二月二十七日(水)曇り。
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今も旅ゆく。若山牧水のこの歌を、私の世代の人なら、一度は口ずさんだことがあるに違いあるまい。その牧水は大酒飲みで、ゆえに四十四歳という若さで没している。嵐山光三郎さんの『文人悪妻』(新潮文庫)によれば、牧水は、死ぬ三年前の九州めぐりの旅では、五十一日間の旅で一石三斗を飲んだと、述懐している。朝起きて四合、昼に五合、夜は一升以上という飲酒が絶え間なく続いた。そうだ。牧水は反省して妻の前で禁酒を誓うのだが、三日も続かない。分かっちゃいるけど、止められないのである。
月曜日から今日まで三日間、有難いことに酒席が続いた。中華、鶏の水炊き、そして今日は焼き鳥屋である。残念ながら、鰹との再会は果たせなかったが、鶏好きの私としては、大満足である。
牧水の歌に、鰹を詠んだものがある。「今ははやとぼしき銭のことも思はずいつしんに喰へこれの鰹を」「したたかにわれに喰わせよ名にし負う熊野が浦はいま鰹時」。「とぼしき銭のことも思はずいつしんに」酒の飲めたことに感謝しなければ。
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今も旅ゆく。若山牧水のこの歌を、私の世代の人なら、一度は口ずさんだことがあるに違いあるまい。その牧水は大酒飲みで、ゆえに四十四歳という若さで没している。嵐山光三郎さんの『文人悪妻』(新潮文庫)によれば、牧水は、死ぬ三年前の九州めぐりの旅では、五十一日間の旅で一石三斗を飲んだと、述懐している。朝起きて四合、昼に五合、夜は一升以上という飲酒が絶え間なく続いた。そうだ。牧水は反省して妻の前で禁酒を誓うのだが、三日も続かない。分かっちゃいるけど、止められないのである。
月曜日から今日まで三日間、有難いことに酒席が続いた。中華、鶏の水炊き、そして今日は焼き鳥屋である。残念ながら、鰹との再会は果たせなかったが、鶏好きの私としては、大満足である。
牧水の歌に、鰹を詠んだものがある。「今ははやとぼしき銭のことも思はずいつしんに喰へこれの鰹を」「したたかにわれに喰わせよ名にし負う熊野が浦はいま鰹時」。「とぼしき銭のことも思はずいつしんに」酒の飲めたことに感謝しなければ。