白雲去来

蜷川正大の日々是口実

有難や三日三晩の酒の席。

2019-03-01 12:19:15 | 日記
二月二十七日(水)曇り。

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今も旅ゆく。若山牧水のこの歌を、私の世代の人なら、一度は口ずさんだことがあるに違いあるまい。その牧水は大酒飲みで、ゆえに四十四歳という若さで没している。嵐山光三郎さんの『文人悪妻』(新潮文庫)によれば、牧水は、死ぬ三年前の九州めぐりの旅では、五十一日間の旅で一石三斗を飲んだと、述懐している。朝起きて四合、昼に五合、夜は一升以上という飲酒が絶え間なく続いた。そうだ。牧水は反省して妻の前で禁酒を誓うのだが、三日も続かない。分かっちゃいるけど、止められないのである。

月曜日から今日まで三日間、有難いことに酒席が続いた。中華、鶏の水炊き、そして今日は焼き鳥屋である。残念ながら、鰹との再会は果たせなかったが、鶏好きの私としては、大満足である。

牧水の歌に、鰹を詠んだものがある。「今ははやとぼしき銭のことも思はずいつしんに喰へこれの鰹を」「したたかにわれに喰わせよ名にし負う熊野が浦はいま鰹時」。「とぼしき銭のことも思はずいつしんに」酒の飲めたことに感謝しなければ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏の水炊きの名店へ。

2019-03-01 11:55:44 | 日記
二月二十六日(火)曇り。

今から三十二年前の一月十一日は日曜日で、新宿の鶏の水炊きで有名な「玄海」で、民族派の同志の主催する新年会が行われた。野村先生から「行くか」と誘われたが、大事の前の小事と出席をしなかった。翌、十二日の夕方から東京、横浜に雪が降り街は一面の銀世界となった。そして十三日・・・。

「玄海」には昭和の頃から幾度も行ったことがある。最後に行ったのは、五年ほど前のことで、確か亡くなられた本間吉氏の宴席だったと記憶している。今日は二・二六事件の日だ。当時、青年将校らはここ「玄海」にて幾度も打ち合わせを行ったとお店の案内にあった。

お世話になっている方と「玄海」にて会食。創業者が頭山満先生とご縁があり、私たちが通された部屋には頭山先生の見事な掛け軸があった。料理も、酒も、人も、店もすべて良しで、楽しい、そして個人的には感慨深い夜だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする