スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニキーヤ&植物実体の定義

2017-12-02 19:44:49 | 血統
 先月のマイルチャンピオンシップは3歳馬のペルシアンナイトが勝ちました。1993年にアメリカで産まれた祖母のニキーヤがこの馬の輸入基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバー9-h。Nikiyaはインドのヒンズー教の寺院を舞台にした古典バレエに登場する踊り子の名前。そのバレエがLa Bayad`ereで,ニキーヤの産駒の1頭はラバヤデールと名付けられています。
                                     
 繁殖生活は日本で送りました。2頭目の産駒がゴールドアリュールで,早々に大物が輩出したことになります。
 ラバヤデールはゴールドアリュールのひとつ下の全妹。JRAで3勝した後,繁殖牝馬となり,2014年にマーチステークス,今年は小倉サマージャンプを勝ったソロルの母になりました。ソロルはソーラといわれることもあるラバヤデールに登場する兵士で,ニキーヤと恋仲になります。
 ラバヤデールのふたつ下の全妹はJRAで4勝。この馬が繁殖牝馬となってペルシアンナイトの母になりました。
 ペルシアンナイトの5つ下の半弟はゴールスキー。2014年に根岸ステークスを勝ちました。
 ニキーヤの5つ下の半妹も後に繁殖牝馬として輸入されました。その馬からは一昨年のクイーン賞を勝っている現役のディアマイダーリンが輩出しています。
 枝葉はこれからも広がっていく系統だと思います。3頭目の大レース制覇を達成する一族の子孫が出てくる可能性もあるでしょう。

 僕は十全な観念idea adaequataを定義した第二部定義四のうちには,十全な観念の発生は含まれていないと考えます。しかし観念を定義した第二部定義三は,かつて考察したように,観念の発生を含んでいると考えます。したがって観念が実在的有であるということは,その観念の対象ideatumとは無関係に,いい換えればある観念の対象が何であるかを考慮せずとも,『エチカ』においては保証されているのであり,よって観念をある観点すなわち本来的特徴denominatio intrinsecaという観点からみた場合の十全な観念もまた実在的有あるいは客観的有esse objectivumであることが保証されていると考えます。
 ゲーテJohann Wolfgang von Goetheがそれをどう考えていたかは分かりませんが,僕がいっている植物実体,ゲーテのいい方に倣えば植物の原型あるいは象徴的植物が,このような発生を含むような仕方で定義をすることができるものであるとは僕は考えません。ですがそれを客観的なあるいは思惟の様態cogitandi modiとして真verumなるものであることを保証するような定義Definitioを作ることは可能であると思います。たとえば個々の植物が有するような本性essentiaに共通するような要素を有するものを植物の原型というとか,あるいはこのようないい回しが許されるのであるとすれば,すべての植物が有する本来的特徴を有するようなものを象徴的植物という,というような定義の仕方です。それは植物の原型ないしは象徴的植物の発生はまったく含むことができないでので,観念であるということはできないでしょうが,虚構としての理性の有entia rationisであるということはできるでしょう。実際,定義においてはそれが有であるか無であるかということより,真であるか偽であるか,あるいは真であり得るか偽であり得るかということの方が重要である場合があるのであって,その条件の下には,これが植物実体の定義であるということはできます。第一部定義三というのは実在的realiterにも援用できますが,形而上学的にも援用することができる定義であり,植物実体の定義は単に形而上学的には援用できるけれども実在的には援用することができない定義であるという限定があるという相違がそこにはあるだけです。
 もちろん,これは一例で,ゲーテに都合のよい定義の仕方はほかにもあるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェアペギー&同様の虚構

2017-11-30 19:25:53 | 血統
 JBCスプリントを勝ったニシケンモノノフの母系はとても古くから日本で続いています。ニシケンモノノフの11代母に当たるフェアペギーが基礎繁殖輸入牝馬。ファミリーナンバー6。1902年にイギリスで産まれた馬で,1909年には小岩井農場に輸入されて日本で繁殖生活を送っています。1909年というのは明治42年です。
                                     
 これだけ長く続いている血統ですから,代表馬もいれば大レースの勝ち馬もいるのですが,これらはいずれも僕の競馬キャリアの始まる前。それどころか産まれる前のことです。僕は来月で47歳になりますし,競馬キャリアも30年以上になりますから,活力という点でいえばもう落ちてしまっている系統だといっていいでしょう。
 僕の競馬キャリアの中,すなわちここ30年でも,重賞を勝った馬というのはニシケンモノノフ以外には2頭しかいません。1頭が1998年にTCK女王盃を勝った笠松のトミケンクイン。もう1頭は2004年に京成杯を勝ったフォーカルポイントです。ニシケンモノノフの3代母の半弟にあたるステートジャガーが大阪杯を勝ったのは1985年。僕は産まれていますが,まだ競馬キャリアは始まっていません。これ以降,トミケンクインまで13年の歳月があり,さらにフォーカルポイントまで6年の歳月がありました。ニシケンモノノフは2013年に兵庫ジュニアグランプリを勝っていますから,フォーカルポイントからは9年の歳月があったことになります。
 この系統から出た大レースの勝ち馬というのは,戦後間もない1947年に秋の天皇賞を勝ったトヨウメを最後に途絶えていました。つまり70年間も大レースの勝ち馬が皆無だったのです。これだけ長い空白期間を経て大レースの勝ち馬が同一牝系から出るというのは,かなり異例のことになるのではないかと思います。

 第五部定理二九備考では,ものが二様の仕方で現実的なものとして概念されるといわれています。その条件となるのは,僕たちが第三種の認識cognitio tertii generisで第五部定理二三でいわれているあるものaliquidを認識することです。したがってこの限りでは,僕たちは物体corpusとしての円が延長の属性Extensionis attributumに包容される限りで存在しているということを認識するのであっても,その円を現実的なものとして認識していることになるでしょう。もちろん,スピノザが示すような仕方で僕たちの精神mensが円を十全に認識するとき,その認識は第三種の認識ではなくて第二種の認識cognitio secundi generisであるといわなければなりません。いい換えれば第二部定理四四系二でいわれている理性の本性natura Rationisに属する認識が,円という具体的な個物res singularisに適用される場合の認識であるといえます。しかしもしそれが第三種の認識と結び付くのであれば,それは同時に現実的な認識でもあることになるのです。
 ゲーテJohann Wolfgang von Goetheによる原型の認識というのは,第三種の認識と明らかに関連性がありました。なのでこの観点からは,原型というのは単なる形而上学的な観点でなくて,現実的な観点であった可能性もあります。少なくとも大槻がいっていることから類推するなら,ゲーテ自身はそのように解していたという可能性がかなり高いように僕は思います。ただこれはあくまでも『ゲーテとスピノザ主義』からの類推であり,僕には断定できませんので,この観点を僕は強調することはしません。
 スピノザは円の定義Definitioを直線の運動motusという虚構によって規定しました。しかしこのような虚構が許されるのであれば,同様の虚構もまた許されなければなりません。たとえばこの運動は,一回転するから円という図形の発生を示し得ますが,もし半回転だけするなら,つまり180°だけ運動するなら,円の発生ではなく半円の発生を示すでしょう。そしてこれが半円の発生を含む以上,これは半円のよい定義であるといわなければなりません。同様にこの半円が直線部分を軸にして一回転という運動をするなら,球という図形が形成されることになります。これもまた球という図形の発生を含むのですから,球のよい定義であり,これはスピノザ自身も認めていることです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールフォーロンドン&理性の有と観念

2017-11-25 19:27:28 | 血統
 先月の菊花賞を勝ったキセキは3代母が1982年にアメリカで産まれたオールフォーロンドンという馬で,輸入基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバー22-b
                                     
 アメリカで1頭だけ牝馬を産んだ後に輸入。最初の活躍馬は1997年にファンタジーステークスを勝ったロンドンブリッジ。翌年の桜花賞でも逃げて2着に粘りました。
 ロンドンブリッジは繁殖牝馬となり,最初の産駒は競走馬として登録できませんでしたが,翌年の産駒,事実上の初産駒といってもいいかと思いますが,その馬が2004年にクイーンカップとオークスと京阪杯,2005年にマーメイドステークスを勝ったダイワエルシエーロです。さらに翌年に半弟として産まれたのが2005年にアーリントンカップ,2006年に京都金杯を勝ったビッグプラネットと,こちらでも成功しています。
 2008年のロンドンブリッジの産駒はレースには出走できませんでした。牝馬であったので繁殖入りは果たし,その馬がキセキの母となっています。
 ロンドンブリッジの3歳下の半弟はナリタオンザターフ。2001年に名古屋優駿を勝ちました。
 もう少し辿るとオールフォーロンドンの3代母から分枝が広がっています。2007年に福島記念,2008年に新潟記念を勝ったアルコセニョーラ,2005年に日経賞を勝ったユキノサンロイヤル,2015年に兵庫チャンピオンシップとレパードステークスを勝ったクロスクリーガーなどはいずれもその馬の子孫です。

 スピノザの哲学において十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの相違,あるいは真の観念idea veraと誤った観念idea falsaの相違は,ふたつの意味を有しています。ひとつは,十全な観念と真の観念は真理veritasであるのに対して,混乱した観念や誤った観念は虚偽falsitasであるということです。そしてもうひとつが,十全な観念や真の観念が有esseであるのに対しては,混乱した観念と誤った観念は無ということです。
 ただし,ここではひとつだけ注意が必要です。第二部定理七系の意味が示すのは,Deusのうちにある観念はすべて十全adaequatumであるということです。そして第二部定義四から,十全な観念は真の観念が有する本来的特徴denominatio intrinsecaをすべて兼ね備えた観念ですから,第二部定理三二にあるように,どんな観念omnes ideaeであれ神に関連付けられるad Deum referunturなら真veraeの観念です。こうしたことは,十全な観念とか混乱した観念といわれる場合には,観念されたものとの関係を離れた観点からみられた場合であり,真の観念とか誤った観念といわれるならそれは観念対象ideatumとの関係すなわち外来的特徴denominatio extrinsecaという観点からいわれるのだということからも明らかでしょう。
 そして第一部定理一五から,あるものはすべて神のうちにあるQuicquid est, in Deo estのですから,観念もまたそれがどんな観念あるいは何の観念であれ,神のうちにあるのでなければなりません。ですから本当の意味であるのは十全な観念あるいは真の観念なのであって,混乱した観念や誤った観念がそれ自体であるということはありません。他面からいえば観念は必然的にnecessario真理として,そして有としてあるということになります。
 ただし,第二部定理一一系の新しい意味から分かるように,もしある観念が単に現実的に存在する人間の精神mens humanaとだけ関連付けられる場合は,他面からいえば神とは適切に関連付けられないならば,その人間の精神の一部が混乱した観念あるいは誤った観念によって構成されるということがあるのです。そしてこの限りにおいて,こうした観念が虚偽でありまた無であるといわれるのです。
 理性の有entia rationisというのは,この関係でいえば,単に人間の精神とだけ関連付けられる思惟の様態cogitandi modiです。そしてそれは,真理であると同時に無であるのです。これが理性の有と観念の相違です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソニンク&汎神論の意味

2017-10-28 19:31:31 | 血統
 15日に秋華賞を勝ったディアドラは祖母が1996年にイギリスで産まれたソニンクという馬です。ファミリーナンバーB3。Soninkeはガーナに起源を有し,現在はソマリアとマリの内陸部に住む民族名。
                                     
 繁殖生活は日本でのみ送りました。かなり優秀で2番仔は2歳時に重賞2着で古馬になってから準オープンを勝利。
 3番仔も準オープンを勝利。繁殖入りして昨年のデイリー杯2歳ステークスと今年の函館スプリントステークスを勝っている現役のジューヌエコールの母となっています。
 5番仔は皐月賞トライアルのオープンを勝ち,重賞でも2着1回,3着1回。
 6番仔に2011年にエルムステークス,2012年にダイオライト記念,2013年に浦和記念,2014年に佐賀記念を勝ったランフォルセ
 8番仔に2011年にアーリントンカップ,2013年にカペラステークス,2014年に東京スプリントさきたま杯東京盃,2015年にさきたま杯を勝ったノーザンリバー
 1番仔は競走生活は送れなかったのですが,2009年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出されたロジユニヴァースの母になりました。
 7番仔は4戦未勝利。この馬がディアドラの母です。
 日本で最初の産駒が産まれたのは2001年。この馬は競馬には未出走ですから産駒が最初にレースに走ったのが2004年。それ以来だと13年でこれだけの成績を残したことになります。牝馬の割合も多いので,まだまだ繁栄し続けていく一族となるでしょう。

 スピノザの哲学は内在論なので,それが汎神論といわれる場合にも,内在論的な観点からいわれるのでなければスピノザの哲学に対する正しい評価であるとはいえません。そしてこの場合に,スピノザの汎神論への批判は,無神論への批判へ通じる道になります。すなわち内在論とは神Deusを自然と同一視する思想であり,神が内在的原因causa immanensであって超越的原因ではないということは,神のうちに生じるすべての出来事が自然法則によって説明されるのだから,それは実質的には無神論であるとみなすことができるからです。とりわけ第一部定理三二系一から明らかなように,スピノザは神に自由な意志voluntasを認めません。しかし超越論的な神はおそらく意志の自由によって行動するagereのであり,たとえば意志の自由によって奇蹟miraculumを起こすのです。つまり意志の自由という観点からも,スピノザの汎神論は無神論という意味に直結するのです。
 しかし,神を超越的存在と解した場合に,汎神論的な視点が消え去ってしまうのかといえば,必ずしもそうとはいいきれません。第一部定理一六に示されている事柄の一部は神学的観点からも是認されなければならないからです。仮に神が意志の自由によってすべての事柄を創造しまた創造しないとしても,すべてが神の意志のうちにあるという意味ではそれは汎神論といえなくもないからです。実際には汎神論という語は無神論を意味し,したがって否定的な意味合いを有しているのですが,これを考慮の外においてフラットな意味で解せば,汎神論が必ずしも否定的な意味を有さなければならない理由はないと解することも可能だと思います。
 このように汎神論という語の意味について考えるのは,大槻が『若きウェルテルの悩み』の一節にスピノザ的汎神論の影響があるというとき,果たしてその意味が確かにスピノザの哲学において真の意味である汎神論であると前提していいのかどうかが僕には不明であるからです。もし大槻がそれを正しく解しているなら,その一節が汎神論の影響下にあるということを僕は否定します。しかしそうでなく,何らかの別の意味でそれを解しているのなら,大槻がいっていることが絶対的に誤っているとは僕はいいません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マジックストーム&同時

2017-06-13 19:07:51 | 血統
 4日の安田記念ではサトノアラジンが大レース初制覇を達成しました。母のマジックストームが輸入馬で,日本での基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバーは日本に古くから残る牝系のひとつである星旗と同じ16-h
                                     
 マジックストームはアメリカ産。競走生活もアメリカで送り,GⅡを1勝しています。
 そのままアメリカで繁殖入りし,2004年に初産駒を誕生させました。2007年にアメリカで産駒を誕生させた後,繁殖牝馬として購入され日本に渡ってきました。このとき当年の種付けは終っていましたので,2008年に日本で誕生した産駒はアメリカで種牡馬生活を送っている馬です。誕生した牡馬は準オープンまでは勝ったものの,オープンでは未勝利のまま引退しています。
 2009年は産駒がなく,2010年にディープインパクトとの間に産まれたのがラキシス。2014年にエリザベス女王杯を勝ち,2015年には大阪杯も制しています。ラキシスはすでに引退し,今年の春に初の産駒を誕生させています。
 翌年もディープインパクトと配合。こちらは牡馬で,この馬がサトノアラジンになります。
 すでに2頭のGⅠ馬の母になっていて,そのうち1頭が牝馬ですから牝系はこれから広がっていくでしょう。また,サトノアラジンは今後も順調なら種牡馬としての需要があるものと思われます。また,やはりディープインパクトの間の産駒である現3歳の牝馬は重賞で2着1回,3着2回の成績を残していて,重賞制覇も期待できます。この馬も無事に競走生活を終えることができれば繁殖牝馬となるでしょう。活躍馬がまだまだ出てきそうですから,着目しておいてよい牝系であると思います。

 平行論の基本原理は,Aという形相的有esse formaleが存在するなら無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusのうちにAが客観的有esse objectivumとして存在していて,逆に無限知性のうちにAが客観的有として存在するならAは無限知性の外に形相的有として存在するということです。そして第二部定理一一系により人間の精神Mentem humanamは神の無限知性の一部partem esse infiniti intellectus Deiなのですから,人間の精神のうちにAの客観的有がある,いい換えればAの十全な観念idea adaequataがあるのであれば,Aは精神の外に形相的有として実在するのです。このために僕たちはAを十全に認識することさえできれば,Aが精神の外に実在するということも知ることができ,なおかつ第二部定理七によって形相的有としてのAとAの十全な観念の原因と結果の連結と秩序Ordo, et connexioが一致するので,Aの観念について知ることができるだけでなく,形相的有としてのAについても知ることができるのです。
 したがってこの原理は,Aの形相的有がAの客観的有に対して先行するものではないということを意味しなければなりませんが,同時に,Aの客観的有はAの形相的有に対して先行しないということも含意しなければなりません。つまりスピノザの哲学は,観念が事物に対して同時であるということは要求しますが,先行するということは要求しません。というよりそれを否定しているといわなければならないでしょう。
 ただし,同時というのは時間的な意味を有するので,その点についてもう少し考えておかなくてはなりません。というのは,たとえば第二部定理七系は,明らかにここでいう事物と観念の同時性を意味していなければならないでしょうが,それは事物が永遠の相species aeternitatisの下に考えられる場合だといえるからです。他面からいえば,事物なりその観念なりが,神の属性attributumに包容される限りにおいてであるといえるからです。厳密にいえば永遠というのは時間tempusを意味することができないので,本来的には同時であるというのはあまり好ましい表現だとはいえません。とはいっても,Aの形相的有が実在するならAの客観的有が実在し,Aの客観的有が実在するならAの形相的有も実在しなければならないという照応関係があるのは間違いないので,それを同時性という限りにおいては同時です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トキオリアリティー&暫定的結論

2017-05-09 19:10:10 | 血統
 クイーンエリザベスⅡ世カップを勝ち,海外で初の大レース制覇を達成したネオリアリズムの母は1994年にアメリカで産まれたトキオリアリティーという馬です。トキオリアリティーからみて11代目の母がフロリースカップの4代母にあたり,ファミリーナンバー3-lです。
                                     
 トキオリアリティーは競走馬として輸入され,短距離を中心にJRAで3勝をあげました。1998年5月に準オープンで3着のレースを最後に引退して繁殖入り。
 引退時期の関係から最初の産駒が誕生したのは2000年。2頭の産駒を誕生させた後,2001年に交配されたのがエルコンドルパサー。2002年に産まれた産駒がアイルラヴァゲイン。2004年にデビューした2歳の当初からオープンで活躍し,2007年にオーシャンステークスを制しました。その後も長く現役を続け,芝とダートでオープンを1勝ずつしています。
 その後も毎年産駒を誕生させ,2007年にディープインパクトと初配合。この配合で2008年に産まれたのがリアルインパクト。この馬も2010年にデビューするとすぐにオープンで活躍。2011年には3歳馬の身で挑戦した安田記念を勝ちました。その後は低迷しましたが2013年と2014年に阪神カップを連覇。2015年の春にオーストラリアに遠征し,ジョージライダーステークスを制しています。
 2010年だけは産駒がなく,この年に配合されたのがネオユニヴァース。そして翌年に誕生したのがネオリアリズムになります。
 リアルインパクトはすでに種牡馬になっていますし,ネオリアリズムにも種牡馬としての需要はあるでしょう。また,多くの産駒の中には牝馬もいますから,牝系としても発展していく可能性があります。

 現実的に存在する個物res singularisYが原因causaとなって現実的に存在する個物Xが発生することは,無限知性intellectus infinitusをひとつの観念ideaとしてみた場合に,その観念の対象ideatumの「中に起こること」ではありません。よって無限知性がひとつの観念とみられる場合には,第二部定理九系によって,無限知性はそのことを認識しません。この点において第五部定理二三備考でいわれていること,すなわちある知性がものの存在existentiaを時間tempusによって決定するdeterminare力potentiaを有するのは,その知性もまた現実的に存在している,いい換えれば持続している場合だけであるということが,無限知性に対して合致していると解します。要するに,この意味において,永遠aeterunusである無限知性は,現実的に存在する個物を時間によって決定する力を有するとはいえないと解します。
 一方,現実的に存在する個物の本性essentiaを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念は無限知性のうちに存在します。このとき,個物の本性にそれが持続するdurareものであるということが含まれているなら,そのこともまた永遠の相の下に表現されていなければなりません。そしてそれは実際に表現されているのであり,しかし第五部定理二三備考でいわれていることには反しない,つまりそれは個物の存在を時間によって決定する力には含まれないとしておきます。いわばこれを暫定的な結論とするということです。実際,それが持続するものであるという本性は個物一般の本性ですから,それが特定の現実的に存在する個物にだけ妥当するものではありません。したがってこうした本性が永遠の相の下に表現されているのだとしても,それはある固有の個物の存在を時間によって決定しているということにはならないと解せると思うからです。
 ここでは,現実的に存在する個物Xが現実的に存在することを開始する場合だけを例示しました。ですが現実的に存在する個物Xがその現実的存在を停止することの観念も,第二部定理九の様式で説明されなければなりません。これは第三部定理四から明白です。ですからこちらの場合で考えても,無限知性は現実的に存在する個物がその現実的存在を停止することを認識しないということになり,時間によって決定できないことになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レガシーオブストレングス&第四部定理六五

2016-10-09 19:32:26 | 血統
 先週のスプリンターズステークスを勝ったレッドファルクス。祖母が1982年にアメリカで産まれたレガシーオブストレングス。Legacy of Strengthですから力の遺産といったところでしょうか。初年度産駒をアメリカで受胎したまま輸入されましたので,繫殖生活はずっと日本で送った馬です。アリアーンと同じくファミリーナンバー9-c
                                     
 自身にとって4頭目の産駒が1992年に産まれたサイレントハピネス。1995年にオークストライアルの4歳牝馬特別とローズステークスを勝ちました。繁殖に入るとシンボリクリスエスとの間に2007年に産まれたサイレントメロディが2012年のマーチステークスを制覇。また,1988年に産んだ牝の産駒は一昨年の京都新聞杯を勝った現役のハギノハイブリッドの母になっています。
 1996年にサイレントハピネスの全妹として産まれたのがスティンガー。1998年の11月にデビューすると新馬を勝ち,月末の特別戦も連勝。さらに連闘で挑んだ阪神3歳牝馬ステークスも勝って大レース制覇。この年のJRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されました。翌年は全姉も勝ったオークストライアルを優勝。2000年に京都牝馬特別と京王杯スプリングカップを勝つと,翌年の京王杯スプリングカップでも連覇を達成しました。
 1997年の産駒もサイレントハピネスおよびスティンガーの全妹。この馬がレッドファルクスの母になりました。
 2001年にダンスインザダークとの間に産まれた牝馬の産駒が2013年のキーンランドカップを勝ったフォーエバーマーク
 2004年にマンハッタンカフェとの間に産まれたのが2009年のオーシャンステークスを勝ったアーバニティです。
 レガシーオブストレングスの半姉にMontageという馬がいます。この馬の父のAlydarは同じ一族で,自身の5代母と父の4代母が同一という牝馬。2006年にテレビ埼玉杯を勝ったチョウサンタイガーはMontageの曾孫です。

 僕が解釈するように,哲学する自由libertas philosophandiを制限されることもシナゴーグから追放されることも,それ自体ではスピノザにとっては悪malumであったとしても,前者の方がより大なる悪で,後者はその大なる悪を回避するという意味で善bonumであったとすれば,スピノザはきっと後者の道を選択したことでしょう。つまり破門を宣告されるという小なる悪を受け入れても,思想の自由を制約されるという大なる悪を回避したことでしょう。少なくともこのときにスピノザが自分の置かれた状況を理性ratioによって判断したなら,スピノザが必然的にnecessarioそういう選択をするということは,『エチカ』の定理Propositioにも示されています。それが第四部定理六五です。
 「理性の導きに従って我々は,二つの善のうちより大なるものに,また二つの悪のうちより小なるものに就くであろう」。
 この定理は現実的には僕たちが善と悪を比較の上で認識するcognoscereということ自体によってすでに証明されているといえます。
 実際にこのときのスピノザがこの定理にあるような理性的な判断をしたのかどうかは何ともいえません。ただ,たとえそうでなかったとしても,人間の現実的本性actualis essentiaは第四部定理一九により善bonumを希求し悪を忌避するのですから,両者のほかの条件が同等とみなされる限りにおいては,やはりスピノザはシナゴーグからの離脱の方を選択しただろうと思われます。そうであるなら「シナゴーグ離脱の弁明書」というのは,自分がシナゴーグを離脱することについての弁明であったと解するのが妥当です。したがってその内容には,哲学する自由を制限しようとするシナゴーグあるいはその指導者たちへの批判が含まれていたとしてもおかしくありません。こうした想定から僕は,『スピノザの生涯と精神Die Lebensgeschichte Spinoza in Quellenschriften, Uikunden und nichtamtliche Nachrichten』の「オランダ旅行記Der Bericht der Stolle-Hallmanschen Reisebeschreibung」でハルマンがリューウェルツゾーン,すなわち遺稿集Opera Posthumaの編集者でもあったリューウェルツJan Rieuwertszの息子から聞いた話として伝えている,遺稿集Opera Posthumaには掲載されなかった,スピノザがユダヤ教徒を反駁し過酷に扱った大著というのが,この弁明書だった可能性もあると考えているのです。
 もちろんこうした想定は,論理的にいうなら好ましくない部分を含んでいることも僕は認めます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スワンズウッドグローヴ&区別の有効性

2016-01-18 19:34:41 | 血統
 サクラチヨノオーの祖母は1960年にイギリスで産まれたスワンズウッドグローヴで,基礎輸入繁殖牝馬になります。キロフプリミエール,キャサリーンパー,ラバテラと同じでファミリーナンバー16-aです。
                                   
 サクラ冠の馬にはいくつかの主要牝系がありますが,おそらくその最大のもの。スワンズウッドグローヴは日本で10頭の仔を産んだのですが,そのうちの8頭が牝馬だったので枝葉が大きく広がることになったからです。
 輸入された時点で仔を宿していて,それが1970年に産まれたサクラジョオー。この牝系からは2004年の鳴尾記念,2005年の日経新春杯とアルゼンチン共和国杯を勝ったサクラセンチュリー,1994年の弥生賞と1996年の七夕賞を勝ったサクラエイコウオー,1993年のエプソムカップを勝ったサクラセカイオーなどが輩出しています。
 1972年に産まれたのがサクラセダン。サクラチヨノオーの母です。サクラチヨノオーの全兄には1983年の函館3歳ステークスと1986年の七夕賞を勝ったサクラトウコウ,半弟には1988年のJRA賞最優秀2歳牡馬のサクラホクトオーがいます。2002年の関東オークスを勝ったサクラヴィクトリア,2002年の札幌2歳ステークス,2003年の札幌記念,2004年の中山記念を勝ったサクラプレジデントもこの分枝。
 1973年に産まれたのはサクラグローブ。2011年に阪神大賞典を勝ったナムラクレセントがこの分枝の代表馬。
 1976年に産まれたのはサクラタニマサ。この分枝からは地方所属のままJRA重賞を勝った馬が2頭も輩出しました。1999年のNARグランプリのサラブレッド系2歳最優秀馬に選出されたレジェンドハンターと,2000年にデイリー杯3歳ステークスを勝ったフジノテンビーです。
 1977年に産まれたサクラビクトリーの分枝からも重賞の勝ち馬が出ています。1997年にダイオライト記念,武蔵野ステークス,ブリーダーズゴールドカップ,1998年には東海菊花賞を勝ったデュークグランプリです。
 近年は縮小傾向にあると思います。ですが日本競馬を代表する牝系のひとつであったことは間違いありません。

