まだ夏の暑い時期までは結構いろいろな道を漕いでいたが、最近は自転車道ばかり。
キロ10分から12分ぐらいでゆっくりと漕ぐ。これは8月から9月。
これは秋の10月から11月。
これは12月の平城京の空。近くも遠くももっともっと行きたいところはあるのだが。寒い。
で、その12月は、朝の漕走が大変きつかったが、雨の日以外は休まずにできた。
年末の寒波もきついが、この12月上旬の急激な温度低下もきつかった。これで風邪引いたし。
ちなみに、今年12月達成。1号の命日の辺りだったのでびっくり。まだまだ来年も迷走予定。写真がいっぱいになるまでは続くかなどうかなと、思っている。
写真を見ていると、うろうろもええなあ、ということで年末年始はそこそこうろうろしてきたわけで。
いよいよ今日から本格的に始動。無事に過ごせるといいのだが。
キロ10分から12分ぐらいでゆっくりと漕ぐ。これは8月から9月。
これは秋の10月から11月。
これは12月の平城京の空。近くも遠くももっともっと行きたいところはあるのだが。寒い。
で、その12月は、朝の漕走が大変きつかったが、雨の日以外は休まずにできた。
年末の寒波もきついが、この12月上旬の急激な温度低下もきつかった。これで風邪引いたし。
ちなみに、今年12月達成。1号の命日の辺りだったのでびっくり。まだまだ来年も迷走予定。写真がいっぱいになるまでは続くかなどうかなと、思っている。
写真を見ていると、うろうろもええなあ、ということで年末年始はそこそこうろうろしてきたわけで。
いよいよ今日から本格的に始動。無事に過ごせるといいのだが。
今日も結局外には出られず。こんなことは、あまりないのだが。車椅子だと走るときと違って30分ぐらい経てば体が温まるということがなく、それも出不精になってしまう一つの理由ではある。それに、以前なら用事があるから走っていく、ということがあったが、最近はそれもなく。車で行くほどの場所があるわけでもなく。
まあ、無理して出なければならない理由はない。もう、漕ぐといっても、正直、目的は体重管理と便秘の解消だけみたいなものなので。
唯一の収穫がこれ。I君から借りた本が読めた。読み始めてからはするすると。
井川さん、普通の人で、自分を客観視することも分析することもできて、実にクレーバーな人だということが分かり、で、100億超してギャンブルに突っ込むという非常に「バランスのとれた」人間だということも分かり。
やっぱ、東大に行くような人は凄いと、先日見た東大クイズ王の俳句の見事さ(素人の儂が凄いと思うぐらいだから凄い)が頭に残っていることもあり、勝手にそう結論付けてとりあえず今日はこれで良しとした。
活字も退院以降はしばらく遠ざかり気味だったが、これも漕ぐのと同じでノルマ化した方がいいのかもしれない。一冊二冊と云うようにすると、薄い本ばかり読むからページで課すとか。
それより何より、図書館にでも行った方が、温かくて良いんだろうな。ウチの家は、昼間は基本暖房をしないので、今日もダウンジャケット二枚重ね着して凌いだ。外に行った方がマシか。うーん。
まあ、無理して出なければならない理由はない。もう、漕ぐといっても、正直、目的は体重管理と便秘の解消だけみたいなものなので。
唯一の収穫がこれ。I君から借りた本が読めた。読み始めてからはするすると。
井川さん、普通の人で、自分を客観視することも分析することもできて、実にクレーバーな人だということが分かり、で、100億超してギャンブルに突っ込むという非常に「バランスのとれた」人間だということも分かり。
やっぱ、東大に行くような人は凄いと、先日見た東大クイズ王の俳句の見事さ(素人の儂が凄いと思うぐらいだから凄い)が頭に残っていることもあり、勝手にそう結論付けてとりあえず今日はこれで良しとした。
