きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

お正月の残像

2013-01-05 12:22:10 | 徒然に2010-2013
お正月の新聞をやっと見た。正月の分厚い新聞は、地方紙でも朝○や読○の土曜版日曜版のように、読み物が多くなかなか面白い。
興味をひいたのは、高橋源一郎が出ている対談。親鸞の「往還回向(おうげんえこう)」を引き合いに出し、文明の規模が縮小していくということは悪いことではないということを言っていた。以前、五木寛之も香山リカとの対談で、ポルトガルかスペインかを引き合いに出しながら似たようなことを言っていたのを思い出した。
へえ作家というのは割合同じような発想になるのかなと。政治家と物書きは多くの場合両極にあるのかもしれない(ただ都知事になる人は別かもしれない。もっとも今も過去も作家から転身した知事というのは、書いているものがちょっと趣が違うなと思うのは確かか)なとは思う。
人間は今より減少するとか下げるとか落とすとか、そういうことが我が身に降りかかることには知らず知らずに抵抗してしまうもんではある。文明の規模が縮小していくということは、衰退することではなく、減少するとか下げるとか落とすということでもなく、落ち着くところに落ち着くのだということだろう。そういう行く末が待っているということを忘れてはいけないのだということだと思う。
儂が前々から言ってる一休禅師が骸骨を持ってうろうろしていたというエピソードも近いものがある。お正月っていうのは、決してめでたいことではないんだと。むしろ緩やかに下ることを確認するために迎えるものなんだというようにも思える。
この対談を企画した人が、敢えて新春対談としてそういうことまで考えていたなら、すごい。

閑話休題。
お正月の無茶な?生活かあるいは食生活がたたったか、正月三が日の最後急に右耳がすとんときこえなくなった。ものの見事に。はじめは補聴器の不調かと思ったが違うみたいだ。

職場で試しに測定してみると、あらまもう少しで手帳6級かよって感じ。中域だけ見事に30dB閾値上昇。一過性のものだとは思うが不便ではある。休み明けに骨導も測ってみるか。大丈夫な左のHAのみだが、いつもより静かである。

そういやあ、家にも人の気配はするが姿が見当たらん。残像すら。
ま、犬たちは元気です。