スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

グラッドタイディングスとハニーバン&認識の無限連鎖

2015-01-04 19:14:41 | 血統
 12月20日の中山大障害を勝ったレッドキングダム。彼の母は2000年にアイルランドで産まれたプラウドビューティー。2006年にアメリカで1頭の仔を産んでから輸入されています。
                         
 プラウドビューティーの母は1991年にイギリスで産まれたハニーバン。こちらは1998年から2003年まで,アイルランドとイギリスで繁殖生活を送っていました。プラウドビューティーもその間に産まれた産駒。最後に産んだ2003年産の産駒は競走馬として後に輸入され,ハニーバン自身もこの仔を産んだ直後に繁殖牝馬として輸入され,翌年からは日本で産駒を産んでいます。
 ハニーバンの母はCocotteという馬。競走馬としては1勝しただけですが,繁殖牝馬として大成功。1997年のジャパンカップを含め,アイルランド,イギリス,ドイツ,カナダでGⅠを6勝したピルサドスキーを産みました。ハニーバンはピルサドスキーのひとつ上の半姉。さらにピルサドスキーの7つ下の半妹は競走馬として日本に輸入されたファインモーションで,2002年に秋華賞とエリザベス女王杯を優勝。同年のJRA賞の最優秀3歳牝馬に輝きました。ハニーバン産駒やハニーバン自身の輸入は,この馬の活躍が大きかったと考えるべきでしょう。
 Cocotteの母は1977年にフランスで産まれたGay Millyという馬で,彼女の半妹の1979年にフランスで産まれたグラッドタイディングスは輸入されて日本で繁殖牝馬となりました。彼女の孫には,2001年に小倉2歳ステークスと阪神ジュベナイルフィリーズを勝ち,JRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されたタムロチェリーがいます。
 グラッドタイディングスの半妹に1983年にイギリスで産まれたGay Fantasticという馬がいます。彼女の孫の1頭は競走馬として日本に輸入され,2007年にラジオNIKKEI賞とセントライト記念を勝ちました。それがニュージーランド産まれのロックドゥカンブです。
 ファミリーナンバー11に属するこの一族からは,まだまだ多くの活躍馬が輩出するものと思われます。

 もうひとつのパターンは,一切の認識の相互依存なしに,ある実体が別の実体によって概念されるというパターンです。無限に多くのモナドが実在するのなら,このパターンも,ライプニッツの哲学において,論理構成上は実在的に可能になっています。
 認識の相互依存が発生しないパターンというのは,実体Aは実体Bによって概念され,実体Bは実体Cによって概念され,実体Cは実体Dによって概念されるという具合に,それまでに出現していない実体が延々と現れてくるパターンです。これをここでは認識の無限連鎖と名付けることにします。
 複合の無限連鎖について言及したときにも同様でしたが,僕が無限連鎖という語句を使用する場合には,常に第一部定理二八第二部定理九で,スピノザが「無限に進む」といういい方を用いていることが念頭にあります。何度も言及しているように,スピノザによるその表現には,ある消極的意味が含まれていると考えるべきです。それは,このようにある事物からその原因を無限に辿っていったとしても,第一原因に到達することは絶対にないという意味でした。
 この場合の実体の認識の無限連鎖にも,同じことが該当します。なぜならこの連鎖は,どこまで進んでもそれまでには出現していない実体が登場するだけであり,どんな実体もそれ自身によって概念されてはならないのであれば,第一原因としての実体が知性のうちに生じることはあり得ないからです。これは文字通りの無限連鎖なので,無限知性に対しても妥当しなければなりません。
 もし第一原因としての実体が知性のうちに生じ得ないのであれば,この例では実体Aに該当する最終結果としての実体も知性のうちに生じ得ません。Aを認識するために必要とされる条件が整うことはないからです。そしてこのことは,最終結果としての実体Aだけに当て嵌まるというものでもありません。この無限連鎖の途中にあるどの実体を任意に抽出したとしても,その実体の概念が知性のうちに生じることはないという結論を得ることができます。つまりこのパターンでも,実体が認識されることは不可能であると結論しなければならないでしょう。
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ロードマップ&本性の形而上学

2014-12-26 19:31:11 | 血統
 17日の全日本2歳優駿を勝って大レース勝ち馬の仲間入りを果たしたディアドムスは祖母がノーザンドライバー。そのノーザンドライバーの祖母が1967年にアメリカで産まれたロードマップで,一族の輸入基礎繁殖牝馬となります。ロードマップからみて4代母がダイナゴンの4代母にもあたり,ほかにチップトップクリアアンバーも属する4-mというファミリーナンバーテイエムオペラオーなど,大レースの勝ち馬も多く出ていて,日本とは親和性が高いナンバーです。母系をかなり遡ってようやく同じ牝馬にいきつくので,その影響が大きいとはいい難いと思うのですか,いくつかのファミリーナンバーが特異に多くの活躍馬を出すのも事実で,4-mはそのひとつといえます。
                         
 ロードマップはアメリカで3頭の仔を産んでからの輸入。日本では7頭の産駒が登録されましたが,直仔からの重賞勝ち馬はなし。1981年産のダイナドライブが母になってノーザンドライバーを産み,ここで重賞の勝ち馬が出ました。
 実はこれまで,この一族の重賞勝ち馬はノーザンドライバーだけでした。その孫のディアドムスが北海道2歳優駿を勝ったのが2頭目。ノーザンドライバーは代表馬にはなっていますが,大レースを勝ったわけではありません。ディアドムスが一族から初の大レース勝ち馬になったのです。
 ノーザンドライバーのライバルのうち,スカーレットブーケは繁殖牝馬として大成功。シスタートウショウからは重賞勝ち馬は出ていませんが,近親にとても多くの活躍馬がいる一族。またイソノルーブルは孫に重賞勝ち馬を出していました。スカーレットブーケは突出していますが,その他の馬の仲間入りはノーザンドライバーもできたといえるでしょう。
 重賞勝ち馬は少ないですが,一族の枝葉は大きく広がっています。ロードマップを基点とする一族から別の重賞勝ち馬が輩出する可能性は残っていると思います。

 第二部定義二を形而上学的に考えてみましょう。X,Y,Zとみっつの本性essentiaがあり,もしYがAの本性であるとしたら,Aの本性はYだけでなければなりません。しかしこのことは実体substantia以外のもの,それは第一部公理一の意味により様態modiですが,その場合にしか成立しません。第一部定理一〇備考は,仮に属性Yが実体Aの本性を構成するとしても,実体Aの本性を構成するのが属性Yだけであるとは限らないといっているからです。このゆえに実体の本性は,単に本性といわれるのでなく,属性attributumという特別な語句によって記述されるといえるかもしれません。属性は第一部定義四にあるように,実体の本性ですが,形而上学的に考えた場合には,それだけの相違が様態の本性と様態それ自体の関係との間にあるのです。
 そして実体の本性が何であるかは,形而上学的観点からは不明であるとスピノザは考えたのです。知性intellectusには実体の属性の区別の方法が,形而上学的にはこれ以上は存在しないからです。そのためにスピノザはこの解答を実在的観点から与えたのです。
 ただし,この形而上学は,本性に関した場合にのみ通用します。一般的な意味において,YがAにとって妥当するから,Yに妥当するのがAだけであるということではありません。また,XとYがAに妥当し,YとZがBに妥当するから,AとBとは同一のものであると知性が認識するというものではありません。本性という条件を外してしまえば,このようなことはいくらでも生じ得ます。いい換えれば,Aに妥当するのがXとYであり,Bに妥当するのがYとZであるというとき,だから知性は一般にAとBを区別することができないというわけではありません。むしろこの条件下で、AとBを区別し得る事例というのも,いくらでもあるのです。
 たとえば,すべての角の大きさが同一の四角形というカテゴリーを形成します。長方形と正方形はこのカテゴリーに含まれます。ひし形は含まれません。次に,すべての辺の長さが同一の四角形というカテゴリーを形成します。正方形とひし形はこのカテゴリーに妥当しますが,長方形は妥当しません。しかしふたつのカテゴリーを,知性は十全に区別できます。
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プリンセスオリビアとバーブスボールド&申し出

2014-11-11 19:24:41 | 血統
 天皇賞を勝ったスピルバーグの母は1995年にアメリカで産まれたプリンセスオリビアで,基礎輸入繁殖牝馬になります。ファミリーナンバー17-b
                         
 アメリカで4頭の競走馬を産んでから輸入。日本で最初に産んだ牝馬は,新馬を勝った後,2戦目で後の大レース5勝馬の2着,3戦目で後の大レース2勝馬の2着するなど,素質を表出。後の重賞2勝馬を破って準オープンを勝ち上がるところまではいきましたが,大成には至らず。
 翌年,ディープインパクトとの間に産まれたのがトーセンラー。この馬はきさらぎ賞を勝ってクラシックに乗り,5歳になって昨年のマイルチャンピオンシップを勝ち,大レースの勝ち馬に名を連ねました。
 スピルバーグはトーセンラーのひとつ下の全弟。ダービートライアルを勝つなど,やはり素質の良さは早くから見せていましたが,5歳になってようやく大レースを勝利。
 こう立て続けに活躍馬を出していることから,プリンセスオリビアの優秀性は明らかですが,早い時期にはあまり無理をさせない方がよい,晩成タイプの産駒を出すという特徴があるのかもしれません。
 プリンセスオリビアの3代母の妹にバーブスボールドという馬がいます。1989年に日本で最初の産駒を誕生させていますが,その前年,アメリカで最後に産んだのがページプルーフという馬。この馬も1997年には日本で子どもを産んだのですが,1994年にアメリカで産んだ馬は競走馬として輸入されました。それがシーキングザパール。日本調教馬として,初めてヨーロッパでGⅠを勝った馬です。彼女は繁殖牝馬となって,2004年にアーリントンカップ,ニュージーランドトロフィー,兵庫ゴールドトロフィー,2006年に日本テレビ盃,2007年に浦和記念を勝ったシーキングザダイヤを産みました。大レースは2着が9回で,ついに手が届かなかった悲運の馬。
 バーブスボールドが日本で最初に産んだのは牝馬。この馬は繁殖牝馬として,2009年に阪神ジャンプステークスを勝ったマヤノスターダムを産んでいます。

 採尿というのはトイレで自分で行う作業です。ですからこれに待ち時間が生じることはありません。採血は技師による作業なので,待機している患者の数によっては待つこともあります。だから採尿が先になったり採血が先になったりするのです。しかしそのために,たとえば30分待つというようなことが起こることはまずありません。
 中央検査室で実施されるこれ以外の検査に関しては,たとえ予約時間が設定されていたとしても,すぐにできるような場合もあれば,採血と比較したならずっと長い時間を待たなければならないという場合もあり得るということは,入院していたときにここで行った,腹部エコー,動脈硬化,喉のエコー,心電図といった諸々の検査の経験から,僕は予測していました。だから,もしも早く済ませることが可能なのであれば,それにこしたことはないと思えました。ただ,今すぐにできるわけではなく,また,どれくらい待てば開始できるのかも不明であるというのは,大きな難点でした。採血の検査に血糖値の計測が含まれている関係上,僕はまだ昼食を摂っていなかったからです。
 ということで,すぐにできないのであれば,先に昼食にしたいという旨を受付の担当者に申し出ました。仮にすぐに検査ができるのだとしても,診察の予約は3時半なのですから,まだ2時間くらいあります。つまりどこかで待たなければならないという状況に変化が生じるわけではありません。それなら,いつ始まるのか分からない検査をこの時間に待つよりは,昼食後に待ち時間を作る方がベターであると思えたからです。担当者はおそらく検査を実際に行う技師と相談するため,一旦は僕の前から姿を消しました。そして戻って来ると,先に昼食にして構わないと言いました。さらに,昼食が終ったら予約されている3時より前に来ても構わないと付け加えました。
 こういった状況でしたから、院内の食堂で昼食にし,すぐに中央検査室へ戻るというのが,この検査だけを眼中に置けばベストの選択であったとは思います。しかし僕は小港まで出て外食にしました。診察のことを考慮に入れれば,少し時間を使っておきたかったからです。
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ロイヤルサッシュ&不名誉

2014-10-12 20:58:49 | 血統
 先週のスプリンターズステークスを勝ったスノードラゴン。4代母が1966年にイギリスで産まれたロイヤルサッシュ。彼女が輸入基礎繁殖牝馬となります。ファミリーナンバー1-tです。
                         
 イギリスで2頭の産駒を産んでから輸入。1974年から日本で産駒を出しています。1979年にダイナサッシュという牝馬が産まれ,ここから枝葉が広がりました。
 ダイナサッシュが1985年に2頭目の産駒として産んだのがサッカーボーイ。さらに1988年にサッカーボーイの全妹として産まれたのがゴールデンサッシュで,ステイゴールドは彼女の産駒。つまりサッカーボーイとステイゴールドは,伯父と甥という関係にあります。
 ステイゴールドの全妹で2001年に産まれたのはレクレドールで,2004年のローズステークスと2005年のクイーンステークスを勝ちました。また半妹で1998年に産まれたグレースランドは,繁殖牝馬となって2003年にドリームパスポートを産みました。彼は2006年にきさらぎ賞と神戸新聞杯を勝っています。
 サッカーボーイのひとつ下の全妹,ステイゴールドの伯母のベルベットサッシュからは,孫の代になって2001年の新潟3歳ステークス,2002年の弥生賞とセントライト記念,2003年の毎日王冠,2005年の中山記念,2006年の中山記念とオールカマーで重賞を7勝もしたバランスオブゲームが出ました。昨年の京成杯と今年のダイヤモンドステークスを勝っている現役のフェイムゲームはバランスオブゲームの半弟です。
 ダイナサッシュの半妹で1982年に産まれたのがダイナホット。こちらは孫の世代に2004年のスワンステークスと2006年のシルクロードステークスを勝ったタマモホットプレイと,昨年のきさらぎ賞を勝っている現役のタマモベストプレイの全兄弟が出ています。
 スノードラゴンはダイナサッシュの半妹でダイナホットの半姉であるダイナギフトからの枝葉。この系統ではスノードラゴンが最初の重賞勝ち馬でした。

