白雲去来

蜷川正大の日々是口実

連載百回記念を脱稿。

2010-10-26 11:47:13 | インポート

十月二十五日(月)曇り。

 嫌な天気である。家族揃って朝食。朝は慌しいが、皆出かけてしまえば、自宅にいるのは私ひとりである。片づけを済ませてから会社に行き、連載させて頂いている「実話ドキュメント」の第百回に取り掛かる。

 

 編集長のご好意で、現在の「友を選ばは書を読みて」という連載を始めさせて頂いたのは、平成十四年の十月号からである。第一回のテーマは、山本周五郎の「日本婦道記を読む」であった。爾来八年。お陰様で百回となった。二時過ぎに、脱稿。百回記念のテーマは「尖閣問題を読む」である。いつもギリギリに入稿していたので、たまには早く入稿しようと思った次第。

 

 三時から歯医者。いつもより時間がかかってしまい、終了後に郵便局へ。愚妻と待ち合わせて夕食の支度。私は、夜七時から町内の仲良しグループの食事会に出席。酒を飲まない私を皆訝しがっていたが、調子の悪い時は飲まないのに限る。長い人生で、わずか一二ヶ月ぐらい酒を抜いたとしても、何ともない。早い話、酒が美味しく飲める体を作るために、現在は休憩しているだけだ。

 

 「烈士」という言葉がある。本来どういうような意味かと広辞苑を開いたら、「節義の固い士。烈夫」とだけある。???節義の為、あるいは信念に基づいて命を掛けた人、と勝手に思っていた私にとっては、何か肩透かしを食らったような気持ちになった。幾ら「広辞苑」が左翼の岩波書店の発行であっても、これはないだろうと思った。納得しがたいので、ウィキペディアで調べたら、「烈士(れっし)とは、信念を貫きとおす男子。『国家に殉じた―』革命や維新などにおいて戦い功績を残し、犠牲となった人物またはその人物の称号をいう。幕末の日本においては、志士(義士)のうち、特に生命を危険にさらしたり、犠牲を払った人物を指す」とあった。 よしよしと思った次第。

禁酒五日目。来月の札幌行きで飲酒を解禁しようと思っている。それまで頑張らなくては。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勉強会に出席。

2010-10-25 21:08:01 | インポート

十月二十四日(日)雨。

 朝目を覚まして、キッチンの小窓から入る陽の明るさで、一日を占う。気持ち良いほどに明るい朝日が入っている時は、何となく、今日はいい日のような予感がする。また今朝のように、薄暗く、まだ明ける前かと時計を見ると、七時少し前。憂鬱な気持ちになる。

 

 雨は嫌いではないが、逃げ足の速い秋に追い討ちをかけるような雨は、余り好きになれない。日曜日、家族全員が揃ってのんびりとした朝食。盟友から送っていただいたカナダ産の松茸を贅沢に入れた松茸ご飯。中国産などと比べても、決してひけをとらない。通の味である。皆で歓声を挙げながら、慌てて食べたため、先生や両親のお仏壇に供えるのを忘れてしまった。申し訳なし。

 

 朝食後は、愚妻や子供の部屋の片付けと衣替えを行った。これが中々手ごわく、夕方までかかっても終わらなかった。五時に松本佳展君に迎えに来てもらい、神宮の日本青年館にて開催された、尊友同志会主催の元参議院議員の村上正邦先生の勉強会に出席した。村上先生が、服役中に阿形充規先生が、毎月欠かさず差し入れを行っていたことを披露され、あらためて阿形先生の情の深さに感激した次第。

 

 九時前に、終了。丸川仁、木川智の両氏と川崎で食事でもと思ったが、折角行っても酒を控えているので、次回とさせて頂いた。夕食をとっていないので、自宅近くのコンビニで弁当を買い、松本君と我が家にて遅い夕食。食後、時代物の作家である宮城賢秀氏よりご恵送頂いた「昭和戦後暗闘史・東宝争議の闇」(学研M文庫)を読む。お亡くなりになられた「新勢力社」の毛呂清輝先生が実名で出てきたり、楽しくてあっという間に読了してしまった。

Img467 ※是非、ご一読下さい。

 

 「お気に入り」のブログ、「爆ちゃん吼える」を見ると、なにやらネットオークションに凝っていて、趣味の釣り道具と万年筆をせっせと買い込んでいるとやら。私は、ネットで物を売ったことはあるが、本以外は買ったことはない。一度挑戦してみようと思っている。

 

 万年筆は、友人から誕生日祝いに頂いた国産の物を三本ほど使っていて、その中でも太書きの物が気に入っている。モンブランを持つのが夢だが、こればかりは、単行本を上梓したときに、自分へのご褒美として印税から買うと決めている。それでも文具屋などで良さそうなものを見ると、どうしようかと迷うことがしばしばある。早く、本を出さなければと思っている昨今である。

 

 釣りと言えば、私は、黒鯛一筋である。それも磯ではなく堤防釣りの方。しかし、釣り好きな友人が転勤して以来、とんとご無沙汰である。良いカーボンのヘチ竿や、分不相応なリールを幾つも持っているが、最近では宝の持ち腐れとなっている。十月も後半になると黒鯛は終りだが、その内に、アイナメでもやりに行こうか・・・。横浜は、近くに良い釣り場がなくなってしまった。自慢ではないが、「あたり」で、何の魚か分かるほど、一時は凝ったものだ。三キロ近い黒鯛を上げた時の、竿を持つ右手の痺れが懐かしい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古書展で「塵中に人あり」を見つけた。

2010-10-23 21:38:20 | インポート

十月二十三日(土)晴れ。

 良い天気である。子供達を起こして、朝食の後は部屋の掃除と、ガァーッと洗濯をした。その後は、衣替え。子供達の着れなくなった服が山ほど出た。一年ごとに大きくなるので、着れなくなるのも二人分。大きなダンボールに四つも出た。もちろん捨てることなどせずに、友人の子供にお下がりとなる。

 

 午後から、事務所にて郵便物の確認の後に子供達を連れて伊勢佐木町の有隣堂へ。偶然にも古書展をやっていた。郷土史など良い本が沢山あったが、懐不如意で欲しい本をあきらめた。「戦藻録」「中山優選集」の二冊に後ろ髪を引かれる思いだ。明日までと言うことなので、すっ飛びで買ってくるか。

 

 嬉しいことに、野村先生が廣済堂から出した「塵中に人あり」(「汚れた顔の天使達」と改題して弊社から発行)があったので、即購入した。人に上げたりして、事務所には一冊しかない。思いがけない出会いに、ニンマリした。その他、「田中清玄自伝」「一人一殺」「横浜の町名」などを購入。「田中清玄自伝」「一人一殺」の二冊は、書棚にあると思っていたら見当たらず再び購入した。「横浜の町名」は、ラッキーだった。

 

 帰宅後は、皆で夕食の支度。今日は、鶏肉とキノコの鍋にした。札幌の石澤君が送ってくれた最上の昆布と鶏肉、その他、キャベツ、玉ネギ、どんこでしっかりダシをとった。最高のスープがとれた。しめにはうどん。目の前でビールを飲んでいる愚妻を無視しつつ今日も禁酒。三日目である。

Photo ※偶然と言うよりも、必然的な先生の本との出合いだった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当分、禁酒しまっせ。

2010-10-23 21:05:26 | インポート

十月二十二日(金)曇り。

 起床後の朝食前に血圧を測ると、まだ百七十一もある。軽い食事の後に、医者に行った。先生いわく、「夏にはようやく正常になったのに、何でまたこんなになったの。当分、禁酒と体重を減らすこと」。耳にタコができるほど、先生からこのセリフを聞かされた。今回は、真面目に体調を戻そうと思っている。

 

 医者を終えてからは、様々な支払いを済ませてから事務所にて、郵便物の確認。帰りしなに、伊勢佐木町裏の大通り公園で「陶器市」が開催されているので、覘いてみた。焼き物などまったく見る目がないので、余り沢山店が出ていると、何を買って良いのか迷ってしまい、結局何も買わずじまい。欲しいものが何点かあって、どうしようかと随分迷ったが・・・。と言っても、一枚五百円程度のものだが。

 

 夜も、晩酌なしで、家族と一緒に食卓を囲んだ。酒を飲まないとあっという間に食事が終わる。テレビもくだらん番組ばかりなので、先日購入した浅田次郎氏の「マンチュリアン・リポート」を読みつつ寝る。禁酒二日目。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨星落つ。

2010-10-22 21:11:37 | インポート

十月二十一日(木)雨のち曇り。

 昔は、この日は「国際反戦デー」で、左翼の過激派が街で暴れていた。確か、アメリカが始めて北爆を始めた日をそう呼んだと記憶している。北爆といっても北朝鮮を爆撃したのではなく北ベトナムの事です。

 

 朝一番で東京行き。盟友と待ち合わせてお世話になっている方にご挨拶し、様々な資料を頂く。いつも本当に勉強になり、感謝をしている。

 

 午前中に、横浜に戻り眼科へ。高血圧ゆえの眼底出血かと心配だったが、検査の結果は、「結膜下出血」とのこと。しかし、繰り返しおこる人は、高血圧が関係しているので要注意と言われた。午後から、掛かり付けの内科に行くつもりだったが、どうしても時間が取れずに明日にした。

 

 五時過ぎに、去る十六日に逝去なされた浅井信吾先生の通夜式に小林民三、志村馨の両氏と共に出席した。式場となったのは、有名な生麦事件の際に、その場で絶命したイギリス人のリチャードソン以外、深手を負ったクラークやマーシャル、軽傷だったマーガレットらが退避した本覚寺である。余談ではあるが、その人たちの手当てをしたのが、有名なヘボン博士である。

 このお寺は、当時、アメリカ領事館として使用されていた歴史的なお寺である。山門を上がった右側に、「アメリカ領事館跡」の碑が建っている。

 

 浅井先生の人脈の広さを示すように千人を超える一般の弔問の方々が参集した。私が知る限り、横浜で様々な方に最も愛され、慕われた方であったと思っている。巨星落つとは、正にこの方のことを言うに相応しい言葉だ。私達に微笑みかけるような遺影に手を合わせて、本覚寺を後にした。

 

 今日から、当分禁酒を誓った。塩分も控えめにして、サンマもそのまま焼いて、ポン酢で食べた。今日から一ヶ月の禁酒とウォーキング、そして一ヶ月の後も「家飲み」は厳禁して、体調を戻そうかと思っている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする