白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「はしり」のかつおを「魔王」で月下独酌。

2014-03-18 14:18:34 | インポート

三月十六日(日)晴れ。

午前中から事務所にて機関誌の製本。ようやく「燃えよ祖国」の第二百一号が完成した。まて考えてみれば、コツコツと二百号も出してきたものだ。早い話が、出せば出すほど赤字がかさみ、何度止めようと思ったことか。しかし志半ばで倒れた同志、先輩のことを考えると、何もせずに日々を過ごすことは、先に逝った人たちに申し訳ないと、せめて機関誌ぐらいは発行しなければと思ってここまで頑張ってきた。高い購読料を頂いている支援者の皆さんの期待も裏切るわけにはいかない。今後とも鋭意努力を致しますので、ご支援のほどを伏してお願い致します。

近々、ウインドーズ「XP」のサポートが終了して、新しい「8」が標準となる。自宅で私が使っているディスクトップは「XP」である。事務所の物は昨年、お世話になっている方からの寄贈いただき「8」が搭載されているので、古いパソコンのデーターを移すために自宅に新しいものを持ってきてデーターを移した。パソコンや電子機器は正に日進月歩。私のような老人は、その進歩のスピードについてゆけないのが情けない。

機関誌を本日に発送しようと思ったが、封筒詰めなどに思いのほか時間がかかり月曜日の集配を予約した。また印刷機を新しいものに変えたときに、「トナーの中身が少ないので気をつけて下さい」と言われていたが、その通りで表紙を半分印刷したところで、「トナー交換」が点滅した。今日は日曜日なので、注文しても早くて火曜日の着。とりあえず有料購読者の方や原稿の掲載者の方のみを優先して発送することにした。

事務所から自宅に戻る途中に伊勢佐木町の旧松坂屋後にできたお店のスーパーで「かつお」を買った。何とパックが一七五〇円もする。どうしようかとためらったが、「はしり」のものとしては中々良さそうだし思い切って買った。 当然、新鮮なネギとショウガに青森県産のニンニクも。

昔から江戸っ子は「初物七十五日」と言って、その年の初物を食べると七十五日寿命が延びると言われた。ちなみに、「はしり」とはその季節に初めて出回るもの、いわゆる「初物」のこと。その反対にそろそろ今年のシーズンも終わりだなという時期のものを「なごり」。そして「はしり」と「なごり」の間の出盛りのものが「旬」。

夜は当然、初物の「かつお」を肴に、畏友と言ってもお世話になってばかりいる石橋卓次氏より「誕生日に飲んで」と送って頂いた「魔王」の封を切って、わが酔狂亭にて月下独酌。かつおは大正解だった。

今日は、平成十五年に亡くなられた盟友の岡崎一郎氏の実兄、道夫氏の命日。もう十一年も経つのか・・・。昨年末の私の出版記念会には、一番下の弟氏が参列してくれた。正月の靖国神社でも、ご子息を連れた彼と会った。合掌。

 

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シンガポール航空とキー77の墜落

2014-03-18 10:59:55 | インポート

三月十五日(土)晴れ。

長者町という所にある食料品の安売り屋で売っている「寄せ鍋のスープ」はレトルト使用になっていて九十八円という安さである。普通スーパーなどで買うと倍近くはする。しかし、先日病院の待合室で読んだ「週刊現代」によると「安かろう悪かろう」で、例えば、納豆などは大豆のカスを固めて作っているものがあったり、牡蠣油やチューブの「わさび」、「かつおだし」なども人工的な原料で作られており、決して安全な食品ではない。ということを読んでから、うーん安いだけで安心してはいけないのかと・・・。考えなければと思った次第。

昨夜は、上の子供の友達が来て、その安売り屋で買ったスープを使って「鳥鍋」を囲んだ。このスープに「薄口しょうゆ」と「にんにく」で味を調えるとさらにおいしい。まっ安くても火を通すからいいかと納得して食べた。朝は、その残りのスープにうどんを入れて、二度おいしい朝食。

そういえば、今月の八日の深夜に、十二人の乗員を含む二三九人を乗せてクアラルンプール国際空港を出発したマレーシア航空三七〇便は離陸の約五〇分後、管制当局との交信を絶ったまま依然とその消息が確認されていない。航空科学や最新のレーダーシステムが完備されているというのにも関わらず、何の確認もされていないというのは、不可解なことである。テロ説、ハイジャック説、以前修理した翼に不具合があって空中分解説、宇宙人による襲撃説まで出ているとか。

このニュースに接している時、思い出したのが、戦前、大東亜戦争も末期になったころ、同盟国であったドイツとの情報交換のために、大航続距離の飛行機を開発し、ドイツへ無着陸飛行を試みた「キー77」の墜落?事故のことだった。もちろん戦後生まれの私がそんなことをリアルタイムで知っているわけもない。かつて読んだ吉村昭の「深海の使者」という小説の中にあったエピソードである。

当時の日本とドイツは、最新の軍事技術や情報の交換のために危険を冒して潜水艦による相互訪問を行っていた。しかしその航路は交戦国である米英の制圧圏にあったために成功の確率は非常に低くかった。また危険水域を避けて航行するためにドイツまで到達するのには約三ケ月を必要とした。それが最新鋭の飛行機キー77を使用すれば五十時間で到達する。大がかりな物資の輸送は無理としても、要人の交換には最適だった。

そのキー77がシンガポールのカランという飛行場から操縦員ら八名を乗せてドイツ占領地であるロードス島に向かって発進したのは、昭和十八年七月七日の午前八時十分のことだった。厳重な無線封鎖を行っているので、途中キー77からは一切連絡がない。連絡がないのは無事に飛行を続けているとの証拠と安心していたが、シンガポール出発後三日目に入ってもロードス島に到着との連絡がない。

もしもキー77が敵機によって攻撃され、撃墜されていたならば、戦果報告として敵側のラジオから放送されるはずだが、それもない。陸軍航空本部は、ついに当該飛行機が墜落したと断定するのだが、今回のシンガポール航空のボーイング777のように様々な憶測が流れた。結局、搭乗員全員の戦死が確定し、その理由として敵機の攻撃によるものとしたが、戦後の連合国の戦記記録にもキー77らしき飛行機の記載はなかった。

消息を絶ったシンガポール航空の情報をアメリカはじめ先進国は知っているが、その能力を知られては困るので秘匿している、といったお笑い情報通がまた得意そうに話をしそうだが、一日も早く消息が明らかになってほしいものだ。

夜は、「燃えよ祖国」の第二百一号の完成を祝っての酒。しかし最近、花粉症のせいもあろうか体調が良くない。咳が止まらないし、寒気がするのだ。かといって寝込むほどでもないし・・・。来週、一応病院に行こようと思っている。

 

 

 


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