年賀はがきを買ってきて(今日)、いただいた年賀状にお返事を書きました。
毎年どんなデザインにするか少し悩むんですが、今日は2時間程度で作成から投函までやるというスケジュールだったので、どしどしやりました。
やればできる。
さて、
昨日の投稿の加筆です。
20年ほど前のターニングポイントについて書いておきます。
今までも時々振り返っていた「清里マンドリン音楽祭」のこと。
ここ数年絃楽器のイグチさんが主催している講習会ではなく、もっと前に川口雅行先生が主催していたものです。
このブログに残っているのは2006年の記事「清里音楽祭最終日」です。
gooブログを使う前は自分のHPにブログページがあってそこに書いていました。
そのサービスが終了になり、初参加の頃の記事もなくなりました。残念。
2006年が最終回でした。
音楽祭については、川口先生のブログに詳しく書いてあるのでぜひこちらをご覧ください。
20年やったと書いてあるので、1986年がスタートだったんですね。
私が参加したのは確か6回くらいか。
ということは初参加は2000年ですね。
講習会に参加する程度のことがターニングポイントなのか、と思われるかもしれません。
が、しかし。
習い事には師弟関係、門下、というものがありますね。
マンドリン界だけではないと思いますが、かつてはその「縛り」のようなものが強くあったようです。
体験談として知った話では、
・他の先生の発表会、演奏会に行ってはいけない
・先生の前で、他の先生の話題をするのもNG
・別の先生に習う場合、同門の人たちからの謗りを免れない
このような「囲い込み」があったとか。
先生側としても売り上げ(レッスン収入)が減るのは困るわけですから、その気持ちがわからなくもない。
でも、だからといって他の世界を見せないようにするというのは、生徒にとって(自分にとっても)有益ではないですね。
川口先生のブログにもエピソードとしてこういうことが取り上げられています。
----------以下引用----------
日本には様々な奏法があり、東京、名古屋、大阪でそれぞれ違い、それぞれどんな特徴があるかを実演しながら話しました。私は、私と違う奏法をけなしたり、良くないと言ったつもりはないのですが、参加者の中に、ある地方の有名な先生のお弟子さんがいて、講習会が終わったあと自分の先生に「先生の悪口を言っていました」と注進され、先生から電話で「名誉毀損で訴えるぞ」と言われた事もありました。
----------引用終わり----------
昔と比べて今はそれほどのことはないだろうと思います。
とはいえ、20年前に私が清里マンドリン音楽祭に参加しようと思ったときは、周囲からの風当たりが強いような気がしました。
もちろん、参加するにあたっては事前に片岡先生の了解を得たんですけど・・・。
当時の私は、漠然と「自分はこのままでいいのか」ということを考えていました。
高校でから始めたマンドリン。
大学のクラブではそれまでとは違う奏法を半ば強制され、1年弾きました。
奏法も音楽面もこのままでは自分に良くないと思って、高校時代の顧問であった片岡先生の個人レッスンを受けることに。
それからずっと続けていました。
同じ環境に居続けることは自分にとっては快適でしたが、何かわからないけれど何かを変えたかった。
そんな時に音楽祭のことを知り、1人で参加しました。
友人は同じ門下生ばかりなので誘えませんでした。
行ってみたら戸惑うこともありましたが、とにかく新鮮でした。
自分のことを誰も知らない環境、というのもおもしろかった。
いままで、「シルベスさんはこういう人」というのがもう出来上がっているところで、「その演奏はシルベスさんらしくない」のように言われることが気になっていました。
先入観ゼロで演奏を聴いてもらえる場がそこにありました。
参加して特に強く感じたのが西高東低ということ。
これは今でもそう思っています。
翌年も参加しました。
このとき同室だったのがエジルドさんです。
エジルドさんは、私より縛りの強い(?)先生についていて、集合写真に写ることもためらうほど気を遣いながら参加していました。
そんな困難な状況でも講習会にやって来る熱い情熱を持った人でした。
これをきっかけに、お互い毎年参加して4日間マンドリン漬けになる楽しい夏を過ごしました。
その結果、エジルドさんは長年習っていた先生を離れ川口先生の指導を受けることに。
今は石村先生に習っていてさらに研鑽を積まれています。リサイタルもしてご活躍。
私は片岡門下から出ないまま、ほかの先生のイベントに参加したり、単発でレッスンしていただくようになりました。
ドイツのユーロフェスティバルに参加したり、片岡マンドリン研究所の人が毎年のようにドイツの講習会に行くのを見て、ドイツの奏法をじっくり学びたいと思うように。
柴田高明先生の発表会のプログラムを見たのがきっかけで、曲の作られた時代に即した演奏を学びたく、レッスンをしていただくことになりました。
これは、講習会に参加するよりかなりハードルは高かったです。
片岡先生に相談し、両先生同士のやり取りがあり・・・
そして今に至ります。
どちらかひとつを選ぶということではなく、今までに加えて新しいことを、という気持ちです。
自分の中では引き出しを増やしている、という感覚なんです。
寛大な先生方のおかげでこのようにさせていただいています。
たぶん、「いきなりこれ」ではなく、清里マンドリン音楽祭からの布石があったからこういうレッスンが受けられているんだと思います。
そう考えると、清里マンドリン音楽祭が私のターニングポイントだった、という長い話でした。
今日の記事を書くにあたって、いろいろなことを思い出しました。
また別途記録していきます。