白雲去来

蜷川正大の日々是口実

彼岸生まれは運がいい。

2015-03-24 18:11:42 | 日記
三月二十四日(火)晴れ。

彼岸は一年の内で昼と夜との長さが等しい時期で、春分にあたる三月二十一日を中日とした前後三日間、通じで七日間を言う。何かの根拠がある訳ではないが、私が幼い頃、母から「お前はお彼岸の生まれだから運が強い」といつも聞かされていた。考えてみれば、この歳になるまで、とりあえず何となく生きて来れたのも「運の強さ」かもしれない。そう楽観的に意識しなければ、浪人生活は続けられない。

私の事務所(二十一世紀書院)は、通称横浜の山手地区にある。すぐ近くには米軍住宅地があり今でも日本人の立ち入りが制限されている。事務所の前の三十メートルくらいの坂は「蛇坂」。かつては細い山道で、途中に清水がわき,蛇を多く見かけたことから名付けられたらしい。現在は両側にマンションが建ち、一四九段の階段の坂に変わっており、蛇の脱け殻もみることはできない。(「横浜橋めぐり坂あるき」より) その坂を登り切った所にあるのが増徳院というお寺。増徳院は高野山真言宗の仏教寺院。 準別格本山で、海龍山本泉寺増徳院と号する。もとは元町一丁目(元町プラザの一角)にあり、現在の横浜外国人墓地は境内墓地であった。関東大震災で焼失し現在の場所に移転した。そのお寺の境内に戦前・戦後を通じて活躍した横浜生まれの俳人の大野林火の「彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり」という句碑がある。ちなみに港の見える丘公園のすぐ脇のフランス山にも林火の「白き巨船来たれり 春も遠からず」の句碑がある。

春の彼岸になると、母の「お前は運が強い」との言葉と日ノ出町に生まれた大野林火の句を思い出す。

午後から上の子供を連れて事務所に寄り、帰りに伊勢佐木町の入り口にあるインドカレーの店「モハン」で遅い昼食をとった。ここの「ナン」が好きである。食後はイセブラ。今週は禁酒をしているので楽しみは食事しかない。酒が入っていなくとも歳のせいか十時過ぎには眠くなる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前期高齢者の一日。

2015-03-24 10:47:00 | 日記
三月二十三日(月)晴れ。

朝食後に、上の子供が友達と鎌倉に行くと言うので保土ヶ谷駅まで送って行った。そうかこの時期の鎌倉もいいかなと思ったが、ノコノコついて行く訳には行かない。鎌倉の駅で高校の同級生と待ち合わせていると言うが、素人だなと思った。私なら、東海道線に乗り換えて藤沢まで行き、そこから江ノ電に乗って行く。江ノ電は、好きな電車である。路面電車のように軌道敷を走ったり、人の敷地の中を、そして海岸沿いをと車窓から眺める景色が楽しいのである。

もう一つのコースは鎌倉の一つ手前の北鎌倉で降りて、八幡宮まで歩く。途中、明月院や円覚寺、建長寺などのお寺を訪ねながらの散歩は心が洗われる。建長寺には、人間爆弾で有名な「桜花」で特攻出撃して行った海軍神雷部隊の慰霊碑がある。以前社友会の皆さんを案内したことがあった。座禅会が行われている時などは時折警策の音などが聞こえ身が引き締まる。八幡宮にお参りしてからは小町通りでお店をひやかす。そう言えば和紙の専門店をやっている菊岡ノンコさんとも久しくお会いしていない。紫陽花の季節も良いが早咲きの桜を愛でながらの散策も良い。禁酒が明けたら行ってみるか。

久しぶりに一人の家である。前期高齢者の一日は、まず大好きな朝食作りから始まる。今朝のおかずは、筋子、明太子、豆腐の味噌汁。良いなぁー。食後は、お仏壇と先生の遺影の前のお花と水を換えて手を合わせる。好きなコーヒーを淹れてから朝刊を丹念に読む。次はパソコンを開いてメールのチェック。そして「お気に入り」のブログを読む。私の「お気に入り」は「特定非営利法人五仁會」の竹垣悟氏のブログ、「爆ちゃん吼える」、「行雲流水の如く」、「大きな花を咲かせるよりも」、「北面武士」といったお堅いものから地元の食案内までそれぞれである。そしてフェイスブックを確認すると大体十一時近い。それから、よっこらしょっと事務所に行き、大した金にもならない原稿を書いたり、資料を整理したりと非生産的な仕事に従事する。五時ごろになれば、そわそわして晩酌の肴を求めて魚屋放浪が始まる。

七時に、家族全員で食卓を囲む。子供たちが食事を終えてもダラダラと酒を飲み、そのまま寝てしまい。子供たちに怒られながら布団に入る。というグータラな日々をもう何十年も繰り返し、目が覚めれば「反省」の日々を繰り返している。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お墓参り。

2015-03-24 09:31:49 | 日記
三月二十二日(日)晴れ。

昨日は私の六十四歳の誕生日だった。特別な感慨はないが、この歳になると祝う気持ちよりも「冥土の旅の一里塚」という感が強い。これまで特別に誇るべきことも、記憶にも記録にも残ることのない、その他大勢の塵の中の一人として何とかここまで生きて来たが、それはそれで良しとしなければならない。そんな思いを持ちながら、伊勢原へと向かった。

伊勢原の古刹、浄発願寺は丹沢大山国定公園にある。近くには大山阿夫利神社などがありハイキングコースとして有名である。秋には彼岸花の群生地として訪れる人が多い。野村先生が、なぜこの地のお寺にお墓を建てたのか・・・。そのいきさつは遺著となった『さらば群青』に詳しい。いつもなら一時間もかからずに着くのだが、東名高速の玉突き事故の影響で二時間以上も渋滞にはまった。イライラするよりも、早く家を出ていたら、その事故に巻き込まれていたかも知れず、渋滞ぐらいは我慢しようと思えるのは歳のせいか、それとも彼岸のせいかもしれない。

昨日、大悲会の志村馨君ら若い人たちが墓参を兼ねてお墓掃除をしてくれたので、お墓はとてもきれいになっていた。偶然に野村先生の奥様とお会いしたらしい。お礼のメールが入っていた。志村君たちは、毎月欠かさず墓掃除を行っている。野村先生が亡くなられてからだからもう二十年以上も毎月行っているのだ。簡単なようで中々出来ることではない。先生のお墓に詣でてから、私の両親のお墓へ行き、子供の大学の合格を報告した。蜷川家の墓は本来母の郷里である富山県は滑川の「浜の御坊」の名で知られている稱永寺にある。そこのご住職は、私と同じ蜷川さん。お寺の門前には「蜷川家由来の碑」が立っている。遠方であるので野村先生と同じお寺にお墓を作った。ご住職がご厚意で、造成したばかりの見晴らしの良い所にどうですか。と勧めてくれたが、恩師を見下ろす場所にお墓を建てる訳には行かず、先生のお墓の下方の目立たない場所にして頂いた。私に何かあっても、一門の若い人が一度で済むので丁度良い。帰りは、まだ東名が混んでいると言うので、茅ヶ崎経由で帰ったが、桜をほとんど見なかった。

今日から一週間禁酒をしなければならない。酒を飲まない人にとっては、たかが一週間のがまんぐらいで何を言ってんだか。と思うかもしれないが、酒を飲むなと言うのは、私にとって息をするなと言うのと同義語である。別段威張ることではないのだが、私には趣味と言うものがほとんどない。いわゆる競輪、競馬、パチンコ、麻雀、ゴルフをやらない。一時はクロダイ釣りに凝ったことがあったが、今は竿もリールも宝の持ち腐れとなっている。それで酒を止められたなら仙人のようになってしまう。どうせ仙人ならば、酒仙の方が良い。ピロリ菌の除菌に失敗し、二回目の除菌を行っている。前回は、ナメて酒と一緒に薬を服用した。結果は言うまでもない。まあ旨い酒を飲むために一週間ぐらいは酒を抜こうと頑張っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする