四月二十二日(木)雨。
いやはや、正に寒の戻り。寒い一日だった。朝一番で東京行き。友人と一緒にお世話になっている方にご挨拶に出かけた。生憎、先約があったようで、残念ながらお話を聞けずに、お暇した。駅の近くの喫茶店で友人氏と三十分ほど話をした。良い友と言うのは、酒の趣味も、本の趣味も、人生観も良く似ていて、月に一度、その友人と会うのが楽しみでもある。
その友人から薦められたのが、池波正太郎氏の書生であった佐藤隆介氏の「男の心得」(新潮文庫)と言う本。保土ヶ谷に戻って、駅ビルの中にある書店で早速購入した。自宅で少し読んでみたが、これがとても面白い、いや素晴らしい本だ。蕎麦屋での酒の流儀、すし屋でのマナー、酒を飲むための所作が一杯詰まっている。手前味噌で恐縮だが、私の飲み方や、店のこだわりにも良く似ている。
その本の中に、「酒道」と題して、陶淵明のことに触れているものがある。陶淵明が酒と菊を愛したことは有名で、「飲酒二十首」の中の「其の七」に、
秋菊佳色有り、露に裛(うるお)えるその英(はな)を掇(つ)み、此の忘憂の物に汎(うか)べて、我が世を遺(わす)るるの情を遠くする。
の詩から、酒のことを「忘憂物」というようになり、酒好きの者を「忘憂君」と呼ぶようになった。陶淵明は官を辞してから故郷に戻って隠遁の生活を約、二十年も続けた。そして故郷の人達に愛され、酒席に招かれれば、しこたま飲み、酔った。普通の人ならば、二十年もぶらぶらしていれば、親戚縁者からも疎まれ、まして他人が酒席などに招いてくれまい。
きっと、陶淵明は、酔うほどに、一緒にいる人々まで楽しくさせる、そういう飲み方であったに違いない。そして、自分が酒を飲むことで周りの人達にまで憂さを忘れさせてしまう。と「男の心得」にはある。
野村先生の酒もやはりそうだった。先生は、酒席で、絶対に「下ネタ」話はしなかったし、他人の悪口も聞いたことはなかった。悲憤慷慨はすれど、決して、激昂せず、いつも勉強になり、楽しい酒であった。
また「男の心得」の中に、「久し振りに電話をして誘い、一晩痛飲した末に、懐がスッカラカンになっても、翌日非常に気分が良くて、すぐまた誘いたいと思うような酒徒がいる。金さえあれば毎日でも声をかけたい酒敵が、数こそ少ないがいる」。
全くその通りで、今日会った友人も、そんな大切な「酒友」であり、本当に数は少ないが、私には、そんな「酒友」が何人かいる。
午後に、事務所に寄ったら、お世話になっている方から、ファンである野口武彦氏の「鳥羽伏見の戦い」(中公新書)がご恵送されていた。野口氏の本は、新潮新書から出ている本を全て読んでしまったので、思いがけずのプレゼントになった。感謝申し上げます。
夜は、家飲み。最近、「磯じまん」というメーカーから出ている、「山海ぶし」というものに凝っている。梅干をかつおぶしなどで味付けしてある物なのだが、これが中々美味い。そのまま食べても良いが、山芋を適当につぶして、和えたり、キュウリにつけたりして楽しんでいる。酒は、今日も「そば焼酎・黒麹」。
※シッピン、クッピンの面白さです。是非、ご一読を。