 何を名誉gloriaと感じるかが諸個人によって相違するということは,原理的には第三部定理五一から帰結します。また,第三部定理五七からも帰結させられます。とくに名誉に関連して,何が具体的に異なるのかといえば,それは,自分がなした行為のうち,何が称賛に値し,また何が称賛には値しないのかということの認識cognitioであるということになります。
 このように考えたときに,なぜ名誉という感情affectusが,第三部諸感情の定義三〇のように定義されなければならないのかという理由が判然としてくるといえるでしょう。
 まず,名誉は自己満足acquiescentia in se ipsoの一種ですから,他者からの称賛それ自体が名誉であるということはあり得ません。これは基本中の基本です。しかし,他者からの称賛の観念idea,あるいは他者によって称賛されている自分自身および自分自身の行為の観念それ自体も,必ずしも名誉であるとはいえないのです。なぜなら,自分がなしたある行為が,他者から称賛され,行為者がその称賛を知覚したからといって,もしも行為者が,自分のその行為は称賛されるに値する行為ではなかったと認識していたとしたら,それはその行為者にとって名誉であるとはいえないからです。
 僕の場合でいえば,もしもこのような事柄,いわばいわれなき称賛を受けるということがあったとしたら,それは名誉であるどころか,むしろそれとは正反対の意味において不名誉なことであると感じます。このことは今回の精神的不調のひとつの要素を構成しているのですが,なぜ僕がそれを不名誉と感じるかは,もう少し後で説明することにします。ここでは便宜的に,名誉と対義語をなすような感情について,僕はそれを不名誉というということだけ覚えておいてください。
 この例とは逆の場合も生じ得ることになります。すなわち,ある人間が何らかの行為をなし,かつその行為は,称賛に値する行為であると確信していたならば,その人間は,たとえ他者から一切の称賛を得ることがないとしても,名誉を感じることができます。行為の観念が伴うので,僕はこの感情も名誉のひとつと数えますが,一般的には名誉がその一種となっている自己満足であるといわれるでしょう。
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バラダ&説明の様式

2014-06-06 19:04:57 | 血統
 日曜の日本ダービーを制したワンアンドオンリー。曾祖母が1988年にアメリカで産まれたアンブロジン。Ambrosineというのは女優の名前のようです。ワンアンドオンリーの基礎輸入繁殖牝馬はこのアンブロジンになりますが,アンブロジンの母で1982年にアメリカで産まれているバラダという馬も,別ルートで繁殖牝馬として輸入されています。Baradaというのは川の名前のようです。ファミリーナンバーA4で,Aはアメリカンファミリーと称される母系。4はその分枝。
                         
 バラダのひとつ上の半姉の仔に,競走馬として輸入され,1994年の最優秀2歳牝馬に選出されたヤマニンパラダイスがいます。バラダとアンブロジンの輸入はその後ですので,おそらくヤマニンパラダイスの活躍が,この一族の日本への導入の呼び水となったのでしょう。ヤマニンパラダイスは繁殖入りした後,2002年に京成杯を勝ったヤマニンセラフィムを産んでいます。
 バラダが日本で産んだ産駒およびその子孫からは,重賞ウイナーは出ていません。一方,アンブロジンは登録された2頭目の産駒がノーリーズン。一族の活力の確かさはここで証明されました。ノーリーズンのふたつ下の半弟はグレイトジャーニーで,こちらは2004年のシンザン記念と2006年のダービー卿チャレンジトロフィーを勝っています。ノーリーズンの半姉,グレイトジャーニーの全姉で,アンブロジンが日本で産んだ最初の産駒がサンタムール。ワンアンドオンリーはこのサンタムールの孫になります。
 1998年の高松宮記念を勝ったシンコウフォレストと,2001年に函館スプリントステークスとアイビスサマーダッシュを連勝したメジロダーリングは,共に1983年にアメリカで産まれたGreen Desertの産駒。このGreen Desertは,バラダの甥になります。Green Desertの全妹の産駒は競走馬として輸入。繁殖牝馬となり,2011年のエプソムカップと毎日王冠を勝っている現役のダークシャドウの母になりました。

 統一する方法としては,ふたつの仕方が考えられます。これはなぜこれを統一する必要があるのかということ自体からの帰結であるといえるでしょう。
 延長の属性Extensionis attributumと,無限知性intellectus infinitusを,平行論における同一個体と解するのは無理があります。もしも延長の属性に対して同一個体として無理なく呈示できるものがあるとするなら,それは思惟の属性Cogitationis attributumでしょう。一方,無限知性は思惟の属性の直接無限様態ですから,もしもこれと無理なく平行論的関係を構築できるものがあるとすれば,それは延長の属性の直接無限様態,すなわち運動motusと静止quiesであるということになります。
 ただ,僕はどちらの解釈を選択するのかということは,大した問題とはならないと考えています。物体corpusXそのものと,その物体Xの観念ideaが同一個体であるということは,明白だからです。つまり実際にここで問題になっているのは,平行論的関係そのものではありません。むしろ平行論的関係にある思惟の様態cogitandi modiと思惟以外の様態が,どのように神Deusのうちにあると説明されるのかということだからです。たとえば延長の属性と思惟の属性は,平行論的関係における同一個体そのものではないと僕は解します。もっとも,これには異論があるかもしれません。ただ少なくとも,運動と静止と,無限知性が同一個体ではないということは確かな筈です。というのも,もしも運動と静止の同一個体である思惟の様態があるなら,それは運動と静止の観念でなければならない筈だからです。
 したがって,無限知性のうちにあるということと,思惟の属性のうちにあるということが同じ意味であるか,そうでなければ延長の属性に包容されてあるということと,運動と静止のうちに包容されてあるということが同じ意味であるのかの,どちらかでさえあればよいわけです。なぜならそのどちらかが成立する限り,個物res singularisがあるという説明の様式が,思惟の属性でも延長の属性でも一致することになるからです。そして僕の考えでは,これは一方だけが成立するのではありません。どちらも成立するのです。
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トリーティ&ZとAの同一性

2014-05-17 19:16:19 | 血統
 アラホウトクの母系の基礎輸入牝馬は,彼女の曾祖母になるトリーティ。1959年にオーストラリアで産まれた馬で,敗戦後の一時期は,オーストラリアから多くの馬が輸入されていました。Treatyは条約。ファミリーナンバー4-lで,日本で走っているこのファミリナンバーの馬の多くはトリーティの流れを汲んでいるのではないかと思います。
                         
 実はこの一族からの重賞の勝ち馬が,アラホウトク以後は先日の兵庫チャンピオンシップエキマエまで途絶えていました。ですから分枝は広がっていても,どちらかといえば廃れつつある一族なのかもしれません。ただ,僕の競馬キャリア以前には,大レースの勝ち馬も出ていました。
 トリーティは1966年にフラワースウィースという馬を産んでいまして,分枝はこの馬から広がっています。その直仔で1976年に誕生したのがビンゴガルー。1978年に朝日杯3歳ステークスを勝って最優秀2歳牡馬に。翌年には皐月賞も勝ちました。アラホウトクの母のビンゴモレロがビンゴガルーのひとつ上の全姉ですので,アラホウトクは皐月賞馬の姪であったわけです。
 アラホウトクの半兄にビンゴチムールという馬がいました。この馬は1986年の目黒記念をレコードタイムで勝っています。僕の競馬キャリアの直前で,このレースはビデオで視ただけですが,この馬の現役の末期は僕の競馬キャリアの範囲内。サクラユタカオーが天皇賞を勝ったのはこの年の秋ですが,このレースにはビンゴチムールも出走していました。
 一族の重賞の勝ち馬は以上の4頭。その他ではアラホウトクとビンゴチムールの従兄に皐月賞4着,ダービー3着,菊花賞2着とミスターシービーが制した三冠レースすべてで好走したビンゴカンタという馬がいて,この馬の現役末期も僕の競馬キャリアにぎりぎりで収まっています。

 因果性Zと因果性A同一性があるということは,単純に文言上だけで理解するなら,松田も認めるところだといえます。「二重因果性の問題」は,数的に区別できる二種類の因果性の存在を認めているのですが,因果性Zと因果性Aに関しては,数的に区別することは不可能であるという結論になっているからです。
 僕は因果性Zと因果性Aというのは,そのように規定することができるということを前提として,同一の因果性を他面から表現しているという考え方です。松田はこれとは違った観点から,ZとAの数的区別不可能性を結論付けているので,僕の考え方にも同意するのかどうかは不明です。実体が自己を産出するということと,実体が属性を産出するということは相即不離であると松田はいっているのですが,この相即不離ということが,完全に同一であるということを意味しているかどうかが,明確には分からないからです。ただ仮にそこには差異があるのだとしても,ここで考えなければならないのは因果性の数的区別なので,このことは無視することにします。
 松田は数的に区別可能な因果性に関しては,永遠の相の因果性と持続の相の因果性とに分類します。逆にいえば因果性がそのように区別される場合にだけ,それらの因果性は数的に区別されると主張していることになります。しかしZとAは両方とも永遠の相の因果性に属します。なのでZとAは数的には区別が不可能であるというのが松田の主張の概要です。
 この部分で松田は,ZとAというのを,三角形と三辺形の類比で説明しています。実はここが僕にはよく分からない部分です。三辺形ということで,松田が何を意味させようとしているのかが不明確だからです。僕の理解ではこれらふたつは同一のものを異なった記号で表現しているにすぎません。そうであるなら,松田は三角形と三辺形が数的に同一であるのと同じ意味で因果性Zと因果性Aは数的に同一であるといっているので,ZとAは記号上の相違があるだけだといっていることになります。これは僕の考え方と一致しています。ただその後で松田はZとAを図で示しているのですが,それを見るとこれとは違ったことをいっているようにも思えるのです。
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ビューパーダンスとステラマドリッド&昼食の時間

2013-12-07 19:23:48 | 血統
 ハーツクライの母は重賞2勝のアイリッシュダンスですが,その母は1983年にアメリカで産まれたビューパーダンスという馬で,この馬がこの母系の日本での輸入基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバーエスサーディーと同じで6-a
                         
 全兄に種牡馬として輸入されたリファーズスペシャルという馬がいます。日本では大した種牡馬成績は残せませんでしたが,アメリカではGⅠの優勝馬も出しましたし,自身もイギリスのGⅠ勝ち馬。ビューパーダンスが繁殖牝馬として輸入された背景のひとつであったと推測されます。
 ビューパーダンスは日本では8頭の産駒を残し,活躍馬も少なくありませんでしたが,重賞を勝ったのはアイリッシュダンスだけ。そこからハーツクライへと血が継続されていったことになります。昨年のフラワーカップを勝ったオメガハートランドはアイリッシュダンスの孫で,ここからさらに優秀な産駒が出てくる可能性もあります。
 ビューパーダンスの半姉の仔にはアイリッシュシャドウという馬がいて,この馬も繁殖牝馬として輸入されました。産駒にはオープンで2勝,フェブラリーステークスでは3着になったシャドウクリークがいます。
 こうしたことからこの一族が注目されたためでしょう,ビューパーダンスの別の半姉の仔も繁殖牝馬として輸入されました。それが1987年にアメリカで産まれたステラマドリッド。アメリカでGⅠを4勝した馬です。この馬も日本で多くの仔を産み,またアメリカ産まれの一族から輸入された馬もいて,牝系は拡大中。現在のところはステラマドリッドの直仔で,重賞を4勝,2002年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬に選出されたダイヤモンドビコーが代表馬ですが,ステラマドリッドを輸入基礎繁殖牝馬とする系統からも,大レースの勝ち馬が輩出する可能性があるように思います。

 施設のバザーが開催されていた間,ずっと母と妹は行動を共にしていたというわけではないと思います。ただ,帰りは一緒でして,家に戻ったのは午後3時20分頃のことでした。
 25日の月曜日はすでに説明したように,母は施設へバザーの後片付けに出向きました。そしてこの日から,妹はショートステイに行っています。11月は予約をキャンセルし忘れた1泊のショートステイにも妹の意向で行きましたから,これが2度目。そしてそのときにも説明したように,この日からのショートステイは2泊3日でした。月曜は新たなる支援として実施されるようになった家までの迎えが継続されている唯一の日です。よって荷物もそれで同時に運搬してもらいました。なお,母はこのために妹を送り出した後でバスで施設の方へと赴きましたので,僕が妹を送り出すという必要はありませんでした。ちなみに僕はこの日は午前中が伊勢佐木町で午後から長者町。伊勢佐木町と長者町は隣町ですから,そのまま直行するのがどう考えても合理的です。しかし僕は伊勢佐木町での仕事を終えてから,家まで戻り,再び長者町へと出掛けました。昼食を摂取するために十分な時間を確保できるということが事前に判明している場合,僕は必ずこのようにしています。これは食餌療法のためには可能な限り外食は避けた方が利便的であるということと,家で食事を摂るならば,インスリンを持って出掛ける必要がなくなるということの,ふたつの理由からです。
 妹が戻ったのは27日の水曜日。僕はこの日は川崎でしたが,午後4時半前には帰宅しました。ただ,妹が勤務している作業所は,水曜日だけは作業の終了が午後3時と,ほかの日よりも1時間早くなっています。この場合はどんなに遅くなっても午後4時前には帰ってきますので,僕が帰宅したときには,妹はすでに帰っていたことになります。
 11月30日の土曜日に,母と妹は金沢区にある横浜市大病院に行きました。といっても何か異変があったからというわけではなく,病人の見舞いです。ここはかつて父が入院していたことがあり,妹は初めてだと思いますが,母は行ったことがある場所でした。
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キロフプリミエール&国民審査

2013-10-25 18:59:20 | 血統
 日曜日の菊花賞エピファネイアが勝ちました。母系の基礎輸入繁殖牝馬は祖母で1990年にイギリスで産まれたキロフプリミエールです。Premiereは初日。ファミリーナンバー16-aで,キャサリーンパーと同じ。
                         
