白雲去来

蜷川正大の日々是口実

静岡へ。人とおでんに酔った。

2015-03-23 14:00:34 | 日記
三月二十一日(土)曇り。春分の日。

今日は私の誕生日である。早生まれであるから同級の人よりも一歳若い。学生の頃はこの一歳若いということが嫌だったが、今は有難い。思えば六十四歳になった自分と言うものを若い頃は想像もつかなかった。もちろんこの思いは私だけではないだろう。自分だけは若いつもりでいるが、完全に体も頭も傷んできている。たまに調子が悪くて病院へ行けば、そのほとんどが「加齢」のせいにされる。「じゃあ金のないのも歳のせいかよ」と医者に言って見たくもなる。

まあこれまでに、喉や胃、そして頭と危ない時もあったが、何とかギリギリでセーフにしてきた。いやこれは何も私だけの力ではなく、家族や友人のお蔭と感謝している。フェイスブックの「友達」から思いがけずに沢山のお祝いのメッセージを頂き感激した。また社友からもお気遣いを頂き、これも亡き野村秋介先生のご加護と感謝している。この歳までとりあえず恙なく生きて来れたことに感謝か。

今日は七時から植垣康博さんが経営するスナック「バロン」でイベントがあり出席のために静岡行き。植垣さんとは思想は違うが、その昔、東京拘置所で所内での生活の仕方を教えて頂いたり、本を差し入れして頂いたりとお世話になった。また「群青忌」にも必ず参加して頂いている。植垣さんは二十年以上も拘置所や刑務所に拘禁されていた。凄いのは野村先生が「経団連事件」で逮捕された時も一緒だったと言うのには驚く。余談ではあるが、その後植垣さんが甲府刑務所に下獄し、出所した後、植垣さんの称呼番号を受け継いだのが、東京証券所を襲撃した板垣哲雄君だ。また、「実話ナックルズ」などで何度か対談もさせて頂いた。植垣さんとは何かと縁がある。

静岡駅に着いたのは五時。改札には山平重樹さんと岐阜の怪人、細川嘉彦先生が待っていてくれた。山平さんには『連合赤軍物語 紅炎 (プロミネンス』(徳間文庫) の著書があり、細川先生は、植垣さんが岐阜刑務所にいる泉水博さんの裁判の支援に岐阜に行くたびに植垣さんを逮捕、拉致して酔わせると言う公安警察以上のテクニックを持っている人である。また細川先生は全国の飲み屋に精通しており、今日もネットワークを駆使して、静岡に来る前に清水の寿司屋で山平さんと一杯やって来たとのこと。その嗅覚で案内して頂いたのが昭和の香りのする「青葉横丁」。ご推薦の店は五時過ぎだと言うのにスタンパイのお客がいた。待っていられないので妙齢のおかみさんのいるお店に入ったが、静岡おでんに打ちのめされた。いやはや美味かった。

七時前に「バロン」着。すでに細川先生は奈良漬け状態。三〇分ほどで中座し、酔い覚ましに狭斜の巷へ。二時間ほど飲んで駅で細川先生と別れて電車に乗ろうとしたら鈴木邦男さん一行とバッタリ。逃亡がばれてしまった。車中、今週最後の酒、ハイボールを山平さんと二缶飲んで帰宅。明日から一週間、医者からきつく禁酒を言い渡されているので、当分寂しい日々が続く。

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『国民新聞』が休刊かぁー。

2015-03-23 11:54:18 | 日記
三月二十日(金)曇り。地下鉄サリン事件から20年。

午後から事務所へ。『国民新聞』の最新号が届いていた。思えば発行人の山田惠久先輩とは長いお付き合いをさせて頂いている。会合や運動の直会ではいつも一緒になるので、どちらかと言うと運動の場よりも酒席の方が顔を合わせる回数は多かったのかもしれない。

その山田先輩の発行する『国民新聞』の一面に驚くことが書いてあった。最新号は第一九二〇二号と言うのだから凄い。その伝統のある新聞が休刊すると言うのだ。その理由が書かれていた。

「冠省 明治二十三年に徳富蘇峰が「言論報国」の理念を掲げて創刊した小紙『国民新聞』は、この程つひに矢玉尽き、刀折れ、「言論千早城」は落城。三月二十五日付発行をもつて休刊することになりました。リーマン・ショック以前からの超過債務が重しになり、もうこれ以上前に進める状況ではなくなりました。挙句に一月末にわたくしが悪性脳腫瘍に罹患してゐることも判明し、小紙の発行は残念乍ら断念せざるを得ません」。

全く他人事ではない。民族派の機関誌・紙の中で読者の購読料のみで発行をしているものは少ない。いや例え購読料を頂いているとしても、そのほとんどが赤字経営であると思う。もちろん私の発行している『燃えよ祖国』だって同じだ。ではなぜ発行を続けているのかと言われたら、「意地」であるとしか言いようがない。また先に逝った人のことを思ったならば、資金はともかく体が健康である限りは、私のその戦いを放棄するわけには行かない。山田先輩も今回の決定は断腸の思いだったに違いあるまい。

愚痴のようになって申し訳ないが、来月からクロネコ・ヤマトの「メール便」が廃止され、通常郵便で発送しなければならない。そうなると今までの郵送費に加えて三万円以上の出費となる。何とかコストダウンと考えていたら、お世話になっている人から印刷機のリース会社を紹介された。何枚印刷しようが一定の金額で済むと言う。メンテナンスもインク代も料金に入っていると言うので、今までの印刷機よりは多少画質は落ちるが背に腹は代えられない。三月に一度トナーの交換をすると四本で十万円近い。これがクリアーになるだけでも助かる。もちろん今まで以上に努力をしてより多くの人たちに理解と支援をして頂く以外に道はない。何と言っても人に頼まれたわけでもなく、商売でやっている訳でもない。運動の一環として機関誌を発行しているのだから頑張らなくては。山田先輩も私も政治家の仲介をしてキックバックを貰うほどの大物でもないしなぁー。コツコツやるしかないか。

地下鉄サリン事件から二十年か。その時は新橋駅から地下鉄に乗って赤坂のみすじ通りにあった野村事務所・二十一世紀書院へ行く途中だった。出勤が遅かったこともあり、その惨事に巻き込まれることはなかったが、けたたましいサイレン、慌ただしく行き交う人を見て、凄いことが起こったと言う緊張感を感じたのを覚えている。結局、道路が混んでいたこともあって新橋から赤坂まで歩いて行った。オウムの事件もそうだが、イスラム国や今回のチュニジアでの無差別テロ。本来は衆生救済を理念とする宗教が、無差別に何の関わりもない人たちを殺害する。一生やっていろと正直思うが、日本と日本人が無関係でいられないことが、何とも歯がゆい。

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