カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

義母との別れ

2019-08-01 16:38:58 | 日常あれこれ
 今日から8月、寒暖計もうなぎ上りで室内でも35度を超える勢い。

 かなり忙しい10日間ほどを過ごし、ほっと一息ついたところでいきなりの猛暑に身体がついていけない。

 

 多分今日は外気温36~37度くらいはありそうだ。

 気温もさることながら、吹いてくる風が湿気を帯びた熱風で、いささか参っている。

 当分こうした天気が続くとあって体調管理にも格段の注意が必要のようだ。

 相方の母親の死去に伴う諸手続で、あちらこちらと飛び回っていたが、本日各種役所がらみの書類手続き関係は一段落した。

 体調不良だった相方の母親が、23日の深夜に息を引き取って以降ノンストップの忙しさとなった。

 喪主の長男が遠隔地のため、病院・葬儀・役所手続きの全てが長女の相方と、私の任務となってしまった。

 父親の死去に伴い財産等の処置は終わっていて、母親は財産と言うべきものは無いのでその点だけが救いだった。

 ただ田舎の家に、母親が持っていた家具とか衣類とかの処置が残っていて、これはかなりの手間を取りそうな予感がする。

 そうした各種の遺品の中で、あっと驚く品物が我が家の押し入れから出て来た。

 

 義母はカラオケなど賑やかなのが好きで、体調不良でもカラオケは週3回車椅子に乗ったままでも唱うという根性もの。

 日本舞踊は何十年も前から踊っていて、興がのれば安来節もやらかしてしまうお調子者。

 我が家の娘が産まれた時は、お産の手伝いに来たついでに長男に黒田節を特訓して覚えさせてしまった。

 自宅の新築祝いの席の余興で、我が長男が「黒田節」をお披露目して拍手喝采を浴びていたのを思い出す。

 さてさて、このドジョウすくいの道具がなぜ我が家の押し入れにあったかについては、相方の弁明を聞かないと判らないし、多分話が長くなるので省略する。

 49日が過ぎて納骨を済ませたら、遺品の整理をしてしまう予定であるが、この傑作な遺品は如何なすべきか。

 

 右と左の空は暗くなり雷も鳴り響いているが、真ん中の我が町だけは取り残された形になって、夕立の恩恵も受けず蒸し暑さが続いている。

 暑さや寒さに弱く、カラオケには滅法強かった義母は亡くなる数日前まで病室で歌を口ずさんでいて、私も相方も何曲聴かされたか判らないくらい延々と唱っていた。

 私と相方に向かって「しっかりせにゃいかんぞ」と励ましてくれたのが、まともな会話の最後だった。

 後は、歌と独り言とそして最後は眠ったまま死んでいった。

 延命に関する特別な処置はしないようにと、常日頃から言っていた義母の希望にそってなされなかった。

 「胆嚢癌」であったが、苦痛を訴えることも無く、痛み止めの注射の一本も打つこと無く安らかな旅立ちだった。

 享年87歳、私の手本にしたい死に様だった。(合掌)

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コメント
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