白雲去来

蜷川正大の日々是口実

文春の「疑惑の銃弾」から30年か。

2014-03-23 21:00:36 | インポート

三月二十二日(土)晴れ。

二日酔いで体調が悪いかと思ったが、案外すっきりとおきられた。朝食ののちは家族で「イセブラ」。今はこんな言葉は死語になったが、伊勢佐木町をぶらりと散歩するから「イセブラ」。「銀ブラ」という言葉もあるが、これは銀座をぶらぶらすることではなく、銀座にあった「ブラジル」というお店でコーヒーを飲むことだと教えてくれたのは郡山の盟友氏。信じがたかったのでPCで調べてみたらその通りなのでぶったまげた。

「週刊文春」の先週号から「ロス疑惑」-「疑惑の銃弾30年目の真実」という特集が組まれている。三浦和義氏を「善意の被害者」から「疑惑の人」へと変えたのも「週刊文春」だった。1984年に『週刊文春』が「疑惑の銃弾」というタイトルで、妻に多額の保険金をかけていたことや、現場にいた白い車に三浦が全く気づかない三浦の供述などを理由に、「三浦が保険金目当てに仕組んだ事件ではないか」とする内容を連載した。その後のマスコミの過熱報道を知っている人は多いだろう。

現在は、逮捕された人の顔を毛布などで隠すという人権的なことが行われているが、これは三浦氏の逮捕がきっかけだった。報道陣の前を手錠姿の彼が連行されて行く。まだ犯人と確定したわけではないのに、三浦氏はこれを人権侵害として裁判に持ち込み勝訴した。

私が、彼を知ったのは東京拘置所でのこと。連合赤軍の植垣康博氏や三浦氏と拘置所内で文通を重ね、所内での過ごし方やその他の処遇について随分とアドバイスを頂いた。私の確定とともに連絡は途絶えたが、最高裁で無罪を勝ち取った三浦氏や、刑を終えて復帰した植垣氏らと再会したのは、野村先生の追悼集会「群青忌」だった。

以後、植垣さんや三浦氏とは仲良くさせて頂いたが、三浦氏とは平成十九年に一緒にサイパンに行った。その際彼がかぶっていた帽子の文字がスラングで「グッバイ」を意味するもので自殺?を予言していたといった報道もあったが、勘ぐりすぎと笑い飛ばした。三浦氏が逮捕されるのはその翌年の二月、奥さんの良枝さんと一緒に行ったサイパンだった。

Cimg0968※サイパンにて。

彼の逮捕を受けて、六月にサイパンの刑務所に面会に行った。緩やかな刑務所で金網越しに私と三浦氏が面会しているのが、待っている愚妻などに見えて、外から写真を撮った。

Cimg3678※赤いシャツの人が三浦氏で一緒にいるのが私です。

彼の逮捕は、日本の法律である「一事不再理」(ある事件について判決が確定した場合、同一の事件にて再び公訴の提起を許さないという刑事訴訟法の原則)を無視して彼を逮捕したことはやはり問題があると、人権派の弁護士などが抗議していたが、平成十六年十月、移送先のロスの拘置所にて不可解な死を遂げた。

昨年の十月に良枝夫人から五回忌が終わったとご連絡があった。今年は七回忌となる。

夜は、カメ&アコちゃんから連絡があって「颯」で一杯どうですか。と誘われた。それではと言うことで出かける。偶然に「彫よし」の先生一行とお会いする。しばらく飲んでから、昨日に続き「一休」へ転戦。「初カツオ」を堪能する。しかし、昨日の酒が残っているので早めに解散した。

 

 

 

 

 

 


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誕生会。

2014-03-23 16:35:04 | インポート

三月二十一日(金)晴れ。春分の日。

起床後に、玄関に国旗を掲げる。お彼岸だが特別な料理はなし。私が子供のころは母が「ぼたもち」を作ってくれたが、もうずいぶんと昔のことだ。

一年のうちで昼と夜との長さの等しい時期で、春分に当たる今日を中心とした前後三日間、通じて七日間をいう。ふつう「彼岸」といえば春のことをいい、九月の彼岸は「秋彼岸」といって区別される。(「楠本憲吉歳時記」)より。

正岡子規が母の言葉をそのまま句にしたのが有名な「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」というもの。連日良い天気が続いている。家族に「誕生日おめでとう」のあいさつを受ける。今日で六十三歳か・・・。まさかこんな歳になるなんて考えてもみなかった。早生まれだから六十四歳の人と同級生である。両親の位牌のあるお仏壇と野村先生の遺影に報告。

午後から、サリーファミリーの誕生会がある。三月生まれは三人。私にサリー、そして印南さん。場所は長者町のワシントンホテルの最上階。一人五千円で料理がついて、かつ飲み放題。愚妻がこの店を見つけてきた。参加は十六名。まあ良く皆さん飲むこと。下戸は印南さんだけだが、ビールに焼酎にワインに紹興酒。いやな顔をされないかと心配になった。恐るべし熟女の皆さん。

Dscf6439※女子の無敵艦隊。全員が呑んべいだからすごい。

Dscf6432※総勢十六名でした。

「二時間」という約束を三十分オーバーしてサリーの友人が経営する関内駅前のレストランに転戦。ここの社長氏、私は初対面なのだが、フルネームで名前を呼ばれて驚いた。つくづく横浜では醜態は曝せないと思った次第。シャンパンとケーキを頂いた。

P1000155※ありがとうございます。

ここに五時過ぎまでいて一応解散。その後、社友の山崎雅夫さんを誘って「やまと」へ強行上陸。カメちゃんが合流。さらに「一休」に前線基地を移したが、さすがにこれ以上は無理と本隊、いや自宅に戻る。考えてみれば九時間以上も飲んでいたのだから恐るべし。皆さんありがとうございました。

 

 


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