 哲学属性の様態modiとしてのXの十全な観念idea adaequataと,神学属性の様態としてのXの混乱した観念idea inadaequataが,形而上学的にいえば同一個体であるとする解釈は,次の観点からも補強し得ると思います。
 第二部定理七系の意味から明らかなように,神Deusの無限知性intellectus infinitusのうちにある観念はすべてが十全な観念です。なので神学属性と哲学属性という区分は,神については無効です。他面からいえば神には能動属性だけが属するのであり,受動属性はその本性essentiaを構成し得ません。この形而上学的区分は,人間を対象とした場合に有効なのです。つまり人間は事物を混乱して認識するcognoscereことがあるのですが,神は常に事物を十全に認識するのです。
 本来的な意味では区別distinguereというのは神の本性を構成する属性attributumを規準として,実在的であるか様態的であるかに分けられます。これでみるなら神学属性と哲学属性は,人間にとってのみ意味を有する区分なのですから,様態的に区別されなければなりません。僕がいう形而上学的区分というのは,実在的なものの区別ではないのです。スピノザが理性の有entia rationisということばで示しているものに対比させていうなら,形而上学的区分というのは,理性的区分,僕たちがそれについて考えるconcipere場合にのみ意味を有するような区分であることになります。
 では人間が有するXの十全な観念とXの混乱した観念は,実際にはどう区分されるのでしょうか。それを示すのが第二部定理一一系の新しい意味です。つまりある人間の精神mens humanaの本性を構成する限りで神のうちにXの十全な観念があるというとき,その人間はXを十全に認識しています。対してある人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるという場合には,その人間はXを混乱して認識するのです。ですが,ある人間の本性を構成する限りにおいてであれ,あるいはある人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りであれ,その限りで神のうちにXの観念があるといわれるなら,神のうちではそれは十全です。いってみればXの十全な観念とXの混乱した観念というのは,人間的には同一個体に類するものであっても,神的には単に同一なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャンソネット,ドバイソプラノ,ハルーワソング&やり取りの成立

2015-12-04 19:24:47 | 血統
 JBCレディスクラシックを勝ったホワイトフーガは,世界的に名馬が続出している一族です。遡るほど多くの馬が出てきてしまいますので,ここではホワイトフーガの4代母であるGlorious Songから続く一族だけ詳しく紹介しておきます。ファミリーナンバー12-c
                                       
 まずGlorious Songの近親に日本競馬に縁が深い種牡馬が4頭います。全弟にタイキシャトルの父であるDevil's Bag,2番仔がメイセイオペラの父であるグランドオペラ,3番仔に日本で重賞勝ち馬を3頭出したRahy,8番仔に1996年に競走馬として来日してジャパンカップを勝ち,アサクサデンエンの父になったSingspielです。Singspiel産駒で重賞を4勝して種牡馬になったローエングリンは2013年の皐月賞を勝った現役のロゴタイプを出しました。
 6番仔の産駒のハルーワソングは繁殖牝馬として輸入されました。産駒に2011年のラジオNIKKEI賞を勝ったフレールジャックと昨年の中日新聞杯と新潟記念を勝っている現役のマーティンボロ。孫には2012年のクイーンカップ,2013年2014年のヴィクトリアマイルを連覇したヴィルシーナがいます。
 9番仔の産駒のドバイソプラノも繁殖牝馬として輸入。この馬がホワイトフーガの祖母になります。
 最後の産駒がシャンソネットでこの馬はGlorious Songの直仔としては繁殖牝馬として輸入された唯一の馬。1頭の産駒しか残せなかったのですが,それが2010年にNHKマイルカップを勝ったダノンシャンティです。
 もう少し広く辿るとグラスワンダーなども同じ一族。この牝系からはまだまだ多くの活躍馬が出てくるでしょう。

 ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizからスピノザへの書簡は,世間では多方面にわたるスピノザの才能が称えられていて,ライプニッツ自身は光学においても優秀な知識を有していると承知しているという主旨の一文で始まっています。これを読むとスピノザが光学に優秀な知識を有していると知っているのはライプニッツだけと解することも可能です。ライプニッツはスピノザの友人であるシュラーGeorg Hermann Schullerと以前から通じていたのですから,単に文章だけでなく,史実の面からもこの読解が可能だといわなければならないでしょう。ですが僕はそうではないと思います。むしろ光学も,称えられているとライプニッツがいった多方面にわたる才能のひとつであったと解します。
 なぜなら,僕はこの手紙が送られた時点では,ライプニッツはスピノザがどのような人物であるのかを概ね知っていたのに対し,スピノザはライプニッツのことをそうは知らなかったと思うからです。この書簡によってライプニッツを初めて知ったという可能性もあると思います。というのは後にチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがシュラーを介して『エチカ』の草稿をライプニッツに読ませることの可否を問うた書簡への返信に,スピノザはライプニッツというのはこの手紙を送ったのと同一人物だろうという主旨のことをいっているからです。それ以前に知っていたのなら,別の書き方をしたと思います。これらは僕の推測でしかありませんが,たぶん正しいと思います。
 だとすると,ライプニッツが自身の光学の論文の講評を,自分のことをよくは知らないであろうスピノザに求め,さらにスピノザを介してフッデJohann Huddeの講評も得ようとするのに,単にライプニッツだけがスピノザが光学の有識者であると知っているだけでは不十分だと考えます。その場合にはスピノザの方がなぜライプニッツがそれを知っているのかを不思議に感じてしまうからです。でもスピノザは返信の方で,そのようなことは何も問うていません。そしてそのことが意味しているのは,光学の有識者であることが世間に知られているということを,スピノザ自身が自覚していたからだと思います。これを前提にしないと,このやり取りは成立しないというのが僕の考えです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レディチャッター&シナゴーグ離脱の弁明書

2015-06-29 19:19:32 | 血統
 昨日の宝塚記念を勝ったラブリーデイは,1959年にイギリスで産まれ輸入されたレディチャッターという馬が母系の基礎輸入繁殖牝馬にあたります。ファミリーナンバー19。現在に続いている一族は,ほとんどが孫のペルースポートの子孫であると思います。
                         
 一族で最初に重賞を勝ったのはペルースポートの仔のシャダイチャッターで,1985年の小倉記念です。これは僕の競馬キャリアが始まる前年ですので,僕は知りません。シャダイチャッターは牝馬で,孫に2008年のオーシャンステークス,2009年のCBC賞と京阪杯を勝ったプレミアムボックスがいます。
 1989年に京成杯と函館記念を勝ったのがスピークリーズン。この馬はペルースポートの孫世代。1998年の福島記念を勝ったオーバーザウォール,2006年の福島記念と2007年の七夕賞を勝ったサンバレンティン,2005年の京都新聞杯,2007年の朝日チャレンジカップと京都大賞典を勝ったインティライミの3頭はきょうだいで,同じようにペルースポートの孫世代になります。
 2005年の朝日チャレンジカップを勝ったワンモアチャッターと2012年の中日新聞杯を勝っている現役のスマートギアも兄弟。この2頭はプレミアムボックスと同じようにペルースポートの曾孫世代です。
 この兄弟の姉から産まれたアリゼオは2010年にスプリングステークスと毎日王冠を勝ちました。ペルースポートの4代子孫になります。
 ラブリーデイはペルースポートの5代子孫。そしてこの一族から初めての大レースの勝ち馬として名を残すことになりました。
 子孫が勝っているレースからも窺えるように,平坦巧者を多く出している一族です。とくにサンバレンティンが勝った2006年の福島記念は,1着から3着まで,ペルースポートの子孫で独占しています。大レースに手が届かなかったのは,そういう傾向の影響があったかと思いますが,代を経て,底力も伴ってきたのではないでしょうか。ファンシミンがそうであったように,なかなか大レースの勝ち馬が出なかった一族から1頭が出現すると,続々と勝つというケースもあります。レディチャッター~ペルースポートの一族にも,その可能性はあるのではないでしょうか。

 メナセ・ベン・イスラエルMenasseh Ben Israelがウリエル・ダ・コスタUriel Da CostaのようになりたいのかとバルーフBaruchを恫喝したとき,破門されたいのかという意味を込めていたと僕はみています。なぜならその直後にメナセは,ユダヤ民族に背くという意味において,バルーフをダ・コスタに擬えているからです。
 これに対してはバルーフは,顔色ひとつ変えずに静かに答えたとルイは伝えています。バルーフの答えは,気の毒なダ・コスタの後を追うつもりはないというものでした。ダ・コスタを気の毒といっている点も注目に値すると思いますが,僕が重視したいのは別のところにあります。
 バルーフはダ・コスタの後を追うつもりはないと言っていますが,それは破門されないようにするという意味ではなかったと僕には思えるのです。なぜなら直後にバルーフは,自殺は犯罪だと続けているからです。
 自殺を否定することは,『エチカ』の文脈からも理解可能で,すでにこの時点でスピノザがこうした見解を有していたというのは,スピノザの哲学的思想がかなり若いうちから固まりつつあったということなのかもしれません。しかしそれより,もしもダ・コスタのように自殺するつもりはないとバルーフが答えたのだとしたら,それはもし破門されることになっても自殺はしないと読解できることになります。そして事実,この答えにはそういう意味があったと僕は解するのです。
 スピノザは破門されたとき,スペイン語で「シナゴーグ離脱の弁明書」を書いたとされています。文書は発見されていませんが,これを史実として疑っている識者を僕は知りません。ですから実際にそういう文書はあったのでしょう。
 この文書は,題名からして,ユダヤ人共同体から離脱することを前提しています。つまり改悛の意を示すような内容でなかったと類推されます。いい換えれば破門を解いてもらおうという意志はスピノザには皆無であったと判断するのが妥当です。このことと,まだ破門以前に,仮に破門されてもダ・コスタのように自殺はしないと発言していたことは,符牒が合うように思えます。1950年の時点で,後の弁明書を書く兆しが,僕には垣間見えるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デヴォーニア&共通の知人

2015-06-13 19:28:03 | 血統
 安田記念を勝ったモーリスの母系を遡っていくと,1925年にアメリカで産まれ,社台牧場に輸入されたデヴォーニアという馬に辿りつきます。Devoniaはテネシー州の地名のようです。ファミリーナンバー10-d
                         
 古い牝系ですから,いくつかの血筋が残っていますが,最も繁栄しているのはデヴォーニアからみて4代子孫になる,1963年に産まれたメジロボサツを基点とする系統。この馬自身,牝馬ながら朝日杯3歳ステークスを勝っています。メジロ牧場はオーナーブリーダーで,牝馬の大半が牧場に戻って繁殖牝馬になりますから,このような活躍馬が出ると分枝が広がります。
 メジロボサツ系から出た代表馬は,JRA賞で1996年に最優秀2歳牝馬,1997年に最優秀3歳牝馬と最優秀父内国産馬,1998年と1999年には最優秀4歳以上牝馬と,2歳から5歳まで毎年大レースを勝ち,代表馬にも選出されたメジロドーベルでしょう。昨年の青葉賞を勝った現役のショウナンラグーンはメジロドーベルの孫で,1999年に中山グランドジャンプを勝ったメジロファラオは,メジロドーベルの従兄です。
 モーリスもメジロボサツ系ですが,メジロボサツ系の中ではメジロドーベルとは異なった分枝なので,メジロボサツでようやく同一祖先が一致します。モーリスの祖母のメジロモントレーは活躍馬で,重賞を4勝しました。
 デヴォーニアを祖にもつメジロボサツ系以外で,僕の競馬キャリアの中で大レースを勝った馬としては,1987年の安田記念を,ほとんどラチ沿いといっていいくらいの大外を追い込んで勝ったフレッシュボイスがいます。まだ本格化する前だったかもしれませんが,このときに5着だったのがダイナアクトレスで,モーリスの父のスクリーンヒーローの祖母。また,8着だったセントシーザーという馬は,やはりデヴォーニアを祖にもつ非メジロボサツ系の馬で,この年に阪急杯とCBC賞を勝っています。
 どちらかといえば勢いは薄れている系統。メジロ牧場が消滅したこともあり,牝系としてどの程度まで生き残っていかれるか,やや不安なところもあるのではないでしょうか。

 スピノザとレンブラントの間に共通の知人が存在したということは,すでにこのブログで明らかにしています。日本語版の『スピノザの生涯と精神』に抜粋して収録されている「レンブラントの生涯と時代」を著したファン・ローンJoanis van Loonです。レンブラントを敬愛していたローンは,レンブラントの死に大きなショックを受け,精神的にひどく落ち込みました。その精神的ショックから立ち直る契機となったのが,スピノザからのアドバイスであったのです。
 このアドバイスがあった場面に関して,ローンは興味深い記述をしています。これはローンから求めたものではなく,会話の中でスピノザが巧みにレンブラントの話題に移すことによってなされたのだそうです。そのときスピノザは,レンブラントの死を知ってスピノザ自身も衝撃を受けたこと,そしてレンブラントの作品,とりわけエッチングに感嘆していたことを話したといっています。
 スピノザがユダヤ人共同体から破門された1656年に,レンブラントは破産しています。そして1660年にはアムステルダムを去っています。レンブラントの生涯が恵まれていたものであったかどうかは分かりませんが,少なくともこのアドバイスがあった時点では,絵画の巨匠としての評価は確立していたといえるのでしょう。ローンのこの部分の記述は,スピノザとレンブラントが知り合いであったと確定できるものではないので,レンブラントはスピノザが知っているくらいの著名な画家だったと読解しなければならないと僕は思います。
 このときのローンがスピノザに会いに行ったのは,助言を受ける目的ではありませんでした。スピノザの方からレンブラントに話を移し,結果的にアドバイスされることになったのには,ローンが仕えていたコンスタンティン・ホイヘンスConstantijin Huygensが,ローンの苦悩を事前にスピノザに伝えていたからかもしれないとローンは書いています。このコンスタンティン・ホイヘンスというのは,外交官だそうですが,ハーグの近くの村のホーフウェイクに別荘をもっていました。また,土星の衛星であるタイタンを発見したことでも有名なクリスティアーン・ホイヘンスChristiaan Huygensの父です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラバテラ&近視の変化

2015-05-21 19:42:26 | 血統
 日曜のヴィクトリアマイルを勝ったストレイトガールの輸入基礎繁殖牝馬は,5代母のラバテラ。Lavateraとは葵の一種のよう。キャサリーンパー,キロフプリミエールと同じくファミリーナンバー16-a
                         
 産駒の1頭,1983年産のカシマウイングは僕の競馬キャリアが始まった頃に走っていた馬で,1987年のアルゼンチン共和国杯,1988年のアメリカジョッキークラブカップと京都記念を勝っています。
 牝系は1976年産のミリーバードから広がりました。1986年に産まれたシャダイカグラは,1989年に牡馬相手のペガサスステークス,現在のアーリントンカップを勝って出走した桜花賞で,当時は不利だった大外枠から出遅れたものの差し切って優勝。秋にはローズステークスも勝ち,この年の最優秀3歳牝馬に輝きました。
 シャダイカグラの半妹がタイセイカグラ。こちらは競走馬としては大成できませんでしたが,繁殖牝馬として1999年の京成杯と神戸新聞杯を勝ったオースミブライト,2003年の関屋記念,2004年の中山牝馬ステークスと福島牝馬ステークスを勝ったオースミコスモという2頭の重賞勝ち馬を産みました。
 オースミブライトの半妹,オースミコスモの半姉がフューチャハッピー。未勝利馬ですが繁殖入り。直仔からは重賞の勝ち馬は出ませんでしたが,孫の世代にストレイトガールが出現。ラバテラ一族からは2頭目の大レース優勝馬になりました。
 ラバテラの母の姉からも,日本での重賞勝ち馬が出ています。1997年の朝日チャレンジカップと1999年の中日新聞杯を勝ったシンカイウン,2000年に桜花賞トライアルの4歳牝馬特別を勝ったサイコーキララです。

 3月20日,金曜日。妹が中学校を卒業した後に通っていた養護学校の保護者の昼食会があり,母が出掛けました。僕はこの日も長者町で,午後4時25分過ぎの帰宅になっていますから,最も多く乗車しているバスを利用したことになります。母の昼食会の内容などについては何も分かりません。
 3月21日,土曜日。母が午前中にお寺に行きました。依頼してあった彼岸の塔婆を受け取るためです。妹のピアノのレッスンもありました。こちらは午後4時半からでした。
 3月22日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日もカラオケです。3月も1度だけの利用でした。
 3月23日,月曜日。母と日野公園墓地へ墓参りに行きました。いつものように午前中に出掛け,帰途に昼食を済ませました。帰ったのは午後1時半。この後,また屏風浦に行く用事がありましたが,これは時間を要するものではなく,再び出掛けて午後4時15分頃にはまた家に戻っています。
 4月8日,水曜日。妹の歯の定期検診。この日もクリーニングだけで,母と妹は午後5時20分頃の帰宅になりました。僕はこの日は川崎で,帰ったのはふたりが戻る直前でした。
 4月11日,土曜日。妹の土曜出勤でした。例によって事前に配布されたプリントでは,午後から三渓園の散策となっていましたが,この日は雨が降ったため,予定が変更になり,施設でビデオを鑑賞したようです。妹によればドラえもんのビデオだったそうです。
 4月12日,日曜日。この日は統一地方選挙の投票日。神奈川県知事選,神奈川県議選,横浜市議選の投票で,WINS横浜からの帰りに済ませました。ひとつ,無効票を投じています。また,母と妹は美容院に。午後1時の予約で午後3時50分頃の帰宅になりましたので,どちらも通常の時間といえます。
 4月13日,月曜日。午前中にО眼科に網膜症の検査に行きました。網膜症に異常はありませんでしたが,視力検査で,近視に変化があるのではないかといわれました。そうはいっても裸眼で0.1はないわけですから,日常生活に影響があるような変化ではありません。僕自身が気付いていませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パテントリークリア&ホールの工事

2015-05-12 19:19:53 | 血統
 一昨日のNHKマイルカップを制したクラリティスカイ。母系を辿ると三代母に1988年にアメリカで産まれたパテントリークリアという馬がいます。1962年にアメリカで産まれたTamerettを基点とするこの牝系は,日本でも大成功を収めています。インヴァイトとウインドインハーヘアと同じでファミリーナンバー2-f
                         
 アメリカの大樹ファームで繁殖入り。したがって産駒はアメリカ産ですが,すべて日本でレースをしています。最初の産駒がタイキフォーチュンで,1996年に毎日杯を勝った後,第1回NHKマイルカップを制しています。南関東競馬でお馴染みの高橋華代子さんはこの馬を契機に競馬の世界に魅力を感じるようになったとおっしゃっていて,素晴らしい人材を競馬界に招いてくれた馬だといえるでしょう。
 タイキフォーチュンの3つ下の半妹が1999年のクリスタルカップを勝ったタイキダイヤ。彼女がクラリティスカイの祖母になります。
 さらに3つ下の半弟にはタイキリオンがいて,この馬は2002年にニュージーランドトロフィーを勝っています。産駒の3頭が重賞を制覇したのですから,パテントリークリアは名繁殖牝馬といっていいでしょう。その後,輸入され,2002年からは日本で繁殖生活を送りました。片仮名馬名になっているのはこのためです。
 パテントリークリアの従妹にはサクラセクレテームがいます。この馬は日本で繁殖生活を送り,2009年に中京記念と函館記念を勝ったサクラオリオンを産んでいます。
 別の血筋の従弟には競走馬として輸入されたエーピージェットもいます。1992年の京成杯を勝っています。
 以前ほど活躍馬が出なくなっていた系統ですが,まだ活力は衰えていないということでしょう。

 2月18日,水曜日。母がI歯科へ。定期検診です。母の上の前歯は刺し歯になっているのですが,この歯は詳しい点検が必要ではないかということで,そのために後日また通院することになりました。僕はこの日も川崎で,帰ったのは午後4時20分頃。川崎に行く場合は,帰宅時間がまちまちになりますが,これはかなり早い方です。
 2月21日,土曜日。ガイドヘルパーを利用。この日はカラオケ。2月は1度だけの利用でした。
 2月23日,月曜日。内分泌科の通院。この日は早くから屏風浦に行き,帰宅してからの通院でした。病院に着いたのは午後12時35分頃のことです。
 病院に入ると,受付は左側にあるのですが,正面はロビーというかホールになっています。たとえば清算のために待たねばならないときには,そこに設置されているソファーに座ることになります。また,指導室の方向へ続く側,建物に入ってすぐ左側ですが,ここもロビーになっていて,こちらはテーブルも備え付けられていますので,昼食を摂ったりすることも可能です。僕も食堂があまりに混雑していたために,弁当を購入したことがありましたが,そのときはそこで食べたのです。
 ところがこの日は,受付から指導室方面へ向う通路の間が,白い壁で閉鎖されていました。音は何も聞こえませんでしたが,その様子から考えると,ホールの改修工事を行っているのではないかと思えました。ただ,改修が必要な場所というイメージは少しも抱いていませんでしたから,やや不思議な気がしたのも事実です。この関係でロビーのソファーの数も減っていて,人が凝縮している,つまり普段よりも人口密度が高くなっているような印象を受けました。
 中央検査室では,僕の前にふたりの患者がいましたので,この日も先に採尿をしましたが,前回と同様,この日も採尿が終了した時点で僕の採血の順番は回ってきていました。したがって,また注射針の処理が最後になっています。
 この日も診察の予約は午後3時になっていましたので,小港まで出て外食しました。かなり時間に余裕がありましたので,少し外を歩き回ってから病院に戻りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レディフランダーズ&真理と非真理

