白雲去来

蜷川正大の日々是口実

酒呑みは情けない。

2021-08-13 14:55:34 | 日記

8月7日(金)曇り。

先日、夜一杯やっていたら、生憎、「黒霧島」が空いた。何か予備の酒があると思い、がさこそやったが、こんな時に限って何もない。今から事務所に取りに行くのも面倒だし、酒も飲んでいる。ちょうど、上の子供と愚妻が近くのコンビニにアイスを買いに行くというので、ついでに「黒霧島」の四合瓶を頼んだ。その時にふと頭に浮かんだのが、貧乏長屋に暮らしている家族。親父は酒乱と来ている。女房に「おい、酒が切れたぞ、買ってこい」。「お金がありません」、「バカヤロー何とかしろ」と、茶碗を投げつける。女房は幼い子供の手をひいて泣く泣く酒屋に行く。という時代劇によく出てくるシーンだ。

慌てて、玄関まで見送り「頼むね」と優しく言って、アイスクリーム分も含めたお金を渡した。買ってきてもらった後も、自分が代表を務めていた会社を酒ゆえに石もて追われたF本の顔が浮かんだりして、酔えなかった。明日は、酒を補給しようと思った次第。浪人(牢人ではない)生活が長いこともあって、威張って飲めないので肩身が狭い。

夜は、戒厳令下ではなかった、非常事態宣言下で、何とか開いている店をさがして友人と一献。どこのお店かは言えませんが、シャッターを半分下ろして、お酒も、瓶は出さずに、ほかの器に入れ替えて出す。まるで映画で見た禁酒法時代のアメリカみたいだ。エリオット・ネスがトミーガンを持って入ってきそうだ。お店は、消毒、換気、テーブルの真ん中には透明な仕切り。口の中は、焼酎で消毒。万全の対策で2時間ほど飲みました。


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人道に対する罪は、どちらか。

2021-08-13 14:36:09 | 日記

8月6日(木)曇りのち晴れ。

その昔は、クーラーなど付けていると。、何となく贅沢だ、と思ったが、今は我々年寄りには命を左右する暑さが続いているので、お国もクーラーを推奨している。気候の変動もあるだろうが、道路のほとんどが舗装されたことによる照り返し、横浜市だけでも何千万台もあるだろうクーラーの室外機の熱風、車の排気ガス。科学者ではないので無責任なことは言えないが、素人目に考えても、それらが影響していると思わざるを得ない。かと言って、今更、道路を土に戻すことも、クーラーのをなくすことはできない。この殺人的な暑さが去るまで、じっと我慢か。

朝食時もクーラーのお世話になりながら、サバの文化干し、赤ウインナー、大根の味噌汁。昼は、自宅でサンマー麺。夜は、カツオの刺身、トン漬け、手羽揚げ。キリンのグリーンフリー2本のみで休肝日とした。

広島に原爆が投下された日か・・・。東京裁判で日本は、アメリカを中心とする連合国に裁かれた。様々な罪がある中で、笑わしてくれるのが「人道に対する罪」というものがあった。その「人道に対する罪」と言うのは、「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」と規定される犯罪概念である。アメリカが、広島と長崎に投下した二発の原爆。これ以上に「人道に対する罪」はないだろう。なめんじゃないよ。と思うのは、私だけではあるまい。亡くなられた方、今も原爆の後遺症に苦しむ人たちに、合掌。この日に誕生日を迎える人もいる。どうしているのか。


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スイカのこと。

2021-08-11 17:13:51 | 日記

8月5日(木)晴れ。

まあ文句を言っても仕方がないが、こう毎日暑い日が続くとさすがに嫌になる。それでも食欲だけはあるのだから良しとするか。朝は、総菜のクリームコロッケ、キャベツ千切り添えに目玉焼き、小さいチキンラーメン。昼は、味噌ラーメン。夜は、ハンバーグ、手羽焼、焼きタラコ、デザートにスイカ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

