きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

手段ではなく目的として

2018-04-21 16:28:12 | 徒然に2018-2020
入院中のリハの課題は、次々とレベルアップした。
つかまり立ちは(介助浴ではあったものの)入浴時の着替えのときのズボンやオムツの着脱をしてもらうため。車椅子からの移動はトイレの便座やベッドへの移動のため。立った状態での動きは、風呂やトイレでズボンやオムツの着脱を自分がするため。このことは看護師さんを呼ばなくてもいい状態にすることも目標にあったから必死だった(排泄そのものはなかなか訓練効果がなかったが)。四点歩行器での移動や手放しでの立位は、立つ状態のさらなる安定のため。ものにつかまったり壁を伝っての歩行は、ちょっとした場面での動きの促しのため(例えば、ちょっとティッシュを取りたいときに、車椅子で取りにくい棚の上にあるときとかに諦めないようにするため)。何もつかまらないで床から立ち上がることもできるようになった(転倒は多い)。

で、その中で、3月下旬から「杖」の訓練が増えた。何よりリハビリでこういうことができるようになったというのは嬉しい誤算ではある。

移動手段としてというより「歩く」こと自体を生活の中に取り入れられないかと自分では思っている。手段として歩くには正直厳しい。移動距離は全く稼げないし、移動中緊張を強いられるし、ものを持ったり立ち止まったりがなかなかできないし転倒もするし(帰宅後既に5回転倒している)。だから、歩くときはそれだけを考えてでないと無理なのだがそれでも、ということである。走ることは目的になっている面もあったが基本的には移動手段だった。今、自分にとって歩くことは旅ランのようなことすら難しいのが現状なのだが、それでも移動手段とは別にそれそのものを目的として歩くということを続けていければと(これが実のところ家人にはなかなか理解されにくい。歩けるのなら歩けと言われるしそういう感覚が身内だからなのは確かで)。
入院中は100メートルを10分弱のペース。退院して今現在、当面の目標は1時間で1キロを歩くことである。実用的ではないがとりあえず続けてみるつもり。