活字も退院以降はしばらく遠ざかり気味だったが、これも漕ぐのと同じでノルマ化した方がいいのかもしれない。一冊二冊と云うようにすると、薄い本ばかり読むからページで課すとか。
それより何より、図書館にでも行った方が、温かくて良いんだろうな。ウチの家は、昼間は基本暖房をしないので、今日もダウンジャケット二枚重ね着して凌いだ。外に行った方がマシか。うーん。
漸く鬼門の年末年始が終了。太りやすい儂としては、体重増加に気をつけ、何とか無事に大幅増なく終えられそうだが(明後日朝まで油断は禁物だが)、一度、二日の日に一気に1キロどーんと増加した。
理由ははっきりしていて、食うもん喰ってそして呑んでだらだらと家にいたから。
といっても、元日はきちんと動いた。それぞれの実家に年始の挨拶に行き、犬たちのおはかまいりも。その後、神戸M君、堺T君と会い、先輩のSさんも来て、高校の時の部の集まりになってなかなか楽しい時間を過ごすことができた。それはそれで良し。翌二日は、陽が当たらず、寒いので早々に外出を回避し、箱根駅伝に専念した。まあこれがいかんかったような気が。
元日はニューイヤー駅伝をPCと車の中で見ていたが、テレビはなくても中継がネットで見られるということで便利な世の中になったなと。何はなくても見てしまうのがこの正月の駅伝。動くのは選手だけ。
スーパーで半額のおかずもあったが、ハムとかそういうのを喰うと、残りはほとんど炭水化物ばかりということで、ほとんど廃棄。で、翌日20キロ余り4時間漕いで0.8キロ落とした。この日は便秘できつかったのもあったから、漕いで治した感じではある。
タンパク質中心といっても、呑む量が減っても、まあ呑むことに変わりはないが、気をつけるところは気をつけないと、ということである。
で、話は戻るがうろうろの詳細を時系列にて。
これは御用納めの日の朝。この日は滅茶苦茶寒くて、それでも厚着して漕げた。後3ヶ月の春分ぐらいまで頑張らなければと。
大晦日の前の日は、久々にうろうろと漕ぐ。最後は自転車道だったが。
気温は低かったが天気が良かったので助かった。
三日の日は、体が重いのでとりあえず4時間ということで家を出る。西風が強いので当然自転車道は回避。
2時間が過ぎてぼちぼち折り返そうかというところで。
いつもの川ではなく別の川沿いへ。この直後に腹が痛くなって、近くのスーパーのトイレで20分ぐらい格闘。助かった。
再び県道とか国道を避けつつ家路に。
去年はここで過ごしたなあと云う感じで、入院していた病院の傍を通る。
山は白いが漕ぎやすい天気だった。
これは御用始めの朝。気温は低かったが我慢できないほどではない。ただ手がぼちぼち冷えてきた。二重にして使っているのだが冬が越せるだろうかと。
今日は、出ようかどうしようかぐずぐずと迷っている。曇っていると気温は高めでもなかなか出られないが今日は特に空が暗い。かといって晴れていても気温が低いとか風邪が強いとかだとそれだけでもう動けない。
結局、引き籠もる。
折角戻したのに大丈夫かな、と。まだまだ厳しい日が続きそう。
理由ははっきりしていて、食うもん喰ってそして呑んでだらだらと家にいたから。
といっても、元日はきちんと動いた。それぞれの実家に年始の挨拶に行き、犬たちのおはかまいりも。その後、神戸M君、堺T君と会い、先輩のSさんも来て、高校の時の部の集まりになってなかなか楽しい時間を過ごすことができた。それはそれで良し。翌二日は、陽が当たらず、寒いので早々に外出を回避し、箱根駅伝に専念した。まあこれがいかんかったような気が。
元日はニューイヤー駅伝をPCと車の中で見ていたが、テレビはなくても中継がネットで見られるということで便利な世の中になったなと。何はなくても見てしまうのがこの正月の駅伝。動くのは選手だけ。
スーパーで半額のおかずもあったが、ハムとかそういうのを喰うと、残りはほとんど炭水化物ばかりということで、ほとんど廃棄。で、翌日20キロ余り4時間漕いで0.8キロ落とした。この日は便秘できつかったのもあったから、漕いで治した感じではある。
タンパク質中心といっても、呑む量が減っても、まあ呑むことに変わりはないが、気をつけるところは気をつけないと、ということである。
で、話は戻るがうろうろの詳細を時系列にて。
これは御用納めの日の朝。この日は滅茶苦茶寒くて、それでも厚着して漕げた。後3ヶ月の春分ぐらいまで頑張らなければと。
大晦日の前の日は、久々にうろうろと漕ぐ。最後は自転車道だったが。
気温は低かったが天気が良かったので助かった。
三日の日は、体が重いのでとりあえず4時間ということで家を出る。西風が強いので当然自転車道は回避。
2時間が過ぎてぼちぼち折り返そうかというところで。
いつもの川ではなく別の川沿いへ。この直後に腹が痛くなって、近くのスーパーのトイレで20分ぐらい格闘。助かった。
再び県道とか国道を避けつつ家路に。
去年はここで過ごしたなあと云う感じで、入院していた病院の傍を通る。
山は白いが漕ぎやすい天気だった。
これは御用始めの朝。気温は低かったが我慢できないほどではない。ただ手がぼちぼち冷えてきた。二重にして使っているのだが冬が越せるだろうかと。
今日は、出ようかどうしようかぐずぐずと迷っている。曇っていると気温は高めでもなかなか出られないが今日は特に空が暗い。かといって晴れていても気温が低いとか風邪が強いとかだとそれだけでもう動けない。
結局、引き籠もる。
折角戻したのに大丈夫かな、と。まだまだ厳しい日が続きそう。
今日、I君との話の中でこのことが出たので急遽。I君感謝です。
成田といっても空港以外は関東地方の一都市である。新旧の建物とか結構入り交じっているから、思ったより段差は多い。
朝早くにホテルを出てから、いきなりのバリア、であった。しかも想定外の。
駅へのエレベーターが閉まっていた。
時間的に余裕を持って出てきたとはいえ、エレベーターの空く時間を待っていては間に合わない。気が動転したまま、そこら辺をうろうろとする。どこかにいける道はないかと。駅の反対側へ行くことも考えたが、地図を出しても道がよく分からない(後で落ち着いてから確認したらかなり遠回りしないと無理だったようである)。
で、5分か10分か、逡巡して、決心して、階段を上り始める。右手は手すり、左手には車椅子。一段一段ゆっくりと。
何人かが、忙しそうに通り過ぎる中、サラリーマン風の人が、お手伝いしましょうかと。本当に有り難かった。車椅子を上まで運んでもらった。そして、肩を貸してもらって一緒に階段を登り切った。およそ50段。人も少ないときに本当に有り難かった。昨日は、ホテルの入り口の段差で「立ち」往生していたときに車椅子を押してくれたOL風の人にも助けられた。成田の方にはひたすら感謝。
駅の緑の窓口は閉まっているので、半額になるはずの100キロ超の切符が買えない。これも改札口で行き先と購入希望を伝えると、丁寧に対応してくれた。
電車の時間まで時間があるので駅の反対側に行く。ホテルがあった反対側より明るくて、心細さもなかった。
軽く朝食。
ホームに降りる。久里浜行きの横須賀線直通が見える。今回は、鎌倉でもなく、大学(小金井)でもないところを目指すことにした。
気分的には何となく、思い出の場所巡りの筈だった。直前になって行ってみたいところができた。そのこと自体は良かったと思う。鎌倉も小金井ももう少し後でまた行きたくなると思うので。
予定通りの電車に乗り込む。乗ってから気が付く。常磐線に乗るのは初めて。
田舎、だなあ。
だんだんと人が増えてきた頃に、乗り換え駅到着、ここから東武線。
もう一回乗り換え。都心とは逆だが、乗客は多い。特に高校生。
柳生駅着。ここでトイレに入って、導尿。どれぐらいもつか。
線路沿いの道を進むと目指す場所の看板があった。
さらに進む。
10分ほどして、迷うことなくあっけなく着いた。看板が多かったからこれなら間違えようがない。
3県の県境が山とか川とか以外で、単なる平地で確認できるのは日本でここだけしかないという。2年ぐらい前にそういう記事を見て、へえ、という感じでしかなかったが、成田から行けるということが分かったのが出発の数日前。
渡良瀬川の流れが変わったのが原因らしいが、珍しいことに変わりはない。
こんなに珍しいのに人がいないのが変な感じだったが、この後、ここを目指していると思われる初老のグループを発見し、単にラッキーだっただけだったことを知る。
埼玉、群馬、栃木の3県境を後にして、まだ正式には入っていない群馬を一旦目指す。ちなみにここは埼玉。当初予定では、柳生(埼玉)のもう一つ先の板倉(群馬)から漕ぎ始める予定だったが、時間のやりくり上、少々厳しいかなということでコースを変更した。
初めて行くところだから道に迷ったり、傾斜が急で上れなかったり、行き止まりで引き返したりというリスクも考えると、時間に余裕を持たせる必要は絶対にある。ここに来るまでにも、JRから私鉄の乗り換えは、アプリでは8分で提示されたが、もう一つ余裕を持たせるために、さらに検索して20分の乗り換えを選択した。結果は正解だった。いろいろな方の手を煩わせる分、こちらの都合だけでは絶対に動けない。それも含めて考える必要がある。
県道に入る。9号線という4県を跨ぐ道路。大型車が行き交うが、ここしか道路がない(道の駅は階段でしか上がれない)ので、びびりながら進む。群馬に入ったところでUターン。
漸く、川の傍の車が来ない道へ。雨が降り始めた。
埼玉、群馬、栃木、埼玉、と県道を跨ぐ。これが気分がいい。
左手には渡良瀬遊水池。渡良瀬川の氾濫の緩衝池みたいな谷山湖(?)を初めとした、広い広い平野。この渡良瀬は、森高千里の渡良瀬橋のではなく、秩父事件の田中正造の方。
ここで何か野外活動をやっているらしい。この高校生の集団は、先ほどの電車内で見かけたのと同じ。ということは、普段はもっと空いているのだろうか。
利根川は、成田に飛んで走るようになってからよく来ている。前は海から60キロ辺りを走った。牛に通せんぼされたときのやつ。
雨は降るが、それほど気にならない。何度も止まって写真を撮りたくなる。ただ、残りの距離と時間はそれほど余裕がない。確認する時間すら惜しい。
恐らくこの川の中心が栃木、埼玉、茨城の3県の境。
台風被害とある。
目指す橋が見えてきた。ここまできてこの残り時間なら余裕。結構一生懸命に漕いだ。
川を跨いで茨城へ。
古河の街は、古くからの街と言うこともあり、落ち着いた雰囲気を感じる。時間があれば覗いてみたい史跡もあったが、それよりも安全に確実にが優先。駅を目指す。
古河駅着。
このロッカーは凄い。
駅とか近くのスーパーとかで身障者トイレを探すが、改札入ってからだったり、故障中だったりでかなり時間をロスしてしまう。最後に入ったスーパーで何とか見つけるが、ここも入るまでに段差があったりして、遠回りを強いられる。
5分前には到着したが、バスは待てど暮らせど。結局、5分遅れ、スロープ出すのに手間取って10分遅れで出発。これは痛い。
あのイエローキャブみたいにワゴン系ならタクシーももっと利用しやすいかもと思ったり。この先は、本当に博打みたいなもんで、高速バスに乗れなかったら、ホテルを探さなければならないし、飛行機の切符を買い直さなければならないしで。本当に、ここからはぎりぎりの時間で。それでも計画の時に、自漕の距離を短くしてバスを使ってワープするとかすれば、みたいなことを考えついて、一番リスクが少ない路線を選択したのではあるが。走っている時代なら、残り時間と距離からここの区間は全部自走できる筈だが。
運転手さんは大らかなのか、遅れていてもさほど慌てる様子もなく、とりあえず、目的地までは運んでくれた。残り1時間ほどで6キロ漕ぐのは、難しくはないが、知らないところを漕ぐ場合はリスクが高い。どきどきしながらスタートする。
端の手前。左手にあるはずの道の駅が右手にある。想定していたところより大回りしたらしい。焦る。橋を渡って茨城から千葉へ。狭い県道なのに大型車が多い。何故か。歩道はない、と思ったら、少し離れた別の橋の体裁でそれ専用のルートがあった。入り口が分からんかったと、誰が聞いてくれるわけでもない言い訳をぶつぶつ云いながら、大型車の脇をすり抜けていく。写真など撮れるわけがない。気分はもう平謝りの連続。すみませんすみません。みたいな。
で、向こうの歩道に行かなければならないので交差点まで行ってからUターン。
これも余分に漕いだことになる。ここも関宿というところで、古くからの街。散策しても古い街とか残っているのかどうかは怪しいが、ゆっくり漕ぐぐらいはしても良かったか。
時間的には余裕がないのでタッチして戻る、みたいな感じ。再び川を渡る。車の心配はない。
お城の形をした博物館が見えた。
千葉、茨城の県境部も無事に撮影できた。
ここからは、交通量の多い県道なので、どうしても歩道を行く。これが傾いていて漕ぎにくい。漸く目指す交差点から別の県道に入ると、漸く漕ぎやすくなる。ペースを上げる。
なかなか目指すセブンが見えないので、途中、道を確認すると間違ってはいない。ただ、思ったより漕げていない。ほぼ毎朝のペース漕並にスピードを出す。
セブンに着いて、レジでバスターミナルの位置を確認する。この交差点、道路が90度にクロスしていない。こういうところでよく間違える。で、漸く着く。5分でトイレに入るが、緊張していて出ない。パッドもしているからいいかと外に出てバスを待つ。10分遅れで来る。まあ、仕方がないか。
後で調べたら、7.5キロを1時間と少しで漕いでいたから、傾斜も傾きも段差もそこそこある一般道では結構なペースだった。
バスで漸く落ち着く。慌てていてつまみは買っていない。
運転手さんのサポートで無事乗車する。
第三ターミナル着。県境巡り、完。
兎に角制約が多いのは確かで、ただそれでも、事前のリサーチをしていれば何とかなるか思ったのも事実。こちらがある程度の知識があれば、駅員さんや運転手さんに質問もできる。
そして何より余裕を持って。いざというときの対応力は、車椅子になってから格段に落ちている。
安全策をとりつつ、よくもまあ無事に予定をこなしたなと、五県回った感慨よりもそちらの方が強かったりする。これは、プランニングの勝利か。
成田といっても空港以外は関東地方の一都市である。新旧の建物とか結構入り交じっているから、思ったより段差は多い。
朝早くにホテルを出てから、いきなりのバリア、であった。しかも想定外の。
駅へのエレベーターが閉まっていた。
時間的に余裕を持って出てきたとはいえ、エレベーターの空く時間を待っていては間に合わない。気が動転したまま、そこら辺をうろうろとする。どこかにいける道はないかと。駅の反対側へ行くことも考えたが、地図を出しても道がよく分からない(後で落ち着いてから確認したらかなり遠回りしないと無理だったようである)。
で、5分か10分か、逡巡して、決心して、階段を上り始める。右手は手すり、左手には車椅子。一段一段ゆっくりと。
何人かが、忙しそうに通り過ぎる中、サラリーマン風の人が、お手伝いしましょうかと。本当に有り難かった。車椅子を上まで運んでもらった。そして、肩を貸してもらって一緒に階段を登り切った。およそ50段。人も少ないときに本当に有り難かった。昨日は、ホテルの入り口の段差で「立ち」往生していたときに車椅子を押してくれたOL風の人にも助けられた。成田の方にはひたすら感謝。
駅の緑の窓口は閉まっているので、半額になるはずの100キロ超の切符が買えない。これも改札口で行き先と購入希望を伝えると、丁寧に対応してくれた。
電車の時間まで時間があるので駅の反対側に行く。ホテルがあった反対側より明るくて、心細さもなかった。
軽く朝食。
ホームに降りる。久里浜行きの横須賀線直通が見える。今回は、鎌倉でもなく、大学(小金井)でもないところを目指すことにした。
気分的には何となく、思い出の場所巡りの筈だった。直前になって行ってみたいところができた。そのこと自体は良かったと思う。鎌倉も小金井ももう少し後でまた行きたくなると思うので。
予定通りの電車に乗り込む。乗ってから気が付く。常磐線に乗るのは初めて。
田舎、だなあ。
だんだんと人が増えてきた頃に、乗り換え駅到着、ここから東武線。
もう一回乗り換え。都心とは逆だが、乗客は多い。特に高校生。
柳生駅着。ここでトイレに入って、導尿。どれぐらいもつか。
線路沿いの道を進むと目指す場所の看板があった。
さらに進む。
10分ほどして、迷うことなくあっけなく着いた。看板が多かったからこれなら間違えようがない。
3県の県境が山とか川とか以外で、単なる平地で確認できるのは日本でここだけしかないという。2年ぐらい前にそういう記事を見て、へえ、という感じでしかなかったが、成田から行けるということが分かったのが出発の数日前。
渡良瀬川の流れが変わったのが原因らしいが、珍しいことに変わりはない。
こんなに珍しいのに人がいないのが変な感じだったが、この後、ここを目指していると思われる初老のグループを発見し、単にラッキーだっただけだったことを知る。
埼玉、群馬、栃木の3県境を後にして、まだ正式には入っていない群馬を一旦目指す。ちなみにここは埼玉。当初予定では、柳生(埼玉)のもう一つ先の板倉(群馬)から漕ぎ始める予定だったが、時間のやりくり上、少々厳しいかなということでコースを変更した。
初めて行くところだから道に迷ったり、傾斜が急で上れなかったり、行き止まりで引き返したりというリスクも考えると、時間に余裕を持たせる必要は絶対にある。ここに来るまでにも、JRから私鉄の乗り換えは、アプリでは8分で提示されたが、もう一つ余裕を持たせるために、さらに検索して20分の乗り換えを選択した。結果は正解だった。いろいろな方の手を煩わせる分、こちらの都合だけでは絶対に動けない。それも含めて考える必要がある。
県道に入る。9号線という4県を跨ぐ道路。大型車が行き交うが、ここしか道路がない(道の駅は階段でしか上がれない)ので、びびりながら進む。群馬に入ったところでUターン。
漸く、川の傍の車が来ない道へ。雨が降り始めた。
埼玉、群馬、栃木、埼玉、と県道を跨ぐ。これが気分がいい。
左手には渡良瀬遊水池。渡良瀬川の氾濫の緩衝池みたいな谷山湖(?)を初めとした、広い広い平野。この渡良瀬は、森高千里の渡良瀬橋のではなく、秩父事件の田中正造の方。
ここで何か野外活動をやっているらしい。この高校生の集団は、先ほどの電車内で見かけたのと同じ。ということは、普段はもっと空いているのだろうか。
利根川は、成田に飛んで走るようになってからよく来ている。前は海から60キロ辺りを走った。牛に通せんぼされたときのやつ。
雨は降るが、それほど気にならない。何度も止まって写真を撮りたくなる。ただ、残りの距離と時間はそれほど余裕がない。確認する時間すら惜しい。
恐らくこの川の中心が栃木、埼玉、茨城の3県の境。
台風被害とある。
目指す橋が見えてきた。ここまできてこの残り時間なら余裕。結構一生懸命に漕いだ。
川を跨いで茨城へ。
古河の街は、古くからの街と言うこともあり、落ち着いた雰囲気を感じる。時間があれば覗いてみたい史跡もあったが、それよりも安全に確実にが優先。駅を目指す。
古河駅着。
このロッカーは凄い。
駅とか近くのスーパーとかで身障者トイレを探すが、改札入ってからだったり、故障中だったりでかなり時間をロスしてしまう。最後に入ったスーパーで何とか見つけるが、ここも入るまでに段差があったりして、遠回りを強いられる。
5分前には到着したが、バスは待てど暮らせど。結局、5分遅れ、スロープ出すのに手間取って10分遅れで出発。これは痛い。
あのイエローキャブみたいにワゴン系ならタクシーももっと利用しやすいかもと思ったり。この先は、本当に博打みたいなもんで、高速バスに乗れなかったら、ホテルを探さなければならないし、飛行機の切符を買い直さなければならないしで。本当に、ここからはぎりぎりの時間で。それでも計画の時に、自漕の距離を短くしてバスを使ってワープするとかすれば、みたいなことを考えついて、一番リスクが少ない路線を選択したのではあるが。走っている時代なら、残り時間と距離からここの区間は全部自走できる筈だが。
運転手さんは大らかなのか、遅れていてもさほど慌てる様子もなく、とりあえず、目的地までは運んでくれた。残り1時間ほどで6キロ漕ぐのは、難しくはないが、知らないところを漕ぐ場合はリスクが高い。どきどきしながらスタートする。
端の手前。左手にあるはずの道の駅が右手にある。想定していたところより大回りしたらしい。焦る。橋を渡って茨城から千葉へ。狭い県道なのに大型車が多い。何故か。歩道はない、と思ったら、少し離れた別の橋の体裁でそれ専用のルートがあった。入り口が分からんかったと、誰が聞いてくれるわけでもない言い訳をぶつぶつ云いながら、大型車の脇をすり抜けていく。写真など撮れるわけがない。気分はもう平謝りの連続。すみませんすみません。みたいな。
で、向こうの歩道に行かなければならないので交差点まで行ってからUターン。
これも余分に漕いだことになる。ここも関宿というところで、古くからの街。散策しても古い街とか残っているのかどうかは怪しいが、ゆっくり漕ぐぐらいはしても良かったか。
時間的には余裕がないのでタッチして戻る、みたいな感じ。再び川を渡る。車の心配はない。
お城の形をした博物館が見えた。
千葉、茨城の県境部も無事に撮影できた。
ここからは、交通量の多い県道なので、どうしても歩道を行く。これが傾いていて漕ぎにくい。漸く目指す交差点から別の県道に入ると、漸く漕ぎやすくなる。ペースを上げる。
なかなか目指すセブンが見えないので、途中、道を確認すると間違ってはいない。ただ、思ったより漕げていない。ほぼ毎朝のペース漕並にスピードを出す。
セブンに着いて、レジでバスターミナルの位置を確認する。この交差点、道路が90度にクロスしていない。こういうところでよく間違える。で、漸く着く。5分でトイレに入るが、緊張していて出ない。パッドもしているからいいかと外に出てバスを待つ。10分遅れで来る。まあ、仕方がないか。
後で調べたら、7.5キロを1時間と少しで漕いでいたから、傾斜も傾きも段差もそこそこある一般道では結構なペースだった。
バスで漸く落ち着く。慌てていてつまみは買っていない。
運転手さんのサポートで無事乗車する。
第三ターミナル着。県境巡り、完。
兎に角制約が多いのは確かで、ただそれでも、事前のリサーチをしていれば何とかなるか思ったのも事実。こちらがある程度の知識があれば、駅員さんや運転手さんに質問もできる。
そして何より余裕を持って。いざというときの対応力は、車椅子になってから格段に落ちている。
安全策をとりつつ、よくもまあ無事に予定をこなしたなと、五県回った感慨よりもそちらの方が強かったりする。これは、プランニングの勝利か。
今年もそれほどは改善してないなと。
それでも、まあ、外にいられるだけマシというもの。
厠でのリハ昨日は元日早々に消耗した。昨日は曇っていたが初日が顔を出すのは早かった。時間がたくさんあったのでリハ庭を車椅子でがんがん漕走しようとしたが、1時間も経たないうちにトイレへ。今......
それでも、まあ、外にいられるだけマシというもの。
歳を取ったということなのだろう。最近、そういうことを考えている。
正直、車椅子になって、今まで普通にできていたことが時間がかかったりできなくなったりして、気が滅入ることが多い。
それに、今までなら忙しくて何かをするとかしなければならないとかそういうことの連続で時間に追われながら日々過ごしていたのが、どちらかというと、ただ、ただ、時間の過ぎるのを待つみたいなことも随分増えたように思う。
行為そのものに充実感がないというか非生産的というか、もっと端的に云うと、時間を潰すかのように生きている感じがするときも確かにある。
下り坂の如しで、普通は歳を取るとこういうことが少しずつ現れてきて、それに折り合いをつけながら過ごしていくのだろう。儂の場合は、それが突然一気に来たというか。20年とか30年ぐらい。
そういうことなのだろうと。
かなり前、新聞で見た「はるかぜちゃん」の記事。
生きると云うことに前向きになれないときがある。自分は自分でしかないといいながら、それでももう自分は自分の範疇で収まりきれるものではなく、他者の存在や関係性の中で生かされているというのが恐らく真実。
それにしても。
もうここまで達観している彼女はこの先どこへ行くのだろうと、余計なことを考える。
赤ちゃんは、初めて吸った空気の一部を肺に残す、ということを聞いたことがある。死ぬときに深い最後の呼吸で吐き出す。これ、実は全く逆の説もあった(赤ちゃんが泣く=吐く、故に死ぬときは息を「引き取る」)が、しっくりとはこない。
やはり、死ぬときは吐き出して死ぬのが良い。
一気に年寄りにはなったが、自分で身の回りの始末ができなくなるまでにはまだ猶予があると思う。その間に、潰しているような時間を何とかもう少し生産的にできないものかと、そういうことを考えている。
正直、車椅子になって、今まで普通にできていたことが時間がかかったりできなくなったりして、気が滅入ることが多い。
それに、今までなら忙しくて何かをするとかしなければならないとかそういうことの連続で時間に追われながら日々過ごしていたのが、どちらかというと、ただ、ただ、時間の過ぎるのを待つみたいなことも随分増えたように思う。
行為そのものに充実感がないというか非生産的というか、もっと端的に云うと、時間を潰すかのように生きている感じがするときも確かにある。
下り坂の如しで、普通は歳を取るとこういうことが少しずつ現れてきて、それに折り合いをつけながら過ごしていくのだろう。儂の場合は、それが突然一気に来たというか。20年とか30年ぐらい。
そういうことなのだろうと。
かなり前、新聞で見た「はるかぜちゃん」の記事。
生きると云うことに前向きになれないときがある。自分は自分でしかないといいながら、それでももう自分は自分の範疇で収まりきれるものではなく、他者の存在や関係性の中で生かされているというのが恐らく真実。
それにしても。
もうここまで達観している彼女はこの先どこへ行くのだろうと、余計なことを考える。
赤ちゃんは、初めて吸った空気の一部を肺に残す、ということを聞いたことがある。死ぬときに深い最後の呼吸で吐き出す。これ、実は全く逆の説もあった(赤ちゃんが泣く=吐く、故に死ぬときは息を「引き取る」)が、しっくりとはこない。
やはり、死ぬときは吐き出して死ぬのが良い。
一気に年寄りにはなったが、自分で身の回りの始末ができなくなるまでにはまだ猶予があると思う。その間に、潰しているような時間を何とかもう少し生産的にできないものかと、そういうことを考えている。