三月一日(日)曇り。
今日は、上の子供の卒業式である。愚妻と一緒に行こうかとも思ったが、いい歳をしてウルウルしても情けないので一人で留守番をすることにした。昨日まで小さい子供だと思っていたのに、春からは大学生である。中学、高校と受験に失敗したことが、発奮材料となったのか、高校に入ってからは、私が心配をするほど勉強をしていた。まあ親ばかの話として笑って頂けましたなら幸いです。
高校に入った時に隠岐康氏から「新潮社の百冊」をプレゼントされた。私が冗談で「読めっこないから、父さんがもらうよ」と言ったことで、火が付いたのか、八十五冊ほどを読んだ。(私が子供には難しいと思う物を十五冊ほど外した)これが彼女に「達成感」と言うものを植えつけたのではないかと思う。神奈川県のトップクラスの公立高校の受験に失敗して、私立高校に進学したのだが、我が家の家計を知っていたのか、特待生となって月謝を三年間無料で通してくれた。有難いことだ。その無料制度?を維持しようと、こんなに勉強して良く飽きないかと思うほど、朝から晩まで机に向かっていた。愚妻が塾を勧めても、「一人で勉強する」と言って頑張った。六百人近くもいる学校の中で三年間常に上位にいて、テストの成績表を見るのが愚妻の楽しみになっていた。まあ突然変異の子供で、私に似なくて本当に良かったと思っている。下の子供も金のかからない公立高校で頑張っているので、子育てしてくれた愚妻に感謝。(ホンネです)
それでも東大や早稲田にすんなり合格するほどの頭はないが、中の上ぐらいで結構だと思っている。学生時代の私のことを考えたら、正に鳶が鷹ノ子を産んだような感じである。(男だから変か)先日も、最近人気の難関と言われている大学に合格して安心させてくれた。今月半ばに第一志望校の合格発表があるので、それまで気が抜けないと、頑張っている。
卒業式から帰ってきた愚妻によれば、「君が代」や「仰げば尊し」の斉唱もあってとても感激したと話していた。やっぱり行けば良かったと、チョッピリ後悔した。小さい頃から、「防衛大学に入って兵隊さんになれ」と言って洗脳したが、さすがに女の子なので拒否された。卒業式が終わってもまだ学校に残って勉強している子供の背中を押してやりたいが、親が出来ることは祈ることだけだ。
夜は、家族が揃ったところで、四人分の「一人鍋」を作って、まずはおめでとうの夕食会。タイミング良く社友の福井英史さんから手作りのケーキが届いて子供たちが喜んでいた。私は奮発して「伊佐美」の封を切った。嬉しい一日だった。
今日は、上の子供の卒業式である。愚妻と一緒に行こうかとも思ったが、いい歳をしてウルウルしても情けないので一人で留守番をすることにした。昨日まで小さい子供だと思っていたのに、春からは大学生である。中学、高校と受験に失敗したことが、発奮材料となったのか、高校に入ってからは、私が心配をするほど勉強をしていた。まあ親ばかの話として笑って頂けましたなら幸いです。
高校に入った時に隠岐康氏から「新潮社の百冊」をプレゼントされた。私が冗談で「読めっこないから、父さんがもらうよ」と言ったことで、火が付いたのか、八十五冊ほどを読んだ。(私が子供には難しいと思う物を十五冊ほど外した)これが彼女に「達成感」と言うものを植えつけたのではないかと思う。神奈川県のトップクラスの公立高校の受験に失敗して、私立高校に進学したのだが、我が家の家計を知っていたのか、特待生となって月謝を三年間無料で通してくれた。有難いことだ。その無料制度?を維持しようと、こんなに勉強して良く飽きないかと思うほど、朝から晩まで机に向かっていた。愚妻が塾を勧めても、「一人で勉強する」と言って頑張った。六百人近くもいる学校の中で三年間常に上位にいて、テストの成績表を見るのが愚妻の楽しみになっていた。まあ突然変異の子供で、私に似なくて本当に良かったと思っている。下の子供も金のかからない公立高校で頑張っているので、子育てしてくれた愚妻に感謝。(ホンネです)
それでも東大や早稲田にすんなり合格するほどの頭はないが、中の上ぐらいで結構だと思っている。学生時代の私のことを考えたら、正に鳶が鷹ノ子を産んだような感じである。(男だから変か)先日も、最近人気の難関と言われている大学に合格して安心させてくれた。今月半ばに第一志望校の合格発表があるので、それまで気が抜けないと、頑張っている。
卒業式から帰ってきた愚妻によれば、「君が代」や「仰げば尊し」の斉唱もあってとても感激したと話していた。やっぱり行けば良かったと、チョッピリ後悔した。小さい頃から、「防衛大学に入って兵隊さんになれ」と言って洗脳したが、さすがに女の子なので拒否された。卒業式が終わってもまだ学校に残って勉強している子供の背中を押してやりたいが、親が出来ることは祈ることだけだ。
夜は、家族が揃ったところで、四人分の「一人鍋」を作って、まずはおめでとうの夕食会。タイミング良く社友の福井英史さんから手作りのケーキが届いて子供たちが喜んでいた。私は奮発して「伊佐美」の封を切った。嬉しい一日だった。