2015-04-15 19:16:18 | 血統
 日曜日の桜花賞を勝ったレッツゴードンキの輸入基礎繁殖牝馬は5代母にあたるレディフランダーズ。その祖母のLegendraから続く一族はほかの系統からも日本での活躍馬が輩出しています。2007年のJRA賞で最優秀2歳牡馬に選出されたゴスホークケンと,最優秀4歳以上牝馬に選出されたコイウタは共にこの一族。ファミリーナンバー4-rで,クヰックランチと同じです。
                         
 レディフランダーズは1969年アメリカ産。社台に輸入され,全繁殖生活を日本で送りました。多くの牝馬を残したので,枝葉は広がったものの,重賞タイトルにはなかなか手が届きませんでした。
 レディフランダーズが1979年に産んだのがダイナフランダース。JRAで現在の準オープンに当たるレース3勝を含めての6勝で繁殖入り。彼女も多くの牝馬を産み,そのうちの1頭が1992年産のセンボンザクラ。JRAで現在の1000万2勝を含む4勝。繁殖牝馬となり,2009年のエリザベス女王杯を逃げ切って大穴をあけたクィーンスプマンテの母となりました。これがレディフランダーズ一族の日本での重賞初勝利にして大レース制覇でした。
 ダイナフランダースの初仔はフリースピリットという牝馬で3戦未勝利。その1996年の産駒のエリットビーナスも3戦して2着3回でしたが,繁殖牝馬としては優秀。初仔がJRA3勝,2番仔がJRA5勝,3番仔もJRA3勝,4番仔もJRA3勝。2番仔以降はいずれも牝馬で,すべて繁殖入り。レッツゴードンキは2番仔であるマルトクの産駒。一族の重賞2勝目も,大レース制覇でした。
 牝馬が多く産まれていて,大レースの勝ち馬2頭も牝馬。一族はむしろこれから繁栄していくという可能性すらありそうです。

 スピノザ主義において,必然と不可能がいかなる意味においても対義語を構成すること,いい換えれば,あらゆる事物は必然的に存在しまた作用するか,存在することも作用することも不可能であるということを,ライプニッツが部分的には認めているのは,それが真理と非真理に関係する場合です。
 命題文の主語が述語を正確に含むとき,ライプニッツはそれが真理であると規定します。そしてこのように規定された真理に関しては,無限に多くあるモナドすなわち可能世界のすべてで実現します。他面からいえば,この真理に反する非真理が表現されるような可能世界は実在することが不可能です。
 これでみればスピノザ主義が何を主張しているかは明らかでしょう。あらゆる事物が必然であるかそれとも不可能であるかのどちらかであるということは,ライプニッツ主義的にいえば,どんな事物も真理であるか非真理であるかのどちらかであって,真理でも非真理でもないようなことは一切ないといっているのです。
 これに対してライプニッツは真偽不明な事柄もあると主張します。神の自由の領域を是認するためにはそれが必要だからです。ですからこれをスピノザ主義で規定すると,スピノザ主義は偶然と可能は単に知性の認識に関連する限りで意味を有するのに対して、ライプニッツは偶然であったり可能であったりすることが実在するといっているのだということになります。スピノザが可能世界を否定し,ライプニッツが肯定するのは,この相違によって最もよく説明できるのかもしれません。
 ライプニッツ主義では,どんなモナドの認識も神の認識に依存します。したがって,もしもあらゆるモナドのうちで実現されることがあるとしたなら,そのことの認識は神に依存しなければなりません。つまりライプニッツ主義でいう真理の認識はすべて神に依存します。おそらく非真理の認識は真理の認識に依存するでしょうから,非真理の認識も神に依存するといっていいでしょう。他面からいえば,神は主語が述語を正確に含む命題が真理であるということを認識しているということになります。では,真偽不明の命題に関してはどうでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バウンドトゥダンスとファーストアクト&推論

2015-03-06 19:19:19 | 血統
 ヘヴンリーロマンスの母は1986年にアイルランドで産まれたファーストアクトという馬で,輸入基礎繁殖牝馬になります。アイルランドで1頭,イギリスで2頭の産駒を産んでから輸入。ただそのうちイギリス産の2頭目は競走馬として輸入されて日本で走り,最初の産駒であるアイルランド産の牝馬は後に繁殖牝馬として輸入されています。これはファーストアクトの半兄であるサウスアトランティックという馬が,種牡馬として輸入され,重賞の勝ち馬を出していたためでしょう。昨年のJRA賞の最優秀短距離馬のスノードラゴンの祖母の父がこのサウスアトランティックです。フォルカー,クレアーブリッジと同じでファミリーナンバー13-c。兄弟の半姉にはForleneという馬がいて,産駒の1頭であるサージュウェルズが1996年のステイヤーズステークスを勝っています。
                         
 ファーストアクトの母はArkadinaという馬。彼女の半妹にTruly Boundという馬がいて,その産駒で1986年にアメリカで産まれたバウンドトゥダンスという馬は繁殖牝馬として輸入されました。そして1997年に産まれたのが2000年のオークスを勝ったシルクプリマドンナ。さらに2002年に産まれたシルクプリマドンナの全弟のモエレアドミラルが,2004年に北海道2歳優駿を制しています。この2頭はヘヴンリーロマンスのはとこということになります。
 ArkadinaとTruly Boundの母の半妹から4代子孫には2009年の鳴尾記念と2010年の中山金杯を勝ったアクシオン。競走馬としても繁殖牝馬としても,一族はほかにも多く輸入されていますから,一族のこれ以外の系統からも日本での活躍馬が出てくるかもしれません。

 第三部定理七の意味は,現実的に存在するすべての個物res singularisは,自身の存在existentiaを維持する傾向を有するconariということです。一方,第二部定理九系で,個物の中に起こることとされている事象は,すべてがこの傾向conatusに合致するというわけではありません。個物の現実的な存在の維持に有益なことも,有害なことも,もしかしたら有益でも有害でもないことも含まれている筈なのです。つまり,第二部定理九を援用する第二部定理九系の論証方法は,もしも個物の現実的存在にとって有害な作用が個物の中に起こる場合でも,個物はその原因causaを構成するという意味を含んでいると理解できます。
 なお念のためにいっておけば,この場合には個物はその中に起こることに対して,必ず部分的原因causa partialisであることになります。それを十全な原因causa adaequataと主張すること自体が,第三部定理七に反していることになるからです。あるいはこれは第三部定理四第三部定理五からも容易に論証できます。第三部定理七に反することが,能動actioによって生じることはないということは,現実的に存在するどんな個物にも妥当するからです。いい換えればそれは受動passioであり,第三部定義二により,受動であるからにはその個物は部分的原因であることになります。
 つまり,第三部定理七に反するような作用が現実的に存在する個物の中に起こる場合にも,スピノザは個物がその部分的原因でなければならないと考えているわけです。つまりもしライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの身体corpusの中に,ライプニッツの身体を維持する傾向に反する運動motusが生じた場合にも,ライプニッツの身体はその運動の部分的原因であるといっているのです。だとしたら,そうでないような運動がライプニッツの身体に生じたとしたら,なおさらのことライプニッツの身体は少なくともその運動の部分的原因であるといえるのではないだろうかと僕には思えるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする