白雲去来

蜷川正大の日々是口実

天に口なし、人を以て言わしむ。

2016-11-05 09:07:56 | 日記
十一月四日(金)晴れ。

調べものをしていたら、大正十年の今日、時の総理であった原敬が、東京駅の丸の内南口にて、十九歳の中岡艮一によって刺殺された日であることを知った。原首相は、京都で開かれる政友会近畿大会に出席するため、列車に乗ろうと東京駅の改札口にさしかかった所、短刀をもった中岡に襲われた。中岡は、民衆の困窮を救うため、まず多数党横暴の悪政の元凶である原をたおしたと語っている。ちなみに中岡は懲役二〇年の判決を受けたが、恩赦によって減刑され、昭和九年(一九三四)に出所した。

出獄後は目立った政治活動はしていないが、その後、満州に渡り陸軍司令部に勤務した(「哈爾濱南崗 第四軍管区司令部」から宛てた直筆の手紙が残されている)後、荘河県公処弘報主任に着任した。この頃、極東にソ連からの難民として流れ込んだタタール人に興味を持ち、これを契機として、昭和十二年、神戸モスクでムスリムとなった。昭和十六には現地でイスラム教徒の姜鳳芝と結婚している。戦後帰国し、昭和五十五年に七十七歳で死去。

東京駅には、腹総理遭難の現場に、その事実を書いたプレートがあり、場所を示す印が付いている。東京駅では、もう一人の総理のが遭難している。濱口雄幸である。新幹線の改札付近に、やはりプレートと印がある。東京駅に行く機会があったなら、是非、その場所を探してみて下さい。

今朝、今秋初めて石油ストーブをつけた。そして夕食は、鍋を囲んだ。我が町に冬が、もうそこまで来ている。

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今日は、明治節です。

2016-11-04 11:04:04 | 日記
十一月三日(木)晴れ。明治節。

明治節なり。起床後、玄関に国旗を掲げる。久しぶりに家族揃っての朝食。食後は、天気が良いので、衣替えをした。寒い日が続いていたのに、夏物の洋服しかなかったので、正に小春日和の日に納戸の片付け。しかし、毎年のことなのだが、Tシャツやら半袖など大したものはないのに、時間がかかる。ついでに扇風機を掃除して片付け、代わりに石油ストーブを出した。

また三年以上着ていない服を断捨離。しかし、ほとんど傷んでいないような服を捨てると言う行為に、私の中で、「もったいない」と「断捨離」という言葉が交差して、中には、躊躇するような物もあったが、思い切ってサヨナラした。空いたスペースに、大切な掛け軸などを収め、すっきりした所で、さあー仕事と思ったら、サリー姐さんから電話があって「藤棚の『へそ祭り』に来ないの」。ああそうか忘れていた。愚妻に送って貰い、皆さんの休憩場所になっている酒屋さんに行く。サリー夫妻や天狗会の会長さんや、お友達にご挨拶して、祭囃子の中で昼酒。

その後、「一休」に転戦して一時間ほど。まだ自宅の片付けが終わっていないので、慌てて自宅に戻った。夜は、久しぶりに、自宅の近くの焼肉屋さんにて食事。ちなみに「明治節」の歌があります。

明治節(堀沢周安 作詞,杉江 秀 作曲)

一 アジアの東 日(ひ)出づるところ
  ひじりの君の あらはれまして
  古きあめつち とざせるきりを
  大御光(おほみひかり)に くまなくはらひ
  教(をしへ)あまねく 道(みち)明(あき)らけく
  治めたまへる 御代(みよ)たふと。
二 恵の波は 八洲(やしま)に余り
  みいつの風は 海原こへて
  神のよさせる みわざをひろめ
  民の栄(さか)行く 力をのばし
  とつ国々の ふみにもしるく
  とどめたまへる 御名(みな)かしこ
三 秋の空すみ 菊の香高き
  今日のよき日を 皆ことほぎて
  定めましける みのりをあがめ
  さとしましける みことをまもり
  代々木の森の 代々とこしへに
  仰ぎまつらん 大みかど

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歩いています。

2016-11-04 10:32:26 | 日記
十一月二日(水)曇り。

いやー困った。毎日の食事や天気、出来事を簡単に書いていた「日記」が何処を探しても見当たらない。私のパソコン周りや食卓に置いているのだが、何処へ行ったのか、出てこない。これを書いているのは、四日なのだが、昨日、良い天気だったので、朝から洋服の模様替えをしたり、部屋の片づけをした。不要な書類や雑誌、新聞をまとめて事務所の集積所に持って行った。まさかその中に紛れ込んで、捨ててしまったのだろうか。医者に行った時の結果や、見た映画のけチケット、支払い票なども貼ってあるのに、それも一年がもう少しで終わろうとしている時に、何処に行ったのか分からないとは、トホホである。

ウォーキングに出ようかと思ったら、ポツリと来た。どうしようかと迷ったが、天気予報では雨はないようだ。意を決して(それほどでもないが)歩いた。一時半に、人と待ち合わせをしていたので、そこに向かったが、間に合いそうもないので、途中からバス。一時間ほどお茶をしてから帰宅。

夜は、酔狂亭で、カツオを肴に独酌。

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みたび目覚めみたび激しき虫時雨

2016-11-02 10:43:10 | 日記
十一月一日(火)曇り。

月が替わってイッキに寒くなった。しかし、まだ手紙の季語は「晩秋」「暮秋」「秋冷」と季節は秋である。とおに蝉時雨が去り、虫の声もこの寒さでは静になってしまった。といってもコンクリートで地面がおおわれた我が家の周りでは、とんと虫の声も聞かなくなった。昔は、秋の虫の声に、安眠を妨害される夜もあったと言うのに。とここまで書いて、そう言えば野村先生の句の中にも、そんなことを詠んだものがあったと思い出した。

「みたび目覚めみたび激しき虫時雨」というものだ。その句の解説に、「いまが虫時雨のもっとも盛んな頃なのだろう。毎夜毎夜の虫の声が実に綺麗だ。娑婆は近代化が進んで最近では虫も棲めないと仄聞してる。そこえゆくとここは別天地だ。外界から隔絶された長期刑務所の奥の奥の虫時雨、なんとまあ風流な話じゃないか。昨夜もその虫の声で何度も目が覚めた。その都度、リンリンと鳴き澄ます虫時雨の激しさに驚かされたものである。そして眠られぬままに私はこんな句を詠んだ。」とある。

昼に、伊勢佐木町の天ぷら屋の「登良屋」にて、お世話になっている方と待ち合わせて昼食。このお店は、てんぷらも美味しいが、刺身も美味しい。しかし、刺身は値段が書いていないので、その気になって頼み過ぎると、ランチにしては、高い物になる。食後は事務所へ。

夜は、酔狂亭で、クリント・イーストウッドの映画を見ながら独酌。

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シャンゼリゼの「流し」。

2016-11-01 18:32:37 | 日記
十月尽(月)晴れ。

今日で十月も終わり。来月になると、中華街に「上海蟹入荷」のポスターが溢れ、いそいそと出かける。そして一の酉が終わる頃には、ボージョレー・ヌーボーが解禁となり、その渋さを味わう。二の酉が終了すれば、横浜も時折、木枯らしに包まれる。そして、大晦日には、港に停泊している船の汽笛で一年が終わる。幾つになっても、この汽笛が好きだ。早いなぁー。

群青忌が終わって、半月ぐらいは、あまり調子が良くない。あれもやらなければ、これも・・・と思っても、やる気が湧かないのだ。お礼状も書かなければと思っても、半月ぐらいは、どうにもならない。毎年、この繰り返しである。駄目だなぁー。と分かっていても仕方がない。

山下公園や日本大通りの公孫樹が色づくのはいつ頃だったか。春の花見も好きだが、初冬の紅葉の進んだ公孫樹並木の下を歩くのも好きだ。野村先生とローマを旅したのは、平成四年の九月の初めのことだったが、昼間は半袖で充分だっが、朝晩は、上に羽織るものがないと、寒くていられなかった。石畳の上には枯葉が舞い、秋を感じずにはいられなかった。帰国の二日前には、先生に無理を言ってパリに遊んだ。ナイトクラブの「リド」に行った帰りに、シャンゼリゼを歩いていると、アコーディオンとクラリネットを持った「流し」がいて、何曲か演奏してもらったが、やはり定番の「パリの空の下」が一番良かった。

枯葉の下を歩いていると、いつも先生と行ったローマの石畳と、シャンゼリゼの「流し」が演奏した「パリの空の下」を思い出す。後でユーチューブで見てみるか。

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