白雲去来

蜷川正大の日々是口実

日本から電池が消えた。

2011-03-21 11:38:39 | インポート

三月二十日(日)晴れ。

 良い天気である。春はこうでなくてはいけない。朝食の後に、家族でお墓参りに出かけた。途中、海老名のSAに行き、メロンパンを買うのがお約束。このメロンパンは、下りのSAにあるものの方が美味しい。食堂も下りの方がメニューも充実している。ガソリンスタンドに五台くらいしか並んでいなかったので、十分ほど並んで給油。ただし二千五百円までの規制あり。

 野村先生のお墓に新しい花があった。聞けば、午前中にご夫人がお参りに来たとか。お線香を上げて、今回の震災の復興が一日も早く出来ますことを先生にお願いした。

 その後、私の両親のお墓へ。きれいに掃除して、家族で手を合わせた。帰りに、伊勢原のスーパーの中にある肉屋に入ったら、大好きな「プレスハム」があった。私は、ロースハムよりもこのプレスハムの方が好きだ。嬉々として一キロも買った。そのスーパーを見渡すと、ペットボトルの水も置いてあったし、カップラーメンもあった。

 帰宅してから、家族が私の誕生日祝いに、パソコンと食卓兼用の椅子を買ってくれるというので、「ニトリ」に行ったが、工場が潰れて、入荷が四月の半ばになるとのこと。まあこんな時だから仕方ないか。近所のスーパーにも寄ったが、品物は豊富にあり、お米もカップ麺もあった。ただトイレットペーパーや電池は完売していて、入荷の予定は未定との貼紙があった。

 帰宅後に、沖縄の友人に電話をしたら、沖縄でも、電池は全く無いとのことだった。日本から電池が消えてしまったようだ。メーカーはどんどん量産に励んでください。

 夜は、伊勢原で買った「とん漬け」を肴に一杯やった。テレビで「プラダを着た悪魔」を見たが吹き替えが面白くなく、家にあるDVDを引っ張り出して、久し振りに見たが、最高でした。私の好きな映画ベストテンにはいる映画です。


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ヨタ話を肴に飲んだ。

2011-03-21 11:06:17 | インポート

三月十九日(土)晴れ。

 日を追うごとに今回の震災の被害の大きさが明らかになってきて、暗澹たる思いにさせられる。特に、原発の事故が深刻だ。政府は心配ないと言うが、諸外国の外交官などは、どんどん日本から離れて行くし、本当に大丈夫なのかと思ってしまう。しかし、万が一、「危ない」と言われても、どこに避難すれば良いのか、私のような貧乏人は、ただ座して死を待つだけだ。

 そんなに暗くなっても仕方ないと思って、社友の古谷喜久男氏を誘って、藤棚の「やまと」へ出かけた。案の定店は暇だった。偶然に、釜石のスーパー堤防の建築に従事したことがあるという人がいて、当時は、「こんな馬鹿でかい物を作って、税金の無駄遣い。何考えてんの」と、皆で、笑っていたという。その堤防を津波が乗り越えたことを知り、あらためて自然の驚異、恐ろしさを知ったと話していた。

 私の下らん発想だが、もう少し落ち着いたら、各都道府県で、十八歳から六十歳までの人から、一口、千円の寄付を募る。これは義務として。もちろん生活保護を受けている人などは除外だ。百口も千口も寄付する人は、「名誉市民」として表彰する。そのお金で、団地や住宅の建設費に当てる。神奈川県民の寄付で立てた団地(ケチケチしないで、広めのものを作る)は、「神奈川団地」とかすれば、住む人も感謝し、我々もお役に立てる。

 神奈川県の人口は、約九百万人。十八歳から六十歳までの人が、人口の何割を占めるか分からないが、例えば五百万人として、五十億(間違っていませんよね)。中には十口も百口も出す人もいるだろうから、七十億円ぐらいは集るのではないだろうか。七十億でどれくらいの規模の団地が建つのかは分からないが、建設業に従事する人たちも仕事が増えるし、景気も少しは良くなると思うのだが。

 とかく土建屋さんなどは、金が入れば、ぱぁーっと遊ぶ。それに比べて、かつてネットなんかで儲けた、若い連中の遊びのヘタなのと、心の貧しさは何だ。ネオン街も建築関係者が出歩けば、明るくなるという原則がある。

 国や政治のみに期待するのではなく、こうした形で、被災なされた地域と人とに連帯する。難しいことではないと思うのですが・・・。

 まあ、こんなヨタ話を肴に、「やまと」で飲んでから、ハワイのお祭りから帰国したばかりのサリーに会いに「サリーズバー」へ。カメ&アコちゃんたちも飲んでいて、閉店までいて、山下町の「ラッキーの店」へ。一時近くまで飲んで、帰宅した。

 


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