きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

団子と風呂には縁がない

2013-02-12 21:17:10 | 徒然に2010-2013
結局今回も道後温泉行かんかったな。

あんまり行く機会がないから一度これを使って行ってみようかと思ってはいるが思うだけ。

昨日仕事に時間がかかり、結局職場を出たのが3時前。同じく前の日愛媛マラソンを走ったMさんもにこやかに御出勤。よくよく考えてみれば、ウチの職場で走る人は休日も出てくる人が多い。
で、そのせいで結局風呂に行きそびれ、年末行ったフードコートで慰労するには時間が半端になり、脚も痛くて移動もままならず、結局バスに乗って市内へ(弱くなったのー)。

で、市駅の屋上で慰労。

まだこの日は暖かかったからな。

しかしまあつくづく団子と風呂には縁がないマラソンだわ。

それから、業務連絡。
某スーパー付近で応援してくださっていたDさん、Tさん、気がつかずに本当にごめんなさい<(_ _)>。ごめんなさいというより、コースで「会えた」らすごく楽しかっただろうなあと思うと残念です。特にDさんかぶりものとか看板とかしてくださっていたんですか?おっかしいなあ、分かりそうなもんだがなあ何で分からんかったんだろう。

次、次ですか、うーん。

第51回愛媛マラソン雑考

2013-02-11 18:31:18 | 大会回顧録
先日書きかけでアップしてしまったようで、一部の方には、お見苦しいものをお見せし申し訳ありませんでした。

一応、反省ということで書き始めましたが、反省しても改善しようがないので、単に振り返るということになるなと。じゃあ曖昧に雑考(雑記)ということで当日の流れをざっと記録しておこうかと。次年度に向けてということになるかどうかは未定ですが。

起床は6時前。愛媛マラソンの配布冊子にあった「4時間前」起床を守っています。ちなみに前の日は9時半には寝てましたから、睡眠は結構とれました。
朝食は、昨日の残り物(麻婆豆腐)を御飯にかけ一膳と菓子パン一つに大判焼き一つ。コーヒーは飲まず、アクエリを約500ミリ摂取。水分摂取はいつもの半分ぐらい。最近トイレが近いのが気になって控えました。
マラソンの2番目の電車で堀之内へ。

