別に関係ない人にはどうでもいいことなんですが、先日採択された儂の論文投稿の流れを記しておこうかと。結構貴重な体験だったので(ウェブに時々こういうふうに投稿の経過を明らかにしている大学の先生もいますね大体はクレームもどきなんですがね)。
受稿から受理まで約3年もかかっとるのは珍しい(他の論文と比較してだいたい2~3倍かかってます)。一回不採択になって、再び論点変えて投稿するまで1年、最終投稿から採択決定が通知されその上で掲載されるまで約1年、それぞれかかっているので本当は計5年。長かった本当に。学会の会費もその分払い続けてきましたし。以下経過。
0回目:2008,5,?提出、2008,8,31返却・・・結果:不採択
査読者X:不採択、Y:不採択、Z:不採択
テーマは悪くないがとまあお世辞のコメントはもらったが、論文の体をなしていないということらしい。
1回目:2009,5,2提出、2009,8,27返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:再査読、C:再査読
テーマを絞り込んで再投稿。査読者A,Cからは、研究の意義を理解する旨のコメントをいただく。査読者Cからは、研究デザインに関するアドバイス的な内容もある。ただ、いずれの査読者からも、原著論文としての不備を指摘される。修士論文で曖昧にしてきたものがそっくり指摘された感じ。
2回目:2009,11,?提出、2010,2,1返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:修正採択、C:不採択
実験条件の区別、用語の定義をはっきりさせること、細かい指摘、大幅な検討項目の増加等に対応する。査読者Aからは「文章の意味が読み取りにくい」、査読者Cから学術論文として「重大な欠陥(原文のままです)」があると指摘。ここから資料論文として提出。
3回目:2010,5,?提出、2010,8,17返却・・・結果:再査読
査読者A:修正採択、B:修正採択、C:不採択
査読者Aの指摘を受け大幅に変更。データの再集計、再分析、日本手話関連の文法用語、言語学の用語も勉強。ただ、査読者間でかなり見解が分かれた。
4回目:2010,11,?提出、2011,3,5返却・・・結果:修正採択
査読者A:修正採択、B:修正採択、D:再査読
前回、査読者間で意見が分かれたためか、突然査読者交代。代えたのか代えさせられたのかよく分からんが、これってそんなにあることなんだろうか。で、査読者Dより新たな検討課題の提示。よけいに収拾がつきそうになくなる。但し、採択の方向で進んでいると主査(査読者A?)のコメント。
5回目:2011,6,2提出、2011,8,31返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:採択、D:修正要求(再査読?修正採択?)
さらに、査読者Dより細かな指摘。対応したり説明して修正はしなかったり。AとBはこれで充分と言っている。
6回目:2011,9,25提出、2011,11,24返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:修正要求(修正採択?)、D:採択
これまで最も寛容な査読をしてきた査読者Bが突然修正を要求。粛々と対応及び説明。
7回目:2011,12,26提出、2012,9,4返却・・・結果:採択
査読者A:採択、B:添付なし、D:添付なし
完成原稿提出:2012,9,21
雑誌掲載:2013,2,4
こうして振り返ると、いろいろ思い出すことがあります。まず、査読者の指摘の意味が分からない(もちろん日本語)、査読者間で指摘していることがバラバラなのはまだいいとして時に正反対の指摘があったりする、前回何も言わなかった査読者が、次の時に突然難しい課題を突きつける等々。大学の先生というのはすごいのうって、思いました。
自分がやってきたことは、少なくとも的はずれではないということを証明してもらったので、この5年間は無駄ではなかったといえますが、論文書いている(3年間の半分)1年半は電車の中で何度も何度も書いたり読んだりしていました。修論自体は、データの解析にえらく時間がかかり、それだけで苦痛でしたが、今回の投稿論文書きは、途中で自分でも訳が分からなくなることがよくありました。なんといっても仕事しながらですし。でも、査読を経て簡潔にまとまったこともたくさんあるので今となっては感謝感謝ですね。原著扱いではなく資料論文なんですけどね。
そもそも、投稿したT学会の雑誌は、儂、他の人のを読んでも意味が分からんのです。修論の指導をしていただいたT先生が何を思って「出しましょう」と言われたのか未だに分かりません。査読のない発表とか雑誌への投稿ならまだしも。
そしてもう一つ特記すべきことが。画期的なのは、3年かかってもしぶとく掲載されたことに加え、儂のは英語の引用文献がないってこと。英語力がない普通の「現場」の人間でも研究はできるんだよってことです。
まあとりあえずしてみたかったことが達成できたのではい。当時ご協力くださった皆様をはじめ、関係者の皆々様ありがとうございました。
受稿から受理まで約3年もかかっとるのは珍しい(他の論文と比較してだいたい2~3倍かかってます)。一回不採択になって、再び論点変えて投稿するまで1年、最終投稿から採択決定が通知されその上で掲載されるまで約1年、それぞれかかっているので本当は計5年。長かった本当に。学会の会費もその分払い続けてきましたし。以下経過。
0回目:2008,5,?提出、2008,8,31返却・・・結果:不採択
査読者X:不採択、Y:不採択、Z:不採択
テーマは悪くないがとまあお世辞のコメントはもらったが、論文の体をなしていないということらしい。
1回目:2009,5,2提出、2009,8,27返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:再査読、C:再査読
テーマを絞り込んで再投稿。査読者A,Cからは、研究の意義を理解する旨のコメントをいただく。査読者Cからは、研究デザインに関するアドバイス的な内容もある。ただ、いずれの査読者からも、原著論文としての不備を指摘される。修士論文で曖昧にしてきたものがそっくり指摘された感じ。
2回目:2009,11,?提出、2010,2,1返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:修正採択、C:不採択
実験条件の区別、用語の定義をはっきりさせること、細かい指摘、大幅な検討項目の増加等に対応する。査読者Aからは「文章の意味が読み取りにくい」、査読者Cから学術論文として「重大な欠陥(原文のままです)」があると指摘。ここから資料論文として提出。
3回目:2010,5,?提出、2010,8,17返却・・・結果:再査読
査読者A:修正採択、B:修正採択、C:不採択
査読者Aの指摘を受け大幅に変更。データの再集計、再分析、日本手話関連の文法用語、言語学の用語も勉強。ただ、査読者間でかなり見解が分かれた。
4回目:2010,11,?提出、2011,3,5返却・・・結果:修正採択
査読者A:修正採択、B:修正採択、D:再査読
前回、査読者間で意見が分かれたためか、突然査読者交代。代えたのか代えさせられたのかよく分からんが、これってそんなにあることなんだろうか。で、査読者Dより新たな検討課題の提示。よけいに収拾がつきそうになくなる。但し、採択の方向で進んでいると主査(査読者A?)のコメント。
5回目:2011,6,2提出、2011,8,31返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:採択、D:修正要求(再査読?修正採択?)
さらに、査読者Dより細かな指摘。対応したり説明して修正はしなかったり。AとBはこれで充分と言っている。
6回目:2011,9,25提出、2011,11,24返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:修正要求(修正採択?)、D:採択
これまで最も寛容な査読をしてきた査読者Bが突然修正を要求。粛々と対応及び説明。
7回目:2011,12,26提出、2012,9,4返却・・・結果:採択
査読者A:採択、B:添付なし、D:添付なし
完成原稿提出:2012,9,21
雑誌掲載:2013,2,4
こうして振り返ると、いろいろ思い出すことがあります。まず、査読者の指摘の意味が分からない(もちろん日本語)、査読者間で指摘していることがバラバラなのはまだいいとして時に正反対の指摘があったりする、前回何も言わなかった査読者が、次の時に突然難しい課題を突きつける等々。大学の先生というのはすごいのうって、思いました。
自分がやってきたことは、少なくとも的はずれではないということを証明してもらったので、この5年間は無駄ではなかったといえますが、論文書いている(3年間の半分)1年半は電車の中で何度も何度も書いたり読んだりしていました。修論自体は、データの解析にえらく時間がかかり、それだけで苦痛でしたが、今回の投稿論文書きは、途中で自分でも訳が分からなくなることがよくありました。なんといっても仕事しながらですし。でも、査読を経て簡潔にまとまったこともたくさんあるので今となっては感謝感謝ですね。原著扱いではなく資料論文なんですけどね。
そもそも、投稿したT学会の雑誌は、儂、他の人のを読んでも意味が分からんのです。修論の指導をしていただいたT先生が何を思って「出しましょう」と言われたのか未だに分かりません。査読のない発表とか雑誌への投稿ならまだしも。
そしてもう一つ特記すべきことが。画期的なのは、3年かかってもしぶとく掲載されたことに加え、儂のは英語の引用文献がないってこと。英語力がない普通の「現場」の人間でも研究はできるんだよってことです。
まあとりあえずしてみたかったことが達成できたのではい。当時ご協力くださった皆様をはじめ、関係者の皆々様ありがとうございました。