三月十三日(日)晴れ。
朝六時起床。昨夜、ホテルの部屋に戻っても気になってついテレビのニュースを遅くまで見てしまうので、起きるのが辛かった。それでも頑張って起きて、朝食をとり荷造りをしてロビーに下りた。すでに、隠岐、松本、藤田の諸氏と、梶浦、山本の両君が待っていてくれて、一路千歳へ。梶浦、山本の両君とはここでお別れ。お世話になった三日間を感謝。
十時半のJALにて羽田へ。空港には、家族が迎えに来てくれていた。とりあえず家族の元気な姿に接し、一安心。ここで隠岐、松本の両氏と別れた。車で横浜に戻るが、首都高速の湾岸線が通行止めなので、一号線に出る。自宅に戻る前に事務所に行く。本当は、すぐに事務所の様子を見に行って欲しかったが、考えて見れば、札幌にいて事務所の状態を知ったからと言って何か出来るわけではないし、門下生も皆、それぞれが大変な時に、事務所に行って来いとは言えない。それなら帰るまで知らない方が良いと思っていた。
恐る恐る、シヤッターを開けて中に入ったら、想像していたよりも事務所の中は、雑然としておらずホットした。それでも印刷機や丁合機、パソコンなどが動かず、その調整が大変である。それでも、マンションが崩れたわけではないので良しとしなければ。
三日ぶりに自宅に戻り、家族で遅い昼食をとり、地震当日の話を聞いたが、学校はかなり揺れて、泣き出す子もいたそうだ。余震があると思うので、家族で避難場所や避難する際の緊急袋の確認などした。
夕方、大和市の中華料理店にて、大日本一誠会、明鏡会の田中能理夫先輩の古稀の祝いがあるために、近所に住む明鏡会の木場君に迎に来て頂き同行する。
五時に、古稀の祝いが始まるが、ガソリンスタンドが何処も列をなしているので、遅れてくる同志もいた。私は、発起人の一人として挨拶をさせて頂いた。七時に終了。再び木場君に送って頂き帰宅。