きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

餞(はなむけ)に思う

2013-02-01 22:00:00 | 徒然に2010-2013
縁あって、毎年この時期になると、卒業間近の高校生から「一言」を求められる。毎年書く言葉は違う。そのときそのときで感じることが違うので当然である。
今回も、ぎりぎりまで思い浮かばず、間際に一気に書き上げる。

『区切りですが、終わりではありません。これからも続きます。どこまでも続きます。行く方向に決まりはありません。自分の行きたい方向に進んでください。誰のせいでもありません。すべて自分で背負ってください。でも、人に力を貸してもらうことは恥ずかしいことではありません。一人ではありません。
卒業するみなさんへ Yell』

数時間前に書いたはずなのにもう半分以上忘れている(だからたぶん一部違うと思う)。それぐらい感じたままに記している。
背負うという言葉は贈るにはきつい。でもあくまで自分の人生なのだから人に背負わせてはいけない(「宙船」で中島みゆきも言っている)。助けを借りながら自分で背負ってほしい、と。
瞬時に思ったことを形にするというのは、云い方が少々ずるい。丁寧に練り上げた方がいいとは思う。高校生に贈るのだから、贈ることばなのだからもう少し温かいものを記せば良かったと思ったりもする。きれいもない洗練されてもいない。それでもという思いはある。
終わったことにぐだぐだ迷いつつ、ふと手にしたフリーペーパーを見てまあいいかと思ったりする。何ととなくである。何となくまあいいのかなと。

贈ったことばは、自分に向けられたことばでもある。卒業生への餞は、自分への戒めである。
毎年いろいろ思うことがある。思うことは常に変わっている。