きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

みんなで東京、儂のTOKYO、

2013-07-16 22:00:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
先日のこと。久々に一家で東京へ。一応それなりの用事で。

早朝の東京駅。店はほとんど閉まっていて、ただツアーの団体客や夜行バスで上京したばかりの老若男女ばかりが構内を行き交う。
駅構内のスタバで時間をつぶした後、それぞれに分かれる。しゃべるでもなく食べるでもなく、それぞれがまさに時間をつぶす。これもまた今の家族の形か。

儂とムスコはとある大学の見学会へ。儂が住んでいたのは、東京というより「タマ」であったが、自分にとっては立派なTOKYOな訳で。そして、今日行くところの大学も似たような感じのところだったりするわけで。
で。我々も途中からそれぞれが別行動。ムスコは、とりあえずいろいろ見てみるといい、構内深く入構。
儂は、一旦外に出て、昔の住み家と学舎を見に行くことにする。いわば、この前夜間走をしたやり残しの片付け。与えられた時間は3時間。
改築中の駅のコインロッカーは満員御礼で、どうしようかと思ったが、ようやく駅前のパルコでそれを見つけ、荷物を預ける。
で出発。大学前を西へ。そしてすぐ北へ。

武蔵境通り。近くには深大寺、神代植物公園。まだこの辺は単車で数回しか通ったことがないはず。

野川を渡り、東八道路へ。儂がいた頃は30m道路という呼び方をしていたその道路だとは思うが。

もう少し裏道っぽい所を走った方が面白そうなのだが、そんなにルートを考える気分的な時間的な余裕はないので。

にぎやかだった道路が急に落ち着く。でかい公園二つ続く。野川公園、武蔵野公園。こんなのあったんか。

途中、西武多摩川線の下を通る。そういえばこれは一度も乗ったことがない。近くて遠いところだったか。

でようやく、ああ、あったあったという建物。府中の免許センター。大型二輪の試験を一度だけ受けに来た。あの頃は、教習所で大型免許が取れなかったからみんな試験を受けに来た。予備試験のナナハンのセンタースタンドかけと車体起こしは何とかクリアしたものの、またがってエンジンかけると、全然乗れる感じでなかったので、何となくそれっきりで止めた。

すぐ先の新小金井街道を北に折れ、されにこの辺かとバス通りに入る。ようやくこの辺りから、記憶がよみがえる。

小金井街道を渡る。

小金井街道のそばのアイス屋で補給することに。先客の老夫婦は、喧嘩をしているようで、側から見るとちょっと滑稽だった。甘いもん食ったら落ち着くかな。

さらに西へ。懐かしい。

道路の向かい側のスーパーはきれいになっていて、その前にはセブンイレブンができていた。向かいの腕のいい歯医者はまだやっていた。駅からはバスで来た方がいいぐらい離れているがより便利になった気がする。バス停で、背の低い向日葵を見つける。

この辺りは、隣のK市とF市の境にある。その道を北に向かう。

野川。さっきの川か。知らんかった。そして、駅へ行く道をパスして「くらおれざか」。

授業開始ギリギリの時はこの坂が何ともきつかった。当時はだいたい自転車。近いから大学行くだけでは単車に乗らなかった。

中央線が高架になっている。こりゃ便利だ。その先逆方向に曲がって踏切越えて、何てことをしなくてもいいわけだ。ちなみに隣は前に阪神にいたY投手の出身校。

門へ続く道。

門の前。今日はここまで。B1階段教室はまだあるのだろうか。

で、駅へ。バスに乗ってムスコが探検している大学近くの駅へ。後で調べたら13キロもはなかった思ったより遠くでも近い。でも往復しようとは思わなかったか。
そして合流し、空港へ。

住み家の屋根で切った空は22年ぶりだった。学舎の門は11か2年ぶり。ここに入りたくて一年余計にかかった。今ある自分のかなりの部分はここで造られたと勝手に思っているのだが(実はもう一つ大学には行っているし、はじめに住んだところはここではないから、また機会があればなどと思っているが)。
何の捻りもなく、ただただ懐かしかった。莫迦みたいに単純に懐かしむのもいいだろう。
数週間前のやり残しを、不完全ながら一応やったなあと思っていたが、さて。
あれ、20年程前のやり残しはなかったのか?とふと疑問がわく。これについては何とも云えない。キリがない。答えは出ない。

もう一つ。今朝のこと。

途中のSAで見た朝日。

何年か前、ムスコのことで千葉の病院に、これも家族みんなで車で行った時。あのときも同じように夜明けをこの辺で迎えた。厚木ぐらいじゃなかったか。富士山が見えたから、別のところか。詳しくは覚えていないが、似たような空の感じだった。
ここどことムスコが尋ねるので「足柄、小田原」って口から出た瞬間、そういえばと去年のことを思い出した。オマエタブンミトルヨコノソラ。彼がそのことに気づいていたかどうかは分からないが。

知り合いのDさんから「色々あったら当たり前のことがとっても嬉しく思えますね」とコメントをいただく。そう。そうですよね。
話すことが確かに少なくなった。でも、朝の東京駅のスタバだって、時間をつぶすだけの形でもないのだろうなと、全然確証はないけどそう感じた。

みんなそれぞれに出かけて帰ってくる。それだけのこと。