 輸入したのはノーザンファーム。後にオーストラリアに売られることになるのですが,1995年に日本にやってきて,繁殖生活を始めました。2001年まで,1年を除いてすべての産駒がJRAでデビュー。出世頭は1000万を勝った馬で,重賞には手が届かなかったのですが,2001年にスペシャルウィークを配合され,翌2002年に誕生したシーザリオは,2005年にフラワーカップを制して産駒の初重賞制覇達成。桜花賞は惜しい2着でしたが,オークスは驚異的な追い込みで勝利し,大レース制覇も達成しました。さらにアメリカに渡ってアメリカンオークスに出走するとこれは楽勝。海外での大レース制覇というおまけまでつきました。
 シーザリオにとって残念ながらこれが最後のレース。2007年に初産駒を誕生させると,シンボリクリスエスとの間に2010年に産まれたエピファネイアが菊花賞を勝ち,母息子でクラシックを制覇という偉業を達成。エピファネイアは無事ならばさらなる活躍が望める筈です。2頭とも角居勝彦厩舎に所属し,主戦は福永祐一騎手。それぞれにとって思い入れのあるであろう血脈での勝利ですから,ことのほかの喜びがあったものと推察されます。
 近親に輸入馬が少なく,繁殖に入っている牝馬も多くありません。一族の日本での発展は,シーザリオがどれだけの牝馬を子孫として残すかにかかっているといえそうです。

 投票の基準は概ねこのようなものになっているのですが,ひとつだけ例外があります。それは最高裁判所の裁判官の国民審査です。この国民審査では,僕は自身の政治的判断をします。とはいっても,この国民審査で失格した裁判官というのを僕は知りません。いい換えれば全員が合格することが決まっているような審査ですから,現実的な意味においては政治的判断をしているとはいえないかもしれません。僕がここでこれを例外であるというのは,この投票に関しては,他者の投票動向の予測とは無関係に,僕自身の判断基準だけで投票するという意味です。
 投票の参考にするのは事前に配布される選挙公報です。選挙公報には,審査を受ける裁判官が,どのような裁判に加わり,そしてそこでどのような判断を下したのかということが明記されています。僕は,どんな裁判に参加し,またそこでどう判断を下したのかということは考慮には入れません。ただ,下した結果のすべてが多数派の意見と同じであったという場合,すなわちこれはその裁判官が下した判断が,判決と一致する場合という意味ですが,この裁判官にはバツをつけることにしています。
 裁判官というのは法律の専門家です。ですから下した判断のすべてが多数派と一致するということは,それだけ専門家として有能であるということの証です。なので本当はそうした裁判官にバツをつけるのは著しく合理性を欠いているということを,僕自身よく分かってはいるのです。ではなぜあえてそのような合理性を欠くような投票をするのかというと,それがどのような対象に対しての判断であったとしても,その判断のすべてが結果的に多数意見と一致するような人のことを,僕はひとりの人間として信用できないのです。これは合理的な意味でそういっているのではなく,僕自身の受動が,僕にそのような思いを抱かせるという意味です。つまり国民審査に関しては,僕は僕の受動によって,自分の投票行動を決定しているということになるのです。
 これらが僕の現在の政治に対する心構えのすべてです。スピノザ主義者の態度の一例として,参考になるかもしれないと思いましたので,長々と書き連ねました。
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キャサリーンパー&限定

2013-07-13 18:59:02 | 血統
 水曜日のジャパンダートダービーを圧勝したクリソライト。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は祖母のキャサリーンパー。1987年アメリカ産でファミリーナンバー16-a
                         
 1993年から3年間はアイルランドで繁殖生活を送り,翌年はイギリスへ。このイギリスでの産駒は輸入されて日本で競走生活を送りました。次の年もイギリスで種付けされましたが受胎したまま日本へ。したがって1997年に産まれた産駒が最初の日本産ということになります。
 コンスタントに産駒を出していき,2003年にエルコンドルパサーとの間に産まれたのが2006年のジャパンカップダートを優勝し,同年のJRA賞では最優秀ダート馬に選出されたアロンダイト。未勝利から4連勝で初の重賞挑戦がこのジャパンカップダートであった驚異的な上がり馬でした。残念ながらその後は勝利から見放されてしまいましたが,これは順調さを欠いたため。何もなければもっと活躍できた筈であったと思います。
 アロンダイトのひとつ上の全姉がクリソプレーズで,この馬がクリソライトの母になります。2着馬に父であるゴールドアリュールと同じだけの差をつけての圧勝でしたから,父と同様の活躍を期待したいですし,一族として叔父の古馬以降の無念を晴らしてほしいです。
 キャサリーンパーは叔母も輸入されて繁殖生活を送りました。1995年にフラワーカップを優勝したイブキニュースターは,キャサリーンパーの従妹です。

 同一の本性naturaを有するほかのものによって限定されるものが有限finitumであるといわれるのであれば,有限であるものだけが限定を受けているものであるということになります。スピノザの哲学では,事物の定義Definitioは定義される事物の本性essentiaを意味し,事物の本性というのはその事物と一対一で対応するもの,すなわちAの本性がXであるなら,Xという本性を有するものはAだけであるという関係にありますから,このことは第一部定義二から明らかです。したがって,ふたつの個物のうち,少なくともres singularisの方が限定されているということは,第一部定理二八から明白であるといわなければなりません。
 ただし,現在の課題の解決のためには,何が限定されたものであるのかということを知るだけでは十分ではありません。ここで考察しようとしている限定determinatioは,結果effectusとして限定を受けるものは何であるのかということではなくて,原因causaとなって結果を限定するものは何であるのかという点にあるからです。つまり必要なことは,個物res singularisが限定を受けているといわれるときに,そのres singularisを限定しているものは何であるのかということです。
 そしてその答えもまた,第一部定理二八のうちに含まれているといえます。すなわちこの定理Propositioは個物res singularisの原因と結果の無限連鎖を主張しています。それは要するに,結果としてのres singularisの原因はそれとは別のres singularisであり,そのres singularisの原因であるものはまたそれとは別のres singularisであって,この関係が無限に連鎖していくということです。したがってあるres singularisを原因として限定するものは,それとは別のres singularisであると考えなければならないと僕は思います。つまりres singularisは,結果として別のres singularisによって限定されるものであり,同時に原因としてそれとも別のres singularisを限定するものであるということになると思うのです。つまりres singularisとは,限定されつつ限定するものなのです。
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キャットクイルとパシフィカス&決定の要素

2013-05-27 18:55:53 | 血統
 昨日の日本ダービーを素晴らしい末脚で差し切ったキズナ。この馬の母は1990年に産まれたキャットクイル。Catequilはインカ帝国の神の名前のようです。ファミリーナンバー13-a
                         
 1994年に輸入され,繁殖生活は日本のみ。初年度産駒が1998年の桜花賞と秋華賞を勝ち,JRA賞最優秀3歳牝馬,2000年にはトゥザヴィクトリーなどを降してエリザベス女王杯に優勝,JRA賞の最優秀4歳以上牝馬に選出されたファレノプシス。いきなり大物を出したことになります。
 1999年に産まれた産駒は日本では出走せず,アメリカの調教師に預けられました。このブログでいう馬の国籍ではアメリカ馬となったわけです。Sunday Breakと名付けられたこの馬は,GⅠには手が届かなかったものの,後の2008年,馬の国籍では今度は日本馬となるカジノドライヴが勝つことになるピーターパンステークスGⅡを2002年に勝っています。
 キズナはファレノプシスからみて15歳下の半弟。まだ活力を維持していたわけで,キャットクイルは素晴らしい繁殖牝馬だといえるでしょう。
 キャットクイルが輸入された背景には,9歳上の半姉,パシフィカスが日本で繁殖生活を送っていた点が挙げられます。Pacificusはするめいかという意味もあるようですが,人名だと思います。
 こちらはイギリスで繁殖生活を送ってから1989年に輸入。そのときにシャルードの仔を宿していて,1990年産の日本での初年度産駒は1993年に菊花賞を勝ってJRA賞年度代表馬,翌1994年には天皇賞(春)とベガも出走した宝塚記念に優勝,JRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出されたビワハヤヒデ
                         
 翌年の産駒は1993年に朝日杯3歳ステークスに勝ちJRA賞最優秀2歳牡馬,1994年は皐月賞,日本ダービー,菊花賞の三冠と,有馬記念を優勝,JRA賞年度代表馬に選出,引退後の1997年に殿堂入りを果たしたナリタブライアン
 さらにナリタブライアンの全弟で1995年に産まれたビワタケヒデは,1998年にラジオたんぱ賞を勝ちました。
 キズナからみるとパシフィカスの3頭の仔は,従兄になるわけです。
 久々の重賞勝ち,大レース勝ち馬ですが,近親も多く輸入され,日本での枝葉は広がりつつあるところ。一族でみれば,さらに大レースの勝ち馬が輩出してもおかしくないと思います。

 神Deusが物を作用に決定するdeterminareという命題と,物が神によって作用に決定されるという命題が,同じような意味において真の命題であると仮定して,重要になってくるのは,ここで決定といわれていることを構成する要素がどのようなものであるのかということです。いい換えれば,神が物を作用に決定するという命題,および物は神によって作用に決定されるという命題は,『エチカ』においてはどのような意味をもっているのかということです。
 再三にわたっていっているように,『エチカ』の神は意志voluntasによって働いたり作用したりするような実体substantiaではありません。したがって当然のことながら,この決定も神の意志による決定ではないということになります。いい換えれば,神の意志はこれらの命題の決定の要素を構成したりはしません。
 もしも神が意志によって働くagereものであるとしてみましょう。この場合,神が物を作用に決定するということの意味は,神がその意志によってある物に何らかの作用をさせ,またある物には何の作用もしないように決定するということになります。一方,物はこの決定からは逃れられないということはすでに明らかになっていますから,要するにすべての物は神の意志に随意して,ある作用をなしたりなさなかったりするでしょう。この場合,確かに神は自由に物に対して決定をなし,物は神によってすべての作用を強制されると考え得ると僕は思います。しかし神は意志によって決定を下すわけではありませんから,このような仮定は無意味といえば無意味でしょう。しかし,もしもこのように考えなければ,強制ということを規定することができないのであるなら,ただ単に,これは仮定にすぎない,そして真理veritasではないというだけで,ふたつの命題が物に関する強制を含意していないということにはなります。
 では実際に決定を構成する要素は何であるのかといえば,それは神の本性naturaの必然性necessitasなのです。つまり神はその本性の必然性によって物を作用に決定します。逆にいえば,もしも神が物をある作用に決定しないとすれば,それはその物がその作用をなすことが,神の本性の法則に反しているからだと理解しなければなりません。
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ヘレンサーフ&ふたつの決定

2013-05-11 19:14:40 | 血統
 NHKマイルカップを勝ったマイネルホウオウの輸入基礎繁殖牝馬はヘレンサーフ。1903年にイギリスで産まれた馬で,明治から続き現在まで残る小岩井血統のひとつです。ファミリーナンバーアグサンとサトルチェンジと同じで16-c
                         
 1911年に第四ヘレンサーフという牝馬を産んでいて,現在まで続いているのはすべてこの末裔だと思われます。クラシックを勝った馬や大レースの勝ち馬も出ていますが,どれがこの一族を代表する産駒というかはやや悩ましいところ。
 僕の競馬キャリアが始まって以降,この牝系から最初の大レースの勝ち馬になったのは1990年に宝塚記念を勝ったオサイチジョージ。そして2頭目が2002年に菊花賞,2003年には天皇賞(春)と宝塚記念を勝ち,この年のJRA賞で最優秀父内国産馬に選出されたサッカーボーイ産駒のヒシミラクル。ヒシミラクルは大レースを勝った数でいえば,この系統の代表馬といってもいい存在かもしれません。マイネルホウオウはこの2頭に続き,3頭目となります。
 このようにぽつりぽつりと大物を出すことによって続いてきたという一面があります。このブログは2006年の3月に開設されていますが,それ以降で重賞を勝った馬というのも1頭しかおらず,それが一昨年のオーバルスプリントを勝ったダイショウジェット。マイネルホウオウがようやく2頭目の重賞勝ち馬ということになるのですが,幅広く分枝していますから,何年か経った後に,またどこかで大物が出たとしても,不思議ではないでしょう。

 積極的ということばによる被修飾語が神である可能性を視野に入れると,今度は別の観点が課題として生じてくることになります。それは,第一部定理二六証明で,作用に決定されるといわれているときに,そもそもこの作用というのが,『エチカ』の中で何を意味すると考えるべきなのかということです。すでに,この決定をする主体というのは神であるとスピノザが認識しているということは確定的なわけですから,神があるものを作用に決定するということが,いかなる事象として考えられるべきであるのかということは,積極的ということが何を意味するのかということを具体的に探究する場合には,必須の課題であるとさえいえるでしょう。
 マシュレは,ものが神から決定されるといわれる場合に,ふたつの様式があるということに注目しました。ひとつはもちろん作用に決定されるという場合です。しかしもうひとつ,これとは別に,ものが働くように神から決定されるといわれる場合があるのです。このとき,作用するといわれる場合と,働くといわれる場合では意味に相違があるというのがマシュレの考え方ですが,このマシュレの論考というのは,神がものの原因であるということ,すなわち第一部定理一六が,どういった性質を有しているかを探求したもので,ここでの僕の考察とは主題が異なります。ただし,関係してくる部分というのが明らかにありますので,ここではこのマシュレのこの点に関する論考をまとめた,桜井直文の「スピノザのマテリアリスム」という論文を参考にします。
                         
 桜井による分析では,まず作用すると働くの相違は,超越的原因と内在的原因の差異に帰着します。すなわち『エチカ』でこれと関係しているのは第一部定理一八であるということになります。超越的原因とは結果を自己の外に産出する原因を意味し,内在的原因は結果を自己のうちに産出する原因を意味します。桜井も,また岩波文庫版の『エチカ』の訳者である畠中尚志も,これをアリストテレスの哲学における分類としています。僕はアリストテレスはほとんど読んでいないのでよく分かりませんが,スピノザがここでその分類に従っているということは,間違いないものと思います。
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ミルレーサーとミルカレント&福居との共通点

2012-12-06 18:36:53 | 血統
 日曜日のジャパンカップダートニホンピロアワーズが勝ちました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は曾祖母のミルカレント。1992年,アメリカ産です。ファミリーナンバー22-dで,これはナイトライトと同じ。ミルカレントからみて5代母の姉が,ナイトライトの母にあたります。
                         
 ニホンピロアワーズもそうですが,ミルカレントから続く一族はほとんどが小林百太郎さんの名義で,ニホンピロ○○と名付けれて出走。ただ,重賞の勝ち馬はニホンピロアワーズ以外には出ていませんでした。
 ミルカレントの半姉で1983年にアメリカで産まれたのがミルレーサー。アメリカで2頭の産駒を出産した後,輸入され,3年目に新種牡馬のサンデーサイレンスを配合されて誕生したのがフジキセキ。フジキセキが誕生したのは1992年で,血統関係からはミルカレントの甥ということになりますが,この2頭は同い年。ミルカレントが輸入されたのは,その姉からフジキセキが産まれていたということも大きな要因であったと思われます。
 フジキセキのひとつ上の半姉はシャイニンレーサー。この馬は1996年のマーメイドステークスを勝っています。そして繁殖入り後に2002年のクイーンカップを勝ったシャイニンルビーを産みました。
 この一族の重賞の勝ち馬は現在のところこの4頭。ほかにフジキセキのひとつ下の半妹からは,2009年のトゥインクルレディー賞を勝ったフサイチミライが出ています。
 ミルカレントはそうでもありませんが,ミルレーサーの方はわりと分枝が広がっていますので,今後も活躍馬が出る可能性は残っているのではないでしょうか。

 『スピノザ『エチカ』の研究』で福居純が示している読解と,今回の僕の考察の根幹部分の一部が一致するということは,逆にいえば僕の考察を全体としてみた場合には,共通する点と相違する点の両方が含まれているということになります。ここではそれをすべて取り上げることはしませんが,共通点および相違点のうち,興味深く思われるところ,ないしは僕の考察と大きく関係する部分を抽出しておきます。
                         
 まずは共通点からです。
 福居は第二部定理九を,神の無限知性を構成するものと読解します。いい換えれば,単にある人間の精神のうちにある個物の観念とそれをみるならば,それが十全な観念であるか混乱した観念であるかは関係なく,この定理でいわれている個物の観念には該当しないということになります。
 次に,福居はこのことを前提として第二部定理九系を読解します。いい換えれば第二部定理九系の消極的意味が成立しなければならないと考える点において,僕の考察と福居の読解とは完全に一致しているといえるでしょう。
 そしてこのことを前提として,福居は第二部定理一二を読解します。よって第二部定理一二の新しい意味が成立しているという点で,僕の考察と一致することになります。要するに考察の最初の部分と,そこから得ることができる結論に関しては,福居と僕とは一致しているといっていいでしょう。
 第二部定理一一系に関していえば,僕が出した第二部定理一一系の具体的意味のうち,第二の点には福居は言及していません。しかし僕が触れなかったいわば第四の意味を抽出しています。それは,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念がないのであれば,AはXを認識しない,つまりAの精神のうちにはXの十全な観念も混乱した観念も存在しないということです。僕はそれは第三の点に依拠すれば証明が可能であると思いますが,福居が指摘しているように,第二部定理一九はこの意味から帰結していると考えることは可能でしょう。
 これはいわば第二部定理一一系の消極的意味というべきものであって,消極的の意味を考えれば,僕の第二部定理九系の消極的意味とパラレルな関係にあることはお分かりいただけるものと思います。このことは,第二部定理九系の消極的意味,第二部定理一一の具体的意味,第二部定理一二の新しい意味が,三つ組の関係にあることの,ひとつの根拠になるでしょう。
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クレアーブリッジ&『エチカ』での援用

2012-12-04 18:35:11 | 血統
 先月のJBCスプリントで待望の大レース制覇を達成したタイセイレジェンド。この馬の基礎輸入繁殖牝馬は4代母にあたる1967年アメリカ産のクレアーブリッジファミリーナンバーフォルカーと同じ13-cで,フォルカーの母がクレアーブリッジの曾祖母の姉にあたります。
                         
 輸入は社台で,1975年の産駒から登録されています。1981年産のダイナキャロルがタイセイレジェンドの曾祖母。この一族は現在も多く続いていますが,重賞の勝ち馬はタイセイレジェンドだけです。
 ダイナキャロルのひとつ下の全妹がサクラクレアー。この馬も社台ファームの生産ですが,さくらコマースに買われたので谷岡牧場で繁殖入り。サクラユタカオーを配された2頭目の産駒,サクラヤマトオーは,重賞は2着2回が最高でしたが2歳時にオープンを3勝するなどした活躍馬でした。
 さらに1年をおいてトニービンとの間に産まれたのがサクラチトセオーで,1994年の中山記念を勝ちました。これがこの一族の初重賞制覇。翌年,アメリカジョッキークラブカップで重賞2勝目をあげ,10月29日の秋の天皇賞で大レース優勝。有馬記念でもマヤノトップガンの3着に入り,この年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出されました。
 サクラチトセオーのふたつ下の妹はサクラヤマトオーの全妹となるサクラキャンドル。3歳秋にクイーンステークスで重賞制覇を達成すると半兄の天皇賞制覇の2週後のエリザベス女王杯を優勝。兄妹で大レースの勝ち馬となりました。翌年は府中牝馬ステークスも勝っています。
 この兄妹の半妹で1998年に産まれたのがサクラメガ。この馬は繁殖入り後,重賞4勝のサクラメガワンダーを産んでいます。
 これまでも活躍馬はいたものの,重賞までいったのはいずれもサクラクレアー経由でした。別系統から大レースの勝ち馬が出たことは,この系統の繁栄のためには大きかったといえるのではないでしょうか。

 第二部定理一二の論証で第二部定理一一系が援用されるとき,これは第二部定理一一系の具体的意味のうち第一の点に依拠しています。第二部定理一三,第二部定理二二の論証の場合にも同様です。
 第二部定理一九,第二部定理二三,第二部定理二四,第二部定理三〇の論証において援用されている場合も,同じように考えることが可能であると思いますが,これらの論証は,それらの観念が単に人間の精神と関係する限りでは混乱した観念ではあっても,神のうちでは十全な観念であるということ,いい換えれば第二部定理七系の意味を前提とした上で成立している論証です。よってむしろこの点を含意しているといえる第三の点に依拠しているというのが正しい見方であると僕は思います。
 第二部定理三四,第二部定理三八,第二部定理三九,第二部定理四〇,第二部定理四三,そして第三部定理一の論証では,第二の点に依拠しています。そしてこれらはいずれも人間の精神のうちにある十全な観念に関係した論証で,人間の精神の本性を構成する限りで神のうちで十全であるといわれています。すなわち第二の点を構成するあらゆる条件を満たしています。
 第二部定理四三備考と第三部定理三八の論証でも第二部定理一一系が言及されていますが,これらふたつは単に人間の精神が神の無限知性の一部であるという点に訴求していると考えるだけで十分であり,具体的意味のどれに該当するかは考慮する必要がありません。
 第五部定理三六の論証をどう考えるかは難しいです。ただこの定理は,現実的に存在する人間の精神ではなく,永遠の観点aeternitatis specieの下での人間の精神と関連します。永遠であるものが真であるということは第二部定理一一系とは無関係に論証できます。ですからどう考えようと,ここでの援用が具体的意味を崩壊させる要素を有することはありません。
 『エチカ』における第二部定理一一系の援用は以上ですべてです。つまり具体的意味は『エチカ』の中で十全に成立します。これによりこの課題は乗り越えられました。よって新しい課題に挑みます。
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インヴァイトとウインドインハーヘア&歯間ブラシ

2012-06-28 19:01:10 | 血統
 昨晩の帝王賞ゴルトブリッツが優勝しました。基礎輸入繁殖牝馬は祖母のウインドインハーヘアです。ファミリーナンバー2-f
                         
 1991年にアイルランドで産まれた馬で,ドイツでGⅠ1勝。繁殖入り後,アメリカで3頭の産駒を産みました。この3番目の牝馬は競走馬として輸入。なかなかデビューできず,4歳の夏にようやく初出走。1000万条件だったのですがいきなり勝つと9月まで5連勝。オープン入りした翌週のスプリンターズステークスに連闘で出走してデュランダルの4着。これがこの馬の全競走成績。つまり約3ヶ月です。そしてこの牝馬こそ,ゴルトブリッツの母となったレディブロンドです。
 ウインドインハーヘアはレディブロンドを産んだ翌年はアイルランドで1頭の仔を産み,Danehillを受胎したまま輸入されました。翌年はサンデーサイレンスと交配され,誕生したのが2004年のスプリングステークスを勝ったブラックタイド。さらに翌年も同じ配合で,その馬がディープインパクトです。
 ウインドインハーヘアの半姉のインヴァイトも繁殖牝馬として輸入されていて,この馬からは2003年のNHKマイルカップを勝ったタイキシャトル産駒のウインクリューガーが輩出しました。また,インヴァイトが日本で産んだ2頭目の産駒からは,ステイゴールドを父に持ち,2006年のマーメイドステークスを勝ったソリッドプラチナムも出ています。
 相対的に牝馬の数が少なく,枝葉が一気に広がっていくのは難しそうです。ただこの短期間でこれだけの活躍馬が輩出しているのですから,間違いなく長く続いていく系統になるでしょう。

 その週の金曜日,3月23日の午前中に,歯科検診のためにI歯科へと行ってきました。
 施された内容はいつもの検診のときと同様であったのですが,この日はいつになく時間が掛かりました。つまり念入りにクリーニングされたわけです。どうも歯間の汚れの付着がそれまでよりも多かったようで,そのために時間が掛かってしまったようです。実は前回の検診と今回の検診の間は,ちょっとした事情があって歯間ブラシを使う回数がそれまでよりも減っていました。おそらくそのために普段よりも多くの汚れが残っていたのだろうと思います。逆にいえば歯間ブラシというのは,実際に有効なものであるということが確かめられたといえるでしょう。
 クリーニングは歯科助手の仕事で,それが終了するとI先生が歯のチェックをしますが,この日は虫歯を治すことを勧められました。歯科検診のために来てこれを勧められたのは前年の9月のときも同様。そのときの虫歯治療は左上の前歯でしたが,この日は右下の前歯でした。手鏡で見せてもらいましたが確かにそこの部分は変色していまして,これは何らかの色素が付着しているというものではなく,虫歯であるとのこと。この時点で何らの痛みも感じてはいませんでしたが,放置しておけば進行はするかもしれませんが回復するということがあり得ないということは道理。そこの部分を削り,削った隙間を埋めるという作業は前回のときと同様で,1回の通院で治療することが可能とのことでした。もっとも,仮にこの治療のために何回かの通院が不可避になるとしたところで,僕の方からこれを断るような理由はありません。僕が最初にI歯科を訪れた理由は,糖尿病と歯周病との間には,医学的にはっきりとした関連性があるからではありましたが,その後も定期的に検診を受けているのは,そもそも単に歯のクリーニングをするということだけを目的としているわけではなくて,このような事態も想定した上でのことであったからです。ということで,翌週の金曜日の午前中も時間を開けることが可能でしたので,その日に予約を入れて,この日は帰りました。
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ビューチフルドリーマー&退職

2012-05-22 18:49:23 | 血統
 13日のヴィクトリアマイルを勝ったホエールキャプチャの曾祖母がタレンティドガール。さらに母系を遡っていくと1903年にイギリスで産まれて輸入されたビューチフルドリーマーに辿りつきます。ファミリーナンバー12
                         
 当時の日本のサラブレッド生産の中核をなしていた小岩井農場による輸入。この時代に小岩井によって輸入された繁殖牝馬から現在まで続いている一族は多くありますが,中でもアストニシメント,フロリースカップ,そしてこのビューチフルドリーマーは,とりわけ繁栄しています。中央競馬でいえば,少なくとも週に1頭は,この3系統のいずれかから勝ち馬が出ているでしょう。
 明治以来の歴史があるわけですから,活躍馬は数えていけばきりがありません。もしも1頭だけあげるとすればシンザンでしょう。旧根岸競馬場の跡地の森林公園の一角にある馬の博物館にも銅像が建てられていますが,この馬の名前は競馬ファンならずともご存知の方も多いのではないでしょうか。
 現在の繁栄の礎となったのはワールドハヤブサという馬で,千代田牧場が中心となって大きく枝葉を広げました。千代田牧場は牡馬は売却し,牝馬は売らずに走らせ,繁殖として牧場に戻すというのが基本。このために枝葉が大きく広がりました。ニッポーテイオーとタレンティドガールの兄妹もワールドハヤブサの分枝。当然ながらホエールキャプチャも同じということになります。
 ワールドハヤブサの分枝以外の最近の活躍馬の代表は2000年のJRA賞最優秀3歳牝馬,翌年には最優秀3歳牝馬にも選出されたテイエムオーシャン。また,2004年の川崎記念を勝ったエスプリシーズもビューチフルドリーマー系です。

 この日の検査の結果で,それ以外に何か書いておくべきことがあるとしたら,糖定性が2+となっていた点です。すなわち若干の尿糖が出ていたということになります。もっとも,これは何度かいっていることですが,尿糖というのは,とくに糖尿病とは関係なく,血糖値が高い状態で排尿すれば出るものです。つまり,糖尿病患者ではなくても,食後などの血糖値が高い状態で排尿すれば,出ているものと考えてよいのだろうと思います。このときは血糖値が233㎎/㎗と,かなり高くなっていましたので,こういう結果になったのは必然といえるでしょう。もしも血糖値が正常であるのに尿糖が出ていたということになればこれは大変ですが,そういうわけではなかったので,これはとくに問題視しなければならなかったというわけではありません。また,それ以外の結果で何か異常な点はひとつもありませんでした。そして,いつもの検査内容のオーダーと比較して,付け加えられているような項目はありませんでしたし,もちろん削られている項目というのもありませんでした。
 そしてこの日は最後にМ先生から話がありました。それはМ先生が3月一杯でみなと赤十字病院を退職することになったという内容でした。この次の予約は3月19日でしたから,その日はМ先生の担当ですが,その日がМ先生による最後の診察となるわけです。М先生への主治医の交代があったのが2009年の4月でしたから,およそ3年間,М先生にはお世話になったということになります。診察の時間は午後2時半と設定されました。
 いつものように薬局でインスリンを処方してもらい,帰宅したのが15時20分ごろ。非常に順調に終えることができたということが,ここからお分かりいただけると思います。
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