白雲去来

蜷川正大の日々是口実

馬車道のことなど。

2013-05-22 11:36:25 | インポート

五月二十日(月)雨。

朝から市県民税の申告書の書き方を間違えたので、市の特別徴収センターに訂正しに行った。その場所は、市役所にあるのかと思ったら、何と関内駅近くの馬車道のほぼ中央、しゃぶしゃぶ屋の入っているビルの中にあった。五分ほどで訂正が終わり、久しぶりに小雨の中の馬車道を歩いてみた。横浜に住んでいても、用事がなければほとんど馬車道などには来ない。

馬車道は港の方向から、関内駅、伊勢佐木町方面へ一方通行である。良く考えると、その昔は、伊勢佐木町の入口、つまり吉田橋のたもとに関所があって、不逞の浪人を取り締まった。そこを通って港方向の外人の居留地へ行く。従って、本当なら、港方向に一方通行であるべきなのだが。ちなみに「関内」という地名は、吉田橋にあった関所の内側にある町なので、「関所の内側」で通称「関内」と呼ばれている。反対の伊勢佐木町方面は、「関外」と呼ばれたが、今はほとんど使われることがない。「関内」は通称で、駅名にはなっているが、住所表記にはない。

その昔、馬車道の入口(関内駅方向)に、ハンバーガーの専門店の「珈琲屋」があった。トースターもオレンジを絞る道具も、電子レンジも、その頃は珍しい輸入品を揃えていた。メニューは、ハンバーガーとホツトドックにトースト程度だったが、おしゃれな店だった。まだ巷にマクドナルドなどのお店が出来る前のことだ。その隣には、お稲荷さんの「泉平」があった。「泉平」は、場所を少しずらして今でもあるが、店頭販売のみとなっている。

映画館も、東宝会館があって、封切りで洋画と日本の映画を上映していた。その斜め前、現在の市民ホールのあった場所には、「横宝」という映画館があり、ここでは映画やライブも行っていた。中学一年生の時に、そこで寺内タケシとブルージンズやクレイジーキャッツの公演を見たことがある。東宝会館の前には、今では珍しい純喫茶の「ウイーン」が健在である。

その喫茶店の窓際に座っていると、なぜか「学生街の喫茶店」の歌が頭の中でリフレーンする。様々な人と、様々な思い出がある。私が十代のころから営業しているから、もう馬車道では老舗の部類に入るだろう。その隣のビルの地下に、昭和五十年から五年ほど私が勤めていた「パブリック冠」というお店があった。野村先生や阿部勉さんなど、民族派の人たちが常連で、まあその分、一般のお客さんの足が遠のいたが・・・。もう三十七年も前のことだ。

野村先生は昭和五十二年三月三日の経団連撃事件の前夜、同志と共に横浜のニューグランド・ホテルに泊まった。そのことが「人間ドキュメント野村秋介」(山平重樹著・二十一世紀書院刊)に書いてある。

「私はしばらくして三人(伊藤好雄・森田忠明・西尾俊一)と別れ、横浜の裏町を一人でさまよった。そして横浜民族派の拠点の観を呈しているパプリック『冠』に足を向けた。蜷川君に逢いたかったのである。しかし残念にも『冠』はシャッターを下ろした後だった。」

馬車道の界隈も随分と様変わりしていたが、思い出が鮮明な分、セピア色の街並みが甦ってくる。小雨に煙る馬車道を後にして自宅に戻った。


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米つきバッタのようにすり寄って来て、都合が悪いと逃げる奴。

2013-05-22 10:19:41 | インポート

五月十九日(日)晴れ。

良い天気である。上の子供が修学旅行で行った小樽で、味噌ラーメンを食べたらしい。子供いわく「インスタントより不味かった」。たまに観光地にはそんな店がある。私も、随分前に札幌に行き、二条市場の中にある寿司屋に入ったが、恐ろしく無愛想で無口な板前がいて、出された寿司はまるで素人が握っているような感じだった。お金を払う時に、「あんたよ、良くこんな寿司で金取るような商売しているな・・・。」と文句を言ってあげた。嫌な顔をしたが、更に私は「人生の大切な一食をダメにしちゃったじゃネェか、この野郎」。と普通の声で言って出た。

当然だが、観光地の寿司屋やラーメン屋などは、知り合いがいない限り飛び込みでは入らないようにしている。それが本当の「飛び込み自殺」だ。最近は、ダイエットしていることに加えて、塩分も控えめにしているので、ラーメンをほとんど食べなくなった。それても愚妻の付き合いで三か月に一度くらいは食べるが、豚骨は避けて、なるべくさっぱりした醤油ベースの物にしている。

古い付き合いの友人「けんちゃん」が、事務所の近くの高砂町というところにある、「家系ラーメン」で有名な「たかさご屋」を任されていると聞いたので、家族揃って顔を出した。脂を少なめにして、トッピングは「海苔」。久しぶりの、豚骨ラーメン。美味しかった。でもなぜか、ここの豚骨ラーメンを食べると、ご飯も一緒に食べたくなる。それをぐっと我慢した。けんちゃんに、「そのうちに飲みましょう。」と挨拶して店を出た。家族の評判ですか。普段ラーメンを食べない下の子供まで完食。皆さん「美味しかった」ですって。

話は変わるが、アジェンダ渡辺が、維新の会との選挙協力を解消したとか。申し訳ないが、どうも個人的に、この人のことを好きになれない。どんな思想があるのか、国家観があるのかまるで分からないのだ。「鵺(ぬえ)」という言葉がぴったりする。加えて協調性もなさそうだし、聞いた話では、「みんなの党」の中でも一人浮いているらしい。大体、国家と国民を領導して行こうと言う者が、政党名に「みんなの党」などと幼稚園児のお遊戯みたいな名前を付けるか。まさにポピュリズムの最たるものだ。

維新の会が、結党当時、威勢がいいと思えば、米つきバッタのように擦りより、まるで娼婦のように秋波を送っていたくせに。結局、自分たちが不利になると思えば、一方的に離れて行く。そこに、人間としての情や哀れさというものを全く感じられない。ホステスだってそんなに極端じゃないぜアジェンダ君。所詮は、苦労知らずの二世議員でしかない。選挙になれば、こいつらにすり寄って反自公、反共産、民主の隙間をついて政治家になりたいと言うような節操のない連中が大勢でてくるのだろうなぁー。いやだなぁー。まだ共産党の方が立ち位置がはっきりして分かりやすくていい。保守なのか、革新(ちょっと古いか)なのか、反日なのか良く分からん。靖国神社にも行かないし。きっとただの職業政治屋、選挙屋の集まりなんだろうな。

夜は、昼間の「豚骨」のみそぎをするために、玉ねぎとかいわれのサラダ。アジの塩焼きで月下独酌。あーあ今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃございませんか。


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腕(かいな)の中で、千人の男を寝かせた女は菩薩である。

2013-05-20 10:25:36 | インポート

五月十八日(土)晴れ。

昨日、免許の講習に行った時に、南区役所の売店に「横濱南区・昭和むかし話」という冊子が売っており、二百円と言う安さもあって購入した。平成十五年の「南区制六十周年記念」として製作されたものだ。平成二十五年の今年は、区制七十周年となるから、私の住む南区の区制はそれほど古くはない。

区史によると南区は、横浜市を構成する十八区のうちのひとつ。中区から分離した際に中区の南にあることから命名された(のちに西区が中区から分離しているので現在の中区から見ると西にある)。十八区の中で人口密度が最も高く、二位の西区(13,773人/km?)に大きく差をつけている。昭和十八(1943)年十二月一日 、 戦時配給制度の手続の軽減を図るため、寿・大岡両警察署管内の各町を中区から分離して南区が誕生。

まあそんなことはどうでも良いのだが、購入した南区の「むかし話」の中に、昭和五年生まれの土屋榮一さんの「遊郭のあったまち」という一文がある。横浜の大通公園、地下鉄の阪東橋駅の近く、横浜橋商店街の裏に大鳳神社がある。地名は真金町で、私の子供の頃は、その場所に遊郭があった。今もその名残があって道路の真ん中には柳の並木があり、三四年前までは、遊郭として使用された風情ある建物が残っていた。

土屋さんの話によると、「遊廓のある町の人たちは、遊廓に対して、決して売春宿と言う見方をしていませんでした。遊廓を卑しめる言葉は決して使いませんでした。みんな遊女たちを親しみを込めて「お女郎さん」と呼んでいました。町の商店にとっても彼女たちはお得意さんでした。戦後、周囲が米軍に接収された後も、一般の婦女子を守る防波堤にしようという意味合いで遊廓はそのまま残されました。進駐軍が主なお客さんになり、外国人相手と日本人相手の店とに分かれたようです。そして昭和三十三年に売春防止法ができて、遊廓は無くなりました。」

ちなみに「柳の並木」は、顔見知りが通りの向こうから来た時に、並木に身を隠しながらすれ違うことができるというのです。遊郭は遊女たちの『恥じらい』に配慮した造りになっていると思いました」と土屋さんは書いている。

現代の感覚では、女性が体を売って商売をすることは、良くないこととされているが、少し前までは、堂々とした職業でもあり、ある意味では文化でもあった。当時は、そういうことでしか日々の糧を得られない人たちがいたことも事実なのだ。だからこそ日本人は、「遊廓を卑しめる言葉は決して使いませんでした。」のだ。

ソープ、ヘルス、デリヘル・・・。これらの職業も店舗もすべて合法的なものだ。それらの店に行く人、あるいは女性を呼ぶ人たちが、単に「話し相手」欲しさでないことは言わずもがな。またそういうお店や、働く女性たちを声高に罵ってみたり、後ろ指を指したりすることは、日本男児のすることではないし、男の作法でも決してない。「千人の男を自分の腕(かいな)の中で寝かせた女は、ある意味で菩薩に近い」というようなことを言った作家がいた。

慰安婦と一夜を過ごし、従容として戦地で死んでいった兵隊も沢山いたはずだ。確かに「苦界に身を沈めた」という不幸な女性もいただろう。しかし、その当時は、「遊郭」や「遊女」は合法であり、文化を形成していたことだってあったのだ。「歴史と言うものは、ミラーボールと一緒で、照射する角度によっても光ったり、陰にもなったりする。その陰の部分だけで強調しても真実は見えてこない」と言ったのは野村先生だった。

夜は、友人のご夫妻と、後輩とで、地元の寿司屋で一献。その後、一軒転戦してから帰宅。


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保守潰しの足音が聞こえる。

2013-05-18 10:24:14 | インポート

五月十七日(金)晴れ。

免許の講習の日。一二度駐禁の切符を切られただけで一時間の講習とはしゃらくさい。まあそれでも以前のように二俣川という所にある免許センターで受けるのではなく、井土ヶ谷駅近くの南公会堂で行われるのだから、幾らかは楽だ。良い天気なので、南公会堂まで歩いて行った。三十五分で着。つまらない講習を聞いて(ほとんど寝ていた)新しい免許証を貰った。

良し悪しは別として、橋下市長の「慰安婦」発言が波紋を広げているが、マスコミの本心は、夏の参議院選挙に向けた「保守つぶし」の一環。ではないかと思っている。参議院選挙で自民、維新が過半数を獲得し、一挙に改憲の機運が高まることへの警戒感と潜在的な保守への嫌悪という左翼病。

