白雲去来

蜷川正大の日々是口実

もう四日も飲んでいない。

2011-03-04 22:44:12 | インポート

三月四日(金)晴れ。

 今日も冬に逆戻りしたような寒い一日だった。それでも寒い、寒いなどと言っていると獄中で座している同志に申し訳ない。知り合いには、無期で座っている人が三人もいる。

 寝てばかりいるので、腰が痛くてマイッタ。八時に起きて、三日ぶりにまともな朝食をとった。鮭、大根おろし、納豆に「しじみの力」にご飯。しかしまだ体が本調子ではない。それでもどうしてもやらなければならない原稿があるので、机に向かった。寒気がするので沢山着こんで暖房を入れた。部屋の中で暖房を使うと、どうも後ろめたくて嫌だ。

 連載させて頂いている「実話ドキュメント」の第百四回を何とか夕方までに脱稿した。「我が生い立ちの記」の二回目。考えてみたら、誰が私の生い立ちなどに興味があるかと、笑われそうだが、そこは、横浜の歴史や時代背景を加味してあるので、何とか読むに耐えられるのではないかと思っている。その後、「大吼」用の「編集長の『本の虫、ほんの無視』」の第一回を書き上げた。計算違いで頁不足になってしまったので、慌てて書き上げた。時計を見れば、外はもう真っ暗である。もう一本書かなければならないのだが、体力がもたん。

 私の出た小学校の歴史を調べていたら、江戸後期から明治初期までのわが国の識字率について書いてあるものを見つけた。その当時の日本の識字率の高さは世界最高水準にあった。明治十年に滋賀県で実施された調査では「六歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は、「男子八十九%、女子三十九%だったそうだ。
 その識字率の高さの要因は寺小屋教育にあると指摘している。義務教育制度が開始される以前にも文字教育を担った寺小屋は江戸時代後期には全国に五万ヶ所にも達していた。当時(一八五〇頃)の就学率は七〇~八〇%だという驚異的な数字が残されている。ちなみに同時代の英国は二〇~二十五%(一八三七)、フランス一・四%(一七三九)、ソ連二十%(一九二〇)などと比べても日本の就学率がいかに高かったかが分かる。ちなみに私が出た小学校の前身は明治六年に開設された寺小屋である。

 夕食を食べ終えた後は、早々と布団に入った。もう四日も飲んでいない。このままやめてしまおうか、いや飲むのは週に二回ぐらいに、いやいや休肝日を週に二回。まあ調子が良くなってから考えるとするか。

 


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経団連事件の記念日だというのに、臥せっている。

2011-03-04 10:25:12 | インポート

三月三日(木)晴れ。経団連事件から34年。

 今日も寒い日である。体調はまだ戻らない。三日連続寝ているので、当然三日の休肝日となっている。喜んで良いのか分からん。

 今日は、私にとって雛祭り、というよりも恩師らが、昭和五十二年のこの日に「財界の営利至上主義を撃つ」として、財界の総本山である経団連会館を襲撃占拠した日として、忘れることが出来ない、そして自らを戒める日でもある。

 野村先生は、若き頃は、政界の大物である河野一郎邸を全焼させた「炎の警鐘事件」で、十二年を獄中に過ごし、出獄からわずか二年をして財界の総本山、経団連を襲撃した「経団連事件」で再び六年を獄中に座した。そして出獄から十年目に、朝日新聞の東京本社社長室において壮烈なる自決を遂げた。

 すなわち、政界、財界、マスコミを代表する最高権力と常に戦い、その不条理を糺してきた。いやそれだけではない、フイリピンのゲリラに誘拐されていた石川カメラマンの救出や様々な戦いに挑んできた。その野村先生の生き様に思いを馳せるのが今日である。特に、「経団連事件」は、戦後の民族派運動のターニングポイントとして特筆される事件であり、猪野健治などの評論家の諸先生の評価も高い。

 私は、昭和四十五年の三島・森田両烈士の自決事件と、三十四年前の経団連事件がなかったならば、今日まで志を維持することなど出来なかった。そしてまがりなりにも民族派運動の末席を汚していられるのは、この二つの事件のお陰と思っている。

 そんな節目の大事な日に、だらしないことに体調不良で布団に臥せっている。今日で三日目である。こんなに連続で寝込むのは久しぶりの事である。

 夜中に、目が覚めてしまい、先日、録画しておいた「遺恨あり」を見たが、とても良い映画だった。印象に残ったのは北大路欣也扮する山岡鉄舟の言葉、「維新で過去の全ての価値観が変ろうとしているが、後世、私達の子孫はそれを喜ぶだろうか」定かではないが、このようであったと思う。そして「武士の誇り」が失われることへの寂寥感と危機感。「武士の誇り」それは言うまでもなく「日本人の誇り」であり、失ってはならない日本人の「矜持」でもある。

 ネットを駆使して、匿名で他人を誹謗中傷したり、政治の批判をする連中に、日本人の「誇り」や「矜持」というものを感じないのは私だけではあるまい。作家の曽野綾子さんは三月二日の産経新聞のコラムにおいて、サイトを通じて入試問題を外部から教えてもらおうとする卑怯な学生や、シンガポールでニセモノ携帯が中国人の手によって氾濫している現状を、「精神の基本の腐った人間や社会は、いかなる繁栄も長続きもせず、強固な発展もしない」と指摘している。

 私も、そう批判されないように、努力して行くつもりである。

 

コメント (2)
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寝たきり二日目。

2011-03-04 09:29:02 | インポート

三月二日(水)曇り。

 寒い朝である。昨夜早目に寝たにも関わらず、朝起きられなかった。体がだるい。熱はたいして上がらないのに、寒気がして布団から出れない。締め切りが過ぎてしまっている原稿もやらなければならないのに、起きられないのだ。

 

 昼過ぎになって、ようやく布団から出て、食事。と言ってもお粥を食べて、風邪薬を飲んで再び布団に入った。体は正直なもので、夜の七時過ぎまで一度も起きずに寝ていた。

 

 簡単な夕食をとった後に、すぐに布団に戻る。最悪の状態である。寝てばかりいるので、腰が痛くて寝ているのも、起き上がるのにも難儀している。困った。


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風邪の予兆。

2011-03-04 09:19:28 | インポート

三月一日(火)晴れ。

 逮捕され県警本部に拘留されている友人の面会に行こうと思ったら、手続きが煩雑で、一緒に行くはずの友人も、都合がつかず来週にということにした。時間が余ってしまったので、同級生の会社にお邪魔して、昼食をご馳走になる。

 帰宅後に、机に向かうが、何か体調が良くない。寒気がするし、体がだるい。風邪の予兆かと思ってまだ夕方だというのに布団を敷いて貰った。

 幾らか楽になったところで、夕食。珍しく食欲がなくどうも体調が戻らない。八時過ぎに松本佳展君が来訪。ふるさとに帰っているT君からお米を送ってきたかとのことで、届けてくれた。また下の子供が欲しがっていたギターを持ってきてくれた。子供は大喜びである。早目に布団に入ったが、まさか、それから三日も起きられないとは思わなかった。悪夢の始まりである。

 さすがに、今日は休肝日とした。


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