白雲去来

蜷川正大の日々是口実

国会で追及することかよ。

2015-03-17 11:18:45 | 日記
三月十六日(月)曇り後雨。

テレビを見れば国会でNHKの会長がNHKのお金でハイヤーを使ったのかどうかと・・・。いい加減にしろよこの野郎。と画面に向かって怒鳴ってしまった。そんなことを国会の場でいうことかよ。もっと大事なことがあるだろうよ民主党の議員さん。小学生のアラ探しじゃないんだよ。全くレベルが低すぎる。国会議員に立候補するときに、知能指数と脳神経と、中学生程度の常識問題の試験をしてから立候補させなさい。日本に保守の二大政党が必要なのは言うまでもないが、クリミアに行った頭のおかしい鳩山や菅のいる民主党が自民党に代わって政権を担うと思っただけで寒気がする。思想はどうであれ、もう少しまともな人物はいないのかね。二日酔いの頭が余計に痛くなった。

一月十七日の「産経抄」に掲載されていたものを思い出した。それは俳人の長谷川櫂さんが、東日本大震災の直後、心情を俳句ではなく和歌に詠んだ。その歌と言うものが、「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭う 日本の不幸」というもの。まったくその通りだ。

こんな日は、出かけずに読書に専念。山平重樹氏が三浦重周さんのことを書いた『決死勤皇・生涯志士』を読みながら混濁の世に清明の光を見出すか。政治家は、野村先生の『さらば群青』と『決死勤皇・生涯志士』を必読の書として、命を賭けた男たちの心情に学びなさい。言っても無駄か。

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横浜マラソン。

2015-03-17 10:48:46 | 日記
三月十五日(日)晴れ。横浜マラソン。

今日は、横浜で初めての市民マラソン「横浜マラソン」が開催される。群青忌実行委員長の隠岐康氏や知り合いが参加するので、応援に出かけた。何せスタートが八時半。朝食もそこそこに家を出て横浜スタジアム前で志村馨君親子と合流。参加者が多いらしくコースの規制が厳しく道路の横断が出来ない。仕方がないので目印の日の丸を掲げてコースの反対側で応援した。結果的にはこの方が良く、恐らくコース側にいたならば隠岐氏を発見できなかったに違いあるまい。

主催者発表では二万五千人もの人たちが走ったらしい。見ていてもすごい人手、隠岐氏を見落とさないように、目を凝らしてみているだけで、人に酔ってしまう。次からは応援場所を打ち合わせしておかなければ、と思った次第。結局、私たちよりも隠岐氏に発見してもらい応援が出来て良かった。サリーたちも本牧で応援をしてくれたとのこと。

レースの終了後は、ロイヤルパークの中華料理で打ち上げ。隠岐氏の記録は二時間十五分×二とのこと。東京マラソン、テニアンでのトライアイスロン、そして今日の横浜マラソンと、レースが続いている。少しは見習うとするか。私は、マラソンのはしごならぬ、いつもの飲み屋のはしご。ロイヤルパークから野毛のイタリアン、最後は前里町の「だんらん亭」で〆。お疲れ様でした。※疾走する隠岐康氏。

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アメ横から銀座へ。

2015-03-17 10:04:19 | 日記
三月十四日(土)曇り。

昼過ぎから、家族揃って「アメ横」へ行く。なぜ家族でアメ横なのか・・・。難しいことは分からないけれど、そこにアメ横があるから。としか言えん。急に思い立ってアメ横の秘密基地、台湾料理の「新東洋」で昼食を、ということになったのだ。なぜそう言うことになったのか・・・。アメ横に新東洋があるから。としか言えん。

バスと電車を乗り継いでアメ横着。土曜日とあって人が凄い。何を買う訳でもなくお店の品物にきょろきょろしながら彷徨っているうちに「スカジャン」の老舗、大熊商会の前に出た。桃太郎君が店番をしていた。ご挨拶をしてから新東洋へ。子供たちはこのお店の名物の「ロー麺」。私と愚妻は、昼間から紹興酒の「女児紅(じょじこう)」を楽しむ。因みにこの酒は、中国の浙江省の習慣で、女児が誕生した際に仕込んだ紹興酒をその子が嫁ぐまで寝かし、結婚の際に嫁ぎ先に持参するということにその名が由来する。我が家は娘二人、酒を寝かすどころか、こちらが寝込まないように気をつけなければならない。

