白雲去来

蜷川正大の日々是口実

花いかだ

2010-04-07 00:45:48 | インポート

四月四日(日)花曇り。

 この二、三年いわゆる「お花見」を行なっていない。自宅のすぐ近くに、とても良い公園があり、そこの桜が見事で、近所に住む友人等と三年ほど連続して観桜会を行ったが、皆それぞれ忙しくなってしまい、難しくなってしまった。

 先日のブログで紹介したが、横浜の下町を流れる大岡川の川べりの桜が見事で、近年は横浜の新しい名所になりつつある。私も、最近は事務所に行く途中に、写真を撮ったりしてその景色に見とれている。今日は、下の子供が休みなので、午後から妻を伴って散歩がてら出かけた。上の子供は、部活とやらで夕方まで帰ってこない。本来ならば、家族揃って桜の下で記念写真と思っていたのだが、子供には子供の用事があるらしく、一人が欠ける家族の写真と言うものも、寂しいものだ。

 いつもの場所に着いてカメラを向けるが、上の子供から何の連絡もないことが、頭に来て、段々写真どころではなくなり、つい妻に八つ当たりしてしまう。それでも我慢して写真を撮った。

Dscf1858 ※大岡川の桜です。写真をクリックすると大きくなります。

Dscf1855 ※何時見てもいいですね。

 ところで、桜が散って水面に浮かび、それが流れるさまを「花いかだ」と言うのを知っているだろうか。桜の花びらがまとまって流れる様を言うそうだが、日本語は実に美しい。と思ってたら、本当に「花いかだ」という花もあることを知った。

Photo ※勝手にどなたかの写真を使いました。ご容赦願います。これが「花いかだ」です。

 葉の真ん中に咲く花を、筏に人が乗った姿に見立てたそうだが、しかし、日本語には情緒があって、こんなことでも日本人であることが嬉しくなる。

 夜は、奥さんが帰郷中のカメちゃんを誘って我が家で一献会。松本君の差し入れの「赤霧島」を一人で飲むのがもったいなくて、カメちゃんと飲んだ。私の手料理で十時まで。


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靖国神社の桜の下で「同期の桜」を歌う。

2010-04-07 00:38:59 | インポート

四月三日(土)晴れ。

 今日は、本来は忙しい、予定であった。まず、午後二時から、靖国神社にて、「英霊にこたえる会」主催の「靖国神社の花の下で『同期の桜』を歌う会」(大会委員長・大原康男、国学院大学教授)がある。

 四時からは、赤坂の乃木神社にて、民族革新会議(略称・民革、犬塚哲爾議長)の定例会があり、終了後には、都議会議員の土屋たかゆき先生を講師として「民主党の実態解明」というテーマで民革の拡大勉強会がある。

 松本佳展君に迎えに来てもらい、一時前に自宅を出た。高速は空いていたが、靖国神社に近づくにつれて、渋滞が激しくなった。千鳥ケ淵や靖国の桜を見る人たちで、車が中々進めないのだ。ようやく、靖国神社に着き、会場となっている場所に行くと、何と、酒友でもある郡山の梅本武年さんらが来ているではないか。お会いするのは随分と久しぶりの事。そういえば、梅本さんは、靖国神社の維持会員で、毎年、この時期に靖国神社に参拝していることを思い出した。久闊を叙して、共に満開の桜の下で、軍歌を歌った。

Dscf1848 ※中央、右側の男の人は、ルバング島の勇士、小野田寛郎さんです。クリックすると大きくなります。

Dscf1839 ※左から三人目が大原先生です。

 一曲目は、私のカラオケの十八番の「暁に祈る」で、嬉しかった。そして「昭和維新の歌」なども披露され、とても感激した。来年からは、皆を誘って必ず参加しようと思った次第。

 二十曲も歌っただろうか。天気も良いし、喉もカラカラとなり、喉湿しに、皆で銀座の「ライオン」へ行く。ここの「アイスバイン」は、私の大好物である。しかし、残念ながら、良い焼酎がない。しばらく飲んでから上野に転戦。「板門店」というホルモン屋で「マッコリ」と焼酎を飲む。

 すっかり、民革の会議や勉強会のことを忘れて、梅本さんたちと旧交を暖めつつ、盃を重ねた。途中、新しく民革のメンバーとなった、大熊雄次氏から電話が入り、「全て終了しました」。ヒェーである。慌てて時計を見れば、九時を過ぎていた。最終で郡山に帰る、梅本さん一行と別れ、松本君と横浜に戻った。


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機関誌の製本作業が終了した。

2010-04-04 23:41:47 | インポート

四月二日(金)曇り。

 朝起きてみたら、納戸の雨よけに作った小さい屋根が壊れていた。これが強風で飛んでしまって、近所の家や車にぶつかっては大変と、強風の中で、壊れかけている屋根をはがして、縛ったり、応急処置をした。いずれ修理しなければならず、金のないときに、頭の痛い話である。

 午後になって風が止んだので、事務所に行って片付けをした。古い機関誌の整理などをしたので、事務所はヒドイことになっている。棚を整理したり、掃除機をかけたりして大変だった。終了後は、松本佳展君と、同じく社友のW氏に手伝って貰い、機関誌の製本を行なった。丁合機があるので、頁を重ねる手間はなくなったが、中綴じ、中折、端切りの作業が残っている。全て終了したのが四時前。自宅に戻って、松本君、小枝ちゃんらと、わが家の家族と共に、自宅近くにある、お好み焼き屋「もんじ」にて、夕食を兼ねた一献会。

