花柄、それも総花柄のきものなど、ほとんど着ません。
なのに、なぜか桜・総花柄のきものなど購入してしまったのは、たまには「自分らしくない」きものを着てみたいという秘か(?)な欲求があるからかもしれません。
色も黒だしね、どうせプチプラでしょう。
たまにはいいんじゃない、となったわけです。
昼間の桜見物はちと抵抗があったので、夜桜見物にしました。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている~~?」
夜の闇にまぎれ、それも後ろから見た限り、普通のきもの姿。
前から見ると~~。
「だから、あんなにきれいなんだ。
これは信じていいことなんだよ」(梶井基次郎)
写真的にはチト怖さがありますが、やはり「らしい」も「らしくない」もありません。
幻想的な夜の桜。
「らしい」とか「らしくない」とか思うのは、自分が自分に抱いているイメージ、あるいは友人が自分に抱いているイメージですね。
そのイメージは、たとえばいつも「紬を着ている人」「いつもモノトーンを着ている人」。
それ以外のものを着用すると「おや!」と思われる。
「らしい」の法則=好きな着物×着る回数
何度も着用していると、それが「その人らしい」イメージになっていくわけです。
仕事関係では、自分のイメージを統一するために、同じ洋服を何枚も持っていて、いつもそれを着ている人もいます。
知らない人が見る分には、「らしい」も「らしくない」もないわけで、ただ、自分が落ち着かないだけです。
でも「自分が落ち着かない」、これが大きい。
「らしい」とは自分が一番落ち着くきもの、ということかな。
夜の闇にまぎれると、「自分らしい」もどこかに消えるみたいです。
この柄ものを昼間に着られるかというと、ちと抵抗がある~~。
明るい光の下で見ると、なんだか踊り用のきもの、みたい?
見慣れてくるとそうでもないような?、いや、やはりビミョウ~なような~。
白の桜の浮き出た帯。
花の刺繍の帯留
桜の帯揚げ。
私にとってきものは遊び、楽しみです。
「らしさ」から抜け出て、いろんな着物に浮気、いや挑戦しても面白いかな、と思う今日この頃です。
まずは、おうちで「らしくない」きものを着て回数こなすことから始めましょうか。
同じ夜桜でも、こちらは「自分らしい」きもの、かな。
気が向いたら
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