白雲去来

蜷川正大の日々是口実

異母兄弟でも殺しちゃうの。

2017-02-17 12:40:37 | 日記
二月十六日(木)晴れ。

北朝鮮の金正恩委員長の異母兄弟である金正男がマレーシアの空港で暗殺された。ベトナム籍とマレーシア人と言う女二人が逮捕されているが、まだ真相は解明されていない。しかし北の指令であると言うことに誰もが疑わないだろう。権力を保つためには、例え、兄弟、親族であろうと容赦しない。こういったことを平気で行う国と指導者が、日本のすぐ近くに存在すると言うことの、現実を私たちは受け止めなければならない。

午後から打ち合わせ。仕事が詰まっているのに、急な仕事が入ると、リズムの狂いが生じて、支障が出てしまう。しかし浮世の義理とかで仕方がない。終了後に事務所で、注文を受けた本やDVDの発送。頼まれている原稿にかかるが、時間が無く途中で終了。

スーパーに寄ったら、カツオがあったが、くたびれた田舎のスナックの年増のようなので、パスした。鳥の手羽を買い求め、酔狂亭で月下独酌。

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沖縄から友人が来訪。

2017-02-17 12:30:40 | 日記
二月十五日(水)晴れ。

朝食は、昨日、民族革新会議の秋山一成さんから頂いた「あおさ」を豆腐の味噌汁に入れた。磯の香りがして、とても美味しかった。午前中に事務所に行き、郵便物の確認。手紙を二通書いてから、東京行き。午後三時より、大行社の役員会議があり出席。役員の一人として、ご挨拶をさせて頂いた。

夜は、沖縄から、かつて野村先生の秘書をしていた金城薫さんがお孫さんを連れて来訪。共通の友人である古谷喜久男さん、カメ&アコさんたちと、「やまと」にて歓迎会。中学一年生のお孫さんには、中華料理はどうかと思ったので「やまと」にしたが、お孫さんは中華街にてお土産を買いたかったとのこと。八時過ぎに、お土産を買いに行く、お二人と別れて、近くの「愛福楼」へ転戦。このお店のおかみさんが亡くなられてから初めてのことだ。しばらく飲んでから解散して帰宅。

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野村先生の生誕祭。

2017-02-17 12:13:24 | 日記
二月十四日(火)晴れ。野村先生生誕祭。

群青の会を主宰している大熊雄次氏が、毎年この日に野村先生の生誕祭を斎行している。以前は、野村先生の句碑のあった群馬県の雷電神社にて行っていたが、神職の転職に伴い三年ほど前から川崎に場所を移して開催している。そう言えば、一昨年だったか、大雪となって、帰りに難儀したことを覚えている。

六時少し前にJR川崎駅に着いた。プラットホームには「上を向いて歩こう」が流れていた。そうか坂本九さんは川崎の生まれだった。蒲田駅は、「蒲田行進曲」。京急の横浜駅は「ブルーライト・ヨコハマ」の曲が流れる。まさにご当地ソングだ。方向音痴の私は、地下街を通って地上に出たら、何処にいるのか分からなくなり、札幌から来た小澤拓也さんに迎えに来てもらった。

六時半に、生誕祭開始、神事の後に、来賓を代表して民族革新会議の犬塚博英議長にご挨拶を賜った。そして私が門下生を代表して挨拶。最後に、野村先生の奥様が、ご挨拶。野村先生は、御健在なら今年で八十二歳になられる。現下我が国の情勢や海外の諸情勢に対して、どう考え行動したか・・・。

終了後に、直会。駅近くの居酒屋にて総勢二十名が、野村先生を偲んで痛飲。その後に、札幌の小澤さんや地元の池田さんたちと、「馬刺し屋」へ転戦。一時間ほど飲んでから帰宅。

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思うことあり。

2017-02-14 09:34:38 | 日記
二月十三日(月)晴れ。

私の幼馴染に、古美術商の方がいる。高校以来、しばらく会わずにいたが、十五年ほど前に再会し、以来、親しくさせて頂いている。竹馬の友というのは、有難いもので、お互いに気を遣わずに、若い頃の気持ちで、会うから疲れることもない。

その古美術商の友人から、教わったことをとても大切にしている。彼も若い頃は、経験不足からくる、見間違いや、功をあせって何度か手痛い失敗、損失を被ったことがあると言う。そういった失敗の経験を踏まえて、悟ったことが、「品物を見ることよりも、それを持って来た人を見る」ということだと教えて頂いた。多くの場合、確かな品物は、やはり確かな人の家にあり、身分の確かな人が持ち込んでくる。どんなに高価な、素晴らしい品物でも、怪しい人物が持って来た品物に手を出す時は、余程の注意が必要。品物に惑わされて、人物を観なかったら、ほとんどの場合、手痛い目に遭う」。と教えて頂いた。

私は、幼馴染のこの言葉を人生訓としている。いわゆる世間で言う所の「右翼」などという世界に長く身を置いていると、何を勘違いするのか、様々な話を持ち込んでくる人たちがいる。企業の不正を告発する話や「切り取り」や政治家のスキャンダル、金融の不祥事などである。その手の話は、一切受け付けないようにしているが、嫌であっても、どうしても断り切れない人からの依頼で、仕方が無く、一度はお会いして話を聞くこともある。

そんな時に、まず頭に浮かぶのが、古美術商の幼馴染から聞いた、「品物を見ることよりも、それを持って来た人を見る」。と言うことだ。相談されたことが、一見、とても大きな話で、尤もらしいことでも、その話を持って来た人が、生業を持たず、社会的な地位の無い人の場合、ほとんどが「危ない」話であることが多い。六十の半ばを超えると、失礼ながら、初めてお会いする人でも、二三分話をすれば、その人が大体どういった人生を歩んできたかが、想像つく。もちろん、それはそのまま私にも当てはまることで、こんな私に、そういった相談をすることが、お門違いと言うものだ。反対に、大きな会社を経営していたり、社会的な立場のある人からの話は、大体まとまることが多い。それはなぜか・・・。私のためにと思って、持ってくる話であったり、自分たちの、地位やそれまで築いてきたものを失うような、危ない話には手を出さないからだ。

今更、金もうけしようなどとは更々思わない。心の通じ合う友がいて、毎日、安酒が飲めて、家族が健康ならば、それ以上望むのは、贅沢と言うものだ。それで十分だと思っている。

午前中から、友誼団体の方と一緒に東京へ。親しい方たちとお会いするのは楽しい。三時過ぎに、横浜に戻り、事務所へ。三日ぶりだが、郵便物が随分と溜まっていた。お会いしたことのない獄中の二人の方から手紙とはがき。最近、返事を書くのが億劫で仕方がない。それでも、どんな人でも、一度は返信をすることにしている。夜は、「おでん」で、月下独酌。豊橋の福井英史さんから頂いた『無実の死刑囚・袴田巌獄中所感―主よ、いつまでも』(新教出版社刊・袴田巌さんを救う会編)を読む。昨日の『沈黙』と同様、重いテーマだが、世俗にまみれている中で、心が洗われる。

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重たい頭と、重たい小説。

2017-02-13 18:48:52 | 日記
二月十二日(日)晴れ。

眼を覚まして時計を見れば、何と九時半。ヤバイ。昨夜、明日の朝食は「安記」でお粥でも食べましょう。と福井、中川両氏と約束をした。それが、仕上げのウイスキー・ソーダーでヘロヘロになり、久しぶりの大破・轟沈。起きられなかった。慌てて、中川さんに連絡し、平身低頭。いやはや申し訳なかった。午前中は、昨日の酒が残り、何もできなかった。昔なら、あれしきの酒で、こんな無様にはならなかったと。嘆くことしきりである。

ニュースでは、アメリカに行った安倍さんとトランプの仲睦まじい姿ばかりが映される。何だかなぁー、素直に喜べない。戦後の日本人は、国の安全と防衛をかつての敵国に委ね、日米安保の美名の下に、奴隷の平和と魂無き繁栄を築いてきた。アメリカの核の傘の下で、経済繁栄を謳歌してきたが、それは砂上の楼閣でしかない。自分の国は自分たちで守る。そういった決意と覚悟があってこそ、真の日米同盟が構築されるのではないか。大統領が変わるたびに、日米安保の確認と尖閣諸島の防衛の確認を取に行く。何だかなぁー。その日米の蜜月を揶揄するように、北朝鮮がミサイルを発射した。私は専門家ではないが、かなり高度な技術に基づいたものと、自衛隊のOBが証言していた。「遺憾の意」を百回表明しても、蛙の面にションベンか。

現在上映中の「沈黙」の原作。遠藤周作の「沈黙」(新潮文庫)を読了した。読了後、フーと、ため息が出た。重たい小説だった。信徒を救うために、棄教する。棄教せずに、殺されてゆく、貧しい信徒たち。どちらが、正しいのか、聞いても神は沈黙したままだ。来週は、映画を見に行くつもり。

夜は、酒量を控えめにした。カツオが無くて良かった。

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