三月二十四日(火)晴れ。
彼岸は一年の内で昼と夜との長さが等しい時期で、春分にあたる三月二十一日を中日とした前後三日間、通じで七日間を言う。何かの根拠がある訳ではないが、私が幼い頃、母から「お前はお彼岸の生まれだから運が強い」といつも聞かされていた。考えてみれば、この歳になるまで、とりあえず何となく生きて来れたのも「運の強さ」かもしれない。そう楽観的に意識しなければ、浪人生活は続けられない。
私の事務所(二十一世紀書院)は、通称横浜の山手地区にある。すぐ近くには米軍住宅地があり今でも日本人の立ち入りが制限されている。事務所の前の三十メートルくらいの坂は「蛇坂」。かつては細い山道で、途中に清水がわき,蛇を多く見かけたことから名付けられたらしい。現在は両側にマンションが建ち、一四九段の階段の坂に変わっており、蛇の脱け殻もみることはできない。(「横浜橋めぐり坂あるき」より) その坂を登り切った所にあるのが増徳院というお寺。増徳院は高野山真言宗の仏教寺院。 準別格本山で、海龍山本泉寺増徳院と号する。もとは元町一丁目(元町プラザの一角)にあり、現在の横浜外国人墓地は境内墓地であった。関東大震災で焼失し現在の場所に移転した。そのお寺の境内に戦前・戦後を通じて活躍した横浜生まれの俳人の大野林火の「彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり」という句碑がある。ちなみに港の見える丘公園のすぐ脇のフランス山にも林火の「白き巨船来たれり 春も遠からず」の句碑がある。
春の彼岸になると、母の「お前は運が強い」との言葉と日ノ出町に生まれた大野林火の句を思い出す。
午後から上の子供を連れて事務所に寄り、帰りに伊勢佐木町の入り口にあるインドカレーの店「モハン」で遅い昼食をとった。ここの「ナン」が好きである。食後はイセブラ。今週は禁酒をしているので楽しみは食事しかない。酒が入っていなくとも歳のせいか十時過ぎには眠くなる。
彼岸は一年の内で昼と夜との長さが等しい時期で、春分にあたる三月二十一日を中日とした前後三日間、通じで七日間を言う。何かの根拠がある訳ではないが、私が幼い頃、母から「お前はお彼岸の生まれだから運が強い」といつも聞かされていた。考えてみれば、この歳になるまで、とりあえず何となく生きて来れたのも「運の強さ」かもしれない。そう楽観的に意識しなければ、浪人生活は続けられない。
私の事務所(二十一世紀書院)は、通称横浜の山手地区にある。すぐ近くには米軍住宅地があり今でも日本人の立ち入りが制限されている。事務所の前の三十メートルくらいの坂は「蛇坂」。かつては細い山道で、途中に清水がわき,蛇を多く見かけたことから名付けられたらしい。現在は両側にマンションが建ち、一四九段の階段の坂に変わっており、蛇の脱け殻もみることはできない。(「横浜橋めぐり坂あるき」より) その坂を登り切った所にあるのが増徳院というお寺。増徳院は高野山真言宗の仏教寺院。 準別格本山で、海龍山本泉寺増徳院と号する。もとは元町一丁目(元町プラザの一角)にあり、現在の横浜外国人墓地は境内墓地であった。関東大震災で焼失し現在の場所に移転した。そのお寺の境内に戦前・戦後を通じて活躍した横浜生まれの俳人の大野林火の「彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり」という句碑がある。ちなみに港の見える丘公園のすぐ脇のフランス山にも林火の「白き巨船来たれり 春も遠からず」の句碑がある。
春の彼岸になると、母の「お前は運が強い」との言葉と日ノ出町に生まれた大野林火の句を思い出す。
午後から上の子供を連れて事務所に寄り、帰りに伊勢佐木町の入り口にあるインドカレーの店「モハン」で遅い昼食をとった。ここの「ナン」が好きである。食後はイセブラ。今週は禁酒をしているので楽しみは食事しかない。酒が入っていなくとも歳のせいか十時過ぎには眠くなる。