白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「山わさび」が美味い。

2010-04-26 10:21:07 | インポート

四月二十四日(土)曇り。

 朝食の後に、下の子供を連れて、一緒にウォーキングに出た。自宅の近くを一時間十分ほど歩いた。陽気も良いし、汗が心地よい。

 上の子供が部活から帰って来て、開口一番「腹減った」。冷蔵庫を開けてみたら、冷や飯が沢山あるので、ガーリック炒飯を作った。私は、油断ちをしているので、雑炊にした。

 午後からは、東戸塚のダイエーで買い物。上の子供は本、下は夏服が欲しいと、上と下では好みも趣味も違う。夕食の買い物も済ませてから帰宅。

 夕食は、札幌の社友、石澤博文君が送ってくれた「山わさび」を擂って冷奴の薬味にして食べた。この「山わさび」だが、新しいものは、すりおろしている最中も、独特の辛味で目や鼻がしみる。それを醤油をかけて、温かいご飯と一緒に食べるのが一番だが、鼻がつーんとして、しばし言葉を失う。しかし三十分ほど、そのままにしておくと、辛味が抜けて、丁度良い辛さとなる。肉と一緒に食べても良いし、カツオも良い。酒の肴には最高である。

 

 大行社の小針政人君から、電話を頂き、夜一献と、喉まで出掛かったが、どうしても月曜日までに仕上げなければならない、長い原稿がある。来週と、延期した。夕方から、三時間ほど机に向かったが、ほとんど書けなかった。


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近くの寿司屋で一献。

2010-04-24 17:04:21 | インポート

四月二十三日(金)雨。

 朝から雨は憂鬱である。おまけに寒い。歯の調子が悪いので、午前中に歯医者。帰りに、ランドマーク・タワーの一階にある「成城石井」というスーパーを覘いたら、酒の酒類が豊富で驚いた。好きな、クリコの金ラベルや、モエのロゼなどあって、去りがたく、しばし優柔不断にも見つめていたが、懐不如意につき、あきらめた。出ようと思ったら、「甕雫」があるではないか。我慢できずに、九百ミリの小さいものを一つ買った。日曜日に、酒友の家で一献会があるので、その手土産にするつもり。

 帰宅してから、原稿に向おうと思ったら、知り合いのマスコミの方から連絡があり、スタバで二時間ほどお付き合いをした。帰りしなに、「つけそば」という看板が目に入ったので、丁度、空腹、どんなものかと食べてみたら、これが、大失敗。人生の貴重な一食を無駄にしてしまった。ついていない。

 そのまま事務所へ。珍しく郵便物がゼロ。そのまま自宅に戻って、ブログを更新したり、原稿の資料をまとめたりしているうちに、もう\六時。今日は、休肝日としようと思ったが、自宅の近くの「徳よし」という寿司屋で知人と待ち合わせをしていることを思い出して、慌てて向った。

 「徳よし」は、寿司の注文をしなければ、おまかせで酒の肴を出してくれるのが嬉しい。寿司を食べたい時は、最初に、今日は、寿司でゆくからと断ってから、好きなものを注文する。久し振りに、美味い刺身で酒がすすんだ。


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陶淵明の酒を見習う。

2010-04-23 18:14:20 | インポート

四月二十二日(木)雨。

 いやはや、正に寒の戻り。寒い一日だった。朝一番で東京行き。友人と一緒にお世話になっている方にご挨拶に出かけた。生憎、先約があったようで、残念ながらお話を聞けずに、お暇した。駅の近くの喫茶店で友人氏と三十分ほど話をした。良い友と言うのは、酒の趣味も、本の趣味も、人生観も良く似ていて、月に一度、その友人と会うのが楽しみでもある。

 その友人から薦められたのが、池波正太郎氏の書生であった佐藤隆介氏の「男の心得」(新潮文庫)と言う本。保土ヶ谷に戻って、駅ビルの中にある書店で早速購入した。自宅で少し読んでみたが、これがとても面白い、いや素晴らしい本だ。蕎麦屋での酒の流儀、すし屋でのマナー、酒を飲むための所作が一杯詰まっている。手前味噌で恐縮だが、私の飲み方や、店のこだわりにも良く似ている。

 その本の中に、「酒道」と題して、陶淵明のことに触れているものがある。陶淵明が酒と菊を愛したことは有名で、「飲酒二十首」の中の「其の七」に、

 秋菊佳色有り、露に裛(うるお)えるその英(はな)を掇(つ)み、此の忘憂の物に汎(うか)べて、我が世を遺(わす)るるの情を遠くする。

 の詩から、酒のことを「忘憂物」というようになり、酒好きの者を「忘憂君」と呼ぶようになった。陶淵明は官を辞してから故郷に戻って隠遁の生活を約、二十年も続けた。そして故郷の人達に愛され、酒席に招かれれば、しこたま飲み、酔った。普通の人ならば、二十年もぶらぶらしていれば、親戚縁者からも疎まれ、まして他人が酒席などに招いてくれまい。

 きっと、陶淵明は、酔うほどに、一緒にいる人々まで楽しくさせる、そういう飲み方であったに違いない。そして、自分が酒を飲むことで周りの人達にまで憂さを忘れさせてしまう。と「男の心得」にはある。

 野村先生の酒もやはりそうだった。先生は、酒席で、絶対に「下ネタ」話はしなかったし、他人の悪口も聞いたことはなかった。悲憤慷慨はすれど、決して、激昂せず、いつも勉強になり、楽しい酒であった。

 また「男の心得」の中に、「久し振りに電話をして誘い、一晩痛飲した末に、懐がスッカラカンになっても、翌日非常に気分が良くて、すぐまた誘いたいと思うような酒徒がいる。金さえあれば毎日でも声をかけたい酒敵が、数こそ少ないがいる」。

 全くその通りで、今日会った友人も、そんな大切な「酒友」であり、本当に数は少ないが、私には、そんな「酒友」が何人かいる。

 午後に、事務所に寄ったら、お世話になっている方から、ファンである野口武彦氏の「鳥羽伏見の戦い」(中公新書)がご恵送されていた。野口氏の本は、新潮新書から出ている本を全て読んでしまったので、思いがけずのプレゼントになった。感謝申し上げます。

 夜は、家飲み。最近、「磯じまん」というメーカーから出ている、「山海ぶし」というものに凝っている。梅干をかつおぶしなどで味付けしてある物なのだが、これが中々美味い。そのまま食べても良いが、山芋を適当につぶして、和えたり、キュウリにつけたりして楽しんでいる。酒は、今日も「そば焼酎・黒麹」。

Miyagih2204052 ※シッピン、クッピンの面白さです。是非、ご一読を。

 


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「行者ニンニク」で晩酌。

2010-04-22 14:20:33 | インポート

四月二十一日(水)晴れ。

 久し振りに朝からカラッと晴れている。こんな日は、何となく気分が良い。午前中に、仕事の段取りをしたのちに、正午から東京行き。今日は、一時半から都内某所で、大行社の幹部会議がある。「大吼」の編集者としての立場から、毎回出席をしている。また、相談役としてでも挨拶をするのだが、いつも四宮正貴先生の後なので、往生してしまう。四宮先生の学識や見識、そして名調子の後では、どんな啓蒙の天才をしてもかすんでしまうに違いあるまい。まして私なんて・・・。いつもトホホと言う感じである。

 三時に終了。大行社の本部に顔を出してから帰宅。自宅に戻ってからは、「大吼」用の原稿を入力してから、雑用を済ませば、もう七時近い。この時間になるとソワソワして仕事どころではない。

 蒸し餃子、白滝の梅合え、冷奴に、読者の田久保さんと、札幌の石澤君が送ってくれた「行者ニンニク」で一杯やった。大行社の北海道総本部の谷口さんから聞いたのだが、「行者ニンニク」で、葉っぱの短いものは、天ぷらに良く、長いものは、おしたしや醤油漬けに適しているとのこと。田久保さんから頂いたものは、前者で、石沢君の方は後者のものである。

 関東の人は、「行者ニンニク」、「アイヌネギ」とも言うが、このネギの赤ちゃんみたいなものに、あまり縁がない。いや殆どの人が、その名前も食べ方も知らないだろう。

 かく言う私も、かつての北海道出張を経験しなかったならば、その存在を知らなかった。独特の臭みと辛味があって、一度食べたら癖になる味である。何やら、修行に疲れた行者が、体力回復の為に食べたのが、その名前の由来とか。

 さっと湯がいて醤油漬けにしたり、おしたしにして食べるのが一般的だそうだが、私は、茹でないで醤油漬けのほかに、めんつゆやキムチの素などに漬けて食べる。

 細かく刻んで冷奴の薬味にしても美味い。この時期にしか食べられない北海道の珍味である。

 しかし、大変なのは、一本一本周りの赤い部分、つまり薄皮を取り除かなければならないことだ。これを怠るとエグくなる。  

 まあ、この作業も食べる前の楽しみのうちと、我慢しなければならない。晩酌の酒は、珍しく「蕎麦焼酎・雲海」の黒麹にしたが、これが中々いける。古本屋の百円コーナーで買った、沢木耕太郎の「人の砂漠」(新潮社)を読みながら、グダグダ飲んだ。

 


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自問自答の訓

2010-04-22 13:46:45 | インポート

四月二十日(火)曇りのち雨。

 今日も、午前中にウォーキングに出た。目的もなく歩くのも辛いので、掛かり付けの病院に行って、体調を見てもらったが、お陰様で血圧も正常で、まあまあだった。四十分ほど歩いたら、雨が降ってきたので、仕方なくバスで自宅まで戻った。

 野村先生が晩年に表したものに「自問自答の訓」というものがある。額装したものを赤坂にあった野村事務所の応接間に飾ってあったものだが、事務所の閉鎖と共に、弊社で管理している。その額を幾つ作ったのか失念してしまったが、確か三つ程度ではなかったかともおぼろげに記憶している。その「自問自答の訓」とは、

 常に世俗にあってその一隅を照らし

 常に在野にあって権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う

 と言うものである。一般の人たちがほとんど目にしたことのない、言わば幻の一品である。以前から、複製して欲しいとの声もあったが、縦27、5cm、横47cmという変形でもあり、資金的にも余裕がなかったので、そのままにしておいた。

 ある時、自宅の近くに出来た、データー専門の店を冷やかしに覘いたところ、偶然に、同じような大きさの書を持って、相談している人がいた。傍で聞いていたら大型のものもスキャンできるということなので、お願いしてみた。まあデーター入力と複製で、うーん、とため息の出るような値段だったが、思い切って作ってみた。額装などまだ完全ではないが、少しずつ先生の思い出が甦ってくるのは嬉しいことだ。ご希望の方には、来月ぐらいからお分けしたいと思っています。予定価格は額装完成品で25、000円(送料込)です。

Miyagih2204051 ※額装前の「自問自答の訓」。


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