三月十二日(木)晴れ。
朝から「ピピッとコンロ」が壊れた。東京瓦斯に連絡をして修理を頼んだが、朝食はカセットコンロで調理。昨日、四年前の震災について考えたばかりなのに、「不便」にイラつく。まだ修業が足りないか。
正午近くに同級生の会社を訪問。思いがけずに子供の合格祝いを頂き、昼食もご馳走になる。深謝して事務所へ。四時に帰宅し、子供を連れて松原商店街へ晩酌の肴を買いに行く。魚幸でマグロを買った。これが大当たりで、あっという間になくなってしまった。余り美味しいものを手出すと売れ行きが良くてダメだ。次はもう少し安い物にしよう。
お世話になっている作家の山平重樹さんから『決死勤皇 生涯志士』三浦重周伝(山平重樹著・並木書房・1800円+税)をご恵送頂いた。事務所のポストには「三島由紀夫研究会」からも同じ本が届いていた。三浦重周さんと言っても一般の方はほとんど知らないかもしれないが、民族派の活動家、理論家としては知られた存在で、「憂国忌」を長い間執り行って来た方だ。個人的には、私の主催の勉強会に来て頂いたり、晩年では「日本を糺す会」でもご一緒させて頂いた。その三浦さんが亡くなれたのはのは、今から十年前のことである。詳しくは山平さんの本を読んで頂きたいが、一人の男が節義を全うした生き様が描かれており感動する。
平成17年初冬、風雪にさらされる新潟港の岸壁でひとりの男が割腹自決を遂げた。自らを責め抜くようにして絶命した男は、政治結社重遠社を主宰した「三浦重周」そのひとだった。卓越した理論と高潔な人柄で後進を育て、幾多の国士と刎頸の交わりを重ねていた三浦の自裁は、「信念」を貫くためか、「個性」に殉じたのか…。新左翼運動が猖獗を極める昭和45年、新民族派運動に身を投じた早大生の三浦は「三島事件」に慟哭し、その後、死の直前まで35年にわたって「憂国忌」の活動に深く関わる。本書は「決死勤皇 生涯志士」を座右の銘にした三浦重周の孤高の闘いをたどり、彼を取り巻く多彩な青年群像をいきいきと描く。民族派運動の苦闘の歴史をも俯瞰した著者渾身の力作!(表紙見返しより)
朝から「ピピッとコンロ」が壊れた。東京瓦斯に連絡をして修理を頼んだが、朝食はカセットコンロで調理。昨日、四年前の震災について考えたばかりなのに、「不便」にイラつく。まだ修業が足りないか。
正午近くに同級生の会社を訪問。思いがけずに子供の合格祝いを頂き、昼食もご馳走になる。深謝して事務所へ。四時に帰宅し、子供を連れて松原商店街へ晩酌の肴を買いに行く。魚幸でマグロを買った。これが大当たりで、あっという間になくなってしまった。余り美味しいものを手出すと売れ行きが良くてダメだ。次はもう少し安い物にしよう。
お世話になっている作家の山平重樹さんから『決死勤皇 生涯志士』三浦重周伝(山平重樹著・並木書房・1800円+税)をご恵送頂いた。事務所のポストには「三島由紀夫研究会」からも同じ本が届いていた。三浦重周さんと言っても一般の方はほとんど知らないかもしれないが、民族派の活動家、理論家としては知られた存在で、「憂国忌」を長い間執り行って来た方だ。個人的には、私の主催の勉強会に来て頂いたり、晩年では「日本を糺す会」でもご一緒させて頂いた。その三浦さんが亡くなれたのはのは、今から十年前のことである。詳しくは山平さんの本を読んで頂きたいが、一人の男が節義を全うした生き様が描かれており感動する。
平成17年初冬、風雪にさらされる新潟港の岸壁でひとりの男が割腹自決を遂げた。自らを責め抜くようにして絶命した男は、政治結社重遠社を主宰した「三浦重周」そのひとだった。卓越した理論と高潔な人柄で後進を育て、幾多の国士と刎頸の交わりを重ねていた三浦の自裁は、「信念」を貫くためか、「個性」に殉じたのか…。新左翼運動が猖獗を極める昭和45年、新民族派運動に身を投じた早大生の三浦は「三島事件」に慟哭し、その後、死の直前まで35年にわたって「憂国忌」の活動に深く関わる。本書は「決死勤皇 生涯志士」を座右の銘にした三浦重周の孤高の闘いをたどり、彼を取り巻く多彩な青年群像をいきいきと描く。民族派運動の苦闘の歴史をも俯瞰した著者渾身の力作!(表紙見返しより)