gooブログの編集部から去年の記事、みたいなのがメールで届く。
ああそういえばと。
この記事が、ではなくこの記事の辺りでである(何せ全く無関係なこの記事のDNSって何のことだとしばらく分からんかったぐらいなので、その時悔しくても体大概のことは忘れるようである)。
この記事を綴った辺り、2号がAIHAというかなり厄介な病気になっていた。ステロイド治療で持ち直したように見えた直後急変し、何とか「取り戻した」が、麻痺が残って立ち上がれず寝たきり状態になり、これで良かったのかとものすごく悩んだ。奇跡のように立ってまた散歩に行くようになったのが9月末。その後10月は10月でウチの家自体に大きなターニングポイントがあって、次から次へと・・・という感じの去年の今頃だった。
生存率50%。もしものことがあっても文句は言えんかった。夜になってもう休診と分かっていながら病院の先生に無理を言って点滴してもらい、無理矢理取り戻した。あの急変に納得がいかなかった。というより覚悟ができなかったのかもしれない。
一年間、か。2号、ありがとう、という感じである。
冒頭4号がでかでかと載っていて1号がいないので、ついでに。
3号はリビングのテレビの上で微笑んでいる。
ああそういえばと。
さばさばとDNSうまくいかんというか、そんなに甘くはないんだな多分。自己都合というのではなく、諸々の事情って奴。余りすっきりした理由ではないどちらかといえば理不尽。でもまあ。納得のいかない理由...
この記事が、ではなくこの記事の辺りでである(何せ全く無関係なこの記事のDNSって何のことだとしばらく分からんかったぐらいなので、その時悔しくても体大概のことは忘れるようである)。
この記事を綴った辺り、2号がAIHAというかなり厄介な病気になっていた。ステロイド治療で持ち直したように見えた直後急変し、何とか「取り戻した」が、麻痺が残って立ち上がれず寝たきり状態になり、これで良かったのかとものすごく悩んだ。奇跡のように立ってまた散歩に行くようになったのが9月末。その後10月は10月でウチの家自体に大きなターニングポイントがあって、次から次へと・・・という感じの去年の今頃だった。
生存率50%。もしものことがあっても文句は言えんかった。夜になってもう休診と分かっていながら病院の先生に無理を言って点滴してもらい、無理矢理取り戻した。あの急変に納得がいかなかった。というより覚悟ができなかったのかもしれない。
一年間、か。2号、ありがとう、という感じである。
冒頭4号がでかでかと載っていて1号がいないので、ついでに。
3号はリビングのテレビの上で微笑んでいる。