六月二十三日(木)曇り。
毎日、宿でぼーっとしていても仕方がないので、朝六時に起床して釣りに出かけた。本当は、小舟を仕立てて沖に出ようと思ったのだが、釣り宿から電話が入り、風が悪いので出れないとのこと。その代わりに堤防で小魚と遊んだらどうかとの話。
折角なので皆で出かけた。釣り宿で竿と仕掛けを借りるが、これがほとんど小学生が使うような浮き仕掛けのもの。まあ仕方ないかと、こませとオキアミの餌をもらって、推薦された堤防に行く。本当に小魚ばかりで、掌より小さいメジナやカサゴばかりだった。二時間ほどで納竿して宿に戻った。
自宅から戦前の民族派事典の校正がどさっと届いていたので、夕方まで仕事をした。
横浜でかつて天照義団を主宰していた戦前からの正統派の民族派、山下幸弘先生が若い頃に所属していた赤化防止団の記録があった。
その資料によれば、赤化防止団は大正十一年に結成された。当時は、反左翼のみを標榜して活動する団体は珍しく、他団体の注目を浴びたそうだ。活動も活発で、演説会の妨害をした左翼グループが、殴り込みに来た際には、拳銃で射殺したり、大正十三年には、アメリカの排日政策に抗議してアメリカ大使館の国旗を引きずり下ろすなどの過激な運動を展開した。
昭和二年には、横浜に赤化防止団の神奈川県本部が設立され、責任者に山下幸弘先生が就任している。
当時の内務省警保局の資料であるから、当然、取り締まる側からの視点で書かれている。
夕方から、一時間ほどのウォーキングに出た。疲れていたせいか、十時過ぎには寝てしまった。