参議院選挙の保守勢力の圧勝の危機感の前に、何とか「保守叩き」のきっかけはないかと手ぐすねを引いて、網を張っていた所に、そそっかしい橋下が引っかかった。そう思えてならない。挑発されるとすぐにカッとなるのは彼の悪い所だ。これで橋下と維新の会の賞味期限が切れた。

我が国には、保守の台頭を面白くないと思う人がいて、まあそれはそれで健全なのだが、困るのは、支那や韓国の手先となって国を売るようなことを行っている人がマスコミや学者と言われる人の中に多いことだ。

笑止なことは、テレビのキャスターなどは、ここぞとばかりに人権や正義感を振りかざして橋下を批判している。大体、何で「慰安婦」を語る時に、頭に「従軍」という言葉がつくのか。これも意図的なものを感じてならない。いまや、「従軍」と「慰安婦」は、ひとつの単語となってしまっている。これを何とかしなければならない。しかし皆さん本音と建前を使い分けるのが上手だからなぁー。その昔、キャスターのO倉さんが、写真週刊誌に不倫の現場を撮られて、たまたま彼の友人であった医療関係者(確か阪神の震災の後で携帯トイレの「お助け丸」とか言うのを売っていた)が私の友人でもあり、彼を通して、その写真誌の記事を止めてくれないかと依頼されたことがあった。

その時に、電話でキャスター氏と話をしたことがあった。写真誌にも当時、友人の新藤厚氏がいて、聞いてみたら、もう印刷所に入ってしまったので無理。とのことだった。自分の不倫はどうでも良く、七十年も前の慰安婦問題には正義感を振りかざすのだからいい加減なものだ。「お助け丸」の社長を探して、その時のことを書いちゃおうかなぁー。

話が、あちらこちらに飛んで支離滅裂になってしまったが、夏の選挙に向けて、保守潰しの足音が聞こえてくるようだ。

上の子供が修学旅行から帰って来たので、家族揃っての「安着祝い」。といって特別なことをする訳でもなく、普通に夕食。まあ普通が一番か・・・。いいカツオを買ったので、「黒霧島」を話し相手に今日も酔狂亭で酔った。


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お箸の国の人。

2013-05-18 07:56:45 | インポート

五月十六日(木)晴れ後雨。

最近は、何時に寝てもとりあえず六時には目が覚めてしまう。老化現象に違いない。老化と言えば、初めて眼鏡を作った。普段は必要がないのだが、夜、それも雨の時に車を運転すると、道路標識が見えにくい。それで眼鏡を作った。しかし、乱視が入っているのか、その眼鏡をして本を読むことが出来ない。何でも遠くがはっきり見えるのが特徴とのこと。

全く科学的な根拠のない話だが、俗に「日本人は器用」と言われることの根拠は、子供の頃から「箸でご飯を食べる」ことにあるのではないかと思っている。日本人のほとんどが、ご飯の一粒を箸でつまむことが出来る。そんなことを小さい頃から毎日繰り返していることが、「器用さ」につながっているのではないかと思う。もちろん韓国も中国の人たちも箸を使うので、日本人に限らず、「箸の国」の人たちには、細かい作業を得意とする人たちが多いような気がする。そんな訳で、私は、子供たちへのいわゆる「箸の上げ下げ」にはうるさい。早い話が「お里が知れる」からである。

午後から事務所。鈴木邦男さんから本が二冊とどいていた。「鈴木ゼミin西宮報告集ー思想の混迷、混迷の時代に」(鹿砦社刊・千二百円)と「だれがタブーをつくるのかー原発広告・報道を通して日本人の良心を問う」(鈴木邦男+本間龍著、亜紀書房・千五百円)である。会合などで合うと、いつも鈴木さんから「酒ばかり飲んでいないで本でも書け」といつも言われて、ポリポリと頭を掻くだけで反論のしようがないのが現実。ここの所、お堅い本を続けて頂いているので、真面目に読書に専念するつもり。

Photo

2 ※読んでね。


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