 九時過ぎに、帰宅し、自宅で少し飲んでから解散。

※千葉在住の社友で、古書店「曙堂」を経営している、門脇  さんから「池袋西口講演古本まつり」の案内状が送られてきた。パンフを参照にして是非行ってみて下さい。

Miyagih2204037

Miyagih2204038 ※色で塗ってある日が、門脇さんが本部にいる日だそうです。声をかけていただけましたなら幸いです。


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霧笛が俺を呼んでいる。

2010-04-04 23:32:05 | インポート

四月一日(木)曇り。

 いやはや夜来からのものすごい強風で、中々寝付かれなかった。我が陋屋は、風の通り道にあるせいか、その影響がすごい。ガタガタ、バタバタという騒音にいつも悩まされる。家が壊れるかと思うほどの音がする。マイッタ、マイッタ。

 テレビのニュースで知ったのだが、海上保安庁は、霧の濃い日などに、船の事故を防ぐために鳴らす、「霧笛」が、レーダーやナビゲーションの発達で、廃止すると発表した。霧笛は北海道や東北に多く、関東は犬吠埼灯台と東京湾の第2海堡(千葉県富津市)が現存するのみ。この2カ所が3月末で廃止され、関東以南の海岸から霧笛が消える。

 そこで、「霧笛」のことを調べてみた。明治12年(1879)12月20日、青森県下北半島北東端の尻屋崎燈台に日本で初めての霧笛(Foghorn)が設置された。この日が霧笛記念日となっている。  霧笛は霧が出やすく灯台の明かりが見えにくくなる灯台に設置が広まったもので、現在霧笛を出す灯台が20弱残っている。「霧笛」を出すのは灯台だけとは限らず、霧の発生しやすい場所には「霧信号所」というものがあるそうだ。

 霧信号所(きりしんごうしょ)とは航路標識の一種、音波標識である。霧や吹雪などで視界が悪いときに船舶に対し音で信号所の概位・方向を知らせるものである。音を使うために風や付近騒音の影響をうけやすい弱点がある。霧笛(むてき)と呼ばれることもあるが、船舶の汽笛による霧中信号(視界制限状態における音響信号)と混同されて使われていることが多い。

 多くは灯台に併設され、その鳴り方(周期:音を鳴らす時間と止めている時間の組み合わせ)が信号所ごとに異なるため、どこから発せられているものか識別できるようになっている。音の発し方は多くがダイヤフラムホーンであるが、すでに廃止されている犬吠埼霧信号所ではエアサイレンを採用していた。

 近年、舶用レーダーやGPSなどの航海計器の普及により、視界不良時においても容易に測位が可能となったことから、2007年(平成19年)8月、海上保安庁は2009年(平成21年)度末までの3ヶ年で全国の霧信号所を順次廃止してゆくことを発表した。 2010年(平成22年)3月31日をもって海上保安庁所管の霧信号所はすべて廃止となったが、漁協などが代替機を設置して稼働しているものが存在する。

 この「霧笛」は、中々ロマンチックなもので、その昔は、横浜港でも時折聞こえ、映画や小説などのタイトルにも使用された。横浜生まれの作家である大仏次郎の小説に明治の横浜を舞台にした「霧笛」がある。映画化されたのは昭和九年(一九三四)で、監督は村田実。港の見える丘公演にある「大仏次郎記念舘」の一階にある喫茶店の名前は「霧笛」で、その奥にある近代文学館に行く途中の橋は「霧笛橋」。また元町にはレストラン「霧笛楼」がある。

 友人で、ノンフィクション作家の山平重樹さんのカラオケの十八番は、日活映画の主題歌で主演した赤木圭一郎の歌った「霧笛が俺を呼んでいる」である。芦川いずみとの港でのラストシーンが圧巻である。久し振りに、ツタヤ・ディスカスで、その映画を借りてみた。


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大下英治さんから最新刊をご恵送された。

2010-04-04 12:29:52 | インポート

三月三十一日(水)曇り。

 早いもので、今日で三月は終り。アララララと思っているうちに歳をとって行く。昨夜、九時前に寝てしまったこともあり、早朝の三時半に目が覚めてしまった。

 ノンフィクション作家の大下英治さんから、最新刊の「実録・安藤組解散ーさらなる戦い」(上・下巻、徳間文庫)をご恵送頂いた。正直言って、私は、いわゆる「任侠物」に殆ど興味がない。特に最近のDVDなどは見たこともない。見ることがあるとしたら、古い仁侠映画だけだ。しかし、ノンフィクションのように知っている方を扱ったものの場合は別だ。

 今回、お送り頂いた大下さんの本も、大行社の三本菅会長や、大日本一誠会の故大塚稔会長など、お世話になった方々が登場するので興味深く読んだ。お付き合いをして頂いているといっても、個人的なことは殆ど知らなかったので、本を読んでいて、感心することしきりである。読み始めてから、昼までかかってイッキ読みしてしまった。お陰で今日も早々に眠れそうである。

Miyagih2204036 ※オイチョかカブの面白さです。是非ご一読を。


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