白雲去来

蜷川正大の日々是口実

子供の卒業式に参加して感じたこと。

2011-03-19 10:54:47 | インポート

三月十八日(金)晴れ。※十一日から十三日までのブログを再アップ致しました。遡って読んで頂けましたなら幸いです。

 お知らせ

 私事で恐縮ですが、今月の二十一日(月)に予定しておりました、「還暦の会」を、非常時に鑑み、中止とさせて頂きます。ご案内状をお送り致しました皆様には、大変御迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承の程をお願い致します。

 今日は、下の子供の卒業式があり、学校に行った。驚いたのは、子供達の行儀の良さだ。私語を交わす子や、キョロキョロする子もいない。当たり前言ってはそれまでだが、連れて来た赤子が泣いているにも関わらず、席を立ってあやそうともしない保護者よりもよほど立派である。赤ん坊だから、赤ん坊と一緒にいるから何でも許され、周りが我慢すべきというのは、余りにも非常識だ。

 国家斉唱。子供達は歌っていたが、父兄はほとんど声を出していなかった。意地になって私は大声を出して歌った。この頃は、バカ親よりも子供の方がしっかりしている。校長も、先生も国旗に一礼をしてから登壇していたのには拍手。

 ただ来賓のくだらん話を延々聞かされたのには閉口した。野村先生の話ではないが、「延々しゃべってバカだと思われるよりも、黙っていてバカと思われる方がマシ」との言葉が頭に浮かんだ。厳粛な式ではあったが、残念だったのは、「蛍の光」も「仰げば尊し」も聞かれなかったことだ。子供達が歌ったのは、「この星に生まれて」(杉本竜一作詞作曲)というものだった。こんな詩である。

 どんな言葉で 飾るよりも 生きる力を持ち続けて

 はるかな空には 虹も輝くから

 つよく、つよく、歩き続けて

 河はゆるやかに 時を旅する

 広い宇宙の 風に乗りながら

 この後に、ドリーム・カム・スルーと英語が続く。どんな意味か、何をどうしようと言うのか、無学な私にはさっぱり分からん。私は、宇宙人ではあるまいし「この星に生まれて」という概念は全くない。

 私は、天皇陛下の御座します皇国に、陛下の赤子として誕生したことを誇りに思っている。

 現代の子供に、こういった意識を持たせることは無理と思っていても、わが子には「この星に生まれて」なんて言うことを教えたことはない。「日本に日本人として生まれたことをありがたく思いなさい」と教えている。そういった意識があるからこそ、他所の国の人たちと仲良くできると思っている。

 卒業式といえば「蛍の光」だ。日本人の全てが、その曲を聞けば粛然とし、学生時代を思い出す、という思いを統一したほうが良いのではないか。なぜ「蛍の光」ではいけないのか不思議でならない。「蛍の光」は、私達の頃でも二番までしか歌わなかったが、その後に続く詩の中に日本と日本人にとってとても大切なものがある。それを歌わなくとも、その後の詩に続いている、という民族の連帯意識が大切なのだ。

 蛍の光

蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく

とまるも行くも 限りとて
互みに思う 千万の
心のはしを ひとことに
幸くとばかり 歌うなり

筑紫のきわみ 陸の奥
海山遠く へだつとも
その真心は へだてなく
ひとえに尽くせ 国のため

千島の奥も 沖縄も
八洲のうちの まもりなり
いたらん国に いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

 感心はしたが、感動のない卒業式であった。帰宅後は、花粉症の薬を飲むと、眠くてたまらず、二時過ぎから五時過ぎまで寝てしまった。夕食の後も、また眠くなり布団に入った。薬が強すぎるのだろうか、もう目薬だけにして、飲み薬はやめた。仕事にならん。


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