白雲去来

蜷川正大の日々是口実

前原に献金したアジュマが可哀想だ。

2011-03-07 21:17:05 | インポート

三月七日(月)雪のち曇り。

 昨日、早く寝たせいもあって、幾らか体調が良くなった。それでもまだ声がかすれ、胸が痛い。今日は医者に行くとするか。

 雨戸を開けると、外は雪が降っている。春の雪は何となく優しい感じがする。ふと、先生の

 貧困の政治 飛雪が罵りあふ

 が浮かんだ。ニュースでは前原外務大臣の辞任を伝えていた。瞬間、可哀想にと思った。前原氏にではなく、五万円を寄付した焼肉屋のアジュマがである。聞くところによれば、その焼肉屋へは前原氏が中学二年から通っていたそうだ。多分、そのアジュマは、子供の頃から知っている前原氏が、議員となり大臣までになった。嬉しさのあまり応援したのに違いあるまい。そのアジュマが大臣室で大臣と一緒に写真を撮ったことを非難している報道もあったが、私は、いい話だと思っている。お世話になった焼肉屋のオバサンを大臣室に招いて、お礼がてら写真を撮ることのどこが悪いのか。私には、前原氏の優しさだとしか思えない。日本人に優しくしてくれた焼肉屋のアジュマに表彰状でも上げたいくらいだ。

 また、たかが(失礼)焼肉屋のアジュマが五万円を寄付したからと言って、外務大臣としてどんな便宜を図り、またどんな機密を漏洩すると言うのだ。たしかに現行では、外国人による政治家への寄付が禁じられているかもしれない。しかし、五万円ではないか。きっとアジュマも傷ついているのに違いあるまい。自民党の福田だって北朝鮮系の企業から寄付を受けていたではないか。余りにも、追求することがセコ過ぎる。それが国家の一大事だと言うなら、テメェが北朝鮮に乗り込んで拉致家族の一人でもつれて帰って来いよ、威勢の良い自民党の議員さん。

 それを鬼の首を取ったように国会で質した自民党の野郎の品のなさは何だ。テメエは立小便もしたことがない聖人君子か。礼儀も礼節も持ち合わせていない、品性下劣な野郎という印象しか感じなかった。また、今朝テレビに出ていた自民党の山本一太という小僧もなんだ。全てが政局。国民の生活や国益など全く考えていない。あの小僧には底辺で働く庶民の苦労など分かりはしまい。

 児童手当だってそうだ。誰が見たって「バラマキ」民主党の人気取りと言うことは分かっていても、一旦支給されてしまえば、国民は、それを当てにし、その範囲で家計をやりくりするものなのだ。それを政局でとめてしまったなら、どうなるかと言う、庶民の「痛み」を山本とか言う小僧は全く分かっていない。かつて、自公連立政権のときに、ばら撒いた「給付金」のことをよもや忘れたわけではあるまい。自分がやることは良くて、他人はダメ。選挙になったら絶対に自民党には入れないと誓った次第。ほとんどゴミだなアイツら。

 重箱の隅をつつくことなどやめて、政策で勝負してみろよ。このままでは亡国への道を辿るのは必至と悲しくなる。

 夕方から、耳鼻咽喉科へ行き、診て貰ったが、「たいしたことない」とのこと。明日、内科にも行ってみるつもり。


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やっぱり具合が悪くなった。猛省!

2011-03-07 20:41:20 | インポート

三月六日(日)晴れ。

 朝起きられなかった。早朝から電話が鳴って、誰だこんなに早くと思ったら、サリーとサリーパパだった。恒例の本牧でのモーニングの会をやっているところだと言う。タフな人たちだ。昨日の酒がたたって、体調はまた最悪の状態に戻ってしまった。喉は痛いし、恋などしていないのに胸も痛い。調子に乗って飲みすぎたせいだ。

 しかし、具合が悪いからと言って今日も忙しく、寝ていられない。体調を理由に怠けることだけはしたくない。午後から、川崎の奥様のご自宅に昨日の報告と、私の還暦祝いのご挨拶に伺った。途中、子供にせがまれて国道沿いにあるハンバーグの専門店?で昼食をとったが、味は最低で、ゴミみたいな店だった。エコを看板にただのケチな店で、これがハンバーグ、バーカという感じ。魚肉のソーセージの方が百倍ましと感じた次第。行った私が馬鹿でした。

 ご自宅に伺えば何と、奥様も風邪で寝ていた。奥様に挨拶の後に、四月に中学に入学する子供のカバンや制服を買いに横浜へ。ついでにお世話になっている方から頂いたワイシャツ券でワイシャツを作った。そごうと高島屋のものが一つずつなので両方で仕立てたが、高島屋の方が断然親切で、心がこもっていた。いつもは、そごうなのだが、首周りがきついので、もう少し大きくしてくれと頼んでも、「これでいいと思います」。前回も、プロが言うのだからと思って、言う通りにしたら、やはりきつい。今回は、さすがに、「いいから私の言うとおりにしろ」と、怒鳴ってやった。何か、早く終わらせようとする態度がミエミエで、何が老舗のデパートだバカヤロウめ。

 自宅に戻ってから、風呂にゆっくり入って、早目に寝た。


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浅草・錦糸町・横浜へと転戦。

2011-03-07 20:14:41 | インポート

三月五日(土)晴れ。

 久し振りに外に出た。今日は、五時から先週に引き続き、野村一門の会議がある。まだ体調はイマイチだが、これは使命感の問題だ。どちらでも良いとか、どうでも良いと思っていると、必ず体調を理由に欠席してしまう。行こうと言う思いさえあれば多少体調が悪くとも出かけられるものだ。そう自分にムチ打って出かけた。

 五月の後半に、野村夫人を伴って、野村先生の思いのこもるフィリピンはマタブンカイにおいて慰霊祭を行なうことに決定した。経費や細々とした話し合いをし、八分通りの予定を決定した。

 後は、恒例の食事会。隠岐さんの会社の近くの「甲州屋」という蕎麦屋だが、下戸の人以外は、ほとんど蕎麦を食べずに、焼酎の緑茶割りをやりつつ、ツマミを食べる。またこの店の「緑茶割り」が美味い。肴も良い。もちろん蕎麦も美味いに加えて、その量が凄い。皆、二人前ぐらいある。前回は、ザル蕎麦を食べたが、ヒーヒー言ってしまった。

 具合が悪いので、禁酒と思ったが、もう四日も飲んでいないので、マアいいか、と思って、つい二杯が三杯、三杯が四杯と、気がつけば、もう矢でも鉄砲でも持って来い、の状態。「俺をこんなハンパな酒で帰すのか」と、無理難題をカマして、錦糸町へ転戦。土曜日とあって客は少ない。帰りづらくなり、結局十一時近くまで。

 まっすぐ帰れば良いものを、横浜に戻ってサリーの店へ。ここに友達が一杯。サリーに「もう店を閉めれば」とわがままをを言って、サリーパパなどと野毛へ転戦。昭和二十一年から営業していると言うバー「R」へ。渋い店で、こういった店の良さが分かる郡山の盟友の顔が浮かんだ。それから、焼き鳥屋に転戦したが、さすがに何も食べることが出来ずに、三十分ほどいて帰宅した。


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