結論を先に言うと、中華タブレットはあまり使わなくなった。先日何日か触らなかったら、いつの間にか起動しなくなっていた。あらら、という感じである。
これは、USBからの充電ではなく、ACアダプターの使用で解決。しかし便利なUSB給電はできなくなった。それでも仕事に関していえば、相変わらず、ごぞごぞと使っている。たまに使うと便利ではあるが、重い。動きが、ではなく重さがである。
一方、電子書籍リーダーは重宝している。
タブレットで何がしたいか、ということを考えてみると、当初はネットとか資料読みとかを念頭に置いていた(大学案内とか結構カラーで見やすいし持ち運びも楽だし良かった・・・)が、電子書籍の使い勝手の良さと読みやすさにはまった感じである。
実を言えば、儂の電子書籍リーダーは、いつの間にか(本当に弄るの止めてから、である)Wi-Fi使用が不可になってしまった。
しないのとできないのとでは全く違うので、いろいろと復旧を試みるが、何といってもアンドロイド。よく分からずに何となく諦める。繋がらなくなったのと同時に、フリーズの頻度も上がった気がするのが気にはなるが、PCに繋げば今のところ問題ないし。
それでも、毎日電車で楽しめている。P-01Dでインターネットを眺めているより、今はこちらの方が面白い。コンテンツが少ないとかいろいろ言われながら、一部ではかなり支持を受けているというのも分かる気がする。
恐らく理由としては、軽いこと(160グラムで片手で持てるしページめくりも楽)、白と黒のコントラストが丁度良くて読みやすいこと(よく言われる目に優しいというのは確かである)、書き込みとかができること(簡単にできるし電子書籍だから躊躇せずに書く)、辞典がついていること(なんと大辞林第3版、これは青空文庫系に重宝する)、等々。
最初に期待していたPDFリーダーとしての使用は、スキャニングや画像の大きさを整えるのに少し工夫が要るようだが。まあこれはまだ研究過程。
現在、とりあえずということで、ソニーのリーダーストアでお試し本、青空文庫版無料本を落としている。先日は太宰の津軽、そして人間失格。この歳になってこの作品を初めて読んだが、面白いやん、という感じである。メモや走り書きもできるし、難しい語はすぐに調べられるし、こんなに便利とは思わんかった。
やはり活字を読みたがる。資料よりも。そういう意味では、最近久々に読書モードである。
PRS-T1というのは、もうかなり古い機種らしいが、実のところ音楽も聴けてroot化できるので、もう一台買ってもいいかと思ったりもする。ネットで5千円ぐらいだし(ちなみに今回買ったのは店頭展示処分品で2000円(!))。これぐらいなら、「使い倒す」使い方ができそうである。カバーなんかいらんのやが。
あと実際は、root化の恩恵はそれほどはないようなのだが、それでも、これで充分な気がするので、新しい機種を買おうとは思わん。
KOBOとかKindleとか、どうなんだろうと今更ながら。
コンテンツについては、やはり数の少なさに不満が残る。一時期自炊が「産業」として成り立っていた訳である。数の少なさに加え、紙の本とあまり値段は変わらん気がする。やはり、電子書籍は、リーダーが壊れたりすると読めなくなるのだから、例えば電子書籍を買ったら、紙の本の無料引き換えができるとか、無料は無理でもかなり安めの価格設定にはして欲しいところ。こういうサービスがあれば、一気に普及するはず。
ともあれ、タブレット探しから思わぬ副産物、という感じである。
ちなみに、儂のP-01Dも電池の寿命がきたらしく、充電頻度が増えた。それだけでなく、いつの間にかよく「切れる(OFFになる)」ことも増えた気がする。何と言っても不安定なのが当たり前のアンドロイド。仕方がないか。
よって最近、電池買い換えより「機種変」を目論見、「赤札○国」さんや「アンド○イド屋」さんを覗いたりしている。特に「ス○ート本舗」さんを覗くと、面白そうな海外モデルがいっぱいで、儂が使うMVNO(仮想移動体通信事業者)用のSIM対策までしてくれるというので、マジ悩む。
恐らく、PCの方が使用頻度は高いし、電子書籍の方が触る時間は長いはずで、タブレットとかスマホレベルのもんは買ってもそんなに使わないはずなのだが。
また無駄なもんに手を出しそうである。
と、ここまで書いて記事を寝かしておいたら案の定、であった。
先日、中古のCF-R7を購入する(昨日の記事参照ください)。タブレットは迷いに迷って安価な1万5千円でもなおかつ躊躇するのに、モバイルPCは衝動買いである。ほぼ同じ値段。
クリックしたこの時、麦5缶ではあったが結果いいもの買った。
しかしまあ、こういうオチになるとは、なあ。
これは、USBからの充電ではなく、ACアダプターの使用で解決。しかし便利なUSB給電はできなくなった。それでも仕事に関していえば、相変わらず、ごぞごぞと使っている。たまに使うと便利ではあるが、重い。動きが、ではなく重さがである。
一方、電子書籍リーダーは重宝している。
タブレットで何がしたいか、ということを考えてみると、当初はネットとか資料読みとかを念頭に置いていた(大学案内とか結構カラーで見やすいし持ち運びも楽だし良かった・・・)が、電子書籍の使い勝手の良さと読みやすさにはまった感じである。
実を言えば、儂の電子書籍リーダーは、いつの間にか(本当に弄るの止めてから、である)Wi-Fi使用が不可になってしまった。
しないのとできないのとでは全く違うので、いろいろと復旧を試みるが、何といってもアンドロイド。よく分からずに何となく諦める。繋がらなくなったのと同時に、フリーズの頻度も上がった気がするのが気にはなるが、PCに繋げば今のところ問題ないし。
それでも、毎日電車で楽しめている。P-01Dでインターネットを眺めているより、今はこちらの方が面白い。コンテンツが少ないとかいろいろ言われながら、一部ではかなり支持を受けているというのも分かる気がする。
恐らく理由としては、軽いこと(160グラムで片手で持てるしページめくりも楽)、白と黒のコントラストが丁度良くて読みやすいこと(よく言われる目に優しいというのは確かである)、書き込みとかができること(簡単にできるし電子書籍だから躊躇せずに書く)、辞典がついていること(なんと大辞林第3版、これは青空文庫系に重宝する)、等々。
最初に期待していたPDFリーダーとしての使用は、スキャニングや画像の大きさを整えるのに少し工夫が要るようだが。まあこれはまだ研究過程。
現在、とりあえずということで、ソニーのリーダーストアでお試し本、青空文庫版無料本を落としている。先日は太宰の津軽、そして人間失格。この歳になってこの作品を初めて読んだが、面白いやん、という感じである。メモや走り書きもできるし、難しい語はすぐに調べられるし、こんなに便利とは思わんかった。
やはり活字を読みたがる。資料よりも。そういう意味では、最近久々に読書モードである。
PRS-T1というのは、もうかなり古い機種らしいが、実のところ音楽も聴けてroot化できるので、もう一台買ってもいいかと思ったりもする。ネットで5千円ぐらいだし(ちなみに今回買ったのは店頭展示処分品で2000円(!))。これぐらいなら、「使い倒す」使い方ができそうである。カバーなんかいらんのやが。
あと実際は、root化の恩恵はそれほどはないようなのだが、それでも、これで充分な気がするので、新しい機種を買おうとは思わん。
KOBOとかKindleとか、どうなんだろうと今更ながら。
コンテンツについては、やはり数の少なさに不満が残る。一時期自炊が「産業」として成り立っていた訳である。数の少なさに加え、紙の本とあまり値段は変わらん気がする。やはり、電子書籍は、リーダーが壊れたりすると読めなくなるのだから、例えば電子書籍を買ったら、紙の本の無料引き換えができるとか、無料は無理でもかなり安めの価格設定にはして欲しいところ。こういうサービスがあれば、一気に普及するはず。
ともあれ、タブレット探しから思わぬ副産物、という感じである。
ちなみに、儂のP-01Dも電池の寿命がきたらしく、充電頻度が増えた。それだけでなく、いつの間にかよく「切れる(OFFになる)」ことも増えた気がする。何と言っても不安定なのが当たり前のアンドロイド。仕方がないか。
よって最近、電池買い換えより「機種変」を目論見、「赤札○国」さんや「アンド○イド屋」さんを覗いたりしている。特に「ス○ート本舗」さんを覗くと、面白そうな海外モデルがいっぱいで、儂が使うMVNO(仮想移動体通信事業者)用のSIM対策までしてくれるというので、マジ悩む。
恐らく、PCの方が使用頻度は高いし、電子書籍の方が触る時間は長いはずで、タブレットとかスマホレベルのもんは買ってもそんなに使わないはずなのだが。
また無駄なもんに手を出しそうである。
と、ここまで書いて記事を寝かしておいたら案の定、であった。
先日、中古のCF-R7を購入する(昨日の記事参照ください)。タブレットは迷いに迷って安価な1万5千円でもなおかつ躊躇するのに、モバイルPCは衝動買いである。ほぼ同じ値段。
クリックしたこの時、麦5缶ではあったが結果いいもの買った。
しかしまあ、こういうオチになるとは、なあ。