三月十日(月)晴れ。陸軍記念日。
今日は明治三十八年、日露戦争の奉天会戦で帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した武勲輝ける日である。
暦の上では春だと言うのに寒い日が続いている。当然のことなのだろうが、寒かろうが暑かろうが愚妻は仕事に出かけ、子供たちはそれぞれ学校に行く。もちろん世間様もだ。浪人などと言えば多少はかっこ良く聞こえるが、何を隠そう地を這うように青息吐息の日々を過ごしている。せめて桃色吐息ぐらいにはならないものかと・・・。
以前お世話になっていた、某大手の警備会社の会長が、「蜷川君。浪人何て余り長生きするものではない。君たちを支援してくれている人たちは、大体私のように年上が多いだろう。そんな人たちは当然ながら、君たちより先に逝くし、引退もする。次の世代の社長連中は、まず君たちと付き合わないから、先細りになるよ」。その言葉を実感する今日この頃です。
そう言えば、以前取材を受けた朝日の記者に、「毎日何をしているんですか」と聞かれたので、自嘲気味に「酒を飲んでいるか、本を読んでいるぐらいですよ」。と答えたら「羨ましいですね」と言われた。こういった朝日の記者氏のようなエリートには男の悲哀、いや六十四歳にもなって浪人の生活をしていることの辛さは、まず分からないだろうと思った。でも考えてみれば、自らが好きで選んだ道だ。愚痴を言っても始まらない。腹を括ってどこまでもデレッチョよ。(タガログ語で「まっすぐ」の意。野村先生の口癖だった)
午前中に、野村一門を代表して伊勢の神宮の「禊会」に親子で参加した志村馨君が、安着の挨拶に「赤福」を持って来た。志村君は、この禊会に松本佳展君などと過去にも参加しているが、他の一門の人の都合がつかず、今回は志村君親子に代表して参加してもらった。
※「禊会」の皆さん。盟友の大野康孝氏や式年遷宮の折にお世話になった皆さんの顔もあって、ご苦労様。前列の子供さんが志村君の長男。禊に参加して大野宮司より「筋が良い」と褒められたそうだ。将来は野村一門を背負って行って貰いたいものだ。写真は「北面武士」さんより転載させて頂きました。
夜は、労働者階級の皆さんに深く頭を垂れ、反省しつつ「豆腐チゲ」を作った。もちろん傾城と傾国の美女もいないが、我が酔狂亭で月下独酌。日々是好日、いや口実なのだ。