食後は、銀座へ。何を買うものでもないが、文具の「伊東屋」と「博品館」に行きたいと言うリクエストに答えた。有楽町で降りるのは久しぶりのことである。有楽町と言えば頭に浮かぶことが二つある。私たちの世代の人は、恐らく「貴方を待てば雨が降る。濡れて来ぬかと気にかかる」のフランク永井のヒット曲「有楽町で会いましょう」のメロディーが浮かぶのではなかろうか。そしてもう一つは、数寄屋橋の交差点で演説をしていた愛国党の赤尾敏先生のお姿である。日劇もなくなりすっかり様変わりした有楽町から銀座に向かう。浪人暮らしには全く縁のないブランド品の専門店のビルを無視して伊東屋へ。子供たちは初めてなので嬉々として店内を見て回っている。しばらくしてから博品館に向かう。

子供たちがいなければ「ライオン」で「アイスバイン」を肴に「黒ビール」をと恨めしそうにビルを眺めていたら、テレビの街頭インタビューに捕まった。酔いもあって気軽に応じたら、何と「お年寄りの残尿感」のインタビューだった。当然子供たちは私から離れて行った。ギャグをかましたので恐らく私の映像はNGとなるだろうが、そうなってほしいものだ。

酒と暑さと歩きでヘロヘロになって帰宅。一日低予算ビッグな企画で家族サービス。小市民を実感した一日でした。

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『愛国戦線』の「経団連事件特集号」

2015-03-17 09:09:09 | 日記
三月十三日(金)晴れ。

二日酔いでも寝ぼけていても朝食が待ち遠しい、そして美味しい。一日の内で朝食が一番好きだ。ちなみに今日の朝食は、サバの文化干しに大根おろし添え、ナスの味噌汁、キャベツの糠漬け。正調日本の朝食。

午前中に子供の付き合いで、大学の入学書類に添付する「卒業証明書」を取りに行った。途中で子供と仲良しの女の子をピックアップして学校に向かう。三年間子供がお世話になった学校をカメラに収めようかとも思ったが、気恥ずかしいのでやめた。

昼食は、子供と友達と一緒に東戸塚のダイエーのビルの中にある焼肉屋で「カルビ定食」を食べたが、まあ大人の食べるような物ではなかった。仕方がないか。食後は地下の食品売り場で買い物をしてから帰宅。その後は事務所へ。

次号の『燃えよ祖国』にて昭和五十二年の三月三日に野村先生らが同志と共に決起した、いわゆる「経団連事件」の際の「檄文」や先生の裁判における「最終弁論」を「付録資料」として掲載しようと思ってバックナンバーをむ探したのだが、どうしても見当たらず、結局二時間を探し物で浪費してしまった。整理整頓ができていないと猛省。

「経団連事件」を扱ったものでは、事件の翌年(昭和五十三年)の四月に発売された『愛国戦線』の通巻百四十号、「特集・経団連事件」が良くまとめられている。津久井龍雄・永田美穂・須藤久・丸山照雄・相田浩といった人たちの事件への所感。更に弁護団の「冒頭陳述」弁護団の「最終弁論」、東京地裁の「判決文」が掲載されている。私が発行した「大悲ジャーナル」時代の「経団連事件特集」もその『愛国戦線』を参考にさせて頂いた。その他の批評やマスコミ報道も含めて「特集号」を新たに作ってみたいが、百万円近い経費を必要とする。従って計画の段階で足踏みしているのが現状である。せめて資料整理ぐらいはしなければと思っています。

夜は、酔狂亭で月下独酌。比較的静かな日々を過ごしている。不如意の折は静かにしているのが一番である。

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