白雲去来

蜷川正大の日々是口実

様々な機関紙。

2021-05-28 11:05:45 | 日記

5月18日(火)曇り。

なんだか昨日からイッきに梅雨に入ったような今日の曇り空。野村先生の千葉刑務所時代の獄中句集『銀河蒼茫』の春の句の中に、「八下独房は如何にも古めかしい造りなり一句」と前置きして「菜種梅雨 寒し便器は桶である」。というものがある。刑務所が「監獄」であることを感じさせる句である。余談だが、その昔、刑務所の所長は「典獄」と呼ばれており、囚人の着る服は、レンガ色をしていた。だから未決囚から既決囚となって刑務所に行くことを獄衣の色をもじって「赤落ち」といった。そういえば吉村昭の小説に北海道における囚人たちによる開拓の実態を描いた歴史小説に『赤い人』というものがあった。

どうも曇天は気持ちまでが暗くなる。そんな日の朝食は、昨日とほぼ同じで納豆にTKG、大根と金沢八景のワカメの味噌汁。昼はトースト一枚。夜は春巻き、鶏肉とジャガイモのトマトソース煮、シラスおろし。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。

朝食後に事務所へ。ポストには、大日本一誠会の機関紙『萬(よろず)』、日本国民党の『しんぶん国民』、維新政党「新風」の『新風』、世界戦略情報『みち』、そしてなぜか「日本人民戦線運営委員会」という左翼の団体から『人民戦線の旗のもとに』という機関紙も毎月届く。機関誌・紙を出す苦労を知っているだけに、必ず目を通すようにしている。

『みち』に古い同志の村上学さんの「蒙古斑」に対する考察があって興味深く読んだ。村上さんとは、昭和57年(1982)7月の「沖縄戦跡慰霊巡拝団」で初めてお会いしてから39年か。お元気そうでなによりである。


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Rainy days暗号のピアノ。

2021-05-27 12:00:00 | 日記

5月17日(月)雨。

目覚めつつ 眠りつつ  知る若葉雨.とは野村先生の句である。物置のトタン屋根に落ちる雨の音をうつら、うつらしながら聞いていた。別にショパンの調べには聞こえなかったが、Rainy days暗号のピアノ・・・。小林麻美さんの歌の一節。週の初めが雨か。そういえばカーペンターズのRainy days And Mondaysと言うのもあった。

朝食は、伊勢原の寿雀卵でTKGと納豆、とろろこぶのスープ。とても小林麻美さんやカーペンターズには似合わない。昼は、トースト一枚。夜は、筍のから揚げ、「大ちゃん」の鶏のから揚げ、焼きそば。お供は「天誅」という鹿児島の焼酎。

コロナワクチンの予約を、パソコンで済ませた。最初繋がらないのでそのままにしておいたら、10分ぐらいで繋がった。六月は一杯で7月の7日に第一回、19日に二回目の予約が取れた。はぁーっと溜息一つついて、一安心。

雨の日ゆえ、読書にYouTubeで一日が終わる。恙なしや。

 


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大公が望んだ人?

2021-05-25 17:57:26 | 日記

5月16日(日)雨。

もう随分と釣りをしていないが、私の好きな黒鯛釣りは、難しい釣りで一匹も釣れない、いわゆる「ボウズ」の日も多い。なせ一匹も釣れないことを「ボウズ」と言うか・・・。つまり「ボウズ」とはお坊さんのことで、お坊さんの頭に髪の毛が無いことにかけて「魚っけがない」、つまり「毛が無い」という意味。「ボウズ」または、髪の毛の生えない「オデコ」ともいう。

釣りをする人のことを「太公望」と言うことは知られている。その昔の中国でのこと。周という国の西せいはくという君主が、あるとき、狩りに出る前に占いをしたところ、「獲物は動物ではなく、覇王の補佐役でしょう」とのお告げ。そのまま狩りに出かけると、すいという川のほとりで釣りをしていた老人に出会いました。話してみてその才能に惚れ込んだ西伯は、「わたしの父、太公は、『いつか聖人が現れて、わが国に隆盛をもたらすだろう』と待ち望んでいたが、あなたがまさにその人だ」と言い、老人を補佐役に迎えたのでした。この老人、りょしょうの助言により、周は国力を蓄え、やがて、中国全土の盟主と仰がれるようになった。大公が望んだ人だから太公望。川柳に「釣れますかなどと大公そばに寄り」。というものがある。

まっどうでも良い話です。午後に、弊社の松本佳展君が伊勢原の野村先生のお墓掃除の帰りに、伊勢原名物?の「寿雀卵」(販売所はいつも人が並んでいる)を持って寄ってくれた。志村馨君は、あんみつ同盟の横山孝平君と、「ラーメン+甘味大会」に出席したとのこと。

夜は、豚しゃぶ、エビチリ。キリンの「グリーンフリー」を二本。休肝日とした。


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5・15事件から89年。

2021-05-24 18:13:05 | 日記

5月15日(土)晴れ。5・15事件の日。

昭和維新を叫んで決起した、いわゆる5・15事件から89年。岐阜の花房東洋先輩が主催する事件の慰霊祭「大夢祭」の第49回の日。本来ならば出席しなければならないのだが、何せ、このコロナ禍である。70歳の爺さんには遠出するファイトもないし、また岐阜もほとんどの飲み屋は閉まっているし、開いていても酒が飲めない。別に酒を飲むのが目的ではないのだが、酒席も大事な運動の場と思っているので。

岐阜の、院長先生や豊橋の千鳥足会と飲み屋で合流できないのも寂しいので、今年は、欠席した。野村一門では大熊雄次さんが代表して参加。来年は、90周年と50周年と言うことなので、必ず参加するつもり。

午後から事務所にて弊社の機関誌『燃えよ祖国』の267号を発送。今月号は犬塚博英先輩の「経団連事件」関係の原稿が二本。昭和52年3月3日の事件からすでに44年が過ぎたが犬塚先輩の「三月三日『桃の節句』に思う、亡き先達の教え」を読んでいて、あの時のことが鮮明に蘇ってきた。東京地裁での「天皇陛下万歳」事件の時、私は遠方から支援に来た人たちに「傍聴券」を渡したので地裁の廊下にいた。事前の打ち合わせで「万歳」のことは聞いていたので、法廷内に呼応して廊下の私たちも万歳を三唱した。確か、国防青年隊の初代会長の故渡邊康司君も一緒だった。時代も私たちも熱かった。(5月22日、四宮先生の49日の法事の折、横山孝平君が「今月号は良いですね」と。機関誌を出し続ける苦労が吹っ飛び、嬉しかった)。

夜は、エビ春巻き、マグロの刺身、焼きそば。お供は「佐藤」の「黒」。酔狂亭にて独酌。


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オリンピックの歌「この日のために」。

2021-05-23 17:14:52 | 日記

5月14日(金)晴れ。

何でもアンケートとやらには、オリンピックを中止せよという世論が半数を超えたとか。オリンピックを政局にしたい野党は、まるで鬼の首を取ったようにはしゃいでいるが、不思議とマスコミは「開催したい」と言う人の声を取り上げようとしない。大勢が集まって声高に叫ぶのが世論となる時、大体ロクなことがない。

『週刊新潮』の5月27日号の櫻井よしこさんの「日本ルネッサンス」と言うコラムに、パラリンピック競泳のエース、木村敬一さんの言葉を引用しているので紹介してみたい。

「開催するための努力は、自分たちの社会を取り戻す努力につながる。ウイルスを封じ込めていく努力と、ほぼイコールだと思う。『どんな犠牲も出さないようにして開催するんだ』という努力、僕らがやろうとする努力は、社会を良い方向へ向けていく努力であるはずなんです」。頭が下がる。

昭和39年の東京オリンピックの歌「この日のために」というものがある。「この日のために みがいた技と この日のために 鍛えた体 聖火のもとに 悔いなく競う  命輝く若人我ら」。頑張れ日本。

 


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