三月二十一日(月)雨。
朝起きたら、子供達から「おめでとう」と言われた。今日で満六十歳。素直に喜べず忸怩たる思いもある。
上の子供から、プレゼントとして「そうだったのか!中国」(池上彰著・集英社文庫)を貰った。下の子供は、昨日、椅子を買った際に、幾らか出資したので、あらためて礼を言う。
新聞では、福島から避難した人たちが、旅館に入ろうとしたら断られた。と信じられないような記事があった。こんな大変な時に、何と言うふざけた旅館だ。名前を公表して、営業許可を取り消してやればいい。また福島産の「ほうれん草」が、食品衛生法の基準値を超えた放射能が検出されたとかで、出荷停止となったとか。何言ってんだ、熱処理して食べれば何ともないのに、ビクビクすんなって言うの。すすんで食べるからどんどん出荷したらいい。そんな薄情な国民だったら、放射能騒ぎが収まっても、野菜を食べさせなければ良い。嫌な話だ。とりあえずガンバレ福島県。
こんな時に個人的な誕生日ではしゃいでいるわけも行かないが、まあとりあえず一つの区切りとして「おめでとう」のメッセージを様々な方から頂いた。まず、もう二十年以上誕生日になるとお祝いのメールやファックスを頂いているナリポンこと成田功氏が来訪し「二重橋」という焼酎を頂いた。
本来ならば、同志や友人と共に、今日の日を共に祝う予定だったが、時局に鑑み、延期させて頂いた。小規模ではあるが、我が家の家族、サリー、サリーパパ、ご子息、松本佳展、小枝、カメ&アコの諸氏と、「菜香」にて食事会を行った。私の還暦の会を中止としたが、連絡漏れで、店に来てしまうかも知れない人がいるのではないかと言う危惧もあった。
その危惧が適中し、二名の方がお店に来られた。一人の方は一緒に食事を共にさせて頂いたが、もう一人の方は、お帰りになってしまった。申し訳ないことこの上もない。
「菜香」の支配人であった幼馴染の吉次氏も還暦で定年となり、現在は嘱託として店に残っている。思えば彼とも長い付き合いだ。一緒にディスコで遊んでいた十七、八歳の頃からだから、もう四十年にもなる。
何度目かの乾杯の後に、二次会は山下町の「ラッキーの店」へ。ここでしばらく飲んでから帰宅した。カメ&アコちゃんのお二人からは、ステキなお花を。小枝ちゃんからは、ラルフローレンの赤いパンツを。勝負パンツにさせて頂きます。サリーファミリーからは、ハワイのTシャツ。松本佳展君ら、後輩からは、モンブランの万年筆を頂いた。
※ラッキーの店で。左から、ラッキー、サリー、私、松本、サリーパパの皆さんと。
一冊単行本を出したら、その記念にモンブランを買おうと思っていたが、思いがけず頂いた。万年筆で原稿を書くことはないが、手紙は今でも直筆、それも万年筆を使っている。万年筆が好きで、十本ほどあるがモンブランは始めてである。嬉しくてチョット、ウルッと来たが、まあ人前なので我慢した。
石橋卓次さん、しんちゃん、毘沙門寺岡さん、成田功さん、梶浦直樹さん、石澤博文さん、杉山茂雄さん、米ちゃん、隠岐康さん、湯浅進さん、志村馨さん、松本佳展さん、サリーファミリー、カメ&アコちゃんの皆さんにスペシャル・サンクス。
フェイスブックとメールでは、京子ちゃん、細川嘉彦さん、梶浦直樹さん、坪内隆彦さん、福井英史さん、嶋田不二雄さん、小枝ちゃん、山崎行太郎氏、バンコックの日光軒さん。サイパンの小幡さん。有難うございました。
獄中から祝電を頂きました、山本雄一さん、有難うございました。
又、地震直後よりご支援を頂きました、大島隆さん、山内愁雲さん、福井英史さん、森下保昌さん、山本和八さん、梶浦直樹さん、細川嘉彦さんの皆さんに衷心より厚く御礼を申し上げます。