在は、アプラクさんはノンタブリの特殊教育センターみたいなところにお勤めらしい。アプラクさんと、日本で言うバンに乗り、バンコクの隣のノンタブリ県に向かう。
昼過ぎ。小学校に行く前に屋台に入る。
倉庫を改造したようなコンクリート長屋風の一角でアプラクさんは、よく立ち寄るらしい。ちなみにタイの人は昼食に限らずあまり家で御飯作らないということも聞いた。安く食べられる屋台とかちょっとした食堂があちこちにあるらしい。
はじめてのタイ料理か。うまかった。味がしっかりしていて、メリハリがあって、暑い国ならではの食べ物という気がした。満喫した。
ここから、さらに田舎道を走る。田園風景が広がる。舗装はされている。突然、ぽつんと学校があった。
メモには、バンクラード小学校と記されている。ここにアプラクさんが勤めるノンタブリの特殊教育センタ-が併設されているらしい。広々とした学校は、子どもたちが休みに入っていてのんびりした流れの中で、先生方がごぞこぞと片付けをしていた。日本と同じだなと思った。
パソコンも整っている。少し離れた別棟にアプラクさんの執務室みたいなのがあった。
外に出ると、傘を差したサイドカーが通り過ぎた。
続いて、やや街中にあるノンタブリ聾学校に移動する。
外では、教育相談?か何かの子どもたちが、おやつ作りの活動をしている。休み中だが、教育相談みたいなことはやっているらしい。小さな子どもたちと少しばかり交流もした。会議室に通され、ここでももてなしを受ける。子どもたちが色塗りをしたしおりをいただく。鉢植えもいただくが、検疫の関係で、アプラクさんに持ち帰ってもらうことにする。その後、パワーポイントで学校長より説明を受ける。英語である。理解度10~20%かなと。以前、デフ(ろう者)の舞台を見に行ったことがあるが、日本手話でのやり取りは理解度10~20%かなとその時も思った。どちらも使いこなすにはまだまだである。この説明はT先生が同時通訳(ちなみにT先生、大学の先生になる前は、儂と同じ系統の仕事をしていた。何故ここまでレベルが違うのか・・・)。
この後、様々な施設を建て続けに見学する。
バンに乗り、戦勝記念塔経由でホテルへ帰る。
ハードなスケジュールだった。
17時過ぎにホテルでパーンさんに会う。アプラクさんの紹介で、明日のアユタヤ行きに一緒に来てもらう人だ。T先生は日本語ができる、あるいは日本語を学んでいる学生さんを、とアプラクさんにお願いしていたようだが、パーンさんはまだ習い始めて数ヶ月らしく、日本語はほとんど話せず、かといって英語もほとんど無理で、身振り手振りのコミュニケーションになった。これはこれで、そんなに苦ではなかったが。現地での交渉ごとはT先生が全部やってた。
18時。タクシーに乗りビクトリーモニュメント(戦傷記念塔)駅へ。渋滞に巻き込まれる。さすがバンコク。BTSに乗り換えトンロー駅へ。
にぎやかなところに行き当たる。「歩き方」にも載っていたバイクタクシーに乗っている人がいる。
ここでタクシーをつかまえる予定だったが、つかまらず、バスに乗りトンクルアンというところに行く。
ここで、青年海外協力隊でタイの聾学校に来ている方に会い食事会をする。当然T先生の呼び掛け。一人はアユタヤの聾学校。もう一人の方は北のチェンマイの聾学校。どちらも結構な都市部で、生活に不便はないらしい。タイ語を流ちょうに操っているのが、格好良かった。協力隊で、タイなんていいなあと正直思う。
22時30分、協力隊の方々と別れ、ホテルに帰ることにする。途中サイアム駅をうろうろしている時に、T先生の一声でもう一軒寄ることになり、ノボテル(?)のラウンジに行く。飲む。
23時30分にホテル着。0時30分、家にメールを打ち、ようやく寝る。