白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「拝啓」と書いて・・・。

2018-07-03 12:05:35 | 日記
七月二日(月)晴れ。

今の季節には似合わないが、野村先生の句に、「拝啓と書いてしばらく聴く時雨」と言うものがある。先生が、独房の中で、どなたかに手紙を書くが、「拝啓」と書いてから、後が続かず、外の雨の音を聴いている。そんな姿が浮かぶ。このブログを書いている時、日にちと曜日を書いたが、まったく何を書いて良いものかと、しばらく、パソコンの画面を見つめていることが、ままある。そんな時に、頭に浮かぶのが、上記の先生の句である。

時雨、冬の初め、降ったかと思うと晴れ、また降りだし、短時間で目まぐるしく変わる通り雨。この雨が徐々に自然界の色を消して行く。先人達は、さびれゆくものの中に、美しさと無常の心を養ってきた。とはPCからの受け売りである。日本語は美しい。その美しい日本語を駆使して語り、人を笑わせるのが落語である。専門家ではないので大きなことは言えないが、古典落語の中には、今では使われることがほとんどなくなった、美しい日本語が沢山出てくる。その落語の第一人者の訃報を知った。

桂歌丸師匠だ。その昔、私は、歌丸師匠のご自宅に、ごく近い所の団地に住んでいたことがある。と言っても歌丸師匠とは一面識もなく、単にご近所さんと言うだけで、親しみを感じていた。また私の自宅の近くには、平澤次郎氏、長谷川光良氏、亡くなられた内海政久氏といった民族派の活動家が住んでおり、長谷川、内海の両氏とは、同じ「寅の会」の仲間と言うこともあり、良く酒席を共にした。長谷川氏が引っ越した後に、住んだ、いや居座ったのが故板垣哲雄君で、その団地の一室が、彼が主宰していた革正評論社のアジトになった。確か、二三年ほど居たが、全く家賃を支払わず、大手を振って出て行ったのを覚えている。何事にも寛容だった昭和の時代のことである。

久しぶりに「そごう」へカツオを求めて行ったが、良い物が無く、仕方なく冷凍の「トロカツオ」を買った。来るのではなかったと、後悔したが、二千円以上買わないと駐車場代が只にならないので、惣菜のコーナーで、かき揚の天ぷらセットを購入。お店の名前を見たら「ハゲ天」。ナメンナよと一人ごちて帰路に着いた。ついていない一日だった。

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