白雲去来

蜷川正大の日々是口実

豊橋、富山の社友が来訪。

2017-02-13 18:22:16 | 日記
二月十一日(土)晴れ。紀元節。

起床後、玄関に国旗を掲げ、神武天皇肇国の昔を偲び橿原神宮を遥拝。ご皇室の弥栄と天皇皇后両陛下のご健勝を祈念する。

午後に所用があって出かけるが、最近歩いていないので、待ち合わせの場所まで歩いた。時間が間に合わなければ、途中からタクシーと思ったが、何とか、時間通りに着いた。約一時間半歩いた。

夜は、豊橋と富山から古い社友の、福井英史さんと中川秀正さんが来訪し、愚妻を交えて中華街へ。福井さんは、私たちの仲間では「フクイのカレー」で有名である。手作りで通販のみの販売をしている。(興味のある方は、「フクイのカレー」で検索してみて下さい)また、福井さんは、ボクシングのトレーナーとしても活躍している。七年前に、高橋伴明監督による袴田巌さんをモデルした「BOX 袴田事件 命とは」では、ボクシングの指導をした。 中川さんは、正道会館富山県支部長をしている方。ボクサーと格闘家の間に挟まれて、口先だけの私なんぞは、三秒でノックダウされそうである。

最初は、「安記」で小皿料理。中川さんは、ウイスキー派と言うので、しばらくしてから「均元楼」へ転戦。「甕出し」の紹興酒とウイスキー・ソーダーで乾杯。本当は一緒に来るはずたった、福井さんの彼女がインフルエンザで来られなくなり、電話でご挨拶。その後、マリンタワーのすぐ下の「ラッキーのお店」へ。ここで、私もウイスキーに変更。ヘロヘロで解散。正に朋遠方より来たり。で楽しい夜でした。

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もう少し本を読まなければ。

2017-02-11 16:31:55 | 日記
二月十日(金)晴れ後、霙。

以前は、月に、必ず十冊のノルマで本を読んでいたのだが、最近は半分も読むのが精一杯である。何と言っても根気が無くなった。もっと悪いことに、読みやすい本ばかり選んで買っている。今月は、今日まで四冊。「漂流怪人ーきだみのる」(嵐山光三郎・小学館)、これは嵐山さんが連載している「週刊朝日」のコーナーで知ったもの。「さらば白人国家アメリカ」(町山智浩・講談社)、筆者が出演していたラジオで知って買った。「パリわずらい、江戸わずらい」(浅田次郎・小学館文庫)、東京に行く時に、うっかり本を忘れて、最寄りの駅の書店で買った。最後は、友達のお子さんの浅野忠信さんが出ている映画の原作、「沈黙」(遠藤周作・新潮文庫)の四冊。今月の後半は、二日ほど、何処にも出かけないで、ひたすら本を読む、という生活をするつもり。

夕方、みなとみらいの歯医者に行ったが、あれれ、雪が降ってきた。つもるような勢いではなく、頼りなさそうにハラハラと舞っている。約三百メートルのランドマークタワーを見上げると、随分高い所から、雪が落ちて来ていた。しかし歯医者から出てきたときには、雪は止んでいた。なにか、一瞬のドラマのような雪だった。

夜は、ロクな肴はなかったが、酔狂亭で独酌。今日も恙なし。

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二・二六の今年は獄のほそ霙。か。

2017-02-10 09:17:08 | 日記
二月九日(木)霙。

朝から、霙交じりの雪が降っている。どおりで寒いはずだ。野村先生の『銀河蒼茫』の中に、二・二六の今年は獄のほそ霙 という句がある。監獄は、この霙で文字通り懲役泣かせの「寒」獄となる。

霙は、何だか中途半端で嫌だ。雨なら雨、雪なら雪と、どちらかはっきりしてもらいたい。一緒に降っていると、とても寒々しく感じて仕方がない。いや本当に寒い。雨や雪が降っているよりも、もっと憂鬱で陰惨な気がしてならない。

正午、新しい企画があるとのことで、雑誌の編集者の人と関内のルノアールにて待ち合わせ。先に着いて、窓際に座っていたら、昨日の酒の影響か、眠くて仕方がない。これで晴れていて、陽が射しこんでいたら、確実に寝てしまっただろう。コーヒーも眠気覚ましの役にはたたなかった。編集者の方と、四十分ほど打ち合わせをして別れた。

メガネ屋で、総額二十万円ものメガネを万引きされたお店が、犯人を映した防犯ビデをネットに公表(モザイクをかけて)していることが、話題となっている。その手口や、直後に、他のメガネ屋に盗んだものを売りに行っていることを見ても、常習性が感じられ、決して「出来心」とは思えない。メガネに限らず、書店やスーパーでの万引き(窃盗)は、それらのお店に多大な被害をもたらす。その被害によって、店を閉めざるを得なくなった書店やスーパーもあると聞く。

書店が、二千円の本を売っても、利益は一割に満たない。それが、一万円も二万円も被害に遭ったら・・・。メガネ屋だってそうだ。二十万もの利益を上げるのには、一体何本のメガネを売らなくてはならないのか。それを防止するために、万引き犯人が映った防犯ビデオを流すぐらいは、当然のことである。訳知り顔の弁護士や、一般人が、「人権」などを持ち出して、「やりすぎ」などと言うが、もし、そう言った被害が続いて、お店が倒産などしたら、その責任を、「人権」を口にする人たちが、取ってくれるのだろうか。本当に貧困ゆえの、出来心であったならば、更生の余地もあろうが、今回のように転売を目的とした、万引きを商売として行う連中に、同情はいらないように思う。

自分の国には、言論、表現、政党の自由どころか、人権だって一党独裁の政党から踏みにじられる国から日本に来ている連中が、笑止にも「アパの社長の歴史認識」に抗議する姿と、万引き犯の人権を擁護する連中の姿がダブって見えるのは、私の偏見だろうか。

午後に、公私共にお世話になっている方が来訪。ご迷惑をお掛けしているにも関わらず、お気遣いを賜り、本当に恐縮した。そう言った人たちの期待を裏切らないように、生きなければと、思った次第。感謝合掌。

夜は、久しぶりに七時過ぎに家族全員が揃った。下の子供は、入試だったが、「どうだった」と聞けば、「全然歯が立たなかった」とあっけらかんとしている。そのあきらめの良さを褒めるべきか、怒るべきか・・・。まあ性格が明るいから良しとするか。皆で、鍋を囲んだ。穏やかな時がゆっくりと流れて行く。

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浅草へ。

2017-02-09 17:03:52 | 日記
二月八日(水)晴れ。

朝起きて、PCを開いたら、画面に「青山ミチさん死亡」の文字が。青山ミチと聞いても、恐らく、若い人たちには、それって誰?という感じだと思う。私たちの世代、特にヨコハマでは、その昔のアイドルだった。

横浜市出身。父親がアメリカ人(在日米軍の黒人兵)で母親が日本人のハーフ。昭和三十六年、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコードの目にとまり、翌年に「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。パワフルでパンチのある歌声で、ミッチーの愛称で親しまれ、昭和三十七年には「ミッチー音頭」が、昭和四十年にはエミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が大ヒットした。

「風吹く丘で」の発売を控えた昭和四十一年十一月に覚せい剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズの歌唱で大ヒットとなる)。昭和五十三年に再び覚せい剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。その後、三度目の覚せい剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。(ウイキ)

まあ波乱万丈と言おうか、単なるお騒がせな女だったのか、良く分からないが、随分前に本牧のゴールデンカップに出たこともあり、ボチボチ頑張っているな、と思っていた。私より二歳年上だった。合掌。

夜は、愛国党の舟川孝、雪田顕正の両氏や群青の会の大熊雄次氏と私が、オスカー、キロ、インディアさん(ファナティック・コードです)にお世話になり、浅草の焼肉の人気店「本とさや」で食事会。その後、錦糸町の「223」へ転戦。一時間ほど飲んで帰宅。

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大野林火の短冊。

2017-02-08 11:34:56 | 日記
二月七日(火)晴れ。

北方領土の日。トランプが、プーチンと仲良くなれば、北方領土の返還交渉もやりやすくなると思うのだが。とにかく、ロシア人以外の国の人たちが、住みつかないうちに、早く取り返さなければ。

二十一世紀書院の入っているマンションのすぐ近くにあるのが、増得院というお寺。そのお寺の境内にあるのが、明治時代に横浜は日ノ出町で生まれた俳人の大野林火。横浜の情景を詠み、昭和三十九に横浜文化賞、昭和四十八年に神奈川文化賞を受賞した人である。増徳院と港の見える丘公園に、彼の句碑がある。両方とも同じ句で、 -白き巨船 きたれり春も 遠からず-。郷土の偉人でもあるし、俳句をまとめた全集を買おうかと迷っている。 過日、古書店で、その大野林火の短冊を見つけた。どうしようかと迷ったが、居酒屋で一杯飲んだと思えば・・・。と思って購入した。 -嘶き(いななき)ては からだひからせ 東風の馬ー と言うものだが、横浜と関係があるのかどうかは分からない。それでも「東風」が春を感じさせて、今の季節には丁度良いと思った次第。

夜は、名前だけ立派な「蜷川政経懇」を弘明寺商店街にある炉端焼きの「花笠」にて開催。仲良しさんばかりが九名参集。談論風発、口角飛泡の二時間。その後、有志にて関内へ転戦。十時過ぎに、友人に送られて帰宅。

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