スイカと言えば思い出すことがある。野村先生の奥様から聞いた話だが、話の前後は失念したが、野村先生がご存命の頃、ご自宅に先生のご尊父が来ていた。夜になって、先生が、「おい、スイカがあるだろう出してよ」。するとご尊父が「秋介、こんな時間にスイカなんか食べることお腹が冷えるからよしなさい」。先生は、「おやじ、幾つだと思ってんだ。子供じゃあるまいし」と言うと、ご尊父は、「秋介、父親というのは、子供が幾つになっても子供は子供。体の心配するのは当たり前のこと」。と言ったそうだ。確か、ご子息の勇介君の結婚式の時の挨拶だったと記憶している。

夜に、スイカを食べるとき、決まってこの話を思い出す。その先生が亡くなられてからすでに28年。先生の晩年の歳をとうに超えてしまった。忸怩たる思いがあるが、生かされていると感謝しつつ、地を這うようにして生きている。


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7月のカツオは14回。

2021-08-09 15:42:00 | 日記

8月4日(水)晴れ。

オリンピックも熱い戦いが続いて、日本選手の金メダルラッシュが続いている。まるでコロナ禍のうっ憤を吹き飛ばすようだ。そして、アホな連中の「オリンピック反対」のデモや嫌がらせのツイートに心の中で「見たか、この努力の結果を」と笑っているのに違いあるまい。

朝は、野菜の煮天丼、かけうどん。昼は、子供の作ったパンケーキ一枚に、『大悲ジャーナル』当時からの社友である長野の伊藤さんから頂いたスイカ。夜はカツオの刺身、ナスと豚肉の炒め物、春巻き。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。

『週刊文春』のコラム、平松洋子さんの「この味」の第二九五回が「茂吉の鰻」。歌人斎藤茂吉は、無類の鰻好きだった。『文献 茂吉と鰻』(林谷廣著昭和五十六年〃短歌新聞社刊行)には、茂吉が生涯にどれほど鰻を食べたか、日記や資料を駆使しながら、重箱のすみまでつつきにつついて調べ上げた結果、902回も鰻を食べたという記述があるそうだ。私も鰻は好物だが、何せ高いので、年間何回かと数えるほどしか食べることがない。

代わりに、カツオは多分茂吉先生を上回るに違いない。日記を見ると、7月は、何と14回もカツオを食べている。良いカツオに当たるのは3回に一度くらいか。たっぷりのネギにカツオのタタキあり。もちろん刺身でも良いですが。


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西の横綱来訪。

2021-08-09 13:03:03 | 日記

8月3日(火)晴れ。

朝は、先日、お墓参りに行った折に買ってきた伊勢原の卵でTKG、ウエィバーで卵スープ。昼は、久しぶりに中華街の「安記」へ。夜は、伊勢原の田中屋の「とん漬け」、焼きタラコ、冷奴に「山わさび」のせ。お供は、これまた久しぶりに「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。

『月刊・日本』で長いこと編集長をしていた坪内隆彦さんが退社し、新しく友人らと発行したのが『維新と興亜』という雑誌。今の所、隔月での発行だが、民族派の理論誌としては群を抜いていると私は思っている。保守系と言うよりも日本浪漫派的な雑誌である。

その坪内さんが、正午に事務所に来訪。私の事務所は、そこそこ広いのだが、夏場と冬はその広さが難点で冷暖房の効きが悪い。何せ、年代物のエアコンが二台あるだけで、スイッチを入れてから1時間ぐらいたたないと効いてこない。坪内さんか来訪するということで、早めに行って冷やしておこうと思ったが、午前中どうしてもやらなければならないことがあり、待ち合わせにギリギリの時間に事務所着。当然事務所はサウナ状態。

一時間ほど我慢して頂き、中華街へ。生憎、横浜市には「緊急事態宣言」が出ており、酒の提供がダメ。わざわざ西の横綱の誉れ高い坪内氏が来ているのに、「安記」で、いつもの「モツ皿」「レバ皿」「焼売」を「ノンアルビール」とノンアルの「ハイボール」で。近いうちに埋め合わせをと心に誓って、関内駅まで送っていった。


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