まだまだ人は少なめ。でもボランティアの方や大会役員の方は当然もう出てきています。

まずは排泄促進のためのランに。最近、寒くても薄着の方がいいということに気がついたので、薄いブレーカー一枚で堀端を軽めにジョグ。アップにはなりません。

この時間帯が一番落ち着いていて、大会に参加しているという感覚を忘れてしまいそうでした。

さて、この後目的を無事に果たし、着替えて糖分補給。

ゼリーは口にしませんでした。
で、荷物を預けスタートブロックへ。予定通り40分前。ここからは写真なしです。

今年のマラソンは暖かったですね。良くも悪くも。儂にとっては暖かいのは有り難かったですが。それでもスタート時はビニール袋かぶってました。一昨年は待っている間が苦痛でしたが、今年はそんなことはなかったかと。ちなみに前日の開会式で高橋尚子さんが「アップしても7分なにもしなければゼロになる」というとんでもない事実を教えてくれました。しなくてもいいってわけじゃないんでしょうけど。
で、県庁前に移動しスタート5分前、ストップウォッチのリセットの仕方を忘れて時計をいじっている間にスタート。
スタートライン通過は1分15秒後。これが結果的には結構影響しました。
とりあえず、前半抑えめというのが鉄則ですが、今回は、抑えめにすると目標の30分切りはできないので、少し意識して早めにキロ5分に乗せます。だいたいキロ5分プラマイ5秒なので、これも予定通り。ここからもう5秒あげて、折り返しまでに「借金」チャラにしたかったのですが、なかなかタイムが上がりません。高橋尚子さんとのハイタッチ、野志市長からの給水と続き(この辺記憶が曖昧)、ようやく上がったかという感じになったところで、無念のトイレ。水分摂取を控えていたのですが、やはり調整は難しいです。約13キロ付近だったかと思います。ここで約1分ロス。これも結果的には結構影響しました。
再びコースに戻るも、キロ5分近くまでは乗せることができるのですが、さっきのような5秒だけ早くすることがなかなかできないでいます。我慢しつつ先に進みます。バナナをとった後タルトを取り逃し(さすがに引き返しはしませんでしたが)、後半ばてやせんかとヒヤヒヤしつつ折り返しへ。折り返しでは目標より1分20秒ぐらいの遅れ。予定通りではあるのですが、実際にはタイムはやや遅れ気味。
折り返し付近、何人かの子どもとハイタッチ。元気づけられます。第2折り返しに向かうあたりから向かい風が強く、相変わらずキロ5分キープ。我慢はできていますが、このままではいかんなあという感じ。山田屋まんじゅう、パスコの揚げあんパンをいただき、大塚のアミノバリューを飲み、国道に出たところで、一か八かという気持ちで地面を蹴り始めました。残り15キロ。予定では後5キロ我慢して32キロから上げるつもりでしたが、まだ「借金」が1分余りあったので、このままではちょっときついかと思いました。
今年の目標は30分切りとはっきりしていましたが、これでも以前に比べて細かなペース設定はしていませんでした。ただ5分では30分は切れないし、スタートまでの通過やトイレ、給水給食等のロスを考えるともう少し、早いタイムが必要だろうなとは思っていました。実力はさておいて、です。
途中バナナ、タルトをいただいたせいか、胃が重い。今年は前の日までの食べ過ぎはありませんでしたが、当日の食べ過ぎはあったのかも。以降10キロは補給なしで進みました(結局、37キロの坊ちゃん団子は今年もパス)。
ペースアップできちんとタイムが縮まったのは5キロぐらいでしょうか。後の10キロはしんどい痛いの繰り返しで、上げようにもなかなか上がりません。姿勢もあまり良くなかったようで、首が痛くなりました。34キロ付近でしょうか、ランナーが横並びで前に行けずイラッとしてしまい、再びペースアップ。これも1キロ続きません。本当にペースが上がればすごいのですが、実際は落ち込みを防いだという程度。
38キロ付近、きついのとどうしてもペースが上がらないのとで気分が滅入ってしまい、はずしていたサングラスを掛けました。どうしても笑顔で走ることができなかったもので。
途中、審判に入っておられた「師匠」のTさんの励ましを受け、関係者の方々何人かから声をかけていただき、その瞬間だけ元気になるということを繰り返しながら、何とかゴール。

記録はネットで3時間30分35秒(ネット)、グロスで3時間29分20秒。この記録、月500キロ走る人のタイムではないです。分かってます。でも、儂はそんなに運動が得意ではないので、人より量こなしてなんぼっていうことはいつも思っているので、まあこんなもんだろうと思っていますし、充分満足しています。キロ5分が最後まで続いたという点は、走った距離が嘘をつかないことを証明していると思いますし。
そして、沿道の声援。このおかげで助けられたことしばしば。応援し続けるしんどさは、走るしんどさよりもある意味大きいのではないかと。久々のマラソンでこのことを思い出しました。

天気が良くてしばらく寝そべっていたい気もしましたが、今回初めてヨメさんが迎えに来てくれたので動揺したのと、ランナーさん無料でどうぞの豚汁もいも炊きもおにぎりもパンも何も食べれそうになかったので、とりあえず帰るかと、そのまま帰宅。

ウチの職場の皆さんも無事完走されたようで。
ボランティアの方、声をかけてくださった方、役員の皆様、ありがとうございました。

今日は温泉と麦酒の予定が休日出勤(そんぐらい動けるならE大でやっているオージオロジー上級講座に行けばいいんでしょうが、仕事が単に間に合わないので)。肩と首が痛いです。姿勢はあまりよくなかったようです。現役やり投げ選手で当日審判で見守ってくれていた職場のS君が取ってくれた写真。

