きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

感覚的な部分は回復していないものの

2017-12-13 19:59:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
M病院に転院して1ヶ月。一昨日の捻挫もどきとかで改めて考えてみると、運動機能はともかく、感覚的な面はあまり変わっていないかも、ということを思った。で、先日アップしたK病院での手術後の記録を改めて見てみた。

>動かすこと自体はできているが、脚がどの方向に動いているのかどれぐらい動いているのかは全く把握できない。
→これは、見て位置や動きを調整することを繰り返して改善した部分が多い。しかし、動きの方向や幅の微妙なところはまだ怪しい。
>脚がどの位置にあるのかが分からないとか曲がっているのか伸びているのか全然分からない。
→全くということはなくなったが、細かな位置関係はまだ分からない。脚の位置を見ていないと片方の脚でもう片方を踏んでたりということはよくある。
>両足はもの凄く「冷たい」
→病的な冷たさはない。動かしたときにひやっとする感覚は残っている。
>下腹部は感覚なし
→これも感覚自体は正常になった。
>足の裏は痛い、脚の指はどこを触っているのかは分からない
→これが案外改善していない。足の裏は痛いと言うより痺れで、足の指については右側はほぼ分からない。左は親指と人差し指だけ分かるという感じ。
>腰が痛い。特に寝返り時に左側。
→先日リハで畳に寝っ転がったら、まだ痛かった。病室のベッドに寝ているときやリハの普段使うベッドに寝っ転がるときは感じない。
>下腹や脚に触っても触った感じではなく冷たいとかびりびり痛いとかそういう感じ
→極端な痛みはない。ただ、違和感が全くないわけではなくて、痺れは両足全般に残っている。
>実際には脚はまっすぐなのに、左は膝を立てて右は膝が外に開いている感が解消しない。
→これは手術直後からずっと解消されていなくて、今でも夜寝ていてこういう「錯覚」を感じることはある。ただ、脚が以前より動かせるようになったので、修正することはできるようになった。

今日は、リハの先生がお休みのため代わりの先生に自分の身体の状態を説明することが多かったから、この振り返りはタイムリーだった。
これとは別に、「良くなりたいという気持ちだけでなく良くなっているという筈だという心的ファクターも介入している」「今日もいろいろあったが、痛さや動けなさ等々のストレスは昨日落ち込んだ分、今日はどうだろう」「昼間のリハはかなりテンションが低かったがその後は少し持ち直した」「「諦」めには時間がかかったが、前に進むには必要なこと」「前回はショックが大きかったが、今回は戸惑いの方が強い」「そんなことを考えていれば何ヶ月先か何年先か。若しくはずっとそういうことができない可能性だってある。気持ちは分かるのだが、早く帰って復帰の道筋を考えたいと思うのは悪いことだろうか」等々。

引用が長くなったが、やっぱりあのときは先が見えなくてしんどかったんだろうなということを改めて感じた。
今も細々したことで感情の浮き沈みはある。ただ行動範囲の制約が少なくなったことで随分気持ちは落ち着いてきている。
そして、「リハ庭」で車椅子を漕ぐことも気持ちの安定に寄与している気がする。ストレス解消、とか簡単な言葉で置き換えたくはない。とりあえず、目の前のことに集中するために漕ぐ。のそしてとりあえず、漕いで走ってみてから考える考え直すというのは自分の性分として必要なことなのだろうと改めて思う。

まだまだしばらくはこの窓からこの空を見ることになる。どれだけ変わるかは未知数である。

グレードダウン~AcendMate7からEveryPhoneへ

2017-12-12 18:50:54 | 徒然に2016-2017
先日、メイン機のXperiaを替えた話をしたが、サブで使っている6インチスマホの方は、新しくする予定はなかった。落として画面は結構割れていたし、一度水没させて液晶にムラはあったものの、通常の使用には問題なく普通に使えていたから。また、バッテリも結構持ちが良いので予備バッテリの役割も果たせていた。
ただ、入院しているときに長時間サイトや電子書籍を見るようになって、やはり画面が見えにくいのがストレスになってきていた。ということで、入院という特殊事情も背中を押し、予定外でこちらも新しくすることに(やはり中古だが)。
で、まずはとりあえず安いのをということでタマ数の多いであろう7インチ辺りの中古を物色。するとこれも何年か前に中古で買ったN-08Dが見つかった。価格はビアガーテン行くのと同じか安いぐらい。
これはワンセグが使えるのが良かったが、あまりに動きが遅すぎてどうにもならん。よって、別のを改めて捜すことに。

ということで改めて6インチの中古を物色。これぐらいが、文字を読むのと持ち運ぶのとを考えると丁度良い。入院までは画面が割れたAcendMateで十分だと思っていたのは1日1時間しか使わんからという理由。で、入院するとそれが数時間になった。ただ、それでも暫くは購入を躊躇していた。退院してからも本格的に使うことになるのかどうか怪しかったからである。これまでのように電車とJRで通勤できることになっても、車を使うようになっても、そんなには使わんだろうということ。
で程なくして、中古でそこそこのを見つける。ヤフオクである。相場より値段は高いのかもしれないが、即決価格で落札。価格は新品比で40%オフぐらい。写真で見ると傷はあるにはあるが気にならないだろうと。

傷の他に電源ボタンのへこみ等もあった。これが夜中操作するのに暗がりでややもたつく。まあそれほど大きな瑕疵ではないが。後、儂のAcendMateと同じように水没したのか液晶ムラが見られた。これもそれほどは気にならない。

それより気になるのは、デスクトップのアイコンがでかすぎるぐらいか(ランチャーを別にインストールすれば解決するとは思うがめんどくさい)。
一時、テザリングがうまく切り替えができないとかそういう症状も出たが、とりあえず使えている。何はともあれ、画面が割れてなくて見やすくなった(当たり前)。

因みにスペックを比較してみる。
●EveryPhone
OS Android 7.0
CPUコア数 クアッドコア
内蔵メモリ ROM 16GB RAM 2GB
前面カメラ 200万画素
背面カメラ 800万画素
画面サイズ 6 インチ
画面解像度 1280×720
バッテリー 3000mAh
サイズ (H)164.5mm(W)82.8mm(D)8.9mm
重量 約195g
SIMスロット数 2つ

●AcendMate7
OS Android 4.4(→6.0可)
CPUコア数 オクタコア
内蔵メモリ ROM 16GB RAM 2GB
前面カメラ 500万画素
背面カメラ 1300万画素
画面サイズ 6 インチ
画面解像度 1920x1080
バッテリー 4100 mAh
サイズ (H)157mm(W)81mm(D)7.9mm
重量 約185g
SIMスロット数 2つ

完全にグレードダウンで、購入後、別の日に確認したら中古市場で当たればそう値段差はなかった。ただ、捜していたときは、AcendMateが出てなかった。そういうタイミングの問題ではある。
グレードダウンとはいえ、電子書籍リーダー的な使い方しかしないので、これで充分というのも実際にはある。特に背面の手ざわりの良い素材(何て言うのか分からん)は所有しているソニーのPRS-T1と同じ。これは持ちやすいので案外重要(さっきアマゾンで見たら大枚1枚ぐらいしていたソニーの電子書籍リーダーを儂は展示処分品でイチキュッパで購入している)。
それでも、退院したら、割れたAcendMateの方を使うかもしれないと思ったりもしている。

感覚的な部分の違いか

2017-12-11 17:49:38 | 脊髄内血管腫との邂逅
今朝は寒かったらしい。
リハの先生、皆さん「寒かった」とおっしゃる。儂自身はもう気温が上がってから庭に出たからなのか、まあまあ寒いぐらいにしか感じなかったのだが。そのとき気温が上がっていたのかどうかはわからないが、それでも今日は9時には外に出て、リハとか導尿とかお通じの処理とかの合間を縫って4回漕いで計90周で9キロ。疲れの感覚は麻痺してなくて、リハの筋トレとか歩行器での歩行とかマシンでの歩行とか合わせて結構疲れた。こちらが主であるので当然だが。
昨日の捻挫っぽいのも、元々痛かったり感覚が鈍かったりする箇所のせいかあまり影響はなかった。とりあえずほっとした。歩行訓練のときに、捻ったり右膝が折れたりして、リハの先生はヒヤヒヤしたようだが、自分としては一応想定内。

夕方、研修医のS先生が病室に来られた。いろいろと話を伺っていると、K病院の方にも通っておられるとかで、担当だった神経内科や脳外科の先生に儂のことを聞かれるらしい。有り難い話だと思った。

お医者さんって、もっとほったらかしだと思っていたしそれは仕方がないことだと思っていたから、結構嬉しかった。

写真は、先週撮影した朝焼けと夕焼け。日差しが差せば気温が低くてももう少し温かさを感じると思うのだが。

困ったり有り難かったりほっとしたり

2017-12-10 19:05:02 | 脊髄内血管腫との邂逅
ここ一週間の雑記。

今週は「切れたように」甘いモノを食う。全然止まらん。この日は先日のムスメの土産を。

その火曜日、実家の両親が来る。親が見舞いに来るというのはなかなか微妙である。
リハビリで「元通りに」というのが頭にある分、求めるモノの水準が違う。違うから、例えば「歩けるようになった」という状態は通常の歩行しか頭にない。「平行棒で」「歩行器で」というステップは肯定的に評価するわけではなく、逆に「そこまでしかできない」という否定的な評価にしかならない。我が子のことだから、当然といえば当然なのかもしれない。
だから、親が来ると「どこまでできるようになったか」という問いにはあまり具体的な答えを返さない。母親はいろいろ根掘り葉掘り聞きたがるのもあまり気持ちのいいものではない。結局「まだまだ」という返事をして帰って貰う。実際、日常生活レベルからすればまだまだではあるのだが。

水曜日、Nさんが娘さんと一緒に来る。和む。ウチにもこういう時代が確かにあった。よくよく考えてみれば、兄妹で2つ違いはウチと同じではないか。かあいい。

折角来て貰ったのに、リハで慌ただしくなってしまった。子供さんのおやつをぶんどってしまって申し訳ない。ありがとうございました。

土曜日、職場の上司が文書を持って来る。わざわざ。申し訳なく思うと同時に有り難い。「以前の職場にいた同僚に似た病気(脊髄梗塞)になった人がいて、時間はかかったけど復帰している」というようなことを言われ、励ましを受ける。気持ちが有り難いし嬉しい。
土曜日はもう一つ。I君が来る。

I君も脊髄損傷の知人の話をしてくれた。いろいろ大変ながら実際に生活している人の話は身近に感じる。
I君、本をおいて帰ってくれた。勿体なくてまだ読んでいないが、楽しみである。有り難う。

紙の本も読みあさり、残り2冊になった。またしばらくは買い置きしている電子書籍になると思う。転院してから小説を良く読んだ。30冊以上。これは後日。

日曜日、職場の上司が来る。新聞記事見ましたかと。地方紙に載っていたとある中学生の作文に、仕事で自分が関係したサポートに関する話題がちょこちょこと。こういうことがあると率直に嬉しい。真面目にやってて良かったと思う瞬間である。

最後に、自己導尿には大分慣れ(少し痛いが)、自力排尿も少しだけだができる機会がちらほら出てきたが、尿漏れは頻繁。また、昨日下剤飲んだので今日はお通じがある予定だったが、残念ながらなし。この辺りはまだまだ我慢か。

ヨメさんが買ってきてくれた高いヨーグルト。効いて欲しいがな。

蛇足。リハはこの一週間結構ハードになった。腹筋とか腕の力とか脚の力とか。

歩く方は、ぼちぼちクロックスではなくて、運動靴でやるかと家からランシュー持ってきて貰ったが、唯一残っているのがきつくて履けない。この他にあるのは全部外側がちびているので使えない。安いのを買うかと検討中。面倒くさい。
筋トレは、まだまだだが。

ベッドで多少傾斜をつければ、手を使わずに身体が起こせるぐらいになった。

左脚が上がってしまうので、右を上にする必要がある。逆に言えばこうすればできる。これは新しい発見。

で、蛇足の蛇足。その左脚。さっき、車椅子を漕いでいるときに、左脚を「落とし」て捻る。これちょっとやばいか。明日が心配。お通じの具合よりも。

歩く速さではあるが2時間

2017-12-09 20:14:35 | 真面目な練習
土曜日で、リハの時間が少ないので走った。

病院の庭(1周100メートル)を80周で8キロ。2時間で。まだ地面には昨日の雨が残っている。
午前中は1時間40周走ったので、今日だけで合計3時間12キロ。
1キロ当たり15分というと歩く速さだが、このペースを維持しようとすると、結構全力に近い。というよりほどほどで走ろうとかすると本当に前に進まないし何よりも寒い。今日の昼御飯はうどんとおにぎりとクリームコロッケという炭水化物のオンパレード(先日のヤキソバとおにぎり同様、ここ10年ぐらいこんな組み合わせで食べたことがなかった)だったので、帳尻合わせの「ラン」にはなった。
12月に初めて走ったときは2分近くかかっていたのだが、この一週間でかなり効率よくなった。それでもまだまだ遅いがそれでも。
速い遅いより2時間続けて走れたのが何よりの収穫といえる。以前は長く漕いでいると足の付け根が痛くなったりもしたが今日はそれもなかったし。

今借りている車椅子である。自分のならもっとフィットするのかもしれないが。

その後のリハはかなりきつかった。
今日は久々に「真面目な練習」のカテゴリーで投稿。

入院時の読書記録~K病院編

2017-12-07 17:45:22 | 脊髄内血管腫との邂逅
M病院での55日間での読了記録。この時期は、活字を追うモードではなかったこともあり、いつもに増して斜め読みが多かった気がするし、雑誌っぽいのが多く、小説はほとんど読んでいない。読んでも短編や「超」短編ばかり。

家の紙の本はまだ手元になかったので全てタブレットか電子書籍リーダーである。タブレットは、AcendMate7の画面が割れて見づらいので、入院限定で使うつもりで7インチのN-08Dの中古を買ったが、動きがもっさりし過ぎて使えなかった。で結局AcendMate7と同じ6インチのEveryPhoneの中古を買った。ベッドで横になって見る分には、この大きさは疲れなくていい。
詳細は後日。

9月27日読了 天皇家の謎
9月27日読了 京都ルール
9月28日読了 北朝鮮の歩き方
9月28日読了 イギリス写真旅行記(読みかけ仕上げ:タブレット)
9月28日読了 ラオスにいったい何があるというんですか(村上春樹・再読)
9月28日読了 うんちく居酒屋(読みかけ仕上げ)
9月29日読了 東京だより(短編・太宰治)
9月29日読了 チャンス(短編・太宰治)
9月29日読了 一燈(短編・太宰治)
9月29日読了 日本の変な風習(読みかけ仕上げ)
9月29日読了 日本の苗字
9月30日読了 トカトントン(短編・太宰治)
10月1日読了 檸檬(短編・梶井基次郎)
10月1日読了 昭和の犬(姫野カオルコ)
10月2日読了 広島ルール
10月4日読了 不思議な君が代
10月4日読了 終着駅紀行
10月5日読了 それでも彼女は生きていく
10月5日読了 鉄道旅行の楽しみ
10月5日読了 サライ・2014年10月号(読みかけ仕上げ:タブレット)
10月5日読了 ソトコト・2013年6月号(読みかけ仕上げ:タブレット)
10月11日読了 すべての雲は銀の・・・(上)
10月11日読了 日本人の知らないアフリカ
10月12日読了 本当は怖い日本の昔話
10月16日読了 ザーサイの思い出(江国香織・再読)
10月20日読了 二十世紀騎手
10月20日読了 禁酒の心
10月20日読了 サライ・2014年12月号(読みかけ仕上げ:タブレット)
10月24日読了 爆笑問題の日本史原論
10月25日読了 理工学部卒のお坊さんが教えてくれた、こころが晴れる禅ことば(再読)

手術してからは一冊も読んでいないが、昨日アップした記録を見ればこれも仕方のないことだと思う。
転院してからは、結構な活字モードに入っている。
詳細は後日。

記録8~見通しの持てない不調

2017-12-06 07:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
38日目:10月28日(土)手術2日目
深夜、だいたい消灯後で日付が変わったぐらいから、身体が悲鳴を上げたかのようにギシギシと痛む。下半身はよく分からない。背中とか頭とか。看護師さんが替わった辺りだから2時ぐらいか、その後、急激に悪寒が始まる。対応した看護師さんは、毛布と電気毛布で対応。しかし、何で熱を測らないんだろうかと。結局別の看護師さんが対応したのが4時過ぎぐらい。39.9度。アイスノンで39.4度、結局座薬を処方されたのが5時ぐらいらしい。座薬を入れてからは程なくして震えが止まり。そして7時ぐらいになって漸く37.5度。夜中の不調時は、時計はおろか眼鏡は手元にないし補聴器もないし(座薬対応の看護師さんは手話で対応してくれたが)、時間が分からない不安さもあって一番苦しかった。身体も当然動かせないし動かないし。手術はもう絶対しないと決めた。
後でいろいろと計算すると、自分の時間の感覚(進み方)と実際の感覚は大体2~3倍ぐらいずれていた。結局ほとんど寝ていない。
7時に採血。眼鏡と補聴器をもらう。採血はさっきの毛布対応の看護師さんがしたが、失敗。2回目は別の看護師さんがしたがこれも失敗。一般病棟で採血レベルの簡単なことで失敗したことがなかったので、少々気分が塞がる。しかも2回目失敗した看護師さんから「痛いのは駄目ですか」と言われ。痛くても構わないという人がいるのだろうかと腹も立った。夜中痛みと悪寒できつかったこともある。「採血3回目ってありえないと思いますが」と反すのが精一杯。3回目、漸く成功。どちらも経験が少ない人だったのだろう。
朝は水分はOKだったので、ごくごく摂取したが、それでも満足できる感じではない。喉の渇きと動けなさとで不安な時間が続く。
8時ぐらいに別の看護師さんがラジオを持ってきてくれる。9時に身体を拭いて貰う。
10時にI先生が来られ、CTへ。休日もガンガン稼働している。結果を確認後、背中に付けていたドレンチューブを抜いて貰う。熱も落ち着いていたし、予定通り一般病棟へ、ということになる。30分ほどじっと天井を見て過ごす。
11時、よく知った看護師さんが2名迎えに来る。今日は個室に入る。個室はテレビが無料なので即付けて貰う。まだICUを出たからといって自由になるわけではない。明後日の昼までは完全安静状態で、食事の30分以外は身体は起こせない(だからベッドのリクライニングも自分ではできない)。これがかなりつらい。
11時40分、昼食。メニューを記録したりとかそういう気分ではないのでやっていない。本当に何を食べたか旨かったかほっとしたかよく覚えていない。手短に薬飲んで歯磨きまでしてからすぐに横になった。折角の差額ベッド料大枚分の個室だが外は見れても空ばかり。それより、動けないから全く意味がない。それでも手術後の対応になるのとここしか空いてないと病棟から説得されて、であるので仕方がない。
何より身体の状態は思わしくない。全体的に身体が痛いだけでなく、①身体の「姿勢に関する感覚」とでもいうか、脚がどの位置にあるのかが分からないとか曲がっているのか伸びているのか全然分からないとか、②「皮膚の感覚」という点で、下腹や脚に触っても触った感じではなく冷たいとかびりびり痛いとかそういう感じしかない。この2点がきつい。修正の仕方も分からないし、脚はまっすぐなのに、左は膝を立てて右は膝が外に開いている感が解消しない。この時点ではそのうち何とかなるだろうと思っていたが、手術して9日目のこれを打っている今日(11月4日)も全く変化がない(※)。脚はわずかに動く。この点は、ドクターを始め安心している空気は伺える。

※この項を入力しようという気になったのは「諦」めたからではある。「諦」めには時間がかかったが、前に進むには必要なことである。このことは11月7日「観」にて記した。

13時、ヨメさんが来る。安心感からいろいろと昨晩のことについて話す。40分後に帰る。その後はテレビを見たが、テレビを見ると右ばかり向くので、時々左向きになって窓から空を見ていた。点滴は全く痛くないが、ラインを取っているところは手の甲だった(手術室で処置した)。針を刺すときは大変そうだが、今は楽なので有り難い。で、夕食を取るときに少しだけ夕景を見て、再び天井を見る。20時の体温は38度。21時に
寝るが、24時に体温を測ると38.5度まで上がっていて、結局座薬を入れて貰う。座薬を入れる感覚すらよく分からない。いろいろ気がかりなことはたくさんある。

39日目:10月29日(日)手術3日目
6時、起床。テレビを付ける。前の日寝ていなかったからか、睡眠時間は約8時間。水300ミリリットルぐらい摂取。寝たままなのでストローで飲む。これができるだけでも有り難い。

テレビを付ける。個室なので音はあまり気にしなくていい。
7時、朝食。

暫定的に術後管理する上でI先生の指示があったのかもしれない。パンがおにぎりになっていた。別にこれはこれで旨い。

景色を名残惜しみつつ、リクライニングを倒して天井を見る。
9時、I先生が来る。傷口の確認と、点滴、投薬の指示。

今晩終了するらしい。経過は順調のようで、明日からは大部屋でOKらしいが、看護師さんが「空きが」と曰う。どうなるか。手術の経過そのものは悪くはないにしても術後の身体の状態はかなり良くない。脚の感覚異常は続いている。動かすこと自体はできているが、●脚がどの方向に動いているのかどれぐらい動いているのかは全く把握できない。他、●両足はもの凄く「冷たい」、●下腹部は感覚なし、●足の裏は痛い、脚の指はどこを触っているのかは分からない、●腰が痛い。特に寝返り時に左側。でこの黒丸の項目は、この日の様子について翌日にメモをとったものだが(まだ起きあがれないので)、これが全然回復していないのだなと、今(手術後8日目:11月4日)改めて感じる。
11時50分、昼食。

メモなし。
14時20分、ヨメさんが来る。駅伝見ていたこともあり、早めに帰る。

その後は覚えていない。
17時50分、夕食。

メモなし。

終了後は、日本シリーズを見たりスマホを見たり。
21時30分、最後の点滴開始。
22時30分、看護師さんの好意で、点滴を抜いてから就寝。

感慨深い。

40日目:10月30日(月)手術4日目
6時、起床。睡眠時間約6時間半。水300ミリリットルぐらい摂取。2人部屋。足を上げたままで新聞。
7時10分、朝食。

おにぎりメニュー。メモなし。
8時50分、I先生回診。術部のガーゼを取る。ふろOK、車椅子OKの指示。起きあがる(想像していたより早かった)。これから暫くは頭痛が出たら安静状態に戻らなければならない(髄液の漏れのため)、とのこと。

手術時のみ点滴をしていた左手がまだ痛い。
9時20分、シャワー(予想外に早い)。洗って貰うこと自体が痛い。
9時40分、終了。ベッドへ。
10時20分、部屋替えが決まる。

個室の景色はわずかだったがこれで終了。新しい部屋は「音がうるさいです」とのこと。結構「叫ぶ」方がおいでのようで。実際は全く気にならなかった。叫ぶ人がいるのと、看護師さんが「○○さん」と絶えず呼び掛けなければならない覚醒レベルの人が多いのが「うるさい」理由でもあることに後から気付いた。ここナースステーションのど真ん前だし。
10時50分、●立つ練習8秒できた(考えてみればこの日が立つことに関してはピークである廊下の手すりでこれができたということ自体)。身体の感覚は、またこのときは停滞していたわけでもないのかもしれない。その後デイへ。
11時40分、戻る。

ここから大部屋へ。窓際になる。有り難い。

昼間は暑いので敬遠される人もいるとか。動ける人なら行きたいときだけ移動というのもアリなんだろうか。動きに制約のある儂にとっては外が見れること自体が有り難い。何せこの9階生活長い。
起きあがれて気持ちが上向いているのか、脚の感覚は気になるものの、まあ少しずつという気持ちもある。身体を起こせることの有り難さ。車椅子にも乗り、シャワーもした。一気に絶対安静の制限が解除された。昨日の夜に点滴も終了した。本当に涙か出るぐらい嬉しい。ようやくごぞごぞ活動しようという気になっている。I先生に患部を確認してもらいながら、そういう大丈夫を一つずつ確認している感じ。昨日に比べて●「脚の冷たい嫌な感覚が太股の部分はなくなってきた」という当日走り書きを目にする。良くなりたいという気持ちだけでなく良くなっているという筈だという心的ファクターも介入している。実際に振り返ってみると、細かな場所の違いや当てる感覚の違い(針みたいなものかやや太めの筆みたいなものかといった物理的刺激と面積)、接地面等々で感じ方は随分異なるから、これも正しい部分有り、誤認の部分有りといった感じか。
11時50分、昼食。

メモなし。まだ記録とかできていないためか。それとも気分の問題か。後者も理由としては大きい。
12時20分、ワンセグでテレビ。
13時20分、リハ。この日はベッドで感覚の確認とストレッチ、車椅子への移動。
14時20分、終了。

そのままPCでいろいろ検索。
16時00分、尿を取りに来て貰ったついでで車椅子への移動をお願いする。以前に比べて大仕事になっている。完全介助での移動。わざわざナースコールで行くのはますます気が引ける。で、デイルームへ。●車椅子に乗ること自体も踏ん張りが効かなくてふわふわする。●脚の踏ん張り感は全くない。まずは腕の力だけで何とかしていくようにしないと。

それでも、絶対安静からこの時点で一気に何もかも解除になっていて、それで充分凄い(手術の跡が気になってきたのは、全身の違和感がなくなってきたからかもしれないとの走り書きもある)。腰の痛みは少なくなってきた。
17時40分、夕食。

因みにまだ座ってではなく、ベッド上でである。終わった後で、ややお腹が痛い。夜景が見えるのは有り難いが、お腹が痛いのが気になる。
18時10分、ヨメさんが来る。
18時30分、ヨメさんが帰る。記録メモを取り始める。
21時、カーテンを閉める。下剤を飲む。排泄関係はそれ自体が心配である。
21時30分、就寝。
22時30分、目が覚める。腹痛。下剤が効くには早すぎると思いながら、しばらく我慢する。
23時40分、我慢できず、ナースコール。腸ではなくて膀胱の方だった。少し箇所が違うと感じた(このこと自体は内臓の感覚が残っているのか)。導尿カテーテルのチューブが捻れていて、全然尿が出ていなかった。約800ccぐらい排出したとのこと(術後から生じたこの事態に今もちょくちょく悩まされている)。

41日目:10月31日(火)手術5日目
3時、目が覚める。腹痛。昨日と同じ辺り。導尿カテーテルの「折れ」を確認。脚を動かすとお腹が痛い。左の正常な感覚は戻っていない。右は動かない。背中は痛い。昨日と変わらずというより後退した感じもする。
6時、起床。起きあがれず。睡眠時間約3時間。
6時20分、悪寒がする。震えが止まらない。
6時40分、体温38.7度。座薬を処方して貰う。
7時10分、震えが治まる。
7時20分、朝食。

おにぎり食。
8時30分、新聞4日分読み始める。汗をかき始める(調子が戻ってきた証拠)。
9時、体温36.7度。
9時10分、I先生回診。今後熱が続くようなら抗生剤投与もとのこと。思わぬ不調に気が滅入る。程なくして新聞を読み終える。
10時、脳外科総回診。その後看護師さんに朝御飯の件(おにぎりからパンへ)とカテーテルの件(排出のチューブの位置を変更して貰う)を相談。後者は結局いろいろ言われて却下。

おまけに窓際のカーテンまで閉められ絶句。依頼する相手を間違えたと言うこと。
10時10分、浣腸。浣腸が入っているのかどうかも分からないのに加え、排泄できたのかどうかすら感覚がない。「膀胱直腸障害」にどう対応するか。もっと気が滅入る。直後、O先生が来られる。感覚とか運動機能とか尋ねられるが芳しい応えは出せず。大腿部を触って貰うもちくちくしてあまり良い感じではない。
10時30分、浣腸後の処置をベッドでしてもらう。入院当初の排泄はこれがもの凄く抵抗があったのだが、今はあまり抵抗がない。気分的なものではなく、本当に排泄の感覚がないので仕方がない。
10時50分、処置終了。放心状態で休む。
11時20分、立つ練習。昨日のようにはできず、膝から崩れる。デイルームへ。

ぼぉーっとする。
12時、ベッドに帰る。昼食。

車椅子に座ったままで。

大部屋オープンスペース状態。気にせずに。終了後、タブレット、記録など。良くならんでもいいかという気持ち、仕方がないかみたいな気持ちもあるが、それすら(最低限の生活維持)できないのではないかという不安も。気分の浮き沈みが激しいと感じる。昨日に比べて今日は沈下が激しい。身体を起こせているということより、体調不良と排泄の現実、立てないということが上回っている。
13時10分、リハ。リハ室へ。座ってバランスを取る、補助具を付けて立つ等。踏ん張り感がないのでどちらもふわふわしている。
14時20分、終了。来週の献立希望を書く。1回背中に激痛。1時間程休憩のつもりで、ベッドでごろごろする。
15時50分、尿採取の際に依頼して車椅子へ。

デイルームへ。
16時30分、疲れて戻る。デイルームではほとんどうとうとしていた。
16時40分、体温38.8度。即座薬。横になってじっとする。
17時40分、身体が楽になったので起きる。
17時50分、夕食。

終了後PC見るが腰が痛くて気力なし。
19時30分、横になる。体温36.8度。
21時15分、寝る。結局、術後で一番体調も足の感覚や動きも悪かった。兎に角熱が下がらん、力が入らん、脚も下腹も感覚が改善しない。また、全然立てない、車椅子さえ乗れない、という感じで気持ちまできつくなった。熱は下がったが、今までで一番しんどいように感じた。今晩熱が出たら連続4日だし、どうしたもんかと。でも起きあがらずに横になる時間を増やすぐらいで対策がない。点滴とか投薬(胃腸系以外の)もないし。ゆっくりやるしかないのは分かっているが。天気がいいのが救いか。


42日目:11月1日(水)手術6日目
6時、起床。起きあがれず。睡眠時間約7時間。昨日寝れなかった分寝れたが腰が痛い。尿検査とのこと。採取して貰う。

カーテンを開けて貰う。
7時10分、朝食。今日からパン食に戻る。

ロールパン75とマーガリン、ささみ牛蒡サラダ、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で634キロカロリー・糖質71グラム。35分で。頼んでいたおにぎり食は御飯100グラム(通常量の半分)と同じで、パンとそれを比べると約150キロカロリーぐらい違う、パン75グラムは御飯200とほぼ同じと考えられる。座っていると、左の腰が痛む。熱は下がっているが、今日は安静を心がけることにして横になる。

天気が良い日は窓の外は8時前には眩しくなってくる。

汗が出てくるのが体調のバロメーター。
今日時点で痛いところは、気になる順で●腰、●手術の跡、●股関節、●手術時頭を止めていたところ、●左腰から脚のラインになっている(これが日によって違うことに後で気付く)。
10時、腰が痛くなって、一旦横になる。左右半身の状態で休憩。
10時30分、車椅子に移る。

背中が痛い。
11時50分、昼食。

御飯100、豚肉の鍬焼きと白葱、胡瓜の酢物、キャベツの胡麻和え、柿。以上で364キロカロリー・糖質59グラム。25分で。車椅子に乗ったままで。汗をかく。

安心する。
13時30分、リハへ。太股への触っている感じがやや復活した気がする(が、後で確かめるとちょっと違うので場所とか毎回の感じに左右されている感じ)。左膝は伸びる。踏ん張り感と腹筋はない。腰の痛み軽減のための座布団を車椅子に敷いて貰う。リハに関しては、昨日に比べて一番できない感があって、結構気分的にきつかった。
14時30分、病室に戻る。そのまま車椅子でPC。オープン状態だが、同室の方々は昼寝。メール等々。
15時40分、立つ練習。その後腰の状態を見て貰う。赤くなっていて、床ずれ一歩手前とのこと。今日から強制的に寝返り実施となる。また、そのままベッドで安静状態にさせられる。デイルームに行けず。スマホで以前録画しておいた映画を見る。映画を見るタイプではない。字幕もないし。スマホの画面割れとるし。枕を挟んで腰を浮かせると楽(だがこれをやりすぎて他のところが痛くなることに後で気付く)。
17時30分、ベッドを起こす。外は薄暗い。と思ったら10分しないうちに暗くなった。今日もいろいろあったが、痛さや動けなさ等々のストレスは昨日落ち込んだ分、今日はどうだろう。昼間のリハはかなりテンションが低かったがその後は少し持ち直した。体調も関係しているのか。
17時40分、夕食。

御飯100、鯵の蒲焼きと大根おろし(醤油付)、マセドニアンサラダ、葱とワカメのスープ。以上で418キロカロリー・糖質62グラム。25分で。gooからの去年の出来事メールを見る。ああそうかと思う。
まだいくな
1号が倒れたと聞き、ヒヤッとする。昨日のこと。幸い大事には至らず、病院にも行ったらしい。でも2号のときと同じように、どこまで治療するか迷う。もうそこそこいい歳だし、ヨメさんと意......

18時、ヨメさんが来る。不安やら諦めやらいろいろな思いをぶちまけると愚痴にしかならない。会話ができない。30分じっと外を見たり手元を見たり。この辺りから翌日にかけてが気分的な「底」だったと後になって思う。
19時30分、横になる。体温36.8度。30分後、寝返りのローテを始める。
21時30分、寝る。

43日目:11月2日(木)手術7日目
6時、起床。睡眠時間約4時間。案の定あまり寝れず。寝返りのローテは2時間毎にきっちりして貰ったが、やはり気になった。22時の左向きへのチェンジ後は左足が痛んで24時前にナースコールで向きを変えて貰った。後で考えたら脚の枕がそのままで、脚が捻れ状態になっててかたからではないかと思われた。後、4時の右へのチェンジ時も、かなり左の腰から脚が痛かった。ただ、右向きになると、右側の首と額関節が痛かったりしてかなり無理しているようにも思われた。それからこの時、手術で取った右腕の点滴のラインが結構痛かった。左脚には全体的な「麻痺」感覚がある。右も同じだが感度自体が鈍い。
6時10分、採血。当然1回でOK。体温36.2度。安堵する。
7時10分、朝食。

黒糖パン75とはちみつ、鮭の塩焼きとほうれん草(醤油付)、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で588キロカロリー・糖質70グラム。30分で。
8時40分、横になる。腰が痛い。
9時40分、身体を起こす。
9時10分、I先生回診。尿にバイ菌が少しあったとのこと。ただ状態はいいので抗生剤とかの処置をせず様子見とのこと。
10時10分、腰が痛くなって、再び横になる。さっきと反対側の半身の状態。
10時30分、起きあがり「脊髄内腫瘍」のページを見始める。病院系HPから闘病記Blogへといろいろ見始める。結構シビアなのが多い。漸く種類とか発生率とか手術の諸々のこととかそういうことを理解し始める。それができるようになったということか。どんな形でもいいから社会復帰しなければならないと本気で考えなければならない状況に追い込まれてきたからか。今まで少々甘かったか。いろいろ考えながらページを開ける。
11時20分、シャワー。
11時40分、終了。そのまま車椅子へ。
11時50分、昼食。

御飯100、牛肉巻き、卵豆腐、大根煮。以上で427キロカロリー・糖質56グラム。15分で。車椅子に乗ったままで。
12時30分、ベッドに足を上げる。頭0度足36度で新聞。
13時10分、T先生リハ。途中外来対応で30分程休憩。平行棒に捕まって立つ。身体の感覚はなくても腕だけで兎に角立つ。左の腰の骨が出っ張っているところの痛みは、ここを起点にして力を入れることが多いことも関係しているのではという指摘。
14時40分、終了し病室へ。
15時40分、立つ練習。平行棒の簡易器具で30秒を3回。接地感はないものの、全くできなかったときに比べたらまずまず。ただ痺れは日に日に亢進している気もする。動かしたり力を入れたりしたときの痛みも。良かったり悪かったりを繰り返しながら、やや良い方向ではなくあまり良くない方向に来ていることはうすうす感じる。ベッドに戻る。昨日今日とデイには行っていない。身体の状態を元に戻すべく自粛。
17時40分、夕食。
御飯100、豚とキャベツの炒め物、ほうれん草のお浸し、豆腐の酢味噌かけ、バナナ。以上で453キロカロリー・糖質67グラム。20分で。
18時20分、横になる。ぼんやりと考え事。
18時30分、ヨメさんが来る。今日は面会パスしてとお願いしたのだが。

顔を合わせるな否や缶珈琲とお菓子をおいてすぐ帰った。こちらのきつい状態を分かってくれていることに感謝する。
19時、起きあが珈琲を飲む。

缶珈琲が暖かかった。染みた。
19時20分、ネットで脊髄内腫瘍の闘病記見たり、日本シリーズ見たり。思えば術後、思うようにならないことが多く、こうも状態が悪いとどうしていいのか分からないのは確かで。痺れも痛みももう諦めて何とか少しでも取り戻しておかないと次へ行けないのは分かってはいるのだが、今は1日ごとに調子が変わっているし。ヨメさんに何もしゃべれないのは事実としてある。それでも、今日少しだけ思ったのは、痺れとか痛みとか、気にはなるがそれに囚われてはいかんのかもと。続くというかそれ込みで先に進まないかんのだと。続くのは仕方がないというか想定内で考えていかんと。

走るとかそれどころではないのは分かってはいたが、もっと回復の設定レベルというか求める生活レベルを下げないと厳しい。

手が痛い。相変わらず手術の時に措置した左の点滴のライン。
20時、犬たちの写真が届く。元気でほっとする。
21時、ベッドに横になる。そのまま就寝。

44日目:11月3日(金)手術8日目
6時、起床。睡眠時間約5時間。寝返りのローテは自分でやったり定期的にしてもらったり。
7時10分、朝食。

南瓜パン75、肉団子、コンソメスープ、リンゴ、牛乳。以上で506キロカロリー・糖質64グラム。30分で。
8時40分、横になる。

術後はこれが多くなっている。
9時、起きあがる。
9時10分、I先生回診、左の腰は床ずれもさることながら座骨神経痛様かもしれないとコメント。終わってからPC。
10時30分、O先生来られる。
10時50分、下腹部を洗って貰う。
11時50分、昼食。

醤油飯100、揚げハタ中華餡掛け、南瓜煮物、胡瓜の酢物、蜜柑。以上で527キロカロリー・糖質67グラム。25分で。今日は車椅子に乗らず(看護師さん忙しそうだったので)。汗をかく。安心する。
13時50分、「シャワーを」と言われるが昨日済ませたと応える。忙しそうだが、やはりナースコール使わないとなかなか来て貰いにくい(当たり前か)。ベッド上では、だいたい2時間ぐらいで腰が痛くなってしんどくなる。車椅子ならもう少し長くなるかと思い、時間を計ってみるが、だいたい3時間半から4時間ぐらいかと。
14時20分、車椅子に移動。平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。

デイルームへ。
16時、病室に戻る。そのまま車椅子。
17時40分、夕食。

御飯100、親子煮、豚肉しゃぶしゃぶサラダ、ほうれん草炒め、スタミン。以上で552キロカロリー・糖質63グラム。15分で。
18時10分、ベッドで休む。
18時50分、ベッドを起こす。
20時、下剤。明日はどうなるか、と思う。
21時30分、寝る。

45日目:11月4日(土)
6時、起床。睡眠時間約6時間半。寝返りはOK。

脚の痺れと痛みは変わらず。夜中に一度、寝返りで左脚痛み始めるが、1時間半程まっすぐにすると治る。対応策が分かれば何とかなる部分もあると思う。これとは別に、痛みや痺れそのものをどうこうしようという気持ちは無視する。それとは別にこの日の痛みは、尻の骨に当たっている部分から左の腰全体に広がった感がある。身体のあちこちの痛みはコリみたいなものかもしれないが。プラス全般的な体力低下も感じる。上半身の筋力アップとか必要か。
6時30分、看護師さんの指示でストッキングを脱ぐ。体温36.3度。
7時10分、朝食。

ロールパン75プラスいちごジャム、ハム野菜炒め、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で600キロカロリー・糖質84グラム。30分で。
8時30分、横になる。看護師さんの指示。
9時10分、起きあがる。
9時30分、横になる。今度は自分で。腹痛も関係している。感じるようになったのは9時ぐらいだが。
10時、起きあがる。同時にI先生回診。痛み止めを試すように指示。
10時10分、脳外科総回診。
10時20分、腹痛が続くので見て貰う。いつの間にかおむつの中に失敗している。出した感覚がないので、戸惑う。処置して貰う。これが今後続くとなると、なかなか厳しい。前回はショックが大きかったが、今回は戸惑いの方が強い。終了後、身体の状態確認。
11時、起きあがる。読書。禅のコトバの本。万事休すは元々は休息万事だったらしい。ということは、もうおしまいではなく一旦リセットして位置から考え直すということ。他、ネットで「是非に及ばず」を引く。仕方がないとかやむを得ない、或いは、あれこれ考えるまでもないなど様々な解釈がある。
11時50分、昼食。

御飯100、豚肉の中華春雨、キャロットスープ(とあったがコーンスープだろう)、フレンチサラダ、バナナ。以上で487キロカロリー・糖質71グラム。20分で。今日も車椅子に乗らず(看護師さん忙しそうだったので)。
12時30分、痛み止め服用。

「ロキソプロフェン」(消炎鎮痛剤)とか。年末調整の書類を作成する。
13時30分、作成終了。
14時10分、車椅子に移動。この間にシーツ交換。
15時30分、平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。ストッキングを履かせて貰う。

デイルームへ。
16時40分、病室に戻る。

そのまま車椅子。
17時40分、夕食。

御飯100、焼き豆腐海鮮餡、切り干し大根煮、キャベツ和え物。以上で454キロカロリー・糖質59グラム。15分で。72時間テレビ視聴。
18時20分、ベッドへ。この日は車椅子約4時間。やはりしんどい。
19時10分、ベッドを起こす。
21時、痛み止め貰う。
21時30分、寝る。

46日目:11月5日(日)
6時、起床。睡眠時間約7時間。痛み止めが良く効いた様子。長いスパンで睡眠が取れる。ただ5時ぐらい前から腹痛あり。おかしいなと思いつつ看護師さんに言うと、おむつが汚れているとのことで、処置して貰う。これはいつのかいつからか、と朝から憂鬱になる。おまけに腹痛は解消していない。
7時10分、朝食。

黒糖パン75とマーガリン、ハムサラダ(ノンオイル胡麻ドレ付)、トマトスープ、リンゴ、牛乳。以上で564キロカロリー・糖質61グラム。30分で。腹は痛くても、食べられないと言うことはない。
8時10分、腹が痛い感覚が、膀胱辺りのような気がするのでナースコールの前に、チューブを上げたり身体を横にしたりしてみる。どうすれば出るのかよく分からんが膀胱に滞留していたのは確かで、700cc出た後でやれやれと横になっていたら更に300cc程排出されていた。どうやって出すのかを追究する必要がある。それがコントロールできれば良いが。
9時40分、横になって休憩。
10時、起きあがる。I先生回診。右足の膝がぽんっという感じで上がる。痛みや痺れはどうしようもないが、運動感覚自体は少しずつ(本当に手術前の少しずつの100から10分の1ぐらいの「少し」)戻っているのかも。その後、脳神経外科総回診。タブレットで大学駅伝を見ていたので、何処が一位?青学は?と聞かれ東洋ですね青学出遅れてますと応える。そして看護師さんによる脚の機能的な部分の確認。
11時40分、車椅子に乗る。
11時50分、昼食。

ごはん100、鶏ソテー薬味ソースと白菜、肉団子汁、おろし和え、オレンジ。以上で373キロカロリー・糖質51グラム。15分で。この病室はカーテンを開けてオープンで食べるのが基本パターンらしい。郷に入れば郷に従えで儂も。今日はいもはナースステーション傍で過ごしているじいちゃんが介護付きで目のを前で食べている。自分で食べるのはもう一人隣のじいちゃんで、この人は点滴も取れて受け答えもはっきりしているので、恐らく退院間近のような気がする。斜め前のじいちゃんは完全介護が必要で、どうしても食べられず、今日から流動食になった。介護が筆よな人が多いから、カーテン開けた方がいいんだろうな。儂もゆっくりゆっくりいただく。今日の献立は、鶏ではなく魚にした方がよかったかもと前のじいちゃんを見ながら思う。
12時30分、再びお腹がしっくり来ないので、朝の要領で尿を出す。500ccぐらい出る。楽になる。きちんとカテーテルが入っているのだろうか。左の腰の痛みはそれほどでもない。車椅子の肘置き(名称不明)を持ってプッシュアップを数回。おならのにおいがするが、大丈夫かと不安になる。当然失敗した感覚はない(音も含めて)。不安なまま後で見て貰うことに。
13時50分、平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。そのまま車椅子。部屋の見晴らしは悪くないので、このまま記録の入力作業。
15時、デイルームへ。

結構見舞いの人が一杯。
15時40分、病室に戻る。そのまま車椅子。戻る頃には、儂ともう一人の入院患者しかいなかったので、もう少しいても良かったが。
16時40分、ヨメさんが来る。書類書いたり、汚れ物交換したり。72時間テレビは見ていないらしい。珈琲をいただく。ヨメさんは完全に治ってから帰ってきて欲しいだろうが、そんなことを考えていれば何ヶ月先か何年先か。若しくはずっとそういうことができない可能性だってある。気持ちは分かるのだが、早く帰って復帰の道筋を考えたいと思うのは悪いことだろうか。
17時40分、夕食。

御飯100、おでん、蒸し魚餡掛け、野菜盛り合わせ(ドレッシング付)。以上で442キロカロリー・糖質57グラム。20分で。メインのおでんの選択は改善を要する。サブに時々出てくる煮物の方が旨い。
18時20分、ベッドへ。横になる。今日は6時間半。プッシュアップの回数を増やす必要有り。
18時50分、ベッドを起こす。72時間テレビを見ながらだらだらと。
21時30分、寝る。今晩は痛み止めはないがどうなるだろう。

入力完了日:11月4日、5日。

3週目が終わり4週目に入った

2017-12-05 19:26:01 | 脊髄内血管腫との邂逅
前のK病院に入院したのは晩夏の頃。このM病院に転院したのは3週間前。

で、もうこういう感じの頃。1日1日はさほど変化がなくても、3週間前に比べるとかなり状態が違うということは確かに感じる。特に12月に入り、導尿のカテーテルがなくなって、自己導尿になったのは大きい。
それ以外でも、脚の踏ん張りの力や動き、車椅子の乗り移り等の動作はスムーズになった。ふくらはぎや太股の太さも少しは戻った(太くなった)ように思う。腹回りも結構ぽてっとしてきたが、これは入院中は目をつぶることにする。

甘いものが唯一の楽しみなので。Gさん感謝。

日常生活動作に関しては、立った状態で片手で何かができるというのが一つの鍵になる。例えば、トイレの手すりにつかまり、ズボンを下ろしたり履いたりというのはその典型。
で、月曜日にトイレ移動の様子を看護師さんと介護福祉士さんに確認して貰う。リハ(OT)の先生に指導して貰った通りに行う。さながら「検定」のようであった。
これに伴って、土日はベッドサイトでしかしていなかった自己導尿がトイレでもスタート。便器に座ってみると、カテーテルを入れなくても、タイミングによっては100~300ミリぐらいは出るようである。ただ、トイレに行くタイミングが難しくて空振りしたりパッドに出てしまっていたりということもある。指定された6時間ではパッドに出てしまっていることが多い。4~5時間で排尿プラス自己導尿で500~600ミリぐらい。尿漏れ防止のために、自己導尿以外の「自力」での排尿のタイミングや状態を暫く探っていく必要がある。まだ看護師さんのサポートが必要で、全部自分という訳にはいかないが、とりあえず紙オムツから紙パンツになった。これも一歩前進。

「庭走り」は続けている。昨日は40周(約3.6キロ)で53分30秒、今日は50分50秒。平日は時間が取りにくいがこまめに走っている。

これまで病室に迎えに来て貰っていたリハ室への移動は、自分1人でするようになった。自室に戻らなくても直接庭に行けるのは良くなったが、自己導尿とか排泄とかに結構時間を取られる。
身辺自立のためのリハなので、これは当然のことである。自己導尿は20分ぐらい。トイレに座り、排尿を試みるのも15分ぐらいかかる。お通じもトイレに座って、という形で座って力を入れるという練習もするとなると、1日のうちでリハ1コマでは終わらんぐらいのようにも思う。
昨日は初の「中2日」でお通じがある(但し前日下剤の浣腸+摘便)。これだと3日毎ということになるから、これぐらいのスパンでかつ他に「失敗」がなければ許容範囲である。車椅子で外に出て動くようになった効果なら嬉しいのだが、こればかりはまだ何とも云えん。

今日、K病院(神経内科)でお世話になった研修医のS先生がわざわざ病室に来られる。気遣いを非常に有り難く思う。1ヶ月ほどこちらで研修とのこと。

まだまだいろいろなことがあるのだろう。

第3コーナーから第4コーナー」なら残り直線勝負なのだが、残念ながらまだまだ1周目(1ヶ月目)という感じなのでとりあえず自分の状態を確認する、みたいな段階か。

週末、車椅子でぐるぐる

2017-12-03 20:14:34 | 脊髄内血管腫との邂逅
土日と天気が良くて有り難かった。

外の空気も満喫できた。
で、先日記したように師走に入ってすぐの金曜日から「自己導尿」になった。

カテーテルを常駐させるのではなく、排尿時に1回1回カテーテルを自分で入れて尿を出すというもの。木曜日の泌尿器科の診察でドクターが「難しくないから、気楽にやってみてください」と本当に難しくなくて気楽にできそうな感じで曰っていたが、自分が考えているよりも確かにそうだった。

まだうまく出てこなかったりするし、毎回「ちくっ」という痛みにおっかなびっくりしているのは確か(20センチぐらい入れる)。6時間おきにしなければならないので、これも面倒といえば面倒だし、「ちくっ」があるので緊張するし。加えて6時間おきどころではなくて、お腹が張ってきて3~4時間おきに導尿する時間帯もあった(それでも400~700ミリぐらい出る)。ベッド上で看護師さんにサポートしてもらいながらなので、今は割合大変である。
それでも、これによって風呂が面倒でなくなっただけでなく、ベッドに上がるのと外の庭に行ってもいいことになり、行動範囲が広がった。

外庭はリハで使うこともあり(というよりこのためだと思う)、他の患者さんがよく歩いている。兎に角外の空気に、という感じの散歩もよく見られる。適度の傾斜があってぐるりと1周できる。今日リハの先生にお聞きすると、大外なら約100メートルということだった。内側なら85から90メートルといったところか。

そこを走るとだいたい1分半から2分ぐらいで行けた。ということで、初日は前に記したように30分ぐらいやってみたが、この土日はリハの1コマである40分を最低ラインとして続けられるようにとやってみた。天気が良かったので、何というか有り難かった。

土曜日は午前40分で27周、午後60分で31周。午後は、親指の付け根の皮が向けてきたので、家の手袋を持ってきて貰ったが、滑ってしまい、かなり遅くなったこともある。それでも1時間は続けることができた。
日曜日はリハの先生が手袋を貸してくださり、それで走った。午前40分で25周、午後82分で50周。午後は、後10分続ける予定だったが、左脚の付け根が痛くなったこともあり、切りの良いところで止めた。長く走ると、姿勢も崩れるし痛いところも出てくる。短い距離では分からない部分が出てくるのは走るときと同じだと思った。手袋は本当に有り難い。予定の時間はクリアできなかったが、1時間20分で約4.5キロは今の段階では充分だろう。
車椅子を漕ぐこと自体、あまり運動にはならんだろうなと思っていたが、それでも、天気が良いときに外に出ないのは勿体ないので、ぐるぐるぐるぐると同じところを回りながらひたすら漕いだ。ゆっくり漕ぐと運動にならんので一定のスピードを維持することが必要だと思った。だから、周回ごとに時間を確認しながら漕いだ。今日の午後は初めて汗をかいた。長Tだけで。

漕ぎ方にはロスが多いのだと思う。腕だけではなくて、上半身全体で漕ぐ必要があると感じた。これもある程度量をこなす必要があると感じた。
もう一つ気がついたのは、力を入れて漕いでいると姿勢が崩れる。知らない間に左脚を「落とし」たり、身体が右側に倒れたりしていた。気がつかなかった。身体の傾きは、背中を背もたれに付けなければ割合まっすぐになっていたので、しっかりと漕ぐ要領も含めて、練習していく必要がある。

今日はリハが2時間から3時間に変更になり、みっちり歩く練習もできた。ヨメさんが買ってきた近くのパン屋のチョコパンぐらいのカロリーは消費できたかなという感じ。最近、珈琲とお菓子をつまむのを楽しみにしているので、天気の良い日はこまめに出ないかんかなと(実のところ、それぐらいでは済まないぐらいに「狸のお腹」になっているが)。
昨日などは昼とか15分ぐらい居眠りしていたが、これは夜の寝不足だけではないと思う。運動量自体は大したことはないのだろうが、身体を動かすということ自体は必要だろう。

この土日は、風呂と食事のときに「助けてくれ」「早う」と弱々しい声で叫ぶじいちゃんが出力「全開(風呂で一緒になったときは、補聴器を外していたのこともありどこから声がしとるんかと不思議だったが)」になっていると思ったら、その夜は斜め前のじいちゃんが「おーい、おーい」「外してくれ」「(家に)帰してくれ」と就寝時に大声で連呼し、病院感かなり高めの日々だった。
自分としては、自己導尿がとりあえずスタートしたし、お通じの翌日翌々日でお腹も軽かったしで、有り難い有り難いという感じだった。自己導尿も早くトイレでできるようになればと思うのだが。
にしても。
お通じの方も「自己○○」みたいなのはないんだろうか(今日はいつもより早いタイミングで下剤を飲んだ)。あると思うのだが。尿同様、こちらも管理できればなあと思ったりするのだが。

今日はスーパームーンらしい。

Xperia【MdualとSX】に関する考察~Root取得とDualsim化へ

2017-12-02 17:27:12 | 徒然に2016-2017
で、ブツが届いたのが10月14日。

6000円のSXは奇麗で、一カ所大きな傷があったのみ。もう少し安いのでも充分だろうと思われた。いつものようにシートとかカバーとか全く使用せずに使うことに。

電池は1時間ぐらいで充電できたが、逆に言えば劣化も相応にしていたということになる。新しいのを2000円で買っておいたのは正解だった。デュアルsimアダプターが失敗で、これだけ送料が本体価格を上回るほど取られていた。まとめて注文したからどれに送料がかかっていたが確認できず、いずれにしても、自分の失敗。あと、sim2がうまく乗らなかった時に、追加でアダプターを別のところから2つ注文したが、結局使わず。これはまあ仕方がないかと思う。
で、とりあえず、使えるまでの状態にできたのが10月20日。約一週間かかったことになる。できなくてもいいかと半分投げていたので、ラッキーなことに実用化できて良かった。一つのことに集中していろいろ調べることができて退屈せんかったのも有り難かった。

こうやって見ると、確かに4インチのMdualより小さい。以下、作業記録。

○準備として
今回は、Mdual(c2005)は非常時用に手元においておくことにしたので、その処理から始める。ルート取ってLINK2SDでSDカード内にアプリを移しているので、先ずはそれを一旦内蔵のROMに戻す。全部戻すと途端に空き容量に警告が出る(0.8GB→1.9GBが1.8GB/1.9GB)。ルート取って、SDカードに移すって大切だと改めて知る。で、要らないSDカード(8GB)に領域を作ってアプリを入れていく。このときはパーティションマスターで、ext2で切るとうまく行かなかったので、3で切って4で認識させると上手くいった。ただ、1度再起動すると、ホーム画面のアイコンは全部消えてしまい、慌てた。ただ、アプリ自体は動いていたのでセーフ。この事態の理由は不明。これはSXの時はうまくいかなかった。まあとりあえず、これでトラブルが出た時用に一台使えるのができた。

○アプデ前(アンドロイド4.0ICS)の段階での試み
1 FOMAsimが使えるようにする(その1)
システムアプリの「Customization Provider」を無効にする。あっさりとこれでLTEの選択肢が消えた。
2 ルート化
TOWEL ROOTをApkファイルで入手し、ファイルマネージャーからインストールして済ませる。以前、P-01DとかSONYREADERとかをroot化するときは、PCの環境構築にえらい手間がかかったが、Xperiaはこれが使えるので楽だった。
3 SDカードへのEX2(4?)領域の作成。
これが結局うまくいかなくて、6時間ぐらい試行錯誤した結果、断念。EASEUSやAOMEI等でパーティション作るも、そのSDカードを入れると起動せず無限ループ状態になってしまう。まあ、今使っているMdualよりもROMに余裕があるし、いいかと。
4 プリインストールアプリのアンインストール
ドコモ系のプリインストールアプリは是非取りたかったので、そのアンインストールアプリをいろいろ試す。あるサイトの方が消していたリストを参考に。
・Docomo DB Agent
・docomo Wi-Fiかんたん接続
・iコンシェル
・iコンシェルコンテンツ
・jp.co.nttdocomo.pf.piad
・SDカードバックアップ
・TalkBack
・エリアメール
・オートGPS
・おまかせロック
・しゃべってキー入力
・しゃべって検索
・スケジュール&メモ
・ドコモバックアップ
・ドコモ位置情報
・ドコモ位置情報SUB
・メディアプレイヤー
・遠隔サポート
・災害用キット
・取り扱い説明書
・店頭用デモ
・電話帳サービス
キャリアでスマホを契約したことがないのだが、P-01Dの端末を買ったときは、root取ってこれとよく似たリストを片っ端から消した。あの機械はそれをしないと動かん機械だったから。そういうことを思い出した。でアプリの方は、すぐに再起動になったりしてなかなかうまくできなかったが、3つめに試した「ROOT UNINSTALLER」が、まとめてはできず一つ一つ再起動しながらではあったものの、確実にできた。30個アンインストールしたところで有料表示が出たが、購入。100円。

グーグルプレイのチャージしておいて良かった。
5 で、アンドロイドのアプデができる(4.12JB)というので試みるが、何故かできない。PCにつなげ、「Xperia companion」というソフトをPCにインストールしてソフトウェア修復を試みると修復された上でアプデが完了。但し、無事にできたが、ここまでの作業はぱあになる。

○アプデ後(アンドロイド4.12JB)の段階での試み
1 ルート化
TOWEL ROOTをインストール。これは問題なし。BusyBoxとSuperSUを忘れずに入れる。Link2SDは止め。
2 FOMAsimが使えるようにする(その2)
システムアプリの「Customization Provider」を無効にする。ICSならこれでOKだったが、今回は再起動すると元に戻ってしまってLTEが効いてしまい、FOMAsimが使用できなくなる。「#*#*・・・」も試すが、これも再起動するとうまくいかない。ただ、この後「機内モード」にして再起動すればOKというネットの記事を見つけ、やってみると何とかその通りになる。実用にはどうかと思ったが、デュアルsimにした場合、データ通信の0simはLTE対応だし、案外何とかなるかもと、この問題は一旦ここで追究を止める。
3 SDカードへのEX2(4?)領域の作成。
これも結局うまくいかなくて、早々に止める。
4 プリインストールアプリのアンインストール
さっきの「ROOT UNINSTALLER」で、一つ一つ再起動しながら消す。さっきは消すと拙いのまで消していたので、ほどほどで止める(が、Google+は、電池を結構食っていることがの分かったので、これだけは追加で消した)。
5 Xposeの利用とアプリによる使い勝手の追究。
FOMAsim問題に関していろいろググっていると、Xposedという内部を弄るツールのことを知る。で、インストールしていろいろモジュールを試す。根本的な解決には至らなかったが、ダイアログに「WCDMAのみ」というのがいつも出るようになったので、いざというときも何とかなるかということで、この細工は終了。モジュールによってはこれでカメラなんかも細工ができるようだったが、あまり上手くいかず、結局PCのファイル弄りのようにアンドロイド内のシステムファイルを弄ったり、アプリ使って対応したりした。4.12JBの場合、ロック画面でPINとか設定すると、カメラを起動させることができない(PIN設定とかしないとカメラは起動できるがそれでは意味がない)。このため、ロック画面でカメラを起動させるための細工を延々試みる(4時間ぐらい)。あまり良い感じではないが、アプリを使うことで最低限の形で起動はできるようになったので、まあ良しとする。これが同じJBでも、4.2とか4.3とかになれば、ロック画面からスワイプしてカメラが立ち上がる筈なのだが。因みに、SXは物理シャッターボタンがないからこういう細工がいる。Mdualはシャッターボタンがある(が、儂のはもうそのボタンが壊れかけていて反応しないことがしばしば起きているそれも今回の機種変更お試しに踏み切った理由の一つ)し、ロック画面上もカメラボタンがある。
6 デュアルsim化に取り組む。
これは、アダプターをかませて、sim2を何とか裏蓋がはまるところに納めるという物理的な作業。

普通にやると閉じないので、sim2のスロットにある金属のアダプターも取ってしまい、できるだけ薄くはするが、場所を考えなければ左側のUSB端子の部分が閉じない(ここが一番閉じにくい)。

初めはFOMAsimを1スロットに入れていたが、2スロット目にはめ込むOsimのNANOsimがうまく合わないように思えたので、途中から1と2を入れ替えて作業。simカードの位置をずらし、認識するかどうかを確かめる地道な作業。これもかなり時間を費やした。simカードを端子上で固定するのは、紙の両面テープで行った。

これも偶然、一晩置いた次の日の初めにできていて、どうして上手くいったのか謎。しかも、それ以来裏蓋も開けていないので、どの場所で固定したのかもよく分からない。

まあ、裏蓋の膨らみとか、気付かないぐらいにうまくはまっているのは確かではある。アダプターは蓋が閉まるように納めるために何度も折り曲げたりして、線が断線したようにも思ったので、完成前に2つ追加注文したのだが、こういうことをすると割合うまくいったりするのはいつものこと。
7 再度FOMAsim問題の解決へ。
基本、データ通信のみの0simが中心になるので、これはLTEで問題ない。だから基本はそのままでも別に支障はない。ただ、切り替えて電話を掛けるようにはしたいので、その場合は、普通に2のスロットに入れたFOMAを呼び出すときだけWCDMAになっていればいいことになる。ただ、この切り替えが実はうまくいかず、どうしたもんかと思っていたら、LTEのままでデータ通信を切ると電話ができるようになった。これもネットで検索した結果だが、何がうまくはまるか分からんなあと。まあ、使えればどういう形でも良いわけで。
8 メールとかラインとかの設定。これは、ネットで調べながら何とかできた。後、再起動するとsim管理ツールのアイコンがホームから消えてしまうが、これのアプリはsimが認識されると出てくるので、そのsimの認識に時間がかかることと関係があるのかもしれない。設定アイコンをホームに置いておけば何とかなので余り気にしていない。

○電池の持ち
アプリを極力減らすようにして(先述のようにGoogle+は結構バッテリ食っていたから消した逆に言うと消さないかんのはそれぐらいだった)、かつラインとかメール受信はできるように(30分間隔で確認する設定)しておき、かつ3GのみにせずLTEのままにしておいて、何日か測定したみた結果。
最高値が、30時間で70%消費。この日は電話はかけておらず、メールとカメラとをごぞごぞ弄って使ったのみ。また、別の日は、22時間で63%消費。メールも電話もほとんどせず、カメラ数枚のみ。この日はWifiをオンにしたまま。Wifiも一気にバッテリは減るので普段は切っておくに越したことはないと思った。Google+以外の電池の減りはセルスタンバイが60%ぐらいの数値だったが、LTEだと逆に減りは少ないという記事も見かけたので、とりあえずいいかという感じ。

ただ実際はこんなことはあまりなくて、この手術後はこちらのバッテリーもぱっとせず、メールとカメラのみで6時間でだいたい30%の消費ペースなので、18時間で80~90%の消費となり、まあぎりぎり持つかという感じの日が多い。ただこれも直射日光(当然ガラス越しだが)に当てているともっと減りが早くなって、日陰にずっと置いておくと割合持ちはいい。ということで、スマホの温度も関係しているらしい。
問題は、このバッテリのことと、後、作業したのはずっと眼鏡のときで、掛けたり外したりしながらやっていたから普段のコンタクトしている時は文字が見えないんじゃないかということ。そのときは老眼鏡掛けるか、4.6インチのGX(SO-04D)の安いのを別に買うかまた考えることにする。

因みにこの投稿は、11月16日の「未解決Xperia問題のその後~動機付けとして」と11月25日の「Xperia【MdualとSX】に関する考察~現状分析から購入まで」の続きである一応。

師走だからという訳ではないが

2017-12-01 19:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
先日の泌尿器科での受診を経て、今日から自己導尿に。70日あまり着けっぱなしだったカテーテルがなくなる。

軽くなりましたねとリハの先生や看護師さんに言われる。しかし、尿漏れ対策のパッドが加わり、下腹周りはオムツとパッドでもの凄い厚さになっており、軽くはなっていない。

加えて、定時に自分で管を入れるというこちらの方が正直厄介である。今日は当然初回なのでドキドキした。痛みと言うほどの痛みはないが違和感はあるし、どんな感じでやるのかはまだまだ空を掴むかの如し。マニュアルには1ヶ月ぐらいで慣れるとあるが、そのペースで慣れていくしかないか。多分、管を入れることそのものだけでなく消毒関係、6時間ごとという間隔(当然夜もで、次は午後11時、その次は午前5時という感じ)、それから今はベッドの上でと指定されているので、その辺りの煩わしさにも慣れていく必要があるだろう。

尿の「タンク」がなくなったこともあり、リハでトイレの移動練習とかも少しやってみた。便座への移動は思ったより上手くいく。手すりを片手で持ってズボンの脱ぎ履きもできた(但し半ズボン)。紙パンツとかに変わったらある程度自分で管理できる可能性は十分にある。それでも、である。
5日音沙汰がないお通じも強制的に処置してもらい、すっきりしたが、こちらの方は自分で管理する方法はあるんだろうか。トイレのことも、結局その辺りの問題が残るのですっきりしてはいない。

で、これもOKが出たので、リハの空き時間に1階の庭を車椅子で漕いで「走って」みる。1周1分30秒~2分ぐらいかかる。これを今日は15周で約30分。時間をかけて漕ぐと、左脚とか内転していたりして結構無理な姿勢のままで漕いでいることに気付かされる。やはり腹筋である。

ジャージのジャケットが要るなと思う。手袋はどうだろう。そこまでは要らんか。これから気温が下がってくるから無理をするつもりはないのだが。

天気のいい日は20分~30分ぐらい漕ぐようにしていけたらいいかなと思う。

庭からの帰り、玄関ロビーはクリスマスツリーの準備をしていた。もうこんな季節かと思う反面、先は長いなあと改めて思った。

追記:気になっている右腋とその周辺の痒みはやはり脊髄関連(神経関連)の可能性があるようで。こいつ(痒み)との付き合い方、考えないかんなと。今日なんか夜中寝られんかったしだんだん酷くなっている気がするし。