いくつか定期的に見ているHPとかブログとかSNSとか、そして動画とかはあるのだが。
検索ワードがうまくハマってなかったのか、入院中はどちらかというとネガティブなのばっかりヒットしていた。実際自分がネガティブだったからそういうのが「寄ってきた」のかもしれん。ただ、最近は、若いせきそんの方のポジティブなのに励まされている。
車いすユーザーは一人一人状態が違うが、本当に「あるある」が多い。特に、浮腫みとか排泄とか。健常者が車いすに当たって邪魔そうに見るとか何も言わないとか。
車いすになって2年。世間からすればまだまだ「ヒヨッコ」だが、思うことはそれなりにある。因みに儂は「胸椎4番目」の損傷。
例えば、最近感じるのが駐車場。
駐車場は身体「障がい者」専用のものもあれば、妊婦さん等「社会的弱者」用になっているものが多い。これはこれで、よい考え方だと思う。ただ、こういうところは、結構駐車場が埋まっていることが多い。ルール破りは論外だが、ルールを守っていてもだから、これは、絶対的に数が不足しているのではないかと。
身体障がい者用のもある。こちらは分かりやすい。しかし、この「身体障がい者」のくくりは実のところ微妙だと思う。「車いす利用者」としたほうがわかりやすい、とも思ったが、内部障害の方とか、見えにくい障がいがあって、利用したいのに、という人もいるだろうし。ある地方のろう者は、ここに停めるということも聞いたことがあるが、なんぼ身体障がい者であっても、それは違うんでないの、と思う。「専用」のくくりが微妙、というのは、そういう問題も感じるからで。
そういう微妙なくくり、でいえば、トイレの問題もある。儂自身、生活の1/3は排泄のことを考えているぐらいだから、トイレのことは切実である(因みに1/3は睡眠に充てるから、今人生1/3状態である)。
こちらも、障がい者用ではなく、「みんなのトイレ」という形で「共用」になっていることが多い。これはこれで異論はない。少なくとも一般用より広いスペースや設備を必要としているトイレが、こういう形だから広がりやすくなっている点は大いにある。ただ、やはり数が少ないというか、一つぐらいしかいから、埋まっているとアウトだし、近くに同じようなトイレはない場合がほとんどである。身障者用でも数が少ないのに、その数が少ないトイレを「みんなのトイレ」にしてしまうとどうなるか、ということも正直思う。
このトイレを健常者が利用することに異論はない。だってルール的には全然OKだからである。ただ、車いすの障がい者は、そこしか利用できないわけである。
因みに、その「みんなのトイレ」を空くまで待っていると、出てくる人の10人に9人は歩ける人。そりゃそうだ。車いす利用者(障がい者ではなく車いす利用者)の比率はそれぐらいだろう。ただまあ、先の内部障害とか、人工肛門の人とかは見た目で判断できないので、使うのやめてくれ、とは言えない。せめて障がいのない人は使わないでほしい、という気持ちは正直ある。障がいのない人はどちらも使えるが、車いす利用者は、選択肢がない(このトイレしか使えない)わけで。「みんなのトイレ」だからルール上仕方がないが、ここが割合分かってもらいにくい。
結局「みんなの」と「専用」と両方作ってもらったら、かなり解決するんだろうが、すべてのスペースを広くするのはまず無理だろうし、なかなかそういうわけにもいかんのだろう。
生活の1/3を一時的欲求のことばかりぐだぐだ考えているとこういうことを思う。
因みに、駐車場に関しては、個人的には、だが。
儂としては、近くでなくていいから、確実に乗り降りできる1.5台分のスペースが欲しい。空いているから一般用のスペースでいいかと停めた後で、隣に駐車されて乗り込むのに困ったことが2度3度ある。儂にとっては、近くにあることより、遠くてもいいから、1.5台分のスペースが確保されているところが欲しい。常時付き添い介護を必要としない車いすユーザーなら、そういう意見は分かってくれると思うのだが。
自分にとって1.5台分は必要。でも近くであることにこだわりはない。但し、どういう形であれ、歩ける人は近くの一般用でもいけるでしょ。このことについてのポイントは、トイレと同様、車いす利用者にはその選択肢はないわけで。つまり、車いすを利用しない人ならどちらでもOKなのだろうが、車いす利用者は、選択肢がない。だから、駐車場が塞がっていると途端に困るわけである。この辺り、分かってくれそうで分かってもらいにくいということをひしひしと感じる。
確かに、2年前までは、儂もそこまくで考えてなかったから、仕方がないが。
今の若い「せきそん」「車いすユーザー」のポジティブさには頭が下がる。
儂自身、浮腫みは出るし、筋力落ちて身体がみっともない形に変わっているし、臭いも常々気になるし、で日々何とも言えない気持ちになるが、それでも、彼らはしっかりしているなあと思う。
がんばらねばと思う。
検索ワードがうまくハマってなかったのか、入院中はどちらかというとネガティブなのばっかりヒットしていた。実際自分がネガティブだったからそういうのが「寄ってきた」のかもしれん。ただ、最近は、若いせきそんの方のポジティブなのに励まされている。
車いすユーザーは一人一人状態が違うが、本当に「あるある」が多い。特に、浮腫みとか排泄とか。健常者が車いすに当たって邪魔そうに見るとか何も言わないとか。
車いすになって2年。世間からすればまだまだ「ヒヨッコ」だが、思うことはそれなりにある。因みに儂は「胸椎4番目」の損傷。
例えば、最近感じるのが駐車場。
駐車場は身体「障がい者」専用のものもあれば、妊婦さん等「社会的弱者」用になっているものが多い。これはこれで、よい考え方だと思う。ただ、こういうところは、結構駐車場が埋まっていることが多い。ルール破りは論外だが、ルールを守っていてもだから、これは、絶対的に数が不足しているのではないかと。
身体障がい者用のもある。こちらは分かりやすい。しかし、この「身体障がい者」のくくりは実のところ微妙だと思う。「車いす利用者」としたほうがわかりやすい、とも思ったが、内部障害の方とか、見えにくい障がいがあって、利用したいのに、という人もいるだろうし。ある地方のろう者は、ここに停めるということも聞いたことがあるが、なんぼ身体障がい者であっても、それは違うんでないの、と思う。「専用」のくくりが微妙、というのは、そういう問題も感じるからで。
そういう微妙なくくり、でいえば、トイレの問題もある。儂自身、生活の1/3は排泄のことを考えているぐらいだから、トイレのことは切実である(因みに1/3は睡眠に充てるから、今人生1/3状態である)。
こちらも、障がい者用ではなく、「みんなのトイレ」という形で「共用」になっていることが多い。これはこれで異論はない。少なくとも一般用より広いスペースや設備を必要としているトイレが、こういう形だから広がりやすくなっている点は大いにある。ただ、やはり数が少ないというか、一つぐらいしかいから、埋まっているとアウトだし、近くに同じようなトイレはない場合がほとんどである。身障者用でも数が少ないのに、その数が少ないトイレを「みんなのトイレ」にしてしまうとどうなるか、ということも正直思う。
このトイレを健常者が利用することに異論はない。だってルール的には全然OKだからである。ただ、車いすの障がい者は、そこしか利用できないわけである。
因みに、その「みんなのトイレ」を空くまで待っていると、出てくる人の10人に9人は歩ける人。そりゃそうだ。車いす利用者(障がい者ではなく車いす利用者)の比率はそれぐらいだろう。ただまあ、先の内部障害とか、人工肛門の人とかは見た目で判断できないので、使うのやめてくれ、とは言えない。せめて障がいのない人は使わないでほしい、という気持ちは正直ある。障がいのない人はどちらも使えるが、車いす利用者は、選択肢がない(このトイレしか使えない)わけで。「みんなのトイレ」だからルール上仕方がないが、ここが割合分かってもらいにくい。
結局「みんなの」と「専用」と両方作ってもらったら、かなり解決するんだろうが、すべてのスペースを広くするのはまず無理だろうし、なかなかそういうわけにもいかんのだろう。
生活の1/3を一時的欲求のことばかりぐだぐだ考えているとこういうことを思う。
因みに、駐車場に関しては、個人的には、だが。
儂としては、近くでなくていいから、確実に乗り降りできる1.5台分のスペースが欲しい。空いているから一般用のスペースでいいかと停めた後で、隣に駐車されて乗り込むのに困ったことが2度3度ある。儂にとっては、近くにあることより、遠くてもいいから、1.5台分のスペースが確保されているところが欲しい。常時付き添い介護を必要としない車いすユーザーなら、そういう意見は分かってくれると思うのだが。
自分にとって1.5台分は必要。でも近くであることにこだわりはない。但し、どういう形であれ、歩ける人は近くの一般用でもいけるでしょ。このことについてのポイントは、トイレと同様、車いす利用者にはその選択肢はないわけで。つまり、車いすを利用しない人ならどちらでもOKなのだろうが、車いす利用者は、選択肢がない。だから、駐車場が塞がっていると途端に困るわけである。この辺り、分かってくれそうで分かってもらいにくいということをひしひしと感じる。
確かに、2年前までは、儂もそこまくで考えてなかったから、仕方がないが。
今の若い「せきそん」「車いすユーザー」のポジティブさには頭が下がる。
儂自身、浮腫みは出るし、筋力落ちて身体がみっともない形に変わっているし、臭いも常々気になるし、で日々何とも言えない気持ちになるが、それでも、彼らはしっかりしているなあと思う。
がんばらねばと思う。