脚は蹴っているものの、やっぱ姿勢悪いわ。これがもう少し良くなったら、タイム的には上がるのかもなと。でもフルきついしな。
最後にまたもや、お見苦しいものをお見せし申し訳ありません。

愛媛マラソン終了です(速報)

2013-02-10 15:34:01 | 大会回顧録
無事に終わりました。
とりあえず速報です。

後、久々の第3です。

途中の御菓子食べ過ぎて胃がもたれているんですが、これだけは。

今年は暖かくて応援の方も多くて励まされました。有り難かったです。
残念ながら、来年のアスリートエントリーの枠はもらえない結果になりましたが、途中トイレに入って1分ロスしたから、これはもう仕方がないなと。

鈍足親父さんにコメントしていただいた「距離は裏切らない」が実感できました。充分満足しています。

祭りの前日

2013-02-09 21:09:56 | 徒然に2010-2013
いよいよ前日。今年は極端な準備はしていないなと思います。

で、今日は3号のはかまいりの後、受付へ。はかまいりはバス使用でいつもの距離ほどは走っていません(後日レポート予定)。で、電車で市内まで行き会場到着。

いつもお世話になっている業者さんの事務の方がボランティアをされていて、たくさんある受付の中で、丁度儂の番号の担当でした。「よりによって、ですよねえ」と和やかに手続きしていただきました。
記念品の帽子をいただきに外へ。高校生でしょうか。一生懸命さが伝わり、頑張らねばと思いました。

帽子は、四年前より少し素材が良くなったような。
そして、出店しているスポーツ用品店さんを小1時間物色し、また靴を買い、何しに来たんか分からんぐらいの大荷物になりました(これも後日レポート予定)。肌寒かったものの、天気は良く、良い雰囲気でした。

開会式、初めての参加でしたが、割合楽しめました。

お目当ての抽選は当たりませんでしたが。

ここ2、3日そんなに無理をしていないはずなのに骨盤やらハムやら体のあちこちがおかしくて、のほほんとしているはずなのにやはり緊張しているのかなと思いつつ帰宅。準備、食事、就寝と淡々と自分のペースで進めるのが気にくわないのか、ヨメさんはやや機嫌が。

2年ぶりなので、思ったよりも走れないかもなと。でもまあ仕方がないかと。神戸の24時間で途中リタイヤ寸前だったことが強烈に頭に残っているせいか、気持ちは淡々としています。やるだけやってもあかんときはあかんと。しかし、体は妙にそれぞれの筋肉の存在を誇示するかのように痛い。

明日が終わったら終わったで、恐らくマラソン翌日も仕事に行かないと間に合いませんし(次の週出張が多くて、その準備と再来週の2つある会議の資料作りができないという案外まともな理由です)。まあどことなく、周りが見るよりも気持ちは淡々としているのですが。

あ、業務連絡。今確認しようとしたら地元放送局のメッセージのページ混んでいるみたいですが。
鈍足親父さん、応援メッセージありがとうございました。楽しんで走ります。
それから、以前子どもたちがお世話になった小学校のKさん、メッセージありがとうございます。
それから、一昨年家出した4号の保護でいろいろお世話になったWさんも、毎年すみませんありがとうございます。

できるだけ楽しみながら、今の自分と向き合いながら、そして様々な方に感謝しながら走ります。

気合いの入った愛媛ローカルの話

2013-02-08 22:48:35 | 徒然に2010-2013
愛媛マラソンの話ではありません。

最近、テレビでは愛媛特集やっていたり(番組名不明)、ウェブでも表参道のある場所で愛媛フェアやってましたみたいな記事見つけたり(当然どのページか不明)、今愛媛はブームなのかと考えてみたらまあバリィさんあたりから知名度上がったからか等といろいろ思っていたら、もう一つそうかそうだったのかとびっくりしたことが。
我が家で目にする最近よく流れている某引っ越し会社のCM。これ実はAKBの何とかさん(不明ではないがここでは何とかさんとする)の丸刈り騒動の少し前から流れ始めていて、初め見たときに結構インパクトあったのですが、AKBの何とかさんの丸刈り騒動の時に、何でこちらももっと騒がんのかなと不思議に思っていたら、今日地元新聞とウェブで突然取り上げられていてびっくり。

愛媛ローカルだったのかあれは。思い切った演出しているのでローカルとは思わんかった。ローカルの割に気合い入っとるな。

AKBで思い出したが、この夏の終わりぐらいから、時々思い出したように、テンポを挙げるというか維持するというか、そういうときに頭の中で聞こえてくるのがAKBの「ヘビーローテーション」だったりする。これが今一番最強。他の曲では微妙にテンポがずれる。たぶん今回のマラソンの時はどれだけ鳴らし続けられるかがポイントになりそう。ちなみにAKBに浸食されているわけではないです。名前ほとんど知らんし。

ということで、こちらも気合いの入ったローカルイベントである愛媛マラソンの話に少しだけなりました。
明後日いよいよですね。明日は受付に行く予定です。

愛媛マラソンの準備をする ~ その3

2013-02-07 22:00:00 | 徒然に2010-2013
で、昨日今日と通勤ラン中止です。マラソン調整とは関係なく、家庭都合ではあるのですが、まあ丁度いいかという感じです。

代わりに夜のコース試走を決行してきました。距離は約8キロ手前からトンネルを越えて13キロ付近まで。約5キロの往復です。
退勤してコース近くのスーパーに車を停め、出発。気温はやや高めの10度。
思ったよりもこの区間のバイパスは暗いです。ほとんど街灯がありません。
歩道のでこぼこで躓きそうになること2回。それでもペースはキロ7分。
走る前はおっくうでしたが、走り始めると、なかなか快適で。でもトンネル越えて折り返すと、どっと疲れが。
トンネル手前までは、上がったかと思ったら下り、下ったかと思ったら上りで昼間走っている時よりアップダウンが多いと感じました。これ結構疲れるので要注意ですね。トンネル内も上っているのか下っているのか感覚がよく分からないところもあるのですが、これは、一本目の途中から何となく下っている気がします。ということは、帰りは上りが結構続きます。
トンネル過ぎたところは、何もない郊外の雰囲気ぷんぷんで、市内の方を見ると、空が明るくなっていました。

トンネルとトンネルの間は、夜の海の向こう、灯りが沢山点いています。

写真は、やや明るめの画像処理しましたが、見た感じはだいたいこんなもんです。うっすらと遠くは明るくでも足下は暗く、でした。
遅い時間帯でしたが、ランナーもそこそこ走っていました。収穫の多い試走でした。

そんなに根詰めた練習でもなかったので「準備」というほどでもないのですが、まあ、カーボローディングも開始したことですし。ごはん多く食べ始めただけですが。でもそんなに食べられません。歳でしょうか。後は睡眠。忙しくてやや不足気味。ブログ書く暇があったら寝なさいって確かに。

ちなみに今日は家の周りぐるりと5キロ。朝とりあえず走ることについては、適度にやらないとすぐ便秘になるので、しばらくその適度を探しに距離やら時間やらを模索する日々が続きそうです。
朝走らずにいられないのはそのためです。案外そんなもんです。
ちなみに今日は少々足りなかったようでお通じなし。んー。

久々のマラソン本番直前で気付いたこと

2013-02-06 22:40:37 | 徒然に2010-2013
マラソンの川内勇輝選手すごいですね。
大会に出ることを練習の一環とし、しかも結果を出し続けるというのがまたすごい。
川内メソッドですか。んー。真似できない独特の調整法なんでしょうかね。

それに引き替え、愛媛マラソンまで一週間を切り、些細なことをくどくどと考える一方、結局かなりおおざっぱな調整で当日を迎えるというさいさんメソッドですが、んー。カーボローディングも、単にいっぱい御飯を食べるというだけですもんね。明日から夕ご飯も米を喰います(そうです普段は夜は米は喰いません)。それだけのことです。でもそれだけのことですが、前回は食べ過ぎで胃もたれしてました。

ここ数日職場でも、いよいよですね出るんですかと声をかけていただく機会が増えましたが、実を云えば正直、元々この時期仕事が忙しくてそれどころじゃねえって感じなのに加え、次から次へというより、横から横から仕事が突っ込まれて、結構あっぷあっぷしてます。余裕はそんなにないです。
加えて、家庭の都合により通勤ラン一時中止。今日は久々に車使用。

普段運転しないもので、朝の混み混みの時間帯に車を走らせると、まあ自分がこんなに短気だったのかとびっくりします。車が前にあると追い越したくなるというのは、人がいると前に行きたくなるという性分を表しているようで、これが大会でびっくりするような記録が出るもとになっているのかもしれないと思ったりします。車の運転には向きません。単車はへたくそなのであまり速く走りませんでしたが、車は転けませんからやばいです。車通勤は止めてよかったのかもです。
通勤ランなしになったとはいえ、出勤前と退勤後に何とか少しだけ走りました。これができないと気分的に違うなと。走れないのと走らないのとはやはり違いますね。ちなみにコース試走です。他のランナーも結構走っていました。詳細は明日にでも。
これまでの愛媛マラソンは、日常の延長ということで極端な調整はしなかったんですが、最近、あまり走らなかった休日の翌日の通勤ランの時に体が軽いのを実感しているので、なんぼジョグしかやらんでも、疲れるもんは疲れるんかなと思います。もう一つは、距離や時間もさることながら睡眠かなと。これからは、とにかく睡眠だけは取らねばとだけは思ってます。

川内選手の尊敬するところは、あくまで市民ランナーのスタンスを維持していることでしょうね。マラソンの翌日も仕事するといえば、当然のように思えて実は大変です。何せ2時間8分ですから。
儂の場合、仕事は当然ながら、大会の次の日も走ってます。ほとんど歩くのに近いのですが。変なところにポリシーあります。

あたっとるよっ

2013-02-05 22:22:35 | 徒然に2010-2013
足ずらしてもやっぱあたってくる。
まあ。

野暮なこと云わんでも、と思ったので当然何事もなかったかのように下車。

イヤホンしてても声がもんのすごくよく聞こえてくるし。
隣の人(異性)との会話で、まあよっぽど楽しかったんだろうなとは思うし。
これぐらいかわいいもんかもしれんしなあとも思うし。

別に腹立った訳でもなく、まあ面白かったけど。電車っていろんな人が乗ってくるからな。大学の広告の半分モナリザになっている姉ちゃんに語る。

話変わって。
帰宅後、ウチのムスコが「今日のテストは難しかった」という。中学から5年間で初めてそんなことを聞いたとウチの嫁さんはいう。後ろにはほんのわずかしかいない超低空飛行の順位で、あやつは今までテストが難しいと思ったことはなかったらしい。すごい。

無知の知とはこれ如何に。深い。実に深い。

声を出しながら手で語ることばを探ってみた

2013-02-04 22:00:00 | 別に除けておきたいこと
別に関係ない人にはどうでもいいことなんですが、先日採択された儂の論文投稿の流れを記しておこうかと。結構貴重な体験だったので(ウェブに時々こういうふうに投稿の経過を明らかにしている大学の先生もいますね大体はクレームもどきなんですがね)。

受稿から受理まで約3年もかかっとるのは珍しい(他の論文と比較してだいたい2~3倍かかってます)。一回不採択になって、再び論点変えて投稿するまで1年、最終投稿から採択決定が通知されその上で掲載されるまで約1年、それぞれかかっているので本当は計5年。長かった本当に。学会の会費もその分払い続けてきましたし。以下経過。

0回目:2008,5,?提出、2008,8,31返却・・・結果:不採択
査読者X:不採択、Y:不採択、Z:不採択
テーマは悪くないがとまあお世辞のコメントはもらったが、論文の体をなしていないということらしい。

1回目:2009,5,2提出、2009,8,27返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:再査読、C:再査読
テーマを絞り込んで再投稿。査読者A,Cからは、研究の意義を理解する旨のコメントをいただく。査読者Cからは、研究デザインに関するアドバイス的な内容もある。ただ、いずれの査読者からも、原著論文としての不備を指摘される。修士論文で曖昧にしてきたものがそっくり指摘された感じ。

2回目:2009,11,?提出、2010,2,1返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:修正採択、C:不採択
実験条件の区別、用語の定義をはっきりさせること、細かい指摘、大幅な検討項目の増加等に対応する。査読者Aからは「文章の意味が読み取りにくい」、査読者Cから学術論文として「重大な欠陥(原文のままです)」があると指摘。ここから資料論文として提出。

3回目:2010,5,?提出、2010,8,17返却・・・結果:再査読
査読者A:修正採択、B:修正採択、C:不採択
査読者Aの指摘を受け大幅に変更。データの再集計、再分析、日本手話関連の文法用語、言語学の用語も勉強。ただ、査読者間でかなり見解が分かれた。

4回目:2010,11,?提出、2011,3,5返却・・・結果:修正採択
査読者A:修正採択、B:修正採択、D:再査読
前回、査読者間で意見が分かれたためか、突然査読者交代。代えたのか代えさせられたのかよく分からんが、これってそんなにあることなんだろうか。で、査読者Dより新たな検討課題の提示。よけいに収拾がつきそうになくなる。但し、採択の方向で進んでいると主査(査読者A?)のコメント。

5回目:2011,6,2提出、2011,8,31返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:採択、D:修正要求(再査読?修正採択?)
さらに、査読者Dより細かな指摘。対応したり説明して修正はしなかったり。AとBはこれで充分と言っている。 

6回目:2011,9,25提出、2011,11,24返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:修正要求(修正採択?)、D:採択
これまで最も寛容な査読をしてきた査読者Bが突然修正を要求。粛々と対応及び説明。

7回目:2011,12,26提出、2012,9,4返却・・・結果:採択
査読者A:採択、B:添付なし、D:添付なし

完成原稿提出:2012,9,21  
雑誌掲載:2013,2,4

こうして振り返ると、いろいろ思い出すことがあります。まず、査読者の指摘の意味が分からない(もちろん日本語)、査読者間で指摘していることがバラバラなのはまだいいとして時に正反対の指摘があったりする、前回何も言わなかった査読者が、次の時に突然難しい課題を突きつける等々。大学の先生というのはすごいのうって、思いました。
自分がやってきたことは、少なくとも的はずれではないということを証明してもらったので、この5年間は無駄ではなかったといえますが、論文書いている(3年間の半分)1年半は電車の中で何度も何度も書いたり読んだりしていました。修論自体は、データの解析にえらく時間がかかり、それだけで苦痛でしたが、今回の投稿論文書きは、途中で自分でも訳が分からなくなることがよくありました。なんといっても仕事しながらですし。でも、査読を経て簡潔にまとまったこともたくさんあるので今となっては感謝感謝ですね。原著扱いではなく資料論文なんですけどね。
そもそも、投稿したT学会の雑誌は、儂、他の人のを読んでも意味が分からんのです。修論の指導をしていただいたT先生が何を思って「出しましょう」と言われたのか未だに分かりません。査読のない発表とか雑誌への投稿ならまだしも。
そしてもう一つ特記すべきことが。画期的なのは、3年かかってもしぶとく掲載されたことに加え、儂のは英語の引用文献がないってこと。英語力がない普通の「現場」の人間でも研究はできるんだよってことです。

まあとりあえずしてみたかったことが達成できたのではい。当時ご協力くださった皆様をはじめ、関係者の皆々様ありがとうございました。

てぶくろをかいに

2013-02-03 19:07:35 | 徒然に2010-2013
街までゆっくりジョグで行ったが、買ったのは靴。

バンキッシュ6。アディダスには悪いが半値以下の2000円だったから買った。こういう靴選択が良いのかどうかは別(まあ大した走り方はしてないので)。
で、てぶくろは収穫なし。

で、そういえば久しぶりに読んでみるかと新美南吉を捜しに書庫(そんな大袈裟なもんでもない)へ。並べてあった本が、ところどころ場所移動。子どもが親の本棚を荒らすというのは、やはりうれしいもんである(本当にあんまりたいしたもんはおいてないんだが)。
ただ、やっとこさ見つけたものの「手ぶくろを買いに」は入ってなかった。

まあいいか。近々本屋に見に行ってみよう。本の背表紙眺めて、しばしぼうっとする。

目当てのものの収穫はなかったが、まあいいか。

ぬくい気持ちになります

2013-02-02 22:04:29 | 徒然に2010-2013
今日は暖かかったです。泊まり勤務の朝、起きると「逆結露」になってました。「暖かい」というより、儂にとっては「温い」の方がびったりきます。きょうはぬくいねえ、みたいな。今日はウチの職場はイベントで出勤日で結構な忙しさでしたが、この暖かさは有り難かった。頑張れました。

灰谷健次郎の本、今はあまり読まなくなってしまいましたが、昔学生の時は傾倒していました。今でも頭の中に残っているのが「ぬくい気持ちになります」というフレーズ。灰谷を知ったのは大学生の時。教育学部なのに何で知らないの?と当たり前のように同級生に言われて読み始めました。純粋でした。

ちなみに温いは、ぬくい、だけでなく、ぬるい、とも読むようで。

スケジュールを見れば来週から怒濤のような仕事の数々です。ぬるくやっていてはえらい目に遭います。周りの人をぬくい気持ちにさせるような、などと言うにはまだまだ未熟もんですから、せめて一生懸命に目の前のことを片付けていかねばと、そういう気持ちでいます。

暖かいと前向きです何故か。で御褒美で一本三太郎付き。

冷えたのを呑んでも温い。
この時期にホームで呑めるほど温いとは。

餞(はなむけ)に思う

2013-02-01 22:00:00 | 徒然に2010-2013
縁あって、毎年この時期になると、卒業間近の高校生から「一言」を求められる。毎年書く言葉は違う。そのときそのときで感じることが違うので当然である。
今回も、ぎりぎりまで思い浮かばず、間際に一気に書き上げる。

『区切りですが、終わりではありません。これからも続きます。どこまでも続きます。行く方向に決まりはありません。自分の行きたい方向に進んでください。誰のせいでもありません。すべて自分で背負ってください。でも、人に力を貸してもらうことは恥ずかしいことではありません。一人ではありません。
卒業するみなさんへ Yell』

数時間前に書いたはずなのにもう半分以上忘れている(だからたぶん一部違うと思う)。それぐらい感じたままに記している。
背負うという言葉は贈るにはきつい。でもあくまで自分の人生なのだから人に背負わせてはいけない(「宙船」で中島みゆきも言っている)。助けを借りながら自分で背負ってほしい、と。
瞬時に思ったことを形にするというのは、云い方が少々ずるい。丁寧に練り上げた方がいいとは思う。高校生に贈るのだから、贈ることばなのだからもう少し温かいものを記せば良かったと思ったりもする。きれいもない洗練されてもいない。それでもという思いはある。
終わったことにぐだぐだ迷いつつ、ふと手にしたフリーペーパーを見てまあいいかと思ったりする。何ととなくである。何となくまあいいのかなと。

贈ったことばは、自分に向けられたことばでもある。卒業生への餞は、自分への戒めである。
毎年いろいろ思うことがある。思うことは常に変わっている。