白雲去来

蜷川正大の日々是口実

古い読者に感謝。

2019-03-06 12:32:41 | 日記
三月四日(月)雨。

昨日のブログで、平成九年発行の『燃えよ祖国』の前身、『大悲ジャーナル』の経団連事件二十周年記念号が手元にないと書いた所、札幌の梶浦直樹さんや東京の大野義貴さんから「ありますのでお送りしましょうか」という連絡があった。もう二十二年前の機関誌を良く取っておいてくれたことと、その頃からの読者であることに、ただ、ただ頭が下がった。読者諸兄にあらためて感謝する次第です。

雨の月曜日。歯医者に行ったついでに、書店にて今月の中旬に発売される『写真が語る・横浜市の130年』(神奈川県教科書販売刊・9990円)の予約をした。横浜市制施行130年を記念した写真集で、限定五千部発行とのこと。少々値の張るものだが、今月は私の誕生日でもあるし、自分へのプレゼントとするつもり。今から楽しみである。

夜は、我が酔狂亭にて、むしどり、豆腐とひき肉のあんかけ、豚肉とキャベツのオイスターソース炒めを肴に「黒霧島」を楽しむ。雨が上がった。

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経団連事件から四十二年か。

2019-03-04 17:51:02 | 日記
三月三日(日)雨。経団連事件から42年。

朝は、コロッケ、メンチカツにキャベツの千切り添え、目玉焼き、ほうれん草の味噌汁。昼は、サッポロ一番の塩ラーメンを使って、野菜たっぷりのタンメンを家族で食した。夜は、スキヤキにブリの刺身。

四十二年前の今日。私は二十六歳だった。昼過ぎに何気なくテレビを見ていたら、臨時ニュースで、「経団連会館に右翼が籠城」とのテロップが。すぐに野村先生たちだと直感した。年末から、経団連に突入した人たちが相次いで横浜を訪れた。「香港に留学」「海外へ行く」。その都度ささやかな送別の宴を持った。何か、自分だけが、家にいてテレビを見ていることが情けなかった。その事件の頃に読んだのが城山三郎の『一歩の距離』という本だった。

一歩の距離をためらったことが、一歩どころか、何歩も先に行き、大きな借りとなり、自分を苦しめた。若かったこともあっただろう。「いつかこの借りを返さなければ、胸のつかえが取れない」と思いながら十年の時が過ぎた。経団連事件は、私のこれまでの人生で、何度かあったターニングポイントの一つでもある。

平成九年の二月に、経団連事件の二十周年を記念して、現在の『燃えよ祖国』の前身、『大悲ジャーナル』の通巻五十八号、五十九号の二回で経団連事件の特集を行った。五十九号では、弁護団の冒頭陳述と最終弁論、東京地裁の判決文、決起した四人の最終弁論を掲載した。残念ながら、五十八号がどうしても見つからない。誰かに貸した記憶はあるが、手元になく困っている。何とか復刻版を出したいと思っている。

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ささやかな私の趣味。

2019-03-03 12:46:00 | 日記
三月二日(土)曇り後晴れ。

朝食は、アコウダイの粕漬、マグロの刺し身、あさりの味噌汁。昼は、自宅でサンマー麺を作った。夜は、同期生三人と野毛の焼き鳥屋で一献会。

無趣味でもないが、趣味らしいものがない。小学生の頃は、切手収集がブームで、少ないこずかいをやりくりして一枚一枚丁寧に集めたが、いつの日か飽きて今に至っている。大人になってからは、黒鯛釣りに凝ったことがあった。大した腕でもないのに、お金が入ると一流の釣竿やリールを買った。ゴルフをやったことはないが、多分、ゴルファーも同じではないかと思う。その釣竿やリールも納戸に入れたまま、もう何年も使ったことがない。

野村先生との旅がきっかけで、集め始めたのが泊まったホテルの絵葉書と乗った飛行機の絵葉書である。だから泊まったホテルに、絵葉書が無いとチョットがっかりする。もちろんビジネスホテルでは、最初から期待していない。海外では、ダイアナさんが事故の直前まで泊まっていたり、映画「真昼の情事」の舞台となったパリのオテル・リッツ。ローマのスペイン階段の上にあるハスラー。映画「ツーリスト」でアンジーの泊まったベネチアのダニエリ。「グランブルー」で使われたシチリアのサン・ドミニコ・バレス。アフリカのサミットの会場となったモロッコのマムイヤ。香港のリージェント。全て先生のお供で行ったもので、もう二度と泊まる、いや泊まれることはないだろう。

飛行機の絵葉書は、圧倒的にJALの物が多いが、今では運航していない日本エアシステム(JAS)の「レインボー・セブン」の絵葉書や、JALやANAのミッキーマウスやポケモン、リゾッチャなどのイベントカラーの飛行機の絵葉書をきれいな絵葉書入れに整理している。お金で買うものではないので、安い趣味である。

話は変わって、夜は、お世話になっている友人二人に誘われて野毛のオシャレな焼き鳥屋さんに行った。ジャズが流れていてとても落ち着けるお店で、焼き鳥も美味しくて「三岳」のロックのダブルをしたたか飲んだ。ご馳走様でした。

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脚気を知っていますか。

2019-03-02 16:15:08 | 日記
三月一日(金)曇り。

朝は面倒なので、ローソンで買った「チン」するだけで食べられる「かき揚天そば」。「緑たぬき」の方が良かった。まあ何事も経験である。昼は、忙しくて、「メンチカツパン」一個。事務所の帰りに松原商店街へ行き、馴染みの魚屋で「マグロ」と「鰹」を買う。この時期の物はまだ「はしり」だが、何となく嬉しくなる。

最近の若い人は「脚気」(かっけ)という病気を知っているだろうか。子供の頃に、学校の身体検査や病院に行くと、足の届かない椅子に座らさられて、木槌で、足のお皿のすぐ下あたりをコツンとやられる。脚気でない人は、足がぴょこんと前に出る。これが正常な証拠。脚気の人は、足がむくみ、指で押すと、押された場所がへこんだままになる。私が、子供の頃には、近所のお年寄りには、この脚気の人が多く、中には死んだ人もいたと聞いた。

その頃は、皆が貧しくて食事時に副食がほとんどなく、おしんこに味噌汁、焼き海苔というようなメニューが多かった。お弁当も、辛い鮭が入っていれば上等で、魚ニソに煮豆、またはのり弁がほとんどだった。日本人にとって、お腹が一杯になると言うことは、白米を沢山食べることで、副食がなくとも、おしんこや焼き海苔で、軽く茶碗の二、三杯は食べていた。宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」の一節に、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とあるように、四合のご飯を一日に食べていた。肉体労働者となると、七合、多い人は一升のご飯を食べたと言う。

脚気は、野菜不足、つまりビタミンB1不足からくる国民病だった。現在、我が家では、家族四人で一回に二合しかご飯を炊かない。副食が多い分、ご飯の量も少なくなる。よって今では、脚気になる人などほとんどいなくなった。夜は、ご飯をほとんど食べずに、刺身や野菜や鶏肉などで晩酌する。脚気にならない代わりにコレステロール過多となる。これも現代の国民病かもしれない>

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樋口一叶って誰だ。

2019-03-01 13:06:32 | 日記
二月二十八日(木)雨。

過日、スーパーに行った折に目についたのが、国産の筍を使った「筍ご飯の素」。それを使って朝食は「筍ご飯」。そして贅沢にたっぷりと「昆布」で出汁をとった味噌汁。具は大根。しかし、この大根が不味かった。昼は、事務所に行って仕事しながら「焼きそばパン」。夜は、エビチリ、湯豆腐に、頂き物の「焼生姜の佃煮」。初めて食べるものだが、この熱海名物?「焼生姜の佃煮」がメチャクチャ美味しい。ちょっと癖になりそうである。

五千円札の人、樋口一葉の作品は、中国でも多くの人に読まれていて選集も出ていることを戸板康二氏の『最後のちょっといい話』(文春文庫)で知った。それによると、有名な『にごりえ』が『濁流』、『おおつごもり』が『大年夜』、『たけくらべ』が、『青梅竹馬』。まだ大人になり切れない幼馴染と言うことらしい。今の中国の簡略文字には「葉」がないので、彼女の名前が「樋口一叶」となっており、戸板氏は、はじめ誰のことか分からなかったとか。

考えてみれば、洋画の邦題は、ほとんど原題とは関係のない、全く別な題がつけられている物が多い。例えば、「愛と青春の旅立ち」の原題は、「An Officer and a Gentleman」(士官と紳士)である。反対に「上を向いて歩こう」は「スキヤキ」として全米でヒットした。ある意味で、適当なくらいが、人間関係を円滑にすることもある。

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