白雲去来

蜷川正大の日々是口実

白菊の 白が溢れて とどまらぬ

2010-10-22 20:39:36 | インポート

十月二十日(水)雨のち曇り。地久節。群青忌。

 本日は皇后様のお誕生日。地久節である。起床後に皇居を遥拝しご皇室の弥栄と両陛下の御健康を御祈念する。

 

 そして今日は、十七回目の群青忌である。先生の遺影に手を合わせる。早いもので、野村先生が亡くなられてから十七年が過ぎた。私達にとっては、正にあっという間の十七年でもあった。その間、単に追悼を繰り返すだけで、何事もなせずに過ごしてきた。命日を迎えるたびに忸怩たる思いがよぎる。

  

   白菊の 白が溢れて とどまらぬ

 

 午後一時半より、東京で行われた大行社の幹部・役員会議に出席した。四宮正貴先生の次に、ご挨拶をさせて頂いた。その後、二十二日の運動の案内の説明のために出席した長谷川光良が趣旨の説明を行った。

 

 終了後に、小針相模支部長、村田神奈川支部長、内川横浜支部長と木川智君らと戸塚の「花の舞」という居酒屋で一献会。私は、個人的には、こういった居酒屋チェーンは好きではないが、五時前とあっては、入る店も限られてしまう。六時半まで飲んで自宅に戻った。

 

 ちょっと体調が良くないので、血圧を測ったら、何と百九十もあって、ゲゲゲ・・・。昨日から左目が充血して何となく物が見ずらい。ヤバイ、ヤバイ。そんな訳で早目に寝た。


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大人(たいじん)と小人(しょうじん)の差。

2010-10-22 09:11:38 | インポート

十月十九日(火)晴れ。

 同志、社友がどどっと来て、どどっと帰る。先生の墓前祭が終了すると、一抹の寂寥感を覚える。そして、必ず体調を崩す。これが例年のパターンとなった。

 

 中国では、ぞろ反日デモが起きているという。事情通によれば、官製、あるいは現体制に対する不満が反日デモとなった。など様々な分析がなされているが、そのデモを行なう人たちの品性のなさ、幼稚さ、残虐性は、そのまま民族性と同一視されることがある。

 

 中国では、辛亥革命によって清王朝が倒される前の過去の千年に六つの王朝が誕生した。その六つの王朝の中で漢民族による支配は、宋と明によるわずか二つのみで、後は異民族に支配された。契丹族(満州から中央アジアに存在した遊牧民族)が建てた遼、蒙古族の元、満州族の金と清である。

 

 その異民族支配による統治の中で、中国人の意識、民族性が形成されて行ったことは疑うべきもない。もちろん世界に誇るべき芸術や文化も築かれたが、王朝の交替時に起こる殺戮が民族のトラウマとして暗い影を落としていることも事実であろう。

 

 今回の反日デモに限らず、中国国内で行なわれる、デモや抗議集会で必ず繰り返される商店への襲撃や、特定の国の製品に対する陵辱的行為等・・・。これが民族性によるものと指摘されても、否定はできまい。もちろん、このような行為は中国人に限ったものではないが、そういう行為を繰り返す国家と民族の歴史は、不思議と似ている。

 

 十六日と十七日の二日間、中華街で食事をした。休日とあって、中華街は観光客で溢れていた。もちろん日本人のである。中華街を訪れる日本人が、中国料理をボイコットしたり、お店を襲撃する人、あるいは中国語で書かれた看板を壊す人などは皆無だった。恐らく中華街を訪れた多くの日本人の心の中には、今回の尖閣の問題を憤懣やるかたない思いを持っていたのに違いあるまい。同じ問題で、中国人と日本人の対応の差。これを日本人の意識の低さなどと思ったら、中国は永遠に世界から相手にされまい。大人(たいじん)と小人(しょうじん)の差というものは、こう言う所に出るものなのだ。

 

 夜は、自宅近くのお好み焼き屋「鶴屋」にて、石澤親子、松本、小枝の諸氏と我が家の家族との食事会。気の置けない人たちとの酒席ほど楽しいものはない。

 

 


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溜まってしまった仕事に追われた。

2010-10-19 09:10:41 | インポート

十月十八日(月)曇り。

 やっと自分の時間が持てるようになった。四、五日ほとんど仕事が出来る状態ではなかったので、朝から大変だった。六時半に起床し、家族と共に朝食。朝食が済むと、自宅には私一人だけになる。いつもは、家の片付けなどを済ませてから仕事にかかるのだが、今日は、朝からエンジン全開で机に向かった。

 

 まず、ブログを二日分更新してから、「大吼」の新年号の原稿依頼の葉書を六通書いて出した。その後は、注文を頂いた書籍の発送、カタログの発送、メールの返事など、まるで千手観音のようだ。おなかが空いたと時計を見れば、一時過ぎ、昼食を作るのが面倒だったが、外で食べる時間が勿体なく、社友会の福井英史さんから頂いた、サンヨネのウースターソースで作ったソース炒飯と、温かいうどんという何の脈絡もない昼食。

 

 夕方から事務所に行き郵便物やFAXなどの確認をしてトンボ帰りで自宅に戻り、机に向かう。ホッと一息、コーヒータイムにブログを開く。「お気に入り」をクリックすると、久し振りに「酔って候へど」が更新されていた。一切の政治色がなく、酒と肴、酒場のそぞろ歩きのブログだがこれが中々良い。読んでいるだけで、飲み屋に行っているような気持ちになるから不思議だ。その昔、サイパンで日光軒というラーメン屋さんをやっていたご主人がバンコクへ移転して、ブログを続けている「いらっしゃいませ!サイパン日光軒」も面白い。

 

 横山孝平君の「國の子評論」には、十六日に行われた青年思想研究会の物故者の法要「先人の労苦を偲ぶ会」に出席した折りに、近藤勢一氏が挨拶の中で語られた言葉が書かれていた。私も感銘を受けたので、転載させて頂く。

 

 「『死友に背かない』『死者を忘れなければ、その人は心の中に生き続ける』という言葉にとても大きな感銘を受けた。関係した人の死を受けとめることは出来ても、その思いを我がものとして生きることは並大抵のことでは出来ない。しかし、あえてその『死友に背かない』で生きる。民族派運動のスタイルは様々だが、根本の思想はここにしかないと強く感じる。」

 

 気障なようだが、私も、野村先生はもとより、先に逝った阿部勉氏や虎の会の諸兄らの「死友」に背くまいとして、群青忌や追悼祭を続けている。その青思会主催の集まりには、野村先生の法事と重なったために、大熊雄次氏に出席して頂いた。

 

 リンクしいる以外のブログで、興味深いのは、「爆ちゃん吠える」「日本よ何処へ」「不肖!宮嶋のウエブサイト」「鈴木邦男をぶっとばせ」と、読む人が暗くなる「閑人舎通信」などか。活動報告の類いのものはほとんど開かない。どれを読んでも同じような内容のものばかりで、楽しくないからだ。

 

 夕食時に、小瓶のビールを二本のみ飲んでやめた。食後は、再放送したNHKスペシャル「貧者の兵器とロボット兵器」という番組を見たが、とても興味深かった。これからの戦争と言うものを考えさせられる良い特集だった。


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一杯、一杯復一杯。

2010-10-18 10:37:47 | インポート

十月十七日(日)晴れ。

 九時に起きるのが精一杯だった。まだ寝ている梶浦、湯浅の両君を起こして、我が家の家族と共に中華街へ。途中、横浜に泊まった、山内、森下、山崎の諸氏をピックアップ。やはり、横浜に泊まった岐阜の細川先生、新潟の山田さんと合流。当初は「安記」で朝粥とも思ったが、何しろ総勢十三人、おまけに今日は日曜日である。すでにお店の前にはお客さんが並んでいる。これでは無理なので、十一時まで、中華街をぶらぶらしてから「菜香」の一階で飲茶をした。

 

 二時の飛行機で札幌に帰る梶浦君と新潟へ帰る山田氏を湯浅君に横浜駅まで送って頂き、山内、森下、石澤親子の諸氏は中華街を散策とやらで、ひとまず解散。「まだ飲み足りない」という、細川、山崎の両氏と共に、小港の「美奈登庵」へ。この店は、サリー夫妻のテリトリー。先着していたサリーパパやサリーと合流して、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りで、両人對酌すれば山花開き 一杯一杯復一杯 我酔うて眠らんと欲すれば卿しばらく去れ 明朝意あれば琴を抱いて来たれ。と、一時間ほどで解散。細川、山崎の両氏を関内駅まで送ってから自宅に戻った。

Dscf2692 ※中華街にて。横浜に一泊した社友会の人たちと。

 

 夜は、我が家で、お疲れさん会を催した。参加は、松本佳展、石澤親子、藤田の諸君。我が家で、「とんこつ醤油味」のラーメン鍋を囲んだ。十時近くに解散。これで、先週の木曜日から続いた、怒涛の酒宴が終わった。明日からしばらく休肝日とする予定。

コメント (1)
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本年度、野村先生の墓前祭を開催。

2010-10-18 09:24:55 | インポート

十月十六日(土)晴れ。野村先生墓前祭。

 六時に起床。我が家に泊まった梶浦、湯浅の両君と共に朝食。八時前に、ヒロシ、大ちゃんの二人が着。続いて、松本佳展、小枝のお二人と、ライト隊長、山内、森下の両氏も着。伊勢原に向ふ。途中道路は、少し渋滞もあったが、九時前に浄発願時着。いつも一番乗りは、正田暢鍵氏らの埼玉グループである。早速、駅の送迎グループや、お墓の段取り、受付の段取りなどをする人たちを選任して、それぞれ部署に着く。

 

 良い天気である。来客の一番乗りは、根本順善監督や脚本家の夏井辰徳さんたち。何の案内もしていないにも関わらず、百五十人もの人たちが来訪してくれる。有り難いことである。

 

 十一時に本堂で法要開始。終了後は、お墓に詣でる。正午過ぎに終了。直会会場の横浜中華街まで乗り合いをして頂いて直行。毎年、お世話になっているお店が、先約があるとのことで、今年は、初めてのお店にしたが、人数が読めずにバタバタしてしまった。五十名の予約をしておいたのだが、七十名以上の人が参加。嬉しい悲鳴である。四時に終了。

 

 その後、社友会の人たちと、恒例の「サリーズ・バー」へ。地方から来る社友の皆さんは、サリーの店に行くのが楽しみで、カウンターに座れず、立ち飲みとなっても構わず、再会を喜び、また野村先生を偲び、問答無用の酒を酌み交わしていた。

 

 皆疲れていたので、六時過ぎに解散。我が家に泊まる梶浦、湯浅の両君と内川徳彦氏、山田喜一氏、細川嘉彦氏らと共に、私の自宅の近くのスナックに転戦。一時間ほどで解散。充実した一日だった。

 

 追記。直会の始まる前に、大行社の内川徳彦氏より、地元で公私共にお世話になっている方の逝去の報あり、愕然とする。正に巨星落つ。内川氏と墓前祭にも出席して頂いた政友皇志会の綿谷政孝氏と共に、急遽、その方の事務所にご挨拶に行き、病院から戻ったご遺体と対面。心からお悔やみを申し上げる次第です。いずれ、関係者の方のご了承を得て、その方の思い出を一文にしたためてみたいと思っている。


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