白雲去来

蜷川正大の日々是口実

防波堤で、小魚と戯れた。

2011-06-24 21:53:19 | インポート

六月二十三日(木)曇り。

 毎日、宿でぼーっとしていても仕方がないので、朝六時に起床して釣りに出かけた。本当は、小舟を仕立てて沖に出ようと思ったのだが、釣り宿から電話が入り、風が悪いので出れないとのこと。その代わりに堤防で小魚と遊んだらどうかとの話。

 

 折角なので皆で出かけた。釣り宿で竿と仕掛けを借りるが、これがほとんど小学生が使うような浮き仕掛けのもの。まあ仕方ないかと、こませとオキアミの餌をもらって、推薦された堤防に行く。本当に小魚ばかりで、掌より小さいメジナやカサゴばかりだった。二時間ほどで納竿して宿に戻った。

 

 自宅から戦前の民族派事典の校正がどさっと届いていたので、夕方まで仕事をした。

 横浜でかつて天照義団を主宰していた戦前からの正統派の民族派、山下幸弘先生が若い頃に所属していた赤化防止団の記録があった。

 

 その資料によれば、赤化防止団は大正十一年に結成された。当時は、反左翼のみを標榜して活動する団体は珍しく、他団体の注目を浴びたそうだ。活動も活発で、演説会の妨害をした左翼グループが、殴り込みに来た際には、拳銃で射殺したり、大正十三年には、アメリカの排日政策に抗議してアメリカ大使館の国旗を引きずり下ろすなどの過激な運動を展開した。

 

 昭和二年には、横浜に赤化防止団の神奈川県本部が設立され、責任者に山下幸弘先生が就任している。

当時の内務省警保局の資料であるから、当然、取り締まる側からの視点で書かれている。

 

 夕方から、一時間ほどのウォーキングに出た。疲れていたせいか、十時過ぎには寝てしまった。


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なにがハイキングコースだ。

2011-06-24 21:41:05 | インポート

六月二十二日(水)晴れ。

 私のいる宿は伊豆の国定公園の中にあって木々に囲まれている。朝、まどろんでいると雨音が聞こえる。起きてカーテンを開けると雨ではなく、風が木の葉を揺らす音だった。久しぶりの夏日で日差しが気持ち良い。

 

 ここに来るたびに何時か実現しようと思っていた六キロほどの海岸沿いにある山のハイキングコースを歩いてみようと午後から出かけた。宿から漁港を経て山道に入る。ハイキングコースと書いてあるので、さほど難コースとは思っていなかったが、それがとんでもない上り下りの続く、足場の悪い道で、二キロほど歩いたら足ががくがくとなった。それに暑さが加わり、同行した三十代半ばの人も、あまりのきつさにゼイゼイ言っている。

 

 途中で、場所を示す「ばったり」という看板が出ていた。狭い山道で、反対方向から来る人と「ばったり」会うのでそういう名前がついているのかと思ったら、とんでもない。旅人が、あまりの険しさに「ばったり」と倒れてしまうほどの難所であることから、その名前がついたと後で宿の人から聞いた。

 

 ちょうど半分まで歩いた所で、疲れと暑さで立っているのもやっとという状態となり、完走を諦めて普通の道に戻った。道路にある自販機を見つけた時には、大げさではなく砂漠のオアシスのような感じがして狂喜した。あんなにすごい勢いでスポーツドリンクを飲んだのは初めてのことだ。とても宿まで歩く体力、気力もなくタクシーを呼んで帰った。

 

 毎日、歩いていて多少の自信はあったが、いやはやこんなにダメかと自己嫌悪に陥った。

次は、必ず完走しようと心に誓った。

 

 夕方に、作家の山平重樹氏より電話が入り、取材で今日から沖縄に入っているとのこと。先日もお世話になった新垣和彦氏と一緒に「ソーキそば」を食べており、電話を代わって貰った。山平氏の沖縄行きを知っていれば一緒に行けたと思うと残念だった。

 

 夜は、宿の主人のご厚意でホタルを見に出かけた。シーズンが過ぎていて「乱舞」とまではいかなかったが、それでもホタルの飛び交う幻想的な光景を目にできただけでも幸運だった。

 

 疲れているにも関わらず、中々眠れなかった。


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