白雲去来

蜷川正大の日々是口実

卒業式。

2015-03-02 14:25:03 | 日記
三月一日(日)曇り。

今日は、上の子供の卒業式である。愚妻と一緒に行こうかとも思ったが、いい歳をしてウルウルしても情けないので一人で留守番をすることにした。昨日まで小さい子供だと思っていたのに、春からは大学生である。中学、高校と受験に失敗したことが、発奮材料となったのか、高校に入ってからは、私が心配をするほど勉強をしていた。まあ親ばかの話として笑って頂けましたなら幸いです。

高校に入った時に隠岐康氏から「新潮社の百冊」をプレゼントされた。私が冗談で「読めっこないから、父さんがもらうよ」と言ったことで、火が付いたのか、八十五冊ほどを読んだ。(私が子供には難しいと思う物を十五冊ほど外した)これが彼女に「達成感」と言うものを植えつけたのではないかと思う。神奈川県のトップクラスの公立高校の受験に失敗して、私立高校に進学したのだが、我が家の家計を知っていたのか、特待生となって月謝を三年間無料で通してくれた。有難いことだ。その無料制度?を維持しようと、こんなに勉強して良く飽きないかと思うほど、朝から晩まで机に向かっていた。愚妻が塾を勧めても、「一人で勉強する」と言って頑張った。六百人近くもいる学校の中で三年間常に上位にいて、テストの成績表を見るのが愚妻の楽しみになっていた。まあ突然変異の子供で、私に似なくて本当に良かったと思っている。下の子供も金のかからない公立高校で頑張っているので、子育てしてくれた愚妻に感謝。(ホンネです)

それでも東大や早稲田にすんなり合格するほどの頭はないが、中の上ぐらいで結構だと思っている。学生時代の私のことを考えたら、正に鳶が鷹ノ子を産んだような感じである。(男だから変か)先日も、最近人気の難関と言われている大学に合格して安心させてくれた。今月半ばに第一志望校の合格発表があるので、それまで気が抜けないと、頑張っている。

卒業式から帰ってきた愚妻によれば、「君が代」や「仰げば尊し」の斉唱もあってとても感激したと話していた。やっぱり行けば良かったと、チョッピリ後悔した。小さい頃から、「防衛大学に入って兵隊さんになれ」と言って洗脳したが、さすがに女の子なので拒否された。卒業式が終わってもまだ学校に残って勉強している子供の背中を押してやりたいが、親が出来ることは祈ることだけだ。

夜は、家族が揃ったところで、四人分の「一人鍋」を作って、まずはおめでとうの夕食会。タイミング良く社友の福井英史さんから手作りのケーキが届いて子供たちが喜んでいた。私は奮発して「伊佐美」の封を切った。嬉しい一日だった。

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野毛散策。

2015-03-02 12:38:10 | 日記
二月二十八日(土)晴れ。

今日で二月は終わり。俗に「二月は逃げる月」とも言われ、本当に早かった。まあこの歳になれば、月日の経つのがとても速く感じてならない。ご同輩の皆さんは私と同じ感慨を持っているのに違いあるまい。

午前中は、機関誌『燃えよ祖国』の校正。夕方になってようやく第一稿が上がる。何とか今週中に発送したいと思っている。機関誌の購読を通じ、私と弊社を支えて頂いている皆さんに衷心より厚く御礼を申し上げます。

夜は、もう四十年以上もの知り合いであるミュージシャンの久野はげまるさんの案内で野毛散策。一度行きたかった久野さんの定宿の「鳥剛」という焼き鳥屋さんに案内して頂く。しかしながらこの焼き鳥屋さんは深夜の三時近くまで営業をしているとのことで、オープンが八時近い。よって待ち合わせをしたのは七時十五分。それでもお店は支度中だった。うーん「八べろ」(八時にベロベロになることです)の私としては、八時に近いスタートは少々キツイ。久野さんのお勧めの焼き鳥を堪能し、。ホットの焼酎のお茶割りを飲んだが、これが目からウロコ。絶品だった。今度やってみよう。

その後、久野さんのお勧めのイタメシ屋に行ったが、ここも美味しかった。しかし惜しむらくは焼酎がない。まあイタリア料理のお店だから仕方がないか。ここで久野さんの友人の〇宮さんが合流。一時間ほどでお二人と別れて、「むさし」へ。日にちをまたぐギリギリに帰宅。低予算ビックな企画で嬉しかった。久野さんに感謝。

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「英国東洋艦隊壊滅の歌」

2015-03-02 09:18:42 | 日記
二月二十七日(金)晴れ。

英国の皇太子が来日し、我が家のすぐ近くにある英連邦墓地に参拝に来るとかで、敬意を表しに挨拶に行こうかとも思ったが、私が行っては色々とご迷惑になるといけないので、自宅でのんびりすることにした。

あまり知られていないことだが、横浜の外人墓地と言うと山手の外人墓地が有名だが、他にもいくつかの外国人墓地がある。「根岸外国人専用墓地」(山崎洋子さんの『天使はブルースを歌う』神奈川新聞社刊にこの墓地のことが詳しく書かれている)や通称南京墓の「中華義荘」である。(お世話になった元横浜ロイヤルパーク・ホテルの中華の総料理長であり、二年前に亡くなられた鄭惠淋さんもその「中華義荘」に眠っている)こうした外国人墓地の一つ、保土ケ谷区狩場町にある「英連邦横浜戦死者墓地」は広大な敷地を持ちながら、あまり知名度は高くない。

英連邦とはイギリスとその植民地であった国家のうち、イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ共和国・インド・パキスタン各国の戦没者たち。先の大戦などで捕虜になり日本で亡くなられた方がほとんどである。ではなぜ彼らは母国で埋葬されないのか。それは、英連邦では一九一七(大正六)年に、戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬するという原則が決まり、英国王室憲章でも承認さた。この原則の下、英連邦戦死者墓地委員会が設置され、世界中にある英連邦戦死者の墓地を管理している。
私の自宅から歩いて三分程度の所にあるが、荘厳かつ静かな場所であるので、物見遊山に訪れるという気持ちにはなれなず、二度程しか行ったことがない。

皇太子が訪問されている時刻に合わせて、彼と英国に敬意を表して、大好きな「英国東洋艦隊壊滅の歌」のCDを大音量でかけた。時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは著書の中でマレー沖海戦でこの二隻を失ったことが第二次世界大戦でもっとも衝撃を受けたことだと記している。

体調悪く一日家にいた。夜、じっくりと風呂に入って体力をととのえ、「英国東洋艦隊壊滅の歌」を歌いながら独酌。子供たちが、「お父さん。機嫌がいいね」。※写真は英連邦墓地です。

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