白雲去来

蜷川正大の日々是口実

関内祭り。

2013-07-31 07:59:45 | インポート
七月二十七日(土)晴れ後雨。
午前中は事務所にて機関誌の印刷。何とか印刷だけは終了。 午後から、「関内祭り」へ。 社友の古谷喜久男氏と待ち合わせて館内の神奈川新聞社前に行ったが、すでに神輿などは終了していて直会会場である弁天通りの「おじゃまむし」へ。 いつものサリーファミリーの皆さんと合流。一時間半ほどで終了。その後カメ&アコちゃん、古谷氏、愚妻の友人らとともに藤棚商店街の「すくね」へ転戦。 二時間ほどで解散。

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「燃えよ祖国」第197号が完成。

2013-07-31 07:58:38 | インポート
七月二十六日(金)曇り。 午後から事務所に行き「燃えよ祖国」の第一九七号の印刷。夜六時までかかってようやく半分の印刷を終えた。 ★弊社には野村先生が自決なされた際に報道された新聞、週刊誌、月刊誌等がほとんど揃っている。前述の物は、新聞社の縮刷版や「大宅文庫」などでも揃うだろうが、民族派の機関誌、紙や民族派とは関係のなさそうな業界新聞などに掲載された「自決報道」などもスクラップしてある。 残念ながら弊社のスキャナーは最大A3版の大きさまでしか取り込むことが出来ないので新聞の一面全部のコピーが難しい。五大新聞社の方は、過去の記事のコピーサービスなどは充実しているだろうが、スポーツ紙などはどうだろうか。もし可能であるならば、「野村秋介自決報道集」をまとめてみたいと思っている。 ★しばらく野村先生の「追悼特集」を続けるつもりでいる。先生が亡くなられた年に生まれた人は今年で二十歳となる。すでに生まれていたとしても未成年者であったならば先生の自決事件のことはもちろん、その意味と意義を理解するのは不可能であったに違いない。私たちにとっての二十年は、つい先日のように感じてならないが、当事者でない方たちには二昔も前の出来事である。あらためて二十年の時をさかのぼり、先生とご縁のあった方やマスコミの人たちが、先生の自決事件をどう感じ、論評していたかを再考するのも無駄なことではないように思う。 残暑厳しき折から、皆さんのご健勝をご祈念申し上げます。 とは「燃えよ祖国」の後書きです。



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いざが友よ、まず一献!

2013-07-31 07:57:28 | インポート
七月二十五日(木)曇り。 OCNの調子が悪くてブログがアップできない。仕方がないので、原因が分かるまでワードに書いておいて、後からアップしようと思っている。 長谷川三千子先生からご恵送頂いた「神やぶれたまはず」がものすごく良い。恐らく近年読んだ本の中で白眉だと思う。まさしく「昭和精神史」とも言うべきもので、日本人が必読の本。 タイトルを見た時に脳裏に浮かんだのが野村先生が「天の怒りか地の声か」の中に書いた寺山修司の「祖国喪失」の冒頭に読んだ歌への批判。寺山は、「身捨つるほどの祖国ありや」と詠み、野村先生は「石ころの一つひとつも私にとっては祖国」であると言った。 折口信夫は「神やぶれたまふ」と言い、長谷川先生は「やぶれたまはず」と言う。 本の内容は、是非ご一読ください。 夕方に、古い友人が来訪し一献会。 本当は、近くのすし屋とも思ったが、不如意が続いているので酔狂亭での一献会とした。 最近私の友人には、六ベロ、七ベロ、八か九ベロが多くなった。 六ベロの代表は展転社の藤本社長。今日来た私の友人は九ベロ。 何かって、六時に早々とベロベロになるから「六ベロ」。ちなみに私は「十ベロ」です。



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お店の開店祝いに。

2013-07-31 07:54:45 | インポート
七月二十四日(水)曇り。 東京行き。三時半から打ち合わせ会があり一時間ほど友人の会社で過ごす。 その後、中野に開店した「あずさ」という小料理屋に顔を出す。 このお店は、新宿で「フェボナッチ」を経営していた縣女史が新しく開店したお店。 縣さんは、その昔「桜マミ」という名前でピンク映画に出ていました。野村先生や阿部勉さんたちとも親しくお付き合いをしていた方です。 開店時間には少々早かったが、無理を言って開けてもらった。 その後、犬塚博英さんが合流。楽しい酒席となった。九時過ぎに電車で帰宅。  



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