白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「経団連事件」から37年か・・・。

2014-03-03 23:49:43 | インポート

三月三日(月)曇り。

今日三月三日は、三十七年前に野村先生らが「財界の営利至上主義を撃つ」として財界の総本山である「経団連会館」を襲撃占拠した、いわゆる「経団連事件」に決起した日である。この時の、先生はともかく、伊藤、森田、西尾の諸氏との「一歩の距離」を埋めるのにちょうど十年の時が必要だった。長くなるが「経団連事件」の際の「檄文」をアップ致します。

  檄
三島由紀夫・森田必勝烈士と楯の会会員が、自衛隊を衷心から敬愛し、かつ信頼していながら敢えてあの市ヶ谷台の挙に及んだに等しく、われわれも敢えて今日この「檄」を日本財界首脳諸氏に対して叩きつける。
大東亜戦争の敗北によって、廃墟と化した戦後日本の復興に、財界が少なからぬ寄与をし、如何にその指導的役割を果たしてきたか、これまでの歴史的事実を、われわれは決して軽んずるものではない。しかしその反面において、諸君らの営利至上主義が、どれほど今日の日本を毒し、日本の荒廃と混迷を促し、社会世相の頽廃を煽ってきたか、その罪状看過すべからざるものがある。ロッキード疑獄が投じた政治の混乱は、国民の政治不信を抜き差しならぬところまで追い込み、自由社会の根幹をすら揺るがすに至っている。
それだけではない。
日本の文化と伝統を慈しみ、培ってきたわれわれの大地、うるわしき山河を、諸君らは経済至上主義を持ってズタズタに引き裂いてしまった。環境破壊によって人心を荒廃させ、「消費は美徳」の軽薄思想を蔓延させることによって、日本的清明と正気は、もはや救い難いところまで侵蝕されている。自ら生んだ子供をコイン・ロッカーに平然と遺棄する異常の社会を、君らは、君らが意図したか否かは別として、現実として構築し続けてきた。営利至上主義の犠牲となった薬品公害患者の苦悩を、君らは一度でも、真摯に顧みたことがあるのか。水俣病患者・スモン病患者の心痛に対して、一度でも敬虔な反省をもったことがあるのか。大昭和製紙等に見られる無責任きまわるヘドロ公害、または瀬戸内海を死の海へと追いたてている現実の大企業体質を、君らは一度でも虚心に直視したことがあるのか。
祖国民族あるを忘れ、大衆国民のあるを軽んずるこの天を恐れぬ諸君らの所業は、必ずや日本を、否、全人類をも亡ぼすこと必至である。しかし、われわれの悲願は、ヤルタ・ポツダム体制そのものの打倒にあるのだ。したがって、諸君らのみをたんに弾劾するつもりはない。日本は、大東亜戦争の敗北によって無条件降伏を強いられたが、アメリカを中軸とした戦勝国は、戦後処理を徹底的に日本民族の弱体化に置いて敢行して行った。瞭然たる史実である。
 その結果が、現今、眼前に晒されている日本の姿である。物質的に豊かになったと言う美辞に弄されているのは錯覚である。
 日教組の目に余る偏向教育は、青年たちから夢や浪漫や祖国愛を奪い、連帯感や責任感の喪失を顕著にして重大な社会問題を提し、マスコミ、殊にマンモス化した新聞の横暴と跳梁は心ある人々の慨嘆と怨嗟の声を集めている。政治の混迷は祖国日本の基盤そのものさえ揺るがし始めている。
 東洋の君子国と謳われた日本の栄光は、いまやかけらほども見出すことができない。すべては日本民族の弱体化を眼目としたヤルタ・ポツダム体制の歴史的呪縛にその源泉を見る。だがしかし、この三十年間に及ぶ戦後体制を最も強力に支えて来た勢力が、金権思想・営利至上主義の大企業体質そのものであったことも韜晦をゆるされぬ事実である。われわれはかくのごとく断じ敢えてこの挙に及ぶ。
 古代ローマは平和を貪ることによって自ら亡んだ。祖国日本が同じ轍を踏むのを座して看過できない。
 日本を亡ぼしてはならない。
 営利至上主義のために「祖国」を見失ってはならない。
 憲法改正!
 安保廃棄!
 天皇陛下万歳!
YP体制打倒青年同盟  

 日本財界首脳諸君へ

この時代、初期の統一戦線義勇軍や一水会、そして我々野村先生の門下生のスタンスは、「一発の火炎瓶は百千の情宣に勝り、一発の銃声は十万の動員に勝る」というものだった。この基本姿勢を忘れてはならない、と思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「海軍乙事件」を知っていますか。

2014-03-03 12:02:08 | インポート

三月二日(日)雨。

午後から、横浜駅の高島屋に、下の子供の高校の制服を注文しに行く。といっても私は運転手で付いて行っただけで、子供のことは愚妻に任せて私は、好きな「デパ地下」の食品売り場をひやかしたり、書店で暇を潰したりと、まあのんびりとさせて頂いた。

本当は、横浜駅の西口周辺や、デパートが好きではない。どこか気取った感じがして、普段着では行けないような、そんな気がする。以前も、「そごう」の地下の魚屋に行ってカツオを買ってレジに並んでいたら、私の先に会計をしたオバハンが、たかがトマト二パックをレジの女の子に「これ外商に回して」とエラそうに言っている。あまりそういった客もいないのだろう、女の子は、隣のレジの人や、上司に聞きに行ったりと、中々会計が済まない。

私の後ろに並んでいる人たちからも、文句が出始めて、格好悪かったのだろう結局、そのオバハンは六百円程度の現金を払った。ケッ、六百円ぐらいさっさと払えよババア。と私は気が小さいので心の中で罵ってやった。

ことのほか、制服の購入に時間がかかっているので、書店に入って吉村昭の「深海の使者」と「戦史の証言者たち」、(いずれも文春文庫)の二冊を買った。ウロウロしてようやく座れそうなコーヒーショップを見つけて、まず「歴史の証言者たち」を読んだが、これがとても面白かった。特に「海軍乙事件」と称された福留参謀長らが、パラオからフイリピンのダバオ基地に後退するときに、参謀長らの乗った二式大艇が悪天候のために不時着水し、ゲリラの捕虜となってしまう。結果的には救出されるのだが、司令部員の持っていた機密書類がゲリラ部隊を経てアメリカ側に渡ってしまったのではないかと言う疑いが持たれた。

その遭難に関して二式大艇の搭乗員や、福留中将らを救出した歩兵部隊の人たち、捕虜になった人たちへのインタビューをまとめたものである。当事者の証言であり、当然リアルで、読み応えがあった。その他、山本五十六長官の搭乗していた一式陸攻の護衛戦闘機の搭乗員の証言や、戦艦武蔵の進水を果たした工作技師の証言、伊号三三潜水艦の沈没と浮揚など、かつて吉村氏が書いた本の資料となった「証言」がまとめられている。税込五百円は、何か得したような気がした。

高島屋の地下の魚屋で、解凍の「かつお」を買ってみた。余り期待せずに、その「かつお」で一杯やったが、まあこんな時期に美味い「かつお」を食べようと思う方が無理というもの。晩酌しながらレンタルした「「ホワイトハウス・ダウン」というドタバタ映画を見たが、何も考えることなく、手に汗握る、といった作品はストレスの解消にちょうど良い。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しい「書評」。

2014-03-03 11:15:53 | インポート

三月一日(土)曇り。

機関誌の編集が佳境に入った。何とか来週中には発送にこぎつけたいと思っている。読者の皆さんにはもう少しのご猶予をお願い致します。何気なくインターネットで検索をしていたら、何処のどなたかは分からないが、「読み捨てご免」という「書評」に、私が昨年上梓した「師・野村秋介」の本の書評があった。面映ゆい文章を書いて頂き恐縮の至りで、早速、「コメント欄」にお礼の文章を書いた。有難いことだ。勝手に転載させて頂く。私の本だけではなく、色々な本の書評もあるので、是非寄ってみて下さい。

〈読み捨てご免〉

朝日新聞本社で自決した野村秋介氏の一番弟子蜷川氏の力作。
 日本の右翼とは単なる国家主義者の事ではなく尊王攘夷思想の維新者を指す。
一般に右翼のイメージは堅固な保守体制支持であるが日本の右翼の原点は「君側の奸を討つ」と云う体制の不正横暴に対する戦いである。右翼団体の元祖は「玄洋社」に始まりその活動は、西欧の模倣に終始し西欧に媚を売る明治政府に対する反体制運動である。同社から派生した「黒竜会」なども覇権国化する国家と時には対峙しアジア同胞の独立を支援した。このナショナリストの枠に収まらない気宇壮大な日本の右翼の性格が戦中戦後を通じて甚だしく変化してゆく。特に戦後は反共を全面に打ち出した団体が激増し暴力団系の団体も混入した。又利権右翼なども出現し玉石混交状態が続いている。

しかし、世界を又にかけ任侠精神溢れる行動をした嘗ての右翼のように連綿とつながる正当な維新者精神を受け継ぐものも存在する。その代表が野村秋介でなかろうか。その過激な行動からテロリスト的なイメージを持たれがちであるが、野村氏の行動原理は社会の不条理、巨悪と戦うと云うことで一貫しており、過去に引き起こした事件でも反共、対左翼などと云った枠組みに拘らず体制側の不正横暴を糾すための闘いであった。又、肉体的暴力によって他者を傷つけるような行為もない。寧ろ最期は自らの身に鉛玉を打ち込んだのである。平成前後からはマスコミにも頻繁に登場し独特の弁舌とカリスマ性で右翼の中にも街宣や反共、ヤクザ系以外に新右翼、民族派と呼ばれる団体の存在を認知させた功績は大きい。

彼ら民族派団体の主張は戦後大勢を占める反共右翼とは異なりヤルタポツダム体制の打破が主眼である。今日の日本の精神的退廃の元凶を戦後連合国による占領政策であるとする部分が大きい。米国主体の占領国は、わが国を3S(セックス、スポーツ、スクリーン)政策により国民の精神を軽量浮薄なものにするものであった。確かに米国の軍隊に守られ経済発展に直走ったため経済的には恵まれた国になった。しかし、戦後70年近く経って未だ米軍が駐留し且つ莫大な経済的供与をおこなっている。守ってもらう代わりに言いなりに金を貢ぐ実質は属国である。真の独立国家の姿ではない。従って彼らの攻撃対象が対米追従の体制側(利権屋政治家、営利至上主義の財界、巨大マスコミ等)に向かうのである。 
 本書の著者蜷川氏も正当な民族派の精神を受け継いでおり昭和のバブル期にはバブルの元凶である巨大企業に対し肉体言語を発動し網走刑務所に服役した。
 

構成は冒頭、野村氏自決のドキュメント、次いで社会復帰後、師匠の野村氏と伴に世界中を旅した当時の模様、最後は週刊新潮の取材姿勢が元凶となり巻き起こした騒動の問題も取り上げられている。マスコミに対する警鐘である。
 

野村秋介没後20年である。その間一体日本はどうなってしまったのか・・・東京オリンピックが決まり日本は再びパンとサーカスの時代に入った。目先の安寧と虚妄の繁栄を貪る国民は茹でガエルの様に茹で上げられてしまうのだろうか。ブロイラー化した大衆は支配層の餌として食われるために飼われているだけなのか。国民も真実の歴史認識と日本人としての自覚が必要であろう。巨大な不条理との戦いと云う壮大なテーマの継承を民族の触角として活動する蜷川氏達に期待したい。

以上です。

夜は、京子ちゃんアイリちゃん親子が、下の子供の合格の祝いに来訪。上の子供にも「図書券」を頂く。休肝日にしようかとも思ったが、折角なので我が家で